02-06 妹弟子
20180625 改訂
2021 0727 手直し
模擬戦が終わると、教員たちが慌ただしく走り回って観戦していた生徒たちの無事を確認する。
グレアノット師匠は自分の障壁魔法で守った生徒たちのなかでひとり、爆破魔法の衝撃波で気を失った1年生の女の子の具合を確かめていた。
「この子は大丈夫じゃ! 火傷をしたものはおらんか? 熱気を吸い込んだ者も救護室へ行くのじゃぞ」
グレアノットは目の前で酷いやけどを負った弟子を見ていたのに、アリエルの心配などこれっぽっちもしなかった。どうせ放っておいても再生すると思っているのだろうし。
アリエルが周囲を見渡してみると慌ただしく動く教員たちと、異常を訴える生徒たちがいて、治癒魔法を使えるヒマリアがただアタフタしているのが見えた。せっかくの技術を使わないなんて。
「すみません、治癒魔法を使っていただけるとありがたいのですが」
「あ、あああ、すいません」
と、半ばパニックになっていたヒマリアが複雑な起動式を入力しはじめた。
いったい何節あるのだろうか、起動式を入力している時間だけでも60秒近くかかっている。治癒魔法は使いどころが難しいな。
治癒魔法が起動すると焼けただれたアリエルの背中を癒した。教会の治癒魔法を受けたのは初めてだが、ああ、これはいいものだ……。痛みがスーッと消えていく。アリエルは治癒の魔法を受けながら、いったいどうやって他人の受けた傷を癒して、正常な肉体に戻しているのだろうか。いま背中に受けている治癒の力、これは確かにヒマリアさんのマナだ。だけどアリエルに分かったのはそこまでだった。せっかく治癒の魔法を受けるのだからついでにその魔法を解析してやろうと思ったのだが、こればっかりはまるっきり分からなかった。治癒魔法とは、まさか推測することも出来ないほどに難解だった。教会が秘匿する独自技術というのも、なんとなく分かる気がした。これだけの腕があると戦場治癒師にも従軍できるそうだ。
あわよくば治癒魔法を盗めるかと考えていたが、そう簡単にはいかないようだ。
教員たちが担架を担いできたので、抱いているパシテーを預けて救護室へと運ばれていくのを見送った。神官のヒマリアも担架について走っていく。今日は救護室大賑わいだ。
担架に乗せられてアリーナを出て行くパシテーを見送っていると師匠が目を三角にしてこちらの方に向かってきた。どうやら怒っているようだ。いや、怒ってるいるのだろう。普通は怒る。だからアリエルは怒られるにのだと覚悟した。
「もうちょっと手加減できんのか。お主は……。ちょっと背中を見せてみれ」
グレアノットはひとまずヒマリアの治癒魔法がしっかり効いていることを確かめた。
「いやいやいや、師匠がちょっとキツい目にシゴいてやれといったじゃないですか」
「いや、シゴくどころか本気で死なせるところだったじゃろ。わしの目は誤魔化せんからの」
「え、ええ、まさかあんなに脆いとは」
「お主は女の子に対する優しさが足らんからの」
アリエルは年が近くて可愛い女の子を見たのなんて10年ぶりなのだから、女の子に対する優しさどころか、手加減のさじ加減も分からなかったのだ。
この世界に転生してからというもの、遊び相手はだいたいが砦の守備隊だったのだから。
今生、アリエル・ベルセリウスに生まれてこのかた、女の子なんて触ったこともなければ、話をしたこともないってのに、女の子に対する優しさを説かれても困ってしまう。そもそも魔法を使って模擬戦なんかしたのも今日が初めてで、だいたいは相手を倒すためにしか[爆裂]を使ったことがないのに、うまく直撃させなかっただけでも誉めてほしいところだった。
「師匠、酷いです。ちょっと、ほんのちょっとミスしただけじゃないですか」
「ちょっとミスして妹弟子を殺しかけてりゃ世話ないわ。そもそもアリエルお主、起動した魔法はわざわざ自分で食らわんでも、全部まとめて転移させることが出来たんじゃないかの?」
……あ。
目から鱗だ。そう、そうだった。あの場面でそれを思いつかなかったせいで女の子の命を危険にさらしてしまった。
