11-09 イグニス
次話は月曜日を予定しています。
居合で抜きやすいよう『北斗』を少し高い位置に引きながらロザリンドが呆れたように言った。
「そんなひどい事よく思いつくわね」
「王国軍と帝国軍は敵対してくれたほうがいろいろと都合いいからね」
ざっと見た感じだと、王国軍が120、帝国軍は200といったところか。
王国軍の騎士サマは今の宣言を聞いても別に慌てて否定することもなく、一歩引いた位置で様子を窺ってるだけだし、帝国軍はアリエル・ベルセリウスの名を聞いて顔を見合わせる兵士が少なくない。動揺が広がっているようだ。
「サオ、言ってやれ」
「はいっ……、王国騎士団とお見受けしました。私はサオ、卿ら王国騎士とはマローニで剣を交えたこともあります。ですが今は手出し無用でお願いします。私たちはアシュガルド帝国軍を駆逐します」
駆逐するとまで言われた帝国兵も、目の前のこんな貧しい村娘のような服装をしたエルフがサオを名乗ったところでにわかに信じられなかった。しかし王国騎士たちの様子を見ると確かに知っている者がいるようで、さっきまで一触即発の間合いだったのに、今は少しずつ離れて行ってるようにも見える。まさかこんなところに本物のサオがいるはずがないと思いつつも、額から流れ出る脂汗が止まらない。抜剣した帝国陸戦隊が中隊規模で対峙しているというのに、この者たちは焦りの色も、緊張感もまるでないのだ。
さきほど空に向けられた爆破魔法、たった一発でこの鬱陶しいセカの野次馬どもを遠巻きに退去させてしまった。そして今、王国軍を庇う様に前に立ち塞がっている。こいつらは一瞬でこの状況を作り出したのだ。
「サオだと……まさか、サオはノーデンリヒトにいるはずだ」
「ノーデンリヒトを攻めていた帝国兵12000はすでに撃破されました。マローニでゴロゴロしてた兵士たちの生き残りは今ごろ泣きながら荷物をまとめてノルドセカに向かってる頃でしょう。そしてあなたたちも今日、セカから追い出されます。命が惜しい者は今すぐ剣を収め、荷物をまとめて今すぐ国へ帰ってください。そうすれば生きて家族のもとへ帰れます」
パシテーの姿を見て集まってきた群衆がサオの名を聞いて色めき立った。まるで芸能人を見るような眼差しだったのが、いまはその瞳に希望を湛えている。ジュリエッタの言った通りだった。サオの名はセカにまで響き渡っていた。王国軍、帝国軍、勇者軍、神殿騎士もアルトロンド軍も、各陣営誰一人としてサオの守りを抜いて背後の門を開けた者などいないのは、この世界の誰もが知る紛れもない事実なのだ。
―― うおおおぉ!
「サオだ! マローニの英雄がセカを開放すると言ったぞ!」
ネレイドが檄を飛ばすと知らず知らずのうちに拳を握り、そして天高く突き上げるセカ市民たち。
サオは美しいエルフ女性であるという噂ばかりが先行し、セカ市民たちの誰一人としてその姿を見た者はいなかったが、まさかこれほどまでに華奢で可憐な女性だとは考えてもいなかった。鋼鉄の女とまで称され、誇張されたサオの武勇を伝える吟遊詩人の歌はどこか人間離れしていたのだから。
王国騎士の隊長はまるでサオと剣を合わせたことがあるかのような口調でこぼした。
「ああ、間違いない……サオだ。魔人サナトスが居ないことは幸運か」
「いいえ、あなた方の出方次第では不運に見舞われますよ。師アリエル・ベルセリウスを目の前にしてそれを理解していないのですから」
王国軍小隊長の言葉が聞こえたことにより、それを担保として半信半疑だったサオの姿に確信を得るセカ市民たち。サオへの期待値はますます高まり、民衆の振り上げる拳に力以上のものが込められていると感じられると、王国軍も苦渋の選択を強いられた。
「分かった。我々はあなた方を善良なセカ市民であると判断する。ただし忠告はした、これ以上帝国軍と事を構えようとするなら、我々王国軍は無関係とさせていただく。その場合、エルフであるあなた方の身の安全も保障されないが、それでもよろしいか?」
「ご高配に感謝します」
