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番外編 家族 (中編)

後編、また長くなっちゃいまして。中編が挟まることになりました。

修正アモスデウス→アスモデウス


 芹香はまず、ゾフィーが裏切ったという事実がなかったということ、そしてソスピタの王族を暗殺したという誤解を晴らしておこうと思った。

「アマルテアで死んだソスピタの王族っていうのは、アーカンソー・オウル。私に王位継承権が移ることを恐れていた小さな男。ゾフィーに殺されたのではなく、世界樹攻略に失敗して死にました。こんな男が何人死んだところで、アスモデウスは動かないわよ」

「何があったの? 私たちは何も知らされていないの、お願い、話して」


「ユピテル……」

 芹香は一瞬、躊躇いながらも、この発音するだにおぞましい名を口にした。もう未来永劫、この男の名を口にしたくはなかったけれど。

「知ってるわ。確かあなたの婚約者だったよね? 私はユピテルが行方不明になったことも、ゾフィーが関係してると思ってるけど?」

「私はユピテルと婚約させられたおかげで十二柱の神々のうち第三位なんて地位に担ぎ上げられました。私の意志なんて一つも汲み取ってはもらえず、ただソスピタの支配力を確固たるものにすることしか頭にない人たちに囲まれて。……そして私は逃げ出したの。誰があんな男の妻になんか……。ゾフィーも帰ってこないし、ザナドゥに行けば誰も探せないと思ったのですけど」


「そこでベルフェゴールと出会ったの?」

「はい。聡明で、物知りで、優しくて。王のくせに畑を耕したりするギャップも素敵に見えたし、そのくせ爆破魔法なんていう強力なオリジナル魔法も持ってて……、うん、一目惚れだったかなあ。私はあのひとに恋をしたの」


「うわぁ、いいなあ青春。それがどうやったらあなた、灰燼の魔女リリスになったのよ?」

 情報共有の第一歩……と言いながら、3人の会合はガールズトークの様相を呈してきた。それもそのはず、3人は同じ戦争を戦って、別々の視点からお互いを見ていたのだ。戦争が終わって幾星霜、思い出話に花を咲かせてもいい頃合いだ。

「私は第三の妻だったけど、上の二人を差し置いて、私のお腹に赤ちゃんが出来たんです。とっても可愛い子。私たちは口では言い表せないほど娘のことを愛していました。ジェラルディーン。あの人がつけた名です。ジェラルディーンが5歳になった誕生祭の夜、突然私たちの前にユピテルが現れて……、あんな醜い顔見たことなかった……ジェラルディーンを、娘を、奪われてしまいました」


「え? あのユピテルが? 娘さんは? どうなったの?」

 もう芹香の口から言葉は出ない。ただ大粒の涙がポロリ、ポロリとふたしずくこぼれ、ただ首を横に振るばかりだった。芹香の脳裏には、槍に刺し貫かれた娘の、むごたらしい姿と、愛くるしく笑いかける、かつて幸せだった頃の記憶が交互にフラッシュバックする。振り払おうとしても振り払うことが出来ない悪夢。どんな言葉ならこの気持ちを表現することが出来るのだろう、言葉になんか出来るわけがなかった。

 だけど芹香は、悲しい思い出を飲み込んだうえで、自分たちのしたことだけは、包み隠さずに話した。


「ユピテルはアスモデウスの客として、バストゥールに滞在していることが分かったので、私は母として、あの人は父として、娘の仇、ユピテルを討ちました。それが世界を巻き込む酷い戦いの引き金になったことは認めます。だけど私たちは世界を相手に戦争をはじめようだなんて、考えたこともありません」


 バストゥールは国賓扱いで滞在している最高クラスの神を国内で打ち倒されることを止められなかったことで、怒りの矛先が小国アマルテアに向けられたのだろう。ある意味、当然の報いだ。

 芹香の証言は真沙希たちの知る歴史書に記されている内容とは大きく異なる話だったけれど、おおよそ辻褄は合っていた。

 つまり、真沙希も佳純も、あの戦いに招集され打って出た者たちはみんな、真実を知らされず、体よく使われたということだ。話を聞けば完全にユピテルの側に非がある。いくら小国だとは言え、他国の王女殿下を殺害したのだから、その国の法で裁かれることに誰も異論はないはず。芹香はいまここで『仇を討った』と控えめに言ったが、言い換えれば王女殿下殺害という大罪を犯したユピテルをただ処刑したに過ぎないのだ。


