10-22 災厄の炎 【挿絵】
挿絵を入れておきました。
ハイペリオンのブレス攻撃とその炎です。
こっそり小さくドット絵みたくなりましたが、背にサオ、イグニスの炎を纏っています。
単純に目で見て感嘆の声をあげた剣士のロザリンドが、その結果をもってゾフィーの戦闘力を称賛するのとは違い、マナの流れから魔法の発動までを理論立てて考え、その効果までを検証しないと気が済まない魔導師の、いわば面倒くさい性分を露呈したパシテー。常識はずれなこと、理解の及ばぬことに対して脳をフル回転させて分析しようとするから非常に疲れるのだ。ジュノーいわく、ゾフィーのことは考えるだけ無駄なのに。
そんなゾフィーの一挙手一投足を目に焼き付け、その時空魔法を欠片でも理解しようと凝視するパシテーの眼前から、指を鳴らすことなくゾフィーが消えしまう。そこには最初から何もなかったかのように。
パシテーが見失ったゾフィーの姿をロザリンドが目で追った。まるで昨夜、ジュノーの背後をプロスペローが襲ったのを目で見て防いだのと同じように。
ロザリンドにはゾフィーの転移先が見えているらしい。
「え? 姉さま本当に見えるの?」
驚いてロザリンドを見上げるパシテーの視界のスミっこで、同じようにゾフィーの動きを目で追う男がいた。……サナトスだ。
なんだ、そういうことか……。これは種族的に持って生まれた才能なのだとパシテーは理解した。パシテーにしてみれば、理解不能なことを考えても無駄なので、脳が考えることを拒否したのと同じことなのだが、ゾフィーがロザリンドに『いいところを見せたい』と言っていた、その理由がなんとなく分かったのだ。
パシテーが視線を前に戻すと、およそ見えてる範囲にはもう動いている帝国兵はひとりもいなかった。時間にすると数秒か、10秒に満たない、パシテーがほんの少し目を離していただけで、もうこちらに向かって進攻してこようとする者の鉄靴の足音も聞こえなくなってしまった。恐らくは波状攻撃を仕掛けてきた一陣と二陣の前半分までが沈黙。数にしておよそ6000の帝国軍が倒れたのだろう。
前衛が壊滅状態になっていることを知ってか知らずか、第二陣の後ろ半分が戦場を駆け、突撃を始めた。
鉄靴によって踏み荒らされた原野をバリスタ戦車が押し出され、アリエルたちを射程距離に捉える位置までくると、あろうことか空より飛来して竜騎兵どもをことごとく蹴散らしたばかりのハイペリオンに向けて照準を合わせた。それは明らかに間違った選択だった。遠近法によってハイペリオンの大きさを瞬時に認識できなかった指揮官の視力の問題ではなく、過去から現在に至るまで、およそ歴史書が残っている近代において、ドラゴンの脅威に曝されたことのなかったアシュガルド帝国人の無知と、そして軍事力をもって近隣諸国を蹂躙してきたという力に対する驕りが間違いを起こさせたのだ。
「バリスタ1号、2号、3号、各砲台狙え! 当たると思ったら号令なしに撃ってよし!」
―― 射ぁ!
バリスタの引き絞られたワイヤー弦が、貯めに貯め込んだ力が短槍の推進力に転嫁され、狙い澄まされた槍はうなりをあげて空気を斬り裂き、ハイペリオンを襲った。
―― ガシュッ!
……いや、ハイペリオンまで槍が届いていない。
一瞬、肉眼で視認できるほど強固な防御魔法と障壁がキラリと姿を見せ、慣性を失った槍は何にも刺さる事なく自由落下する。アリエルのマナをエサに成長したハイペリオン。その特性とマナの指向性はアリエルに似るらしく、性能グラフなどというものがあるとするならば防御特化に偏った特性を持っている。
二射、三射とバリスタが槍を射出しハイペリオンを狙ったが結果は同じだった。ハイペリオンに傷をつけるどころか、強力な防御魔法に阻まれて、届きもしないのだから。
そんな攻撃とも言えないような兵器で狙われたハイペリオン。その身は傷つかず、音を聞き分けて初めて何かされたのだと分かる程度の、まるでポップコーンを投げつけられたような感覚だった。だがハイペリオンはその攻撃と、飛来した槍に込められた殺意を、背に乗る主に向けられたものと判断した。
ハイペリオンはその白銀の翼を大きく振りかぶり、後方に向けて強く羽ばたくと次の瞬間にはバリスタの狙える仰角を超えた直上にまで移動し、大きく息を吸うブレス攻撃の前動作をみせる。
『ハイペリオンを狙うなんてアホの極みだ。この戦闘はもう終わり』と高をくくっていたジュノーの目に、ハイペリオンの頭部、角と角の間に……腕組みをした子どもが立っていて、冷ややかな目で地面を逃げ惑う帝国兵たちを見下ろしているのが見えた。
「あらっ? 子どもが乗っているわね?」
