12-02 破滅へと向かう道
しかし勇者サガノと言えば、ハルゼルに殺してもいいから女を連れ帰れと命じたあの小僧のことだ。こちらの思惑が知られていたとするとこれは大きすぎる失策だ。あの赤髪の女、名を何といったか……、忘れたがそんなものは後回しで構わない。兄王に見つからない様シェダール王国に泳がせておいて、いずれ手に入れればいいことだ。
勇者サガノがあのアリエル・ベルセリウスであると予め知れていたならば、いくらでも打つ手があったはずなのに、みすみす交渉の手をいくつも失ってしまったとすると悔やんでも悔やみきれない。
今回は完敗だ。
帝国軍の情報網をかいくぐって、よくぞ潜り込んだと褒めてやるべきだろう。
「ああ、思い出したよイカロス。あの行儀の悪いガキがアリエル・ベルセリウスだったというのか。勇者サガノは確かにアルカディアから召喚した勇者候補だったのか? アリエル・ベルセリウスは16年前、バラライカの戦いで命を落としたはずだ。それをどうやればアルカディアから召喚されてくるのだ?」
「それは、死んだという報告にこそ間違いがあったと考えるべきかと。三大悪魔の死体は回収されておりませんので」
戦場の中心で大爆発が起こり、爆心地を中心に直径5キロものクレーターをこさえたのだ。死体はもちろんのこと、死んだことが確認できる装備品など、欠片ひとつ見つけだすことなどできるわけがない。
つまり、大悪魔アリエル・ベルセリウスは死んだふりをして帝国に16年もの間潜伏していたか、どこかで召喚された勇者サガノを殺して入れ替わったか、いやハルゼルと召喚者たちの訓練施設を訪問した際は、確かに仲間たちと異世界の言語で会話していた。16年前忽然と姿を消したのは死んだからじゃない、アルカディアに居たのだ。まさか旅行でもしてきたというのか。まったく、周到というか、狡猾というか、優雅というか。
16年前までは思い付きでのみ行動するただのバカだと思っていたが、どうやら帝国軍を手玉に取るぐらいの知恵もつけてきたらしい。
エンデュミオンは勇者サガノが本物のアリエル・ベルセリウスであると直感した。いや、疑う材料がほとんどないと言った方がいいだろう。
勇者サガノが大悪魔アリエル・ベルセリウスであるというのはまだ確定情報ではないが、その可能性が高いとした上で、エンデュミオンは一計を案じた。
イカロスは大失態を犯した。
しかも勇者サガノとは面識もあって敵対したばかりだ。あの大悪魔を味方に引き入れる算段をするならイカロスがこちらの陣営にいることはあまり都合がよろしくない。
「イカロス、お前には調査を命じる。明日の朝一番で、勇者サガノと一緒に召喚されてきた者たちにのもとへ走り、聞き取り調査を命じる。勇者サガノの生い立ち、好きなもの、嫌いなもの、得意な事、苦手なもの。仲の良かった友人は使えるからな、交友関係まですべて調べ上げて丸裸にせよ。いいかイカロス、サガノは使えるやもしれん。奴が本物の大悪魔アリエル・ベルセリウスで、帝国打倒を考えているならば手を組むことも考えて方策を練るんだ」
「は? エンデュミオンさま、それはいったい……どういう?」
「無理は承知の上だ、しかし同郷人の情に訴えればあるいは懐柔できるやもしれん。仲の良い友人が居るなら、まさか戦うなど考えたくもなかろう。我らと手を組めば兄王を倒せる。お互いに損な話ではない」
「エンデュミオンさま、あれはそんな簡単なものではありません、それに我らの同胞をどれだけ殺したか」
「イカロス、友愛の精神を持て。では聞くが、お前は異世界人でありながら、この世界にきてどれだけのスヴェアベルム人を殺した? いやもうそんなことどうだっていい、これからも大勢のスヴェアベルム人がお前の刃にかかって命を落とすだろう。だがイカロス、それでもお前は我らの仲間だ。そうであろう? 生まれた世界が違えども互いに信念さえ共にしてさえいれば必ずやともに歩む道も見つかるはずだ。なれば懐柔し、ベルセリウスを味方につけよ。イカロス、それがお前の任務だ」
「りょ……了解しました」