「そっか、やっぱりユピテルは死んでたのね。いい気味。一応公式には行方不明ってことになってたんだけど、みんな死んだと思ってたし。でも、あのユピテルを殺すなんてことがゾフィー以外にできたなんてことに驚いたな。ユピテルの神位2位は伊達じゃなかったはずだけど」


「お詳しいようですね。自己紹介していただけますか?」

「ごめんごめん、親しい仲すぎて忘れてたわ。私は当時ルナと呼ばれてた。今は嵯峨野真沙希さがのまさきで、ルナなんて名はもう、とっくに捨てたから忘れてくれてもいいよ。ジュノーが3位になるまで4位だったけど、突然どこからともなく降って湧いたような、14歳だっけ? の若い赤毛の女の子に頭の上を飛び越されたときは、さすがに凹んだけどね」

「私はペルディータ。あなた方のような天上人とは比べられません、上級22位が最高位でした」

 深月の家族はもともと名のある神々だった。父親、嵯峨野寛一さがのかんいちについては戦場に出たことはないが、元々嵯峨野佳純さがのかすみの恋人だったらしい。

「あらためてよろしくお願いします。ジュノーです」


「万年ぶりの自己紹介が終わったところで、あなたの方からも聞きたい事あるんじゃないの? ジュノー」

「はい、まずは恐らくあなた方に捕まったゾフィーの居場所と、いま見たら家がなくなっていた常盤美月ときわみつきの所在を。あと、もし差し支えなければ、ヘリオスとテルスが今どこで何をしているかを知りたいです」


「えーっと、これは大変ね。順序立てて話すわね……、まず最初のゾフィーの件は後で詳しく説明することになると思うけど、私たち知らないの。だから常盤家の事から……。やっぱ常盤の家が引っ越してきてないってことは気になるよね」

「はい。深月がこの家に生まれてこなかった理由に関連があると思ってます」


 最初から難しい質問をされて、どう順序立てて説明すれば分かりやすく纏まるか分からない真沙希は、佳純と顔を見合わせて唸った。


 深月が生まれてこないという異常事態に加え、毎回必ず二軒隣に越してくるはずの常盤家も引っ越しては来なかった。あの土地は以降ずっと空き地になっていて、不動産屋も管理していないらしく、ずっと草ぼうぼうに荒れ放題なのだ。


「お兄ちゃんが生まれて来なくて、常盤の家も引っ越してこなかったことから、私たちもあなたと同じ、前世での亡くなり方が関連してると思って調べたの。結果から先に言うけど、美月姉ちゃんも生まれてこなかった。常盤夫妻には子どもが生まれることなく、引っ越してくる前に棲んでたハイツに今もずっと居住してる。子供が生まれてこなかったから、きっとハイツが手狭になることもなく、家を買おうなんて考えも起こらなかったのかもしれない。だけど、ここから先が少しおかしい。美月姉ちゃんの母親の方は下級神として名簿に名があったから身元も割れたんだけど、父親の方、いくら調べても正体が知れないの」


「会って事情を聴く必要があるわね」

「うーん、私は動きを見せるまで様子を見ているほうがいいと思ったのだけど、あなたがそういうなら私も同席するから、絶対に一人では動かないでね。じゃあ、えっと、次はヘリオスと……、テルスの事かぁ」

 芹香は、ヘリオスのことを話すよりも、テルスの情報を明かすことのほうにより強い難色を示した真沙希を少し気遣うように言葉をかけた。

「お友達なのですね? だったら別に……」


「いや、そうじゃなくて、芹香さんさ、今更テルスの居場所を知ってどうする気なのかな?と思ってさ」

 今更どうすると言われても、テルスはキュベレーを倒した張本人だし、ゾフィーが居なくなってしまった事にも絶対関与しているはずだから、今も生きているのなら、会わないという選択肢はない。