サオが一歩踏み出すのを合図にして、俺たちは隊列を組んだまま帝国軍の前に進み出ると、隊長格の男を守るために数人が前に飛び出してきた。剣を構えたまま、防御の隊形だ。
同時に両サイドから次々と流れるように兵士たちが出てきた。隊長格をスムーズに後ろへ下げるための流動隊形。つまり、やる気だ。
「隊形が固まるまで待ってやる義理もない。進むぞ」
「はいっ」
サオの高い声を号令に俺たちは敵に向かって歩くだけ。エアリスは半歩遅れたけれど、それでもすぐに歩調を合わせて遅れを取り戻した。さすがジュリエッタの娘で、母さんの姪っ子で、そして俺のイトコだ。肩をいからせてグイグイと帝国軍に詰め寄る姿には迫力すら感じる。
帝国軍将校は集団の中心辺りにまで引きずられたとき、振り向きざま号令をかけた。
「その者たちを捕らえよ!」
帝国軍の隊列に近付くとシャッ! シャシャッ! 空気を切り裂く音だけが聞こえる。
最初の何人かが強化魔法をたっぷり乗せたダッシュで斬りかかろうとしたところ、悉くを間合いの外から一刀両断にされてしまい、まずは俺たちがただ歩いているこの場所にまで届かない。
目の前だ、手を伸ばしたら届きそうな10メートルも離れていない間合いであっても、そこにロザリンドが立っているだけで無限の距離を感じることだろう。
帝国陸戦隊は目に見えない剣筋にバッサバッサと仲間がたちが倒されてゆくのを目の当たりにしてから、もうロザリンドに向かって斬りかかろうなどという愚かなことをやめた。たとえ恐怖に足をすくませているのだとしても、一応は学習する能力があるらしい。
ロザリンドの与る左翼側、初撃は居合で抜き身のまま刀は鞘に戻らず、少し離れたところでエールを送る民衆たちの耳に風切り音が届くたび、帝国兵2、3の首を断ち、胸を裂いて、血飛沫はまるで芝に水をやるスプリンクラーで撒き散らされたかのように、心臓の鼓動する精いっぱいをもって血液を外部に送り出した。間合いは遠く、切っ先の届くはずもない遠隔攻撃が面白いように急所だけを寸分違わずに切り裂いてゆく。
右翼を与るゾフィーはただ剣を担いだまま悠然と通りを歩く。
こんな人混みでゾフィーがひとたび剣を振るえば大惨事を引き起こしてしまうので、剣の間合いに入ってきたものだけ相手をするはずが、前にいる帝国兵たちはみんなロザリンドの間合いに入ってるらしい。
この場ではどうやらゾフィーの出番はないようだ。
エアリスが腰を抜かしていないかと心配だったけれど、それもどうやら杞憂だった。
瞬きするのも忘れてロザリンドの見えない剣筋を一目見ようと、身を乗り出して見ている。剣の腕前がどれ程のものかは知らないが、多少なりとも剣をかじった物にとってロザリンドの剣はある種『理想』のようなものを感じてしまうほど理にかなっている。もっともあれが見えるようなら魔導師なんか志すより剣士として一旗揚げるのを目指したほうがいい。
剣筋の見えない一方的な攻撃を受けてジリジリと下がっては背中を預け合い、徐々に密集しようとする帝国軍を少しずつ追い詰める俺たちのあとに続くセカ市民は、さっきまで声の限り送っていた歓声を生唾と一緒に飲み込んでしまい、振り上げた拳もそのままに、瞬きをすることすら忘れて、ただこの常軌を逸した戦闘の行く末を見守っていた。
―― ドドォォォン
サオの練り上げた[爆裂]が2本の光跡を引いて密集隊形をとる兵士たちを襲った。
爆破魔法使いの前で密集隊形など愚の骨頂としか言いようがない。そこを狙って爆破してくれと言ってるようなものだ。
爆破魔法のいわゆる衝撃波よりも炎に重点を置いた独自の[爆裂]は着弾時マナを飛散させたが、木造の建築物に被害の及ばないよう、まるで線を引いて塗り分けたかのように可燃物のない道路上のみを焼き広がって炎上した。アリエルはその魔法効果の異様さに驚いたが、なるほど、サオの背には炎がくすぶりながら髪にも腕にも炎を纏っている。サオの精霊、炎を自在に操るイグニスは短い間だけだがセカの教会に居て、セカの住民たちと交流があったのだから街を焼いて被害を及ぼすことを嫌ったのだろう。
「ええい、好きにさせるな。サオを討つことが出来れば帝聖十字章ものの武勲だぞ! 魔導師を前に出せ、一味の動きを封じて取り囲め!」
