10-23 エイラ教授とアリー教授
「ふう……」
アリエルたちはいまゾフィーの転移魔法陣をどこに設置すればいいのかを考えている。
転移魔法陣というのは相互通行のトンネルのようなもの。砦の中に作ってしまうと逆に敵の侵入を許してしまうことになるかもしれない諸刃の剣であることを説明して、砦の外の少し山に入ったところに作ってもらうことになった。ここならば神殿に偽装しやすいという理由だったが、もしかしてまたここに精霊が生まれたりすることも考えると、偽装なんかじゃなく本物の神殿を建ててやってもいいのではないかとイオに言ったんだが、どうやらそんなものにお金をかける余裕なんてノーデンリヒトにはないらしい。
戦争というのは攻めるほうも守るほうも莫大な資金がかかるのに、ベルセリウス家は4年前のセカ陥落から収入がない状態が続いている。タダでも難民の受け入れなどで支出が多いところに、帝国軍の兵糧責めに遭ってノーデンリヒトに逃れてきたとき、ほとんど金目のものは持ってこられなかったはずだ。イシターがトライトニアのベルセリウス邸に居候させてもらってたというのも、なんだか気の毒な事情が透けて見えるほどだ……。
「ねえちょっとアリエル、帰ってきたんだったら顔ぐらい出しなさいよ」
唐突に話しかけてきたのは……コーディリアだ。
おじいちゃんの娘だからアリエルからすると叔母さんにあたる。
年齢的にもいいオバさんなんだけどさすがハーフエルフ。まるで年齢を感じさせることはなく、ぱっと見まだハイティーン。16年前と比べてもちょっと髪が伸びただけにしか見えない。
「コーディリア……、あのさ、『本当にアリエルなの?』とか『元気にしてた?』とかないのか?」
「さっき外で見たし。はい、元気たっぷりの見事な自爆でした。あんな味方を巻き込むアホみたいな魔法使うのってアリエル以外に居ないわよ。まあ、ハイペリオンもいたし。私あなたが神子だってことは知ってたのよ? その昔アシュタロスと呼ばれてたってこともね。殺されたぐらいじゃ死なないでしょ? それよりあなた私になにか言うことないの?」
「えと……、ただいま」
「ん。おかえり、アリエル」
そういいながら、ぺたんこの胸を張って、アリエルより小さいのに、ちょっと背伸び気味で頭を撫でるコーディリアの笑顔は屈託のないものだった。
「まあいいか。でもな、コーディリア。ハーフエルフのくせに帝国軍の前に出てきちゃダメだろ。マジ焦ったし」
「え? 何いってんの? アリエルがゾフィー連れて帰ってきたって聞いたのよ? 見たいにきまってんじゃん。アリー教授もエイラ教授も授業休んでトライトニアからすっ飛んでくるわよ。2人ともゾフィーの大ファンだし」
「アリー教授とエイラ教授も元気やってんの?」
「むちゃくちゃ元気よ。あんたが元気なのはもう分かったから早くゾフィー紹介してよ。早くほらー」
コーディリアはセカの魔導学院で古代エルフの失われた魔法技術、ロストマギカを研究する学生だった。アリエルの記憶がまだはっきりしてなかった頃、アリー教授やエイラ教授にゾフィーのことを教えてもらったこともある。
「ねえあなた? そちらの可愛らしいエルフのご婦人を私にも紹介してくださいな」
「ああ、ちょうどよかったゾフィー、こちらコーディリア・ベルセリウス。俺の叔母さんにあたる。今はもう扱える者がいなくなった設置型魔法装置を研究してるんだ。魔法陣使いのゾフィーとは話が合うかもしれないよ」
「はい、たったいまご紹介にあずかりました。コーディリア・ベルセリウスといいます。コーディリアと呼んでくださいね。私もマローニのベルセリウス別邸に住んでいたのですけれど、いつもタイミングが悪くてお会いすることができませんでした。……やっと会えましたね。今日は転移魔法陣を設置すると聞きました。雑用でもなんでもお手伝いさせていただきます」
「まあ、魔法陣に興味があるのですね」
身内が魔法陣の研究をしていると聞いてゾフィーの機嫌がよくなった。
ジュノーが起動式を開発してからというもの、猫も杓子も起動式起動式で、魔法陣は急速に廃れてしまったという歴史がある、あれから遥かな時を経て旧時代の魔導を研究する者がいたなんて思ってなかったのだろう。
「そうですね、手伝って頂けるならちょっと手伝ってもらいましょう。明日までに仕上げないといけないらしいので、急がないといけません……」
ゾフィーとコーディリアが作業の準備に取り掛かろうとしたとき、遠くの方から間の抜けたような高い声がして、急速に近づいてきた。
「ちょっと~! 危ないですから、そこどいてください~、どいてってば!」
アリエルにとってどこかで聞いたことのある間の抜けた声だ。声のする方を見ると、どこで習ったんだろうか、すっげえ下手くそな[スケイト]ですっ飛んでくるエルフの女性が……。
あ――はいはい、エイラ教授だあれは。
そんなエイラ教授のすぐ後方で回転しながらうまく減速する猫耳は……アリー教授か!