「私たちはヘリオスとの戦いの中で、何度も倒され、大切な人を奪われた。私たちはもう、ヘリオス、テルスとは無関係じゃいられないの」


「そっか。じゃあちょっと長くなるけど、まず私たちがなぜこんなところで、見張りなんてことをやらされているかということから説明しなくちゃいけないかな」

 真沙希は少し前置きが長くなることを断ったうえで、ジュノーたちとの最初の出会いから話を始めた。


「えっと、私があなたたちと初めて会ったのは……、そう、あなたたちがスヴェアベルムに侵攻してきてしばらくした頃、覚えてないかなあ、フェ・オールという国だった。私は、アシュタロ……じゃなくて、お兄ちゃんに突っかかって行くんだけど、たった3人の侵攻を止められなかった。スヴェアとアルカディアの連合軍は、30万の兵を配置して首都ミストラルを守ろうとしたけれど、1日持たずに壊滅したっけ。私は個人的に何度かゾフィーに挑んだけど、挑んだ回数だけ殺されかけたなあ」


 フェ・オール。スヴェアベルムにあって、ソスピタの遥か東に位置する大国。インドラとかいう偉そうな髭男の治める国だった。ベルフェゴールたちは国を亡ぼそうとまでは考えていなかったけれど、国家を上げての激しい抵抗にあったのと、テルスが参戦したことにより、戦闘の余波が大きく、数多の者たちを巻き添えにした結果、その広大な国土もろとも灰になってしまった。インドラはアマルテア殲滅戦を立案し、実行した張本人だったことから、本人さえ倒せれば良かったのだけど、まさか国民を捨てて自分だけ逃げだすとは思わなかった。


「インドラさえ倒せればよかったのですが、結局、国が滅んでしまった上に、当のインドラは取り逃がしてしまいました」


「ああ、あいつ逃げ足だけは速かったわね……。インドラはアスモデウスの盟友で、バストゥールとフェ・オールは同盟国だったのよ。その後、インドラがゾフィーを討伐する為の罠を張ったところまでかな。私が知ってるのは。インドラは今に至るも生死不明。たぶんゾフィーに殺されたのね。私はフェ・オールでの戦闘で負傷して、治癒師が足りなくて、荷車に乗せられたままアルカディアに戻ってきたってわけ。それ以来、傷が治っても、もう招集には応じなかった。だから神籍を剥奪され、あなたたちと一緒に、この牢獄の中に入れられてる」


「なぜ招集に応じなかったのですか?」

「ゾフィーを討伐するためにインドラが考えた罠っていうのが、それもまた国を滅ぼされた事に対する報復としか思えない殲滅戦だったの。ゾフィーの出身地、ガンディーナを住民もろとも焼き払うなんて言い出したから、やってらんなくてね」


「ガンディーナに殲滅戦を? そんなの知らない……。私たちが倒されてから転生するまでの間に、ゾフィーだけが生き残ったのね。ゾフィーがどこにいるかご存じないですか? たぶんどこかに封じられていると思うのですが」

「分からないの。じゃあ逆に聞くけど、ゾフィーがどこかに封じられているという根拠は?」


「さっき言いましたよね。私があのひとの記憶を消したって。それを指示したのがゾフィーなんです。もう何十回も前の人生の話なんですが、駅前のフライドチキン屋さんで一人、コールスローサラダを食べていたら、目の前にゾフィーのアストラル体が現れて、あの人がずっと探してることは知ってる。だけど何万年かけても絶対見つからないような場所に封じられているから探すこと自体が無意味。だから、偶然でも何でもいいから、ジュノーが何か手がかりを掴むまで、どうにかしてベルフェゴールの記憶を消してやってくれって。そういったの」


「アストラル体ぃぃ? 幽霊みたいなもの?」

「は、はい。まあ、それで間違いないと思いますけど……」

「ゾフィー怖いわ。ホント怖い……何でもアリと知って余計に怖いわ。だいいち私はフェ・オールで懲りたから、もう戦いには加担してない。確かにゾフィーとはもう二度と会いたくないけど、ウソは言わないわ。母さんは何か知らない?」

「私はアマルテア殲滅戦で命を落としました。私の亡骸からヘリオスさまが蘇生術を施してくれたおかげで、いまの私はこうして生きていますけれど、その後の招集に応じなかったせいで、同じく神籍を剥奪され、いまここに居ます。スヴェアベルムでの戦闘には参加してませんから……」


「母さんもゾフィーに殺されたんだっけ?」

「そう。すっごく星がきれいな夜に、突然現れた紅い眼が線を引いたところまでしか分からないけど、自分の身体が真っ二つにされてしまうなんて、貴重な体験をしたと思ってるわ」


