12-03 【0231案件】 レポート
サガノが確かにあの大悪魔ベルセリウスだと仮定したところで、あの『すり替え』をどうやったのか説明がつかない。魔法だとしてもそんな魔法を使ったという記録がない。
気が付いたら、倒されたはずのサガノたちは、こちらの治癒師と入れ替わっていて、それから……スカラールのオヤッサンと、アドリアーノはすでに倒されていた。二人がいつの間に殺されたのか、それすら分からない。手を伸ばせば届くほど、あんなに近くにいながらだ。
気が付いたら殺られていたなんて言ってる間は何も対策なんてできるわけがない。
次に会うことがあっても、このままだといいように殺られるだけだ。
「くそっ! サガノめ。いったいどんな手を使ったらあんな事ができる」
更衣室に戻ったイカロスは整頓して並べられていた籐の籠を蹴って転がす。思わずとった行動だった。
蹴ろうと思って蹴った訳ではない。考え事をしながら風呂を出たイカロスは悔しさに自分の行動を制御できなくなっていると感じた。これまでこれほどイラついたことがなかったせいだ。
結局のところ、イカロスも目の前で仲間を殺されて憤る一介の兵士に過ぎなかったのである。
これまで戦場で敵を何百も殺してきた。敵を殺すのに特に何の感慨もない。首を落とされた死体を踏まないよう避けて歩くのにも眉を顰めたりといったこともない。
死は身近すぎて、特別なことじゃないのに……。
仲間を4人殺されただけで、心には波風が立って、怒りの炎に手が震えるのを抑えきれない。
大切な仲間だったんだ。
パリッとアイロンの利いた騎士服に着替え終わると親衛隊の一人が直立不動の姿勢を崩さずに待ち構えていて、これから馬を飛ばして自宅へ帰ろうとするイカロスを呼び止めた。
「イカロスさま、これを。エンデュミオンさまより読んでおくようにとのお達しです」
手渡されたのは書物だった。
いや、表紙も内容と同じ靭皮紙が使われているし背表紙もない。木綿の糸で丁寧に綴じられてはいるが、これは書物の類ではなく、レポートのようなものだ。
表紙に231案件と書かれているが、案件とは何なのかすらイカロスは聞いたこともない。何を意味しているのか想像もつかなかったが、エンデュミオンがこれを読めと言ったのならば必ず何かある。
薄暗がりの中、その場でペラペラとページをめくってみると、目に飛び込んでくる名称と単語だけで大まかな内容はおぼろげに理解できた。登場する人物がアリエル・ベルセリウスと、ロザリンド・ベルセリウス、そしてパシテーその他、もう一度最初のページを二度見してようやく理解した。
表紙に0231案件と銘打たれたこのレポートは、ベルセリウス派の魔導派閥を極秘に調査した調査報告書だった。最初の日付はいまから20年も前……。エンデュミオンは20年も前から、アリエル・ベルセリウスの調査をしていたという事か? にわかには信じられる話じゃあない。
20年前というとイカロスがこの世界に召喚されてきた頃の話だ。今になって思えば長かったのか短かったのか分からないが、簡単に振り返って思い出に浸れるような期間じゃないことは確かだ。
だがしかし、20年前の日付から始まるレポートは存在していて、いまイカロスの手にある。
イカロスは受け取ったレポートをそっと閉じると、セラエノ宮殿を出て月明かりの中馬を飛ばし自分の屋敷へと戻った。出迎えた側女には目もくれず、疲れたからあとでお茶を持てとだけ指示し食事もとらずに寝室へ引きこもった。今夜のうちにこのレポートに目を通しておきたかったからだ。
寝室のオイルランタンに明かりを灯すと受け取ったレポートのページを開く。
アリエル・ベルセリウスが『ノーデンリヒトの死神』と呼ばれるようになったノーデンリヒト戦争のことも書かれてあったが、ひとつ驚いたのはイカロスが召喚されてきた当時、召喚勇者のなかでは最強と言われていた勇者キャリバンがベルセリウスの手によって倒されたと書かれてあったことだ。
もちろんイカロスはキャリバンと面識はおろか会ったこともない、最強の勇者キャリバンが戦死したという話はスカラールのオヤッサンから聞いていた。絡め手の嫌いなオヤッサンがノーデンリヒト攻略に志願してきたのも、古い友人だったキャリバンを弔うためだと聞いていた。
イカロスが驚いた理由は、アリエル・ベルセリウスが20年前に最強の勇者キャリバンを倒すだけの実力をもっていたという事ではなく、ここまで克明に記録された事実を秘匿されていたことだ。
だが、その秘匿されていた情報を引き出して、ボトランジュへ向かった男の存在も記載されている。
アリエル・ベルセリウスを暗殺するため刺客として送り込まれた男、勇者アーヴァインとあるが名前の横に◎のマークが付けられている。書類のフォーマットが統一されているとすると◎のマークが付けられているのは任務に志願したという印だ。
つまりこのアーヴァインという男は極秘だった勇者キャリバンの戦死をどういう経緯か知ることができて、そして報復のため暗殺に志願したということだ。
もちろん人の口に戸は立てられぬというから、戦死したという情報は流れる。