アリエルたちが留守にしていた16年の間に[スケイト]も起動式が組まれたということか。
起動式を作り上げたことは確かにすごいけど、見たところ不安定すぎて実用にならない。
エイラ教授まるっきりエッジが効いてないじゃないし、左足を踏ん張ってブレーキかけようとしているのは理解できるけど、減速がまるで間に合ってない。
こりゃ事故る……。
「みんな危ない! 避けろ!」
―― ドバスン!
エイラ教授が誘導ミサイルのように弧を描きながら穀物満載の袋をうず高く積み上げたところに命中。いや、衝突し、小麦粉の白い粉塵が舞い上がる中、少し遅れてくるくるくるくる……しゅたっ! と見事に停止を決めるアリー教授。さすが猫耳だ。
コーディリアは腰に手を当てて小さなため息ひとつ。小さく手を上げ、アリー教授に合図を送った。
「遅くなったけど飛ばしてきたわよコーディリア? えと……、うっわ、ダークエルフ! おっきい! ……胸もすっごい大きい! エルフの常識を覆えす大きさ。本物? ねえ本物なの?」
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「こっちだれか手伝って! 事故だ」
あっちはゾフィーに任せておくとして、数名の男手を呼んで小麦粉に突っ込んで真っ白になってるエイラ教授を掘り出す。
「いたーい、痛いの……足が折れちゃったかもぉ~ねえ誰か、たすけ……えっ? えええっ?」
あ、ジュノーか。エイラ教授の身体が薄ぼんやりと光に包まれてる。何も言わないのに初対面の人のケガを治すなんてジュノーも丸くなったもんだ。
「あの人にもお世話になったんでしょ?」
「ああ、ありがとうジュノー。あんまり世話になってないけどね……」
「治癒師のかた、お世話になりました、アリガトね。感謝感激なの。えっと、エイラちゃん参上っ!」
「エイラ教授、その人がアリエルね。治療してくれたのたぶんジュノーだから」
見当違いの方向にピースサインを送るエイラ教授に、コーディリアは面倒くさそうな顔を隠そうともせず説明した。
「ええええっ、アリエルさん? 転生したって聞きましたけど、またまたそんな弱そうな入れ物に入ったのですね。残念です。ジュノーさんはホンモノさまですか? ソスピタから行方不明になったあの序列第3位のあの高位神?」
「え? なんか詳しく調べられてるみたいですけど……はい、たぶん間違いないと思います」
「えっと、あのあの、ジュノーさん、ちょっと質問してもいいですかぁ?」
「エイラ教授、勘弁してやってくれ。ジュノーは人見知りが酷くて質問とかされるの苦手なんだ。あっちにゾフィーいるから」
「女神ジュノーは人見知りで質問されるのが苦手……っと。また一つ新事実発覚よね。ところでアリエルさん! ふふふ、ふふふふふっ……ほら、何があったか聞きなさいよ」
「えっと、はい、何か嬉しいことでもあったんですか?」
「えっへん! エルフ族の種族的弱点を克服する目途が立ちましたっ。もうこの私にはハイペリオンの威圧なんか効きませんからね。出してくださいよ、試したいんですぅ~。あ、もちろんけしかけたりするのは無しですよ? いいですかぁ?」
「サーオー、聞いてた?」
「はい。自慢の耳でしかと」
サオとエイラ教授には門から外に出てもらうことにした。いくら面白そうなことになりそうでも砦の中で出すとエルフたちが大惨事を起こしてしまう。
「ちょっと待ってね、これ、この起動式が種族的優位を打ち消す防御魔法。今日のテストで効果が確認できればこの魔法をエルドライヴと名付けて公表するわ。グリモアの最後のページにはエルドライヴで決まりよね」
長大な起動式を入力するエイラ教授……。まったく、そんな魔法、いったいどこで使うんだよ……。寿命の長いエルフでも一生のうち野生のドラゴンに出合う事なんてほとんどないだろ……。
「へえ、なるほどね。そんな方法で威圧を軽減するんだ」
エイラ教授の起動式を読み取って感心するジュノー。
アリエルは初めて見た起動式を読み取って魔法の仕組みを知るなんてことできないけれど、出来上がった障壁を見るとなんとなくは分かった。エイラ教授のエルドライヴ、あれは風魔法の障壁で、フィルターのようなものだ。そんなもので切り抜けられるほどハイペリオンは甘くない。
そしてエイラ教授はハイペリオンがまだ子供だった頃しか知らない。
まあ……、たぶん泣かされて帰ってくるのがオチだろう。