「うちの粗忽そこつものが迷惑を……」

「いやいやいやいや、ジュノーの家族って言うなら、私たちの家族でもあるわけだし、恨みはないから。……で、ヘリオスとテルスの居場所なんだけど、うーん、私の考えでは、たぶんニルヴァーナのほうに居るんじゃないかと思ってる」


 そういえばザナドゥとスヴェアベルムではニライカナイという最上位世界が、アルカディアではニルヴァーナと呼ばれているらしい。これは言語体系が違うので仕方ないことだ。

 真沙希も佳純もヘリオスの命令でここに居るわけだから、どこから指示が来るのかを知らないなんてことはおかしい。指示をしてくる者を逆に辿って行けば必ずヘリオスに辿り着くはず。


「二人がどこに居るかも知らないの? じゃああなたたちはどこの誰から指示を受けているの? 指揮系統とか、どうなっているのかしら?」

「あー、誤解のないように言っておくけど、私、テルスとは友達じゃないし。ただ、同じアルカディア出身ってだけだから」


 真沙希と佳純は、まずテルスと親しい間柄じゃないことを前置きしたうえで、この世界の成り立ちから話してくれた。

「ヘリオスは芹香さんのお母さん、柊桜花ひいらぎおうかのお腹にジュノーの命を、母さんのお腹にお兄ちゃんの命を降ろすと『小さく閉じた輪廻の輪』という、地球が吐き出す魔気を丸ごと全てを集めて強力に時空を操作する魔法陣を起動させたの。そして他の世界に繋がる転移門を全て、物理的に完全に破壊して、もうこちら側からはどこへも行くことができなくなってしまった。そうすることにより、この世界を他世界から隔絶し孤立させることに成功したの」


「母の事、私が深月と結婚したから知ってるというわけじゃなさそうですね」

「芹香さんは要人なの。お兄ちゃんにだけ見張りがつくなんてことないわ」

 最初のうちは監視体制を確立し、報告義務もあったし、定期的に会議のような形式でブリーフィングが開催されていて、細かい指示もあったという。だけど、いまから転生を遡ること60回ほど前から、報告しようにも、報告する相手が居なくなり、ブリーフィングも開かれなくなり、細かい指示をしてくる伝令役も居なくなってしまったのだとか。


 そう、当初はこの町にヘリオスの手の者が大勢常駐していたのだけれど、今はもう監視体制そのものが崩壊していると言って過言ではない。ヘリオスが生きていることは確かだから、監視そのものが緩くなったこと自体が信じられない。いまこちらで起こっている異常事態と同じく、ヘリオスたちにも何かあったと考えるべきだ。それも60回分の転生の過去、深月の人生が平均75年だったとしても4500年経ってることになる。


「そうね、例えるならこの世界は、ロープも何もぶら下がってない井戸の底と似たようなもの。私たちはもうどこへも行けない。でも言葉を返せば、この世界はあなたたちに与えられたと考えることもできるわ」


「要らないわよ。世界なんて」

「ふうん、永遠の命を持ってて、世界を一つ丸ごと手に入れて、愛する人と永遠に暮らせるのに、何が不満なのかしら?」


「別に、不満もなんてないですよ。ここは争い事もなくて、奪ったり奪われたりなんて、力の支配するような世の中じゃない、特に日本という国は、強固な秩序に護られている素晴らしい国だと思います。願わくば、私もあのひとと、この世界で、ただ愛することだけを全うしたいものですね」

「じゃあそうしなよ? 私たちだって、あなたたちと共に家族として生きて行くのに異論ないんだからさ」


「ありがとう。そう思っていただけるだけで私たちは幸せです」

 芹香は、現世では母にも妹にもなれない二人の家族に向かって深々と頭を下げ、心から感謝の言葉を伝えた。そして背筋をピンと伸ばし、改めて向き直ったあと毅然とした態度で言った。


「ベルフェゴール第一の妻、ゾフィーが奪われたまま戻りません。第二の妻、キュベレーはテルスに倒され、ヘリオスにその不死の権能と、転生の秘術を奪われてしまいました。そして恐らく、キュベレーから奪った転生の秘術を使って、あのユピテルを転生させているはずですから。ヘリオス、ユピテル、テルスを討つまで、私たちの戦いは終わらないのです」