視力1.5ぐらいしかない俺には目を凝らしてもよく見えないけれど、ジュノーは伊達メガネしていたことが嫌味に思えてくるほど目がいい。アフリカの草原で暮らす狩猟民族は視力が6や7ほどもあると聞くが、まさにそれぐらいは余裕で見えている。人間であってもアフリカのマサイ族など遊牧で暮らす民は40メートル先から新聞の文字が読めるぐらいの眺視があるというから、これは別に魔法でどうこうという技術ではなく、ジュノーの眺視は単純に目がイイだけなんだけど……。
「子どもに見えたけど、昨日サオの横にくっついてた精霊の子ね。うん間違いないわ」
「ジュノーそれイグニスなの。ハイペリオンにイグニスが乗ってるの」
「ちょ、こっち向いてるけど、この距離なら大丈夫かな?」
「これだけ戦死者が転がってるからね、ついでに全部焼き払って灰にする気なんだと思うけど」
「マジか!」
ロザリンドがまた身も蓋もないことを言った。そいつはマズい。
「サオってもしかして成長したハイペリオンのブレスを知らないよね……」
「当然、ブレスを浴びたほうはどれだけえらいことになるかも知らないでしょうね?」
「門が開いたままなのにどうしようもない子。まずいわね、相当な被害が出るわ」
外にいる俺たちは障壁に守られてるけれど要塞の門から中には耐火・耐熱障壁が張られていない。
門の内側には非戦闘員のサポートスタッフも大勢いるので、障壁なしにハイペリオンの炎を受けたら大変なことになってしまう。中には可燃物がいっぱいあるから大火災だ。
「すまん! サオがやらかしそうだ。みんなこっちへ、シャルナクさんを中心に集まれ! 今すぐだ。イオ! 馬鹿野郎、急げって!」
「な、なんだとこの……お前が捕虜を預けたくせに」
ハイペリオンはゆっくりと口を開くと眩いばかりの光が漏れ出し、戦場は真っ白な光に包まれた。
―― パチン!
ゾフィーの転移魔法からワープアウトするや否や、低い姿勢からダッシュし、即座に門のところに駆けつけて耐火障壁を多重に張り巡らせるイシター。炎と熱の侵入を防ぎながらすぐ門を閉めるよう指示したところだ。数秒後には門が落とされるだろう。
先ほどはアリエルの爆破魔法を少し甘く見ていたせいでシャルナクたちを傷つけてしまったが、いちどフッ飛ばさたことで完全に目が覚めたようだ。もう二度と相手を甘く見たりはしない。
その頑強な耐属性障壁は要塞門外を丸ごと焼き尽くす色温度6000ケルビンの濃厚なブレスをものともせず門を守る。それでも抜けてくる熱に顔をしかめながらも必死で障壁を展開するイシター。
それはハイペリオンをもってしてもイシター単体を倒すことが容易ではないことを意味する。それほどまでに強力かつ完璧な障壁だった。
たった今、ドシーンと激しい落下音を響かせながら閉じられた要塞門だけではなく上空に被せるように張られた強固な、肉眼でも視認できるほど強力な障壁を張る幼な妻を、後ろで見守るシャルナクの表情は、どこか寂しげだった。
シャルナクはゆっくりと妻に歩み寄ると、傍らに立ち、そして肩を抱いた。
「シャルナク、気が散ってしまうわ。簡単じゃないのよ」
「すまんエリィ、だが私はお前の隣に立っていたいんだ」
シャルナクの傍目を気にしないラブラブオーラが発揮された。正直なところ勘弁してほしい。
「この場面でよくもまあ、いい雰囲気ですこと。この板っきれに鉄板を張っただけの門の外がどれほどの地獄絵図なのか想像するのに難くないのにさ、何をロマンチックな妄想に浸ってるわけ? あーもうヤダ、ホントやってらんない」
障壁が破られそうになったときのためにイシターの背後を守りに行ったジュノーがラブラブ夫婦を前にして毒を吐き始めたけれど、だいたいジュノーがこういって悪態をつく時は大丈夫、余裕があるんだ。
「兄さま、シャルナクさんもフィールド魔法の使い手なの」
「歯が浮いてしまうよ。なんて攻撃だまったく……」
門外からはもうほとんど気配も感じない。後方の離れたとこでウォーミングアップしていた第三陣の4000は蜘蛛の子を散らしたように散開したようなので半分は生き残ったように思うが……。
―― ファサッ……、ファササッ……。
要塞の中、防護壁に囲まれた中央の広場に強い風を纏いながらハイペリオンが下りてくる。耐風障壁を持たない者を吹き飛ばしてしまう勢いの嵐だった。バサバサとホバリングしながら、ゆっくりと垂直に降りてくる。
ノーデンリヒト要塞にはエルフ、ハーフエルフも多い。ハイペリオンに見られただけで泡を吹いて失神する者までいるのだ、アリエルたちのほかにサオの帰還を迎える者はいなかった。
だけどサオが裏庭に降り立ち、ハイペリオンをネストに帰すと、いつもはサオに対して無表情を決め込んでいる守備隊の男たちも今回ばかりは拳を振り上げて、その勝利を讃えた。
今日のこの勝利は紛れもなくサオのものだ。
シャルナクさんと堅く握手を交わすサオ。まだ外には2000余りの敵兵が残ってはいるが、サナトスやレダだちが出て降伏勧告をすれば大人しく帰るだろう。