「なあアリエル、魔法というのは使い方次第、使い手次第じゃ。簡単な[ファイアボール]でも、ここぞ! という場面で使えばどんな高位の魔法にも勝る事はお主がいま証明して見せたではないか。魔導師はどんな場面でも冷静にの。たとえ爆炎に包まれておっても頭はクールにじゃ。先の先を読んで、次の一手の選択肢をいくつも頭の中に展開しておけば今日のような事にはなっておらんじゃろう」
「はい、その通りです。すいません、パシテーに謝り倒してきます」
「パシテーは気絶しとるわい! んー、ちょっと聞いておれ……うぉっほん。では、アリエル・ベルセリウスを高弟と認める! 素晴らしい魔導じゃった。とうにわしを超えておる……。魔導学院からパシテーに代わる魔導教員が来たら、パシテーをお主に預けるからの。ちょっとわしに教えてくれた理の事とか、教えてやってくれ。無詠唱を目指す方向での」
「高弟って何です?」
「んー、あんまり気にせんでええ。ただ、今後もしわしの弟子だと言うことがあったら、そこを高弟と言えばいいのと、あと、お主は自分の意志で弟子をとることが許されたのじゃ。その一環として、わしの弟子は束ねて纏めてお主に任せる。そういう意味じゃ」
「え――――、めんどくせえ……」
「お主は! 可愛い妹弟子を殺しかけておいて! めんどくせえじゃと?」
「はい、分かりました。分かりましたよ……」
「のうアリエル、お主ほどではないにせよパシテーの才能も目を見張るものがある。弟子を取らないわしがお主に続いて二番弟子を取ったのは、パシテーに並々ならぬ才能を見出したからじゃ。じゃが今ちょいと伸び悩んでおっての、教員をさせたのも何か切っ掛けがつかめればと思うてのことなじゃが……。それとな、わしはもう200年以上生きておるでの、この世界の常識を打ち壊すような柔軟な考え方はなかなかできんことが分かった。だからパシテーはお主に任せたい」
なんだか面倒ごとを押し付けられた様にしか思えないのだけど、グレアノット師匠が言うには、
「アリエル、お主には相手の力量を測る経験値が圧倒的に不足しておる」そうで、街で生活していく上でそれは必要なスキルなんだそうだ。ノーデンリヒトで暮らしていたころは、周りの人はだいたい、みんな屈強な兵士ばかりだった。ここで同じようにすると簡単に人を殺してしまうことになるから、まずは手加減することを覚えなくちゃいけない。
「ええか、アリエル。この学園におる間、学生間での喧嘩や果し合いはもとより、教員の許可を得ぬ立合いも禁じる。分かったかの?」
ケンカを禁止された。でも、学生間っていったよな……。
言い換えれば『大人相手ならかまわんでの』という意味だと理解しておこう。
「カリプソにはわしから話しておくから、お主はパシテーのところに行くとええ」
「はい、師匠、すみませんでした。お手数おかけします」
グレアノット師に頭を下げたあと教育長にも頭を下げ、アリエルはアリーナを退場し救護室に向かった。さっき教育長に案内してもらったのがさっそく役に立つとは思わなかったのだが……。
アリーナで事後処理を行っている教員もそろそろ落ち着きを取り戻していた、救護の必要な者が思ったよりも少なかったことも幸いだった。
「のうカリプソよ、あれが努力を怠らない天才というものなんじゃが、どう見た?」
「試験の結果なら、文句なしの合格ですよ教授、でもそうですね生徒たちや、他の教員たちは、恐怖を感じたかもしれませんね。ですが私は恐怖ではなく人の可能性というものを見た気がします」
「ほう、可能性のう。うまいこと言うもんじゃ」
「これは憧れに近い感覚だと思いますね。もしも私が若くて、あれほどの力があったとしたら、いろんな夢を諦めず実現できたとんじゃないかとか、そう考えると、嫉妬すら覚えます。これは教育者のいう事じゃないですけど、やはり力のないものには自由な生き方を選べない世の中ですからね。やはり剣術と魔法の実技には力を入れていこうと思ってます。それが生徒の自由を得る力になるのなら」
「そうじゃの。それがええの」