「え? なぜ? ヘリオスはユピテルが死んでも蘇らせれば済むことなんじゃないの? わざわざ転生なんてしなくても」

「いえ、ヘリオスの蘇生術は遺体がなければ魂を再び降ろすことはできないと聞きました。ベルフェゴールに敗れたユピテルは燃え尽きて灰になりましたから……」


 芹香は、この命の繰り返しが未来永劫に続くというのなら、いつか必ずヘリオスに辿り着いて本懐を遂げることを、時折、涙を滲ませながら訴える。もう憎しみなんて感情はとっくに通り過ぎたこと、ヘリオスを討つこと、それ自体が宿命なのだということを。


「不死であるが故の戦術なの? それが」

 真沙希はこの牢獄に囚われながら、何度も何度も生きたり死んだりを繰り返すことを戦術と言った。

 そんな戦術だなんて、大したものじゃない。ベルフェゴールとゾフィーとジュノーの3人、命が尽きることなく繰り返されるのは、キュベレーの権能で『オートリザレクション』を与えられたからに過ぎない。芹香たちがこうして生きているという事は、ヘリオスも必ず、どこかの世界で生きているという事なのだ。


 根本的な部分で大きな考え違いをしている真沙希に、芹香はひとつ重大な告白をしなくてはならなかった。深月が嵯峨野家に生まれてこなかった事実を目の前にして、当の真沙希自身がそれほど重大な事案であると認識していないように見えたのだ。


 深月が生まれてこなかった? ヘリオスの権能が弱まったのかもしれない? 冗談じゃない、そんなことはない。深月が嵯峨野家に生まれなかったということは、どこか別の場所で、別人として生まれているということだし、ヘリオスの権能は弱まることなく、今も強力に芹香をこの世界に縛り付けている。この小さく閉じた輪廻の輪の力が弱まっただなんて考えられない。

 芹香はここで話を聞いて確信を持った。他でもない、あの常盤美月が一緒に行方知れずなのだから、深月が何かしたに決まってる。


「私たちは、キュベレーが倒されたとき、無限に転生を繰り返す呪いと共に、ある遺産を受け継ぎました。たぶん知ってらっしゃるとは思いますけど、ゾフィーが受け継いだのは『アンチマジック』とそれを範囲化する『フィールド』という技術です」


「あー、勘弁してほしいぐらいには知ってる。芹香さんもそれを受け継いだの?」

「ええ、私は、さっき話に出てきたソスピタの王族を倒したという『オートマトン』という魔導人形と、魔法を範囲化する『フィールド』を。もっとも、オートマトンは魔気で動くので、アルカディアじゃあ置物にしかなりませんけれど……」


「じゃあ、お兄ちゃんも受け継いだものがあるのね」

「はい。ベルフェゴールは『転生の秘術』と『フィールド』を受け継ぎました。だけど記憶がない状態で、死の間際にそんなの使えるなんて考えにくいのだけど……」

「オートリザレクションとは別に、転生の秘術を自分の意志で範囲化させて使えるってこと? そんなの初めて聞いたよ。じゃあ、あの二人が死んだあと、芹香さんはどうなったの?」


 芹香は何ら変わりなく、深月の死から10日後にはリセットがかかって、今に至ることを伝えた。

 今ここに居る、深月を見失った者たちは、少しの疑いもなく今の生を受けたのだ。


 3人寄れば文殊の知恵と言われることもあって、ひとりじゃ停滞するばかりの思考実験もどうやら一歩、二歩ぐらいは前に進んだようだ。


 嵯峨野の母、佳純かすみの証言で明らかになったことは、深月が死んだことにより、新たな世界が構築され、芹香も、真沙希も、佳純も、今いるこの世界へと移行したということ。

 だけど、芹香の証言にある通り、深月には記憶がなく、魔法も権能も使えなかったとはいえ、オートリザレクションとは別に、転生の秘術を使えたこと、そしてそれを範囲化できたのかもしれないということで、常盤美月までもが常盤の家に生まれなかったという異常事態の原因そのものを説明することが出来た。


 嵯峨野佳純はひとつの仮説を立てた。

「子どもの頃の深月は、常盤さんとこの美月ちゃんのことが好きだった。事故に遭った夜も、美月ちゃんといっしょにたぶん、海浜公園の方に向かおうとしていたところ、バイパス道路を渡ろうとしたときに悲劇は起こった。そして、記憶がないまでも、深月は、美月ちゃんを死なせたくないと思ったことで、きっと無意識のうちに転生の秘術を使ってしまった」


「うーん、母さん。言いたいことは分かるけども、ちょっと強引すぎない?」

「確かめてみれば分かる事よ。あの事故で確か、もうひとり死んだ人が居たから」


 ……!