つまりキャリバンがノーデンリヒトで戦死したという情報をスカラールのオヤッサンに教えたのは、このアーヴァインである可能性が高い。
アーヴァイン? ……まさか、サガノたちの仲間に同じ名前の勇者がいたはず、確か剣道日本一になったというあいつがアーヴァインだったはずだ。勇者の名前も被りがあるのか? イカロスという名も、過去に名乗っていた召喚者がいるのだろうか。そう考えると一抹の不安を感じる。
自分も闇に葬り去られんじゃないかという不安。
そして、こんな異世界の地で、死に物狂いで生きてきたという事実すら死んでしまえば秘匿され、すぐに誰の記憶にも残らないのではないかという、寂しさにも似た複雑な感情……。
ベルセリウス暗殺に送り込まれた刺客アーヴァイン、その後のことは何も書かれておらず生死不明だが、マナアレルギーを発症していたとある。帝国軍としてはもう壊れた部品だ。体よく捨て駒にされたのだろう。
だがしかしアーヴァインはきっと決死の覚悟だったんだな。
このアーヴァインという勇者は戦って死んだのか、それともこんな冷たい世界で病に倒れたのかもしれない。どちらかは分からないが、ベルセリウスは生きてバラライカへと向かった。
勇者アーヴァインはベルセリウスを倒すことができなかったんだ。
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キャリバンが倒された状況をもういちど詳しく読んでみると、キャリバンはベルセリウスの魔法によって倒されていて、神聖典教会の誇る神器についても注釈がされていた。
当時キャリバンは魔王軍の勢力拡大により神聖女神教団からアルトロンドにある神聖典教会へと所属が変更され、帝国軍から神殿騎士の所属となっていて、神聖典教会に所属する勇者が、魔王討伐に出るときのみ装備することが許されるという至宝の神器を装備していた。
対魔法については完全防御と言われるほど多重魔導障壁を幾重にも張り巡らせたミスリルの鎧に、耐物理防御も相当なレベルで実現していたという、まるでチートのような防御力を持った鎧だ。
アシュガルド帝国で言うところ、エンデュミオンさまクラスの皇族じゃないと所有することも叶わない、何百年もの間、障壁の魔法をエンチャントし続けることでようやく実現するらしい秘宝クラスの神器だった。もちろん見たこともない。ただ聞いたことがある程度の、存在そのものが不確かなミスリル製の神器だった。
対魔法完全防御、そんな神器を装備していたにも関わらず、キャリバンは魔法によって灰になるまで燃やし尽くされたと書かれていた。この報告書を書いた者を今すぐこの場に呼んで、この矛盾に満ちた文章の説明を求めたいところだ。魔法防御の祝福儀礼が幾重にも重ねられた神器の上から魔法で焼き尽くせるなど、報告そのものの真偽が怪しいとしか言えない。
キャリバンはその時、神器の鎧と合わせて、聖剣グラムまでをも失っている。
聖剣グラムは対魔族戦闘に特化した邪法により、属性防御を打ち消す無属性魔法を幾重にも重ねてエンチャントした上で、魔族を傷つけたら血が止まらないなど複合的な効果を加えてあると言われている、帝国軍ですら持っていないと言われる高度な魔法技術の結晶だ。
しかしこの聖剣グラムの性能については懐疑的であると書かれている。対魔族戦闘に特化しているとはいえ、謳われているほどの性能は獣人にしか発揮することがなく、ミスリルという硬度に劣る金属を、一般的な鍛造ではなく、遥かに硬度で劣る鋳造で作られていることから純粋な青いハガネの一撃に耐えられなかったらしい。
「青いハガネ? なんだそりゃ……」
最高戦力の勇者キャリバンと同時に神器を失った神聖典教会がアリエル・ベルセリウスに懸けた賞金額は王国金貨で2000枚。帝国の通貨に換算しても価値として誤差の範囲だからエルドユーノでも小洒落た家を買って、浪費さえしなければ一生仕事せずに側女と暮らしていける額の賞金を懸けられている。
キャリバンを倒したような男に賞金を懸けたところでもう誰も倒すことなどできないが、帝国からも少なくない数の荒くれ冒険者どもが賞金目当てにボトランジュへ向かったと書かれている。
何のことはない、治安を悪化させる要因をボトランジュに送り込むという効果もあったということか。
もちろん史上最高額の賞金首になったと同時に、神聖典教会のお膝元、アルトロンドの領軍が神託を得てボトランジュに進攻するも、ジェミナル河北側にあるノルドセカの街で一個師団、ボトランジュ領都セカからアルトロンドへと繋がるサルバトーレ高原にて三個師団が壊滅している。
これはアリエル・ベルセリウスと、その妻ロザリンド・ベルセリウスだけではなく、小型のドラゴンを召喚し、陣ごと焼き払われたことにより、アリエル・ベルセリウスが召喚魔法を使う召喚士である可能性も示唆されている。
「あのドラゴンか……。帝国空軍が誇る竜騎兵たちがまるで紙吹雪のように落とされていったではないか。あれが召喚魔法? まてよ、召喚魔法ということは、あのドラゴンそのものが魔法なのか……いや、空中で飛竜に咬みついてむさぼり食うようなものが実体のない魔法だなどとは到底思えん。まったく、考えれば考えるほど訳が分からない」




