12-09 女狐の尻尾
イカロスは中堤葵にもう一度間違いないのか問い質したうえで、その話の内容がどんなものだったのかを聞いた。
「あの頃はまだこの世界の言葉なんて全然分からなかったけど、今なら少しは分かるよ。多分ね『どこかの村の子か?』って聞いてた。何て言ったっけ? ファイア? フェアリー? なんかそんな単語だった」
「タマキ、嵯峨野深月が選んだ側女の詳細なルーツを。生まれた家も、父親も、母親の出所もすべてだ」
「はい承知しました。だけど確かサガノくんの選んだ子は、純血エルフの子だったと聞きました。価値の高い純血がこんなところに出されるのは珍しいらしいのですが……」
「純血エルフだと? 純血エルフに出身地を聞いたのか?」
まったくもって不自然だ。
純血エルフだろうが混血エルフだろうが、側女を与えられるとして、完全によそ者の日本人が側女エルフの出身地に興味を持って、その場で質問する理由がない。
やはりサガノはスヴェアベルムに居たことがあって、純血エルフに出身地を聞いたんだ。
「タマキ、サガノに与えた側女の出所を調査してくれ。純血エルフだというなら、何処で捕獲されて、どのルートを通って帝国に入ってきたのか。捕獲した者、仲買人の情報も全てを詳細に。保護局に行けば分かるだろう、今すぐ人をやってくれ。今夜までに回答が欲しい」
この慌ただしくタマキに指示をするイカロスを傍から見ていて訝しむ視線を送る者が居た。
逢坂美瑠香だ。
タマキのいまの言葉がおかしいと感じたのだ。
逢坂はクラス全員が転移魔法に乗り、この世界に拉致されてきた日のことを思い出していた。そう、あの日だ、側女、あの時、あの場所にはタマキもいたはずで、その後、柊芹香や常盤美月が暴れて韮崎が大ケガをした。その一部始終を見ていたはずだ、それなのにいま、人づてに聞いた話のようだった。確かに見ていたはずなのにだ。
逢坂美瑠香のタマキへの不信感が募ったが、いまはタマキのことなど些細なことだ。タマキはタマキで注意しておくとして、いまはイカロスのことだ。
これまでは、ただ漠然と嵯峨野の事を知りたいと言ってたイカロスが、急に何か手がかりを得たかのような表情で、いかにも関係なさそうな側女について詳細に調べよと命じた。
なぜそんな必要があるのか? ということだ。
逢坂美瑠香は、これまで和やかだった空気が一変したことにより、クラスメイトたちのイカロスを見る目も変わったその時、まるで問い質すように横から口を出した。
「私は嵯峨野くんを認めています」
嵯峨野深月は確かにクラスに馴染めない所があるけれど、あの子はいい子なんだと訴える逢坂先生の姿は、もうこの世界に転移してきて1か月以上経つというのに、まだ担任教諭で居続けようとするものだった。
だいたいの教育者として自分の生徒を評価するとなるとそう言わざるを得ないのだろうか。
「イカロスさん、もうみんなおかしいと思ってます。あなたはなぜ嵯峨野くんのことをそんなに知りたいのですか? ただ戦場に出たというだけじゃないですよね? だって常盤さんや柊さん嵐山さん、それに烏丸くん、浅井さんに韮崎くんも一緒にここを出て行ったのに、他の子たちのことは全然気にならない様子ですもんね。どういうことかハッキリとおっしゃってくれませんか? あなたが嵯峨野くんのことだけを根掘り葉掘り調べる理由が知りたいです。 嵯峨野くんに何かあったんですか?」
なかなかに鋭いことを言う人だと思った。
イカロスの執拗な質問に対して早く気付くか遅くまで気が付かないかという程度の差こそあれ、ここまで露骨にサガノのことばかり聞くのだから、いずれ必ず違和感を覚えるのは分かっていたのだし。
同じように中山も不審に思っているようで、イカロスに向かって探りを入れるようなことを口走った。
「あーそれ俺も気になりますねー。ハッキリ言って嵯峨野のことはキライですよ。あいつは日本に居た頃は別にどうってことない陰キャだったのに、ここに来てからなんだか偉そうな口を聞くようになった。まるで人でも変わってしまったかのようにね。イカロスさん、あなたが手に持ってるその報告書にも書かれてるでしょうけどね、俺たちここで、この部屋で嵯峨野とケンカになったんですよ。どう書かれてます?」
中山の話した内容には一つ重要な情報が含まれていた。サガノはこの世界に召喚されてきてから変わった?
いま中山はそう言ったのか?