「ああっ、さすが母さん! そうだよ、もしお兄ちゃんが転生の秘術を範囲化させて使ったのなら、あの土建屋のドラ息子も、きっとどこか別の場所に転生してるはずよね!」


 佳純は電話台の下に立ててあった電話帳をパラパラと開き、すぐに目的の電話番号を見つけると、躊躇することなく受話器を取り上げた。

 電話の相手は、前世で横断歩道を渡ろうとした深月を、信号無視で交差点に突っ込み、死なせてしまった男。下垣外工務店しもがいとこうむてんの長男、下垣外誠司しもがいとせいじという男だった。

 芹香は、事故の相手の名前まで憶えていることに驚いたが、事故とは言え、自分の息子を死なせた相手の名前は絶対に忘れられないのだそうだ。その気持ちは、娘を失ったジュノーには痛いほどよくわかった。


下垣外しもがいとさまのお宅でしょうか? すみません、誠司せいじさんはご在宅でしょうか?……は? はい。いえ、下垣外誠司さんは、下垣外工務店の、ええ、息子さんで、年齢はいま、17か18歳ぐらいだと存じ上げておりますが……、は、はあ。下垣外さんのお宅は、女の子が2人姉妹でしたか。すみませんでした、こちらの勘違いだったかもしれません。もしかすると近いうちにお邪魔させていただいて、お話をお伺いするかもしれませんが、はい、ありがとうございます。それでは」


 そっと受話器を置いた佳純。相手の声までは聞こえなくとも、佳純の話しようでだいたいの内容は伝わった。あの事故で死んだ3人目の男、下垣外誠司もやはり生まれてこなかったのだ。


 深月の母、佳純の機転により、あの事故で死んだ3人全員が、定められた場所、定められた母親から生まれて来なかったという事実が発覚した。証拠もなく仮説に過ぎないが、死の際にある深月が、大好きな幼馴染の美月ちゃんの命が失われるという危機にあって、無意識のうちに転生の秘術をフィールド化させて発動させてしまった可能性が極めて高いという結論に辿り着いた。


 深月の生命が、魂が、完全にこの世界から失われてしまうという、芹香をはじめ、この場に居る3人にとって最悪の事態だけは避けられたのだと思った。



 深月はどこかで生まれて、いまもどこかで生きている。

 芹香は、深月と繋がっていた、この生命の糸が切れた訳じゃないんだと、確信を持てただけでも日々の不安を跳ねのける力になると思った。


 それから芹香は、予定通り小学校6年の1月に転校し、そのまま数か月後には卒業し、小学校に隣接する、すぐ隣の中学校に進学する。しばらく時間はかかったが、それから芹香は同市内にある、小学校7校、隣の市の小学校6校分の卒業生名簿を入手し、約850名の生徒の中から、男子生徒のみ、約400名を虱潰しらみつぶしにする形で調査を開始した。


 友達が少なく、常に孤立する子。

 夕焼け空が好きで、時に星空になるまでよく西の空を眺めている子。

 夜空の星を眺めるのが好きな子。

 風を浴びるのが好きな子。

 自転車が大好きで、マウンテンバイクに乗ってる子。

 またそのマウンテンバイクを自分で整備できる子。

 刃物を自分で研ぐことが出来る子。


 これだと思う子を見つけては、出向いて行って、少し話しかけ、握手するだけで深月のマナを感じるだろうと思っていたが、実際は握手しなくても、芹香の眼をもってすれば、マナの放つ色彩だけで判断がついた。マナの色彩を見て個人を判別するなんて、これまでは考えた事もなかったのだけれど、必要は発明の母とはよく言ったもので、必死になって技術を磨くと、驚くべき技能を身に着けることもある。これは魔法でも権能でもなく、ただの技術。だが磨き上げられた技術だ。近くで数秒は凝視する必要があったけれど、少し話しかけて会話することで、マナが見えるまでの時間を稼ぐなど芹香には簡単だった。

