11-28 カンナの挑戦
これまでノーデンリヒト最強の剣士はサナトスだと思われていた。
ドーラでは右に出る者がなかった魔人族のスカーレットなのだから、それについては誰も疑わなかったのだが、実情を知る身内の中では、魔法を除く剣技だけということなら、前世アーヴァインとエマの娘であるカンナのほうが技がキレている分、強いのではないかと思われている。
カンナはずっとサナトスと同じ屋敷で暮らしてきたのだから、サナトスがサオに稽古つけてもらってるのもずっと見ていたし、魔法の鍛錬にしても、ただ見ているだけでも『見学』という学習法があるように、なんとなく無詠唱魔法を使えるようになった。
この辺はサナトスと同じく、他人に教わった訳ではなく、ただ見ているだけで理解して使えるようになったのだ。それで爆破魔法を使うのだから魔導師としても相当なものだろう。
何よりカンナの優れているところは、飽き性のサナトスとは違って鍛錬や修行をサボって逃げ出すということがなく、まるで週に何度かの習い事に通うような軽い感覚で、剣と魔法の鍛錬は今でも続けていることだ。
正式に弟子入りをしたわけではないが、剣はベルゲルミルに教わり、魔法は子どものころからサオに教わるサナトスの横でいっしょに鍛錬した。
軍という組織に興味がなかったので、欠員が出た時かよほど敵の侵攻が厳しい時にしか前線には出なかったけれど、出れば獅子奮迅の戦果を残すのだからノーデンリヒトの戦士でカンナの実力を知らない者はいない。むしろもっと早く、もっと高く評価されるべきだった。
「タイセー、お前そこにいるとマジ踏み潰されて死ぬよ?」
「うお、ちょっとまって」
まったく、タイセーも周りに怖い女しか居ないという状況の大変さを理解してくれると嬉しい。
こんな恐竜のように恐ろしい女が、今まさにタイマンで殴り合おうかという現場で、板挟みにされそうなタイセーはこの際放っておくとして、俺はというとさっさと無関係を決め込んで、いちばん見晴らしのいいジュノーの隣という一等席を確保した。
眠いけどこの立ち合いを見ずにはいられない。土手に腰を下ろすと、木剣を持って走ってきたエアリスも、そのあとを追うように駆けてきたサオも俺の横という絶好のポジションを確保して座った。
「サオ、おまえ自分の鍛錬はどうした?」
「たったいま見学になりました。エアリスはロザリィに剣を教えてもらうはずだったんですけど……」
正直この対戦カードは予め告知してさえいれば金を取れるカードだと思う。
前世で勇者アーヴァインパーティと戦ったときはアーヴァインを素手でボコり、つい先日は真剣を持ったサナトスを素手でボコったという素手でも相当強いロザリンドの戦いを見てなかったカンナがどれぐらい頑張れるかってトコなんだろうけど。
サナトスに勝ったというカンナを前に、楽しみだと言ったロザリンドは地ならししながら足でざっと開始線を引いたりしながら、まるで雑談のついでのように、そこそこ重い質問を投げかけた。
「あんなにちっちゃくて可愛らしかった子が、いま私の前で、こんなにも強い殺気を放ちながら立ってる。いまにも噛みつかれそう。ねえカンナちゃん、あなたはその木刀にどんな思いを込めるの?」
「私は剣士になりたいと思った事はありませんよ。エルフに生まれたというだけで黙って好きにされるのが嫌なんです。私にとって剣は自由のための手段ですね、それ以上でもそれ以下でもありません。クォーターエルフですが、魔人族の剣士にも負けた事ないんですよ。母のいう最強最悪の剣士というものが、いったいどれほどのものかと」
カンナはエルフ族に生まれた運命に抗おうという強い意思をその木刀に込めると言った。
「んー、すっごい自信ね。まるで昔の自分を見ているようで恥ずかしくなってきたわ」
ロザリンドは少し呆れたという表情を見せながらも、機嫌がよくなったようだ。こうなると手加減してもらえるとは思わないほうがいい。きっと素手でボコるなんて優しいことはしないと思う。
二人とも関節と筋肉を温める準備体操に余念がない。ロザリンドは俺に愛刀美月サイズの長い木刀をリクエストし、久しぶりにあのルーティーンを一から入念に組み立て、威圧感の塊のような上段に構えた。
威圧が放たれると準備完了の合図。どこからでも掛かってこいというロザリンドの構えだ。