後方から二人の男が剣士たちの隙間を縫うように送り出されてきた。サオを目の前にして挑戦的な眼差しを刺すように投げつける自信に満ち溢れた男たちだ。きょうびの魔導師はローブなんか着ないのか、魔導結晶のついた杖など持たないのか、一見して魔導師とは分からない、一般兵と同じ風体で剣士たちのすぐ後ろに出てきてグリモアを開いた。帝国の魔導師はこんな末端にまでグリモア詠唱法を使うらしい。
市街地でそんなものを見せびらかすからエアリスがマネするんじゃないか。
そして起動式を網膜に映したところでジュノーがマナの流れを読み取ったらしい。
「火の魔法だからサオが受けて大丈夫よ。あなたは手出ししないほうがいい」
マナの流れから魔法の種別を読み取るのも大概だが、起動式をスリ変えようとしていたのがバレたことがかなりショックだ。そもそも俺は結局魔法の種別が分からずじまいだったので、丸ごと入れ替えてやろうかと思っていたところなのに。
「火の魔法だとさ。エアリス、耐熱障壁を張らないと熱いぞ」
「はいっ!」
左手にもったグリモアを開き、起動式を網膜へと送ったエアリス。ページを間違えたり敵の魔法起動よりも障壁が遅れただけで命取りになる、ちょっとのミスが許されないような緊張感の中、多少ぎこちなくはあったが、考えられる最速最短の動作で自ら網膜に起動式を書き込み、エアリスのもつ最善の耐火・耐熱障壁を複合で起動させることに成功した。しかも、最前列にいるロザリンドまでをカバーするよう効果範囲を広げての起動だった。
もちろんこの時エアリスはジュノーの障壁に守られていたのだけど、さすがに他人が張った障壁を見破るほどには魔導に熟知していない。
「盟約の業火を地に示せ! 燃え尽きろっ! ファイア――ッピラアァァ!」
帝国の魔導師は2人同時にサオの足もとへとマナを集中、同時起動で大きな魔法を使って見せた。地上から遥か高くまで吹き上がる火柱が姿を現し、渦を巻きながらその高温の炎がサオを巻き込む。
「ああっ……サオっ!」
間違いなく張ったはずの耐火・耐熱障壁をいとも容易く抜かれ、炎の攻撃を受けたサオの身を案じ駆け寄ろうとするエアリス。パシテーが襟首をつかまなければ火傷してしまうところだった。
次の瞬間には激しく巻き上がる炎がV字に割れた。サオが足もとから吹き上がる炎をあっさりと簡単に、素手で割ったあと二つに分けて、両手のひらに絡め取ったのだ。まるで子どもの手遊びのように、綾取りの紐をたぐるように。エアリスの眼前、陽炎が立ち込めるほど高温に揺らぐサオの姿があった。
サオは両手で炎を全て手繰り寄せると、炎を掴むという、どれだけ熟練した炎術師にも不可能なことを平然とやってのけたことを自分でも不思議に思っているのだろう、珍しいものでも見ているかのように、そして美しく引かれた炎が糸を引くさまを、まるで他人事のように眺めながら、小さな声でぼそりと呟いた。
「イグニス」
技の名前でなく、魔法の術式でもなく、ただ友の名を呼んだに過ぎない。
だがその名が呼ばれると炎は激しく立ち上がり、サオが手に躍らせるふたつの大火は、幾重かの線となったあと揉まれ、やがて何百もの糸となり、まるで炎を纏いながら悶え狂う蛇のように空を泳いで、いまサオに向けて攻撃を放った二人の魔導師に襲い掛かった。
炎の精霊イグニスの主となったサオを、たかだか人である炎術師ごときの炎でどうこうできるなどとは思わないほうがいい。
2人の魔導師の肉体をその生命ごと焼き尽くした炎はすぐ横にいる剣士、またその横に立つ剣士へと、巻き付くよう、絡みつくよう次々と延焼してゆき、残った帝国兵の半数を焼くまで、人の髪の焼ける異臭に、脂肉のコゲるイヤな匂いに、周りを囲むセカの民衆が眉を顰めるまでサオは攻撃の手を緩めなかった。
帝国軍の隊長格だと思われる将校の前にいて剣を構えていた兵士はもう誰一人として立ってはいない。ロザリンドに斬り捨てられた者が30あまり、そしてサオとイグニスの炎に焼かれた者が50あまり。
俺たちは再び帝国軍将校の前に立った。