 そして芹香は自分の眼で実際に見て微妙なマナの色彩で個人を判別する技能を身に着けた。


 市内でもとくに美少女として有名で近隣の他校でも名が通ってる、あの柊芹香が出没して、まるでモテない男に声をかけるという都市伝説級の噂が立ったけれど、そんなことを言い出したのが女の子に相手にされないような男子ばかりであることから、最初から誰も信じてはいないようだった。



 深月を探す努力が報われることなく芹香は15歳になり、高校生になった。同じ高校の同学年に深月が居ないことを確認すると、次は帰宅の時間帯、駅の改札に立って、電車通学の私立高に通う男子にターゲットを移すことにした。

 急行列車が着くたび、波のように押し寄せては引いてゆく乗客を正面から見られる位置に立って、芹香はずっと探し人を求めていた。週のうち、出来るだけ曜日が被らないよう、毎回違った人を観察できるよう、芹香は駅の改札出口に立った。


 そうして何週間か経ったころ、人の持つマナとは明らかに異質なものを纏う男が改札を出たところ、芹香の訝しむような厳しい視線と目が合った。眼鏡をかけていて身長はヒョロ高く180センチ近い。年齢は40歳代といったところだろうか。芹香にはそのマナの持ち主が怪しいとも何とも思えなかった。ただ個人差と言うには程遠いほどの異質な、色やその量からして明らかに人ではなさげな雰囲気を醸し出す男だったので、訝しんで当然なのだ。もちろん芹香が探しているのは深月であり、この男が別に誰であれ干渉する気はなかったのだけど、その男は、芹香と目が合ったのを感じると、一瞬だけ、あからさまに驚いた表情を浮かべたあと目を逸らし、踵を返すと歩幅を広げ、早歩きで人波に紛れ、駅東口のバス停の方に向かったのだ。挙動まで不審極まりない。まるで『私はあなたに見つかりたくないです』とでも言いたげに、芹香から逃げるかのように、小走りでこの場を離れようとした。。


 別に興味があったわけではないし、何か手がかりが掴めるなんて甘い期待をしたわけでもない。さすがに深月が生まれてこなかったという異常事態の中、藁をも掴もうとする芹香は、この男にいったいどのような理由があって、これほどまでに不審な挙動を生み出しているのかを知りたかった。まるで分からないことだらけの世界の中で、この程度の些事、放っておいてもまるで問題はなかったのだけれど、深月と会うことが出来なくて、嵯峨野の家の呼び鈴を鳴らしてから、もう3年以上も何の手がかりも掴めていない。消去法で、近くに住む同い年の男子の中に深月は居ないということが分かっている程度だった。

 ならばこの、あからさまに挙動の怪しい男も、とっ捕まえて話を聞いたうえで、何も関係がないことをひとつ明らかにしておくことで、もしかすると深月との距離が数ミリでも近づくのではないかと考え、芹香はショルダーに掛けたバッグから携帯電話を取り出し、ひとまずは真沙希に連絡を入れた。


「真沙希ちゃん? いま私駅なんだけど、挙動不審なエルフ?っぽいひとと目が合ったの。逃げたから追っかけてみるね」


 5月も終盤になり、梅雨に入ろうという頃、時刻は19時過ぎ、もう空は真っ暗だ。夜空は天の川が見えてもおかしくないほど天空まで晴れ渡っているが、市街地の光に妨げられ、自然の星明りよりも、人工の、電気が作り出すともしびに町は照らし出されている。生ぬるい湿った風が吹く夕闇の中、芹香は男を追ってバスに乗った。相手は当然、芹香が追ってきてることに気付いているし、芹香の方もこそこそ尾行するつもりなどなかった。気付かれて困るようなことはない。むしろ気付いてもらったうえで、落ち着いて話を聞きたいのだから。


 どうせ気付かれているのだからと、芹香は追跡対象の男のすぐ背後まで迫り、絶対に逃がさないという意思を示したところで、男は突然駆け出し、バスが動き出す前に飛び出した。

 逃げる男を、少し足早に歩きながら追う芹香。少し離れたところで男が起動式を入力するのが見えた。


「へえ……強化魔法を使うのね」

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