「1対17で建物ごと派手にフッ飛ばされて諸君らが負けたと書かれてある。爆破魔法を甘く見たんだな」
「確かにそうですね。甘く見ていました。けどそんなことじゃないんですよ。まず俺と瀬戸口が木剣で殴りかかったんです。で、俺の木剣は一発でへし折れました。あいつの頭を殴ったつもりが木剣の方がボキッて音を立てて折れたんです。瀬戸口の木剣は折れなかったんですけどね、嵯峨野は防御も回避もせずに、ただ無防備に突っ立ってて、どうぞ殴ってくださいみたいな顔して殴られてるだけ。瀬戸口が力いっぱい殴っても傷一つつけることができなかったです。正直俺はそれを見て引きました。同時に頭にのぼってた血の気も引いて行きましたけどね。その後のことはどうぞ、中堤に聞いてみてください」
「ええっ? 私に振る?」
「どうなったのか教えてくれないか。もう分かっているとは思うけれど実は私、サガノの調査を命じられていてね。ちゃんと話を聞かないと帰れないんだ」
「どうもこうもないですよ。嵯峨野くんはグリモアを持ってなかった。あんなに複雑な爆破魔法を詠唱もなしに使ってみせた。それだけです。私は爆破魔法で来るのが分かってたから耐風障壁を強めに何重にも張ってたんですけどあっさり抜かれちゃって。そこから先はよく覚えてないんだけど、中山くんはあのとき確か嵯峨野と何か話してたよね。ま、私は耳がやられちゃってて何も聞こえなかったけど」
「なんだ見てたのか」
「見てただけ。いつの間にか気を失っちゃったし」
「何を話したんだ? 聞かせてほしい」
中山はイカロスに答えた。
なぜ騎士勇者ともあろうあなたがそこまで嵯峨野にこだわるのかを教えてくれたら話しますと。
この大人が個別に尋問せず、皆の目のあるオープンな場で話を引き出そうとしていることは、恐らく信頼関係を築きつつ、もしくは信頼関係を維持しながら情報を引き出したいのだ。
「これは誰にも言ってないことだからね。それに嵯峨野は嫌われ者だとは言え、俺たちのクラスメイトだし、あいつはどう思ってるか知ったこっちゃないけど、仲間なんだ。話を聞きたいなら、こっちにもそれなりの敬意を払ってほしい」
「さっすが中山くん、いい生徒を持って先生は幸せだよ。嵯峨野くんとはいつか仲直りするんだよ」
「イヤですよ先生。お断りします。あいつが頭を下げて謝ってきたら考えてやらんでもないですがね」
中山の言葉は、話を聞きたければクラスに入ってこいという意味だ。同じ日本人というだけでは足りない、仲間と認められなければ、いくらサガノが嫌われ者だとしても、仲間を売るような真似は断ると言ったのだ。
「済まなかった。すべて話すと約束しよう。もうひとつ、ついでにサガノがこの世界に来てからどう変わったのか? も教えてくれないだろうか。この世界に来て性格が変わったように見えたということなのか」
「あー、変わってないっスよ。あいつのことは黄色い帽子かぶってたガキの頃から知ってるけど少しも変わってないっスね。そりゃあもう不自然なほど変わってない。俺らの2コ上に岩津さんっていうラグビー部の先輩が居て、まあ俺ら嵯峨野も含めて幼馴染? なんっスけど、身長180以上ある筋肉番付1位みたいな人でも、まったく同じ結果だった。何が不自然かって? 俺もここに来て強化と防御の魔法使えるようになったから思うようになったんっスけどね、あいつ日本にいた頃から防御魔法を使えたとしか思えないんですよ。ガキの頃から今に至るまでずっと同じ。変わらずいくら殴っても嵯峨野にダメージを与えることはできなかった。そういう事っス」
瀬戸口の証言はひとつの謎の解答に繋がる有益な情報と、そして一つ眉根を寄せて考えざるを得ない奇妙な違和感を含んでいた。身長180以上ある筋肉質の岩津という男に心当たりがあったからだ。
イカロスが日本に居て大学に通っていた頃の話だ、ラグビー部の岩津節夫といえば友人の後輩という形ではあったが知った奴だった。岩津節夫はイカロスより2つ年下だから、いま日本で暮らしているとしたら37歳になっているはずだ。年齢が違うけれど、少しでも親近感のある話題になりそうだと思い、瀬戸口の話をもう少し詳しく聞いてみようと思った。
「ラグビーの岩津っ……」
「イカロスさん、その質問の意図を教えてくださいませんか? あの子は昔から変わってませんよ。ただクラスのみんなが嵯峨野くんのことをよく知らなかっただけです。共同生活を始めて、ようやくみんな嵯峨野くんに注目し始めて、嵯峨野くんのことが分かり始めたってだけです。本来持っていたイメージが実際のものとかけ離れたものであったというだけですよ」
いきなり横から話を被せられて会話を飲み込んでしまったけれど、イカロスは逢坂美瑠香からチラッと女狐の尻尾に似たようなものが見えた気がした。
サガノが『昔から変わってない』という言葉には不信感しかない。
高校1年生の6月というと、まだ初顔合わせから2ヵ月しかたっていないというのに、もう何年も、何十年も一緒に過ごしてきたかのような言いようだ。