その威圧はこの早朝にその辺で雑魚寝してるセカ市民やノーデンリヒトの戦士たちの目を覚まさせるほど強く、肌にピリピリとひり付く感触が纏わりついて離れない。
ロザリンドの正面に立ったカンナは無意識だったのだろう、中段からやや半身に捻り、左正眼の構えでこの重厚な威圧感をいなそうと試みた。生意気なことを言って挑発してはみたものの、好きで剣を握っている以上、剛剣のロザリンドの話はそこかしこで聞いてきた。母エマが今でも悪夢を見ると言われるほどの実力に憧れないわけがない、一度立ち会ってみたいと思わないわけがなかった。
カンナにとってこの上段構えは初めて見る構えだった。2メートルの長身に合わせたのだとしても長すぎる木刀を左上段に構えるロザリンド。しっとりと濡れたような眼差しで今にも首を掻き切られるんじゃないかという殺気。
カンナには真っ暗な炎を纏っているような幻すらみえた。
上段構えなんて隙だらけだと思っていた、胴はガラ空き、剣よりも前に小手が出ていて、小手を叩けばその剣を振り降ろすことすらできないし、正眼の構えから一歩前に出て喉を突くだけで簡単に勝てるカッコばかりの構えだと思っていた。
簡単なはずなのに、踏み込んで首を突くだけなのに……。
しかしカンナは動けない。自分の剣がロザリンドに届く前に、真っ二つにされてしまうという恐怖に押し込まれ、ただの一歩も動くことはできなかった。
肌にひり付く威圧が実体化し、目の前で構えるロザリンドが怪物のように見えてきた。2メートルどころではなく、3メートル、5メートルはあろうかというほどに。
カンナを囲む辺り一面を炎が焼き尽くし、熱波が肌を焦がす。
気が付くと呼吸すら絶え絶えになっていて、ただ目の前に立っているというこれだけの事でもう、肩で息をするほど追い詰められてしまった。
ハッと我に返ったカンナ。
ロザリンドに威圧され飲まれていた。激しい大渦に巻き込まれるように、なすすべなく飲まれていたのだ。
しかしカンナは肯定する。目の前の女は自分の想像していたよりもちょっと強いだけだと前向きに考え直すことにした。
そしてカンナは否定する。ビビッて萎縮してしている自分を否定する。恐怖を克服して前に出る勇気を奮い立たせ、震える声を気合でねじ伏せ、それがどうした? とでも言いたげにほくそえんで見せた。
「母は正しかった。でも、想定内です!」
次の瞬間、カンナが地面を蹴って剣を振り上げる。狙いは小手。その小手を打てば、わずかな時間でも刀を握れなくなりスキが生じる刹那の攻防。そのわずかなスキに無防備な喉を突いて決める算段だった。
しかしロザリンドの間合いに飛び込んだカンナは小手を打つことができず、踏み込んだまま立ち止まってしまった。何が起こったのか、一瞬だけ、記憶が飛んだように感じた。
身体はいま何をしていたのかも覚えておらず、全身の筋肉は脳からの命令を待っている。
一瞬の混乱。剣術だけで立ち会おうとしたカンナが、何か妖術のようなものでもかけられて、術中に陥れられたのかと思ってしまうほど混乱してしまう。
ロザリンドにそんな小細工ができる訳がない。ただ斬っただけだ。
ロザリンドはもう斬った。上段から振り下ろした刀の残身を解いて、ぷいっと開始線に戻ったのだ。
飛び込んだカンナですら何が起こったのか分からない。だけど何かされたことは確かだ。
たったいま自分の身に起こった出来事だ。順番に整理してゆけば理解するのにそれほど時間はかからなかった。
カンナは倒されていたのだ。
ジュノーが居なければ木刀で斬り殺されていた。
ロザリンドの間合いに飛び込んだカンナの切っ先が届くよりもずっと前に、頭から胸を通して脇腹、腰までを一刀両断にされてしまったカンナ、人生初の臨死体験という貴重な経験だった。
自分の身に何が起こったのかを正確に理解したカンナは木剣の構えをとき、ジュノーに向かってぺこりとひとつ頭を下げてみせた。
カンナにしてみれば完敗どころの騒ぎではなく、まだ挑む資格すらないと言われたも同然だった。
母エマが最強最悪の魔人と呼び、軍の剣術指南役をしてたカロッゾさんがとてつもなく遠いというその距離感はまだ掴めないけれど、カンナはとてもいい経験をした。
「ありがとうございます。いい勉強ができました」
「どういたしまして。またいつでもいらっしゃい。諦めの悪い子は好きだから」