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グレアノット師と、カリプソ学長が話している間、アリエルは小走りでアリーナを出てすぐ隣の建物、一階にある救護室ドアの前まで来ていた。アリーナではずいぶんと騒がしかったが、ここは打って変わってほとんど無音だった。
「失礼します」
ノックをして救護室のドアをくぐり中に入ると、ヘルセとポリデウケスがボロボロになったアリエルの姿を見て驚いたようで「何をどうすればそんなボロボロになるんだ?」とか言った。髪型もアフロになりかけてるのがよほど面白いのだろう、ポリデウケス先生は終始朗らかに笑っていた。
「ええ、ちょっと魔法戦闘の試験で自爆しちゃって……ところで俺の妹弟子は?」
先生ら二人ともがガタガタと立ち上がって素っ頓狂な声を上げた。
「妹弟子ぃー?」
「パシテー先生なら奥のベッドに寝かせていますけど……あのね……」
奥のベッドに寝かせていることをヒマリアさんに教えてもらったけれど、やっぱり怒られた。
「あれだけの爆炎の中よくパシテー先生を無傷で守ってくれたと思うけど、殺しかけたのも貴方なのよ。気を付けてね。……妹弟子ってことは、あなたの妹と同じなのだから」
この世界の師弟関係って、落語家の弟子とか、そういうのに近いのかもしれない。
だけど無傷と聞いてほっとした。なんだか膝が笑っていてガクガクしてきた。安心すると膝の力が抜けるってことはこういうことなのか……。
「はいるよー」
と声をかけてからカーテンを少し引いて、顔だけ覗き込むとチラッと目の動きだけで一瞥されたのみ。
ポリデウケス先生たちと話したのも、ヒマリアさんに説教されたのも薄いカーテンで仕切られたベッドだから会話は筒抜け。すべて聞かれているのだからアリエルが何用でここに来たのかもパシテーには分かってしまった。
パシテーはベッドに寝かされていて、一瞬だけアリエルを見たのみですぐに視線を天井に戻した。
ただじっと虚空を見つめている。
少し泣いたようで、涙を流した跡が残っている。それを隠そうとも吹き上げようともせず、起き上がりベッドに腰かけた状態で、はあっ、と溜息をひとつつくと、伏し目がちな視線を上げてアリエルの顔を見ながら言った。
「どうも、迷惑をおかけしました」
パシテーはアリエルの顔をじっと見ている。
じ――っと目と目を合わせ、見つめ合っている。
しばらくの沈黙の後、ブルネットの美少女は問いかけた。
「私は……あなたに追いつけますか?」
とび色の大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「パシテー。私はただのパシテー。16歳になりました。あなたの妹弟子です」
パシテーは涙をこらえるでもなく、嗚咽交じりに精いっぱいの自己紹介をした。
「俺は……アリエル・ベルセリウス 10歳 あなたの兄弟子です。あなたを殺してしまうところでした。俺の魔法は人を傷つけてばかりです。師匠はそんな俺を天才だと言うけど断じて天才なんかじゃない。天才だなんて思われていると、きっと期待を裏切ってしまいます。それでもパシテー、あなたが兄と呼んでくれるなら、あなたの期待に応えられるようになりたいと思う。俺、さっき師匠から、あなたを預けると言われました。無詠唱で魔法を使えるように。その助けになればと思います」
「は、はい、こちらこそ、私は未熟で弱くて、兄弟子の期待に応えられるか分かりませんが、足りない分は努力でカバーしますからどうか見捨てないでください」
少しいびつな兄妹が交わした初めましての挨拶。
「ボロボロなの……何があったの?」
「俺がちょっとミスして自爆しただけだよ」
「チリチリ……私もチリチリ……」
「ああ、ごめん。そこまでは守れなかった」
「後で髪切らないとなの」
―― シャアッ!
突然カーテンが引かれた。
「ちょおっとまて――い! な――にいい雰囲気出してくれちゃってんのさ? パシテー先生どうなってしまうんだ?」
ポリデウケス先生が不満をぶちまけるのに声もセリフもうわずってしまって、なんだかおかしなことになってる。なんだ? もしかしてポリデウケスのやつパシテーのこと狙ってやがったのか。
おっさんアラサーのくせに見た目JSのパシテー狙ってただと?
許せんなそれは!