とても承服できない……と不満げな表情を浮かべながら形式的にでも色よい返事をしてみせたイカロス。どうせこんなところ意地を張っても、自分が任務から外され別の者をこの任に充てられるだけのことだ。
「イカロス、納得いかぬだろうがここは歯を食いしばって頼みを聞いてくれ。宿願叶ったときは、お前の好きにするがいい。そして今日はゆっくり休め。明日からの働きに期待する」
「はっ……」
イカロスは不服を噛み殺し、息を止めたまま返事をした。
エンデュミオンはイカロスの不服そうな顔に気付いてはいたが、二つの思い違いが致命的ミスに繋がろうとしていることには……まるで気が付いていなかった。
アリエルたち一行の戦力を16年前と同等だと見積もっていたことがまずひとつ、もうひとつは巧くことを運べば手を組めるなんて本気で思っているところだ。
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イカロスは報告のあとセラエノ宮殿の衛兵詰め所で、シャワーではなくバスタブに熱い湯を張り、疲れた身体をゆっくりと湯に沈めた。
ザッバァと音を立てて大量の湯がこぼれると、タイル張りの排水溝へと流れて渦を巻くのをなんとなく見ながら、イカロスはこの世界に来たばかりの駆け出しだったころ、ちょっとしたミスがきっかけで絶体絶命のピンチに陥ったときのことを思い出していた。あれは今となっては考えもつかないほど単純なミスだった。
後ろを見てろと言われていたのに、仲間が斬られてしまった事で頭の中が真っ白になって、身体がいう事を聞かずに、動けなくて、背後から敵が接近してきたことにも気付かなかったのだ。
こんなにも人を殺すことに慣れてしまった今でも、大事にならない程度の小さなミスはしょっちゅう起こる。だがノーデンリヒト要塞での失策は何が原因だったのか、いくら考えても分からなかった。
まず最初にハルゼルがサガノを挑発し、弓で3人を倒した。そう、倒したはずだった。
だが、いつの間にか倒れたサガノたちは治癒師にすり替えられていたし、ウェルシティが倒した獣人たちも同様に、すり替えというまるで手品のような手管で、まずは治癒師から狙われた。
最初に治癒師を狙うのはパーティ戦闘のセオリーだ。だがそんなことは相手側も百も承知だから、治癒師は最も守りやすい位置に配置される。バカ正直に治癒師を狙ってアッサリ倒してしまうなど、よほどの力量差ながいと成功するわけがない。
つまり、騎士勇者5人が組んでも、サガノたちとの間に横たわる実力差は、戦闘のプロと素人ほどの差があって、その差を埋めること叶わず、いとも簡単にやられてしまったという訳だ。
認めよう。サガノは強い。
だがサガノは中学あがりたての15歳で召喚されてきて、実戦経験なんてないはずだ。
20年もここで5年おきに召喚されてくる後輩たちを見ていると嫌でも分かる。
才能ある勇者だろうが戦士だろうが、敵が剣を振りかぶって、いままさに斬られようとしていても、最初から人を殺せるほど物分かりのいい奴なんて見たことがない。誰でも最初は心がブレーキをかける。
当たり前のように人を殺せるような奴は、日本人には居ないんだ。
そんなガキにしてやられるほど騎士勇者は甘くない。
そもそもアレは本当に平和ボケの日本人のガキが思いつくような殺し方か? サガノは殺し慣れていた。
敵を殺すことに微塵の躊躇も後悔もない。
敵は殺しておかないと、いつか必ず自分に仇なすことを知っていた。次の瞬間か、それとも1年後か、敵は殺せるときに殺しておかないと次に殺されるのは自分だ。泳がせておいて利用するなど特殊な事情がない限りは敵を生かしておくことにはリスクしかないことを知っていたのだ。
平和ボケの日本人には仲間の3人ぐらい殺されてからじゃないと絶対に悟り切れない境地がある。サガノは15歳のガキとはとても思えない。ベルセリウスと名乗ったのは、名を騙ったわけじゃなく……本物だと考えたほうがしっくりくる。いや、名を騙ったと考えるに足る根拠が薄い。
三大悪魔は生きていたんだ。