ロザリンドにあっさり負けてしまったカンナは土手に腰かけると、そのまま伸びをするように両手を空へ突き上げ、仰向けで寝ころんで視界を空で埋め尽くした。ちょっとスジ雲が薄く線を引いてる、どこまでも高い空だった。
その横にどっかりと腰を下ろすタイセー。何も言わずにただ朝の風を愉しみながら寄り添う。
ふたりはそのままお腹が空いて腹がグゥと鳴るまで風に当たりながら、ただ空を見ていた。
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ネストの中ではパシテーが毛布を巻き取る形で簀巻になるといういつものスタイルで、スヤスヤと心地の良い寝息を立てている。これは朝早い時間帯を示す言葉で、俳句に例えると季語のようなものだ。
朝になっても毒を使われたことで気分は優れず、ダフニスは疲労困憊した様子だったが、全身に倦怠感があるぐらいで毒による直接的な影響は残っていないというので朝明るくなってから転移魔法陣に乗って帰っていった。
ジュノーはサナトスとアプサラスが解毒薬を作るというので、今日一日はふたりと行動を共にし、特にアプサラスが解毒するメカニズムを研究させてもらって、独自で解毒魔法を考えるんだそうだ。
ゾフィーはノーデンリヒト要塞前に設置された転移魔法陣をいったん回収して、レダの案内でトライトニアに設置しなおすらしい。
この移設作業が終わるとトライトニア、マローニ、そしてここセカが論理的に繋がる。
転移魔法陣を使えば、ノーデンリヒトからセカの魔導学院に通うなんてことも可能になるから、絶望的に離れていたノーデンリヒトに、経済や人の流入を含めて、とてもいいことだ。もっとも、ノーデンリヒト特産のガルグネージュをマローニやセカに持ち込む際の価値が下がるけれど、それは致し方ない。
むしろハティなどの狩人たちはセカという巨大マーケットが身近になり、肉の需要が多くなって喜ぶだろうけど。
俺としては少し急いでポリデウケス先生の故郷サマセットへ向かいたいところだけど、今日はこんな感じで動けないことになった。
エアリスにはあの、夜な夜な血液でグリモアを書くなんて自傷行為を禁じておいた。
ロウソクの灯りしかない世界でそんなホラーなこと禁止。
かわりと言っちゃなんだけど俺直伝で無詠唱魔導を教えてやろうと思ったのに、エアリスに触れようとしたらサオがすっ飛んできて、アホだのダメだの女ったらしだの、女の敵だの、思いつく限りの悪態をついて怒り始めた。
なんか性犯罪者みたいな扱いで、サオの師匠である威厳などこれっぽっちもない。
無詠唱のほうは、イグニスと てくてくが付きっ切りで教えるし、エアリスはとても覚えがいいというから、すぐにとは言わないが、必ず近いうちに使えるようになるはずだと言われた。ちなみに土魔法はパシテーが先生モードになってビシビシと教鞭を振るってくれるらしいので、無詠唱できるようになったらすぐにでも[スケイト]ができるようになるはずだ。
ただしパシテーがそのモードになれるのは太陽がけっこうな高さまで上がってから。
もともと風使いの素質があるエアリスに、もと風の精霊だったてくてくが風魔法を教え、火の精霊イグニスが火の魔法を教えるのだからすぐに[爆裂]も撃てそうだし、エアリスは朝イチの体操の代わりに剣を振る習慣があるようなので、さっそく剣の握り方からロザリンドについて学んでいた。
師匠のサオはもう手持ち無沙汰で手持ち無沙汰で、何もすることがなさそうなのだが……。
「で、サオは何を教えてるんだ?」
「うー、師匠、聞いてください。私せっかく弟子をとったのに、周りにいる人みんな私よりすごい魔法を使うから私の出る幕がひとつもないです。師匠なんて名ばかりです。私にも何かすごい技を教えてください、じゃないとエアリスに抜かれてしまいそうで、わたし焦ってます」
「サオ……、弟子とったのは昨日だったよな? たった一晩でそれか……」
「私もう師匠失格です……1日持ちませんでした。泣きそうです……」
なんかウルウルした目で迫ってもらえてうれしいのだけど、ちょっと不審に思う所があって素直には喜べない。サオも今の時間は自分の鍛錬をしなきゃいけないはずなのに、なんで俺の横に座ってるのか。ただ愚痴を聞いてほしいだけならいいのだけど、いまのサオは一歩も引かない構えなのだから、これは絶対に何か要求されるパターンだ。