しかもカーテン越しに盗み聞きとはふてぇ野郎だ。
「えーっと師匠の話によると、魔導学院から代わりの教員が来たら、俺に預けるって。てか、ポリデウケス先生、なんかキャラ変わってません?」
「心臓止まるぐらいびっくりしてるんだからキャラなんて維持できるかよー」
「キャラ作ってたのかよ……」
「んなことはどうでもいいよ。パシテー先生、学校やめちゃうのか……」
「はい、そうなりますね。魔導を探求するつもりです」
「俺といっしょに来るとしたら、たぶん冒険者になるんだけどね」
「私、冒険者……? になるの?」
「うん。俺の目的は転移魔法、または転移魔法陣。そして異世界に転移することが最終目的だから、転移魔法を実現するまで俺の旅と魔導の探求は終わらない」
冒険者と聞いてポリデウケス先生は我が出番を得たりといった表情で、さっきまで消沈していた目にみるみる力が注がれてくる。
「はは、私はAランク冒険者なんだ。手伝ってほしいことがあるなら……」
「いらない」
「ぐはっ…………なんでだよ?」
「俺は基本ソロ。パシテーは身内だから組むつもりだけどね」
「いつか身内になるかも……」
図々しいなこいつ……
「ならないよね?」とパシテーに振ると
「ないの。絶対にないの」きっぱり振られた。いい気味だ。
涙目になっているポリデウケス先生にトドメの一言。
「妹はやらんよ」と言っておいた。
がっくりと肩を落とすポリデウケス、立合った時からすると一回りほど小さくなったように見える。美しいレディッシュの赤い髪もヨレヨレの台無しだ。
ポリデウケス先生の敗北を察してヒマリアが心配そうに言う。
「ベルセリウスくん、着替えはどうする? 体操着とかある? その格好でウロついちゃダメよ」
「着替えなら持って来てるので大丈夫ですよ」
[ストレージ]から着替えを出す。シャツとパンツと、靴を除いた着替え一式。
靴の替えは持ってないんだよな。ボロボロになったからまた買いに行かなきゃ。
いま着替えが出てきたあたりをパシテーが探る。真面目な顔で何もない空中を探っている姿はとても滑稽だが、気持ちはわからんでもない。
パシテーは師匠から[ストレージ]の話を聞いていたんだそうだ。
身嗜みセットの手拭と手桶を出し、セノーテで水を集め、煤だらけになった身体を拭き、着替えを完了した。でも髪はチリチリだけど……。
収納したボロボロの服は……今度こそポーシャに叱られる。
「ヒマリア先生、校内に誰か髪切ってくれる人いません?」
「私が切るの」
パシテーが手を挙げた。これは助かる……。
救護室にある包帯や布を切るハサミで髪は切りづらそうだったけれど、とりあえずはこのアフロ気味にチリチリ化してしまった髪をバサバサと切ってもらうことにした。
躊躇せずチョキチョキやるので、失敗したらどうする気なんだと小一時間問い詰めたくなったのだが、まあ上手だった。うん。
パシテーの髪も毛先がチリチリになってしまっているので、器用に自分で髪を切り、5センチぐらい短くなったっぽいけど、元が長髪なのであまり変わらない気がする。
前世、嵯峨野深月だった頃からこういう変化が分からないから女の子にモテないのだけれど。それにしてもパシテーは躊躇なく思い切ったハサミ使いをする子だった。
アリエルはしみじみと思った。
シザーを打てるほどの腕があればプレゼントするんだけどな……。
「ん、ありがとう。サッパリした。さてと、パシテー歩ける?」
「うん、平気」
パシテーはロッカーからホウキとチリトリを取り出して、床に落ちた髪を無言で掃いてる。
こんなに綺麗な顔してるのに、何か残念な気がするのは、感情を顔に出さないからだろうか。
「んじゃヒマリア先生、お世話になりました。ありがとう。先生たちもお大事に」
「お大事にって、俺らキミにやられたんだがな。わっはっはっ」
ポリデウケス先生は放心状態だ。いつか何かで見た、燃え尽きて真っ白な灰になったボクサーを思い出すような、まるで石像のようになっている。まあ、ヒマリアさんがどうにかして正気に戻すだろ。あのひと腕いいし。いざとなったら魂でも気合でも闘魂でも注入してやればいい。
そうしてアリエルたちは、一礼して救護室を出た。
妹弟子と肩を並べて歩く校内は少しだけ景色が違って見えた。




