10-21 崩れゆく戦線
ハルゼルの爆発による帝国軍の死者数不明。
第一波攻撃に参加していた4000の兵のうち、ハルゼルとアリエルの一騎打ちを近くで見物していた者は大半が惨たらしい屍を晒すこととなった。気配を読んでみてもおよそ1000は減ったように思われる。もちろん少し離れた場所に居た者たちも五体満足ではいられなかった。
何があったか分からない第二波攻撃を担当する4000の兵は作戦予定時刻になり、前進を始めた。なにやら前がきな臭い雰囲気になっているが、作戦中止の命令がない以上、進攻は定刻通りに行われる。……とはいえ作戦中止を命じることができる指揮官クラスの者はみな今の爆発で安否不明となっているのだから誰もこの戦いを止めることはできないのだが。
盾を打ち鳴らし、進攻する鉄靴の音がザックザックと響く中、ちょっとした溜池ができるぐらいの大穴が空いたノーデンリヒト要塞前でイルベルムが目を覚ました。
「あ、あの…… サガノどの? 私はいったい……」
「イルベルムさん無事で何より。えっと、あなたには2つの選択肢がある。帝国軍人らしく戦って死ぬか、それともこの場は捕虜になるか、どちらかをいま選んでほしい。できれば後者を」
徐々にはっきりしてくる頭で周囲を見回すイルベルム。
記憶が飛んで何があったかよく覚えていなくても、敵に囲まれていることでだいたいの事態は飲み込めた。
「ハルゼルどのは倒れたのですね」
「ああ、俺が倒した」
「私には帝国に報告する義務があります。選択は後者でお願いしたい」
「了解した。シャルナクさん、このひとイルベルムさん、たったいま捕虜になった。俺は向かってくる奴を片付けるからあとはよろしく」
イオとハティにイルベルムを預けた。どこへ行ったのか勇者が1人いなくなってしまったが、残った数千の敵兵は烏合の衆だ。梯子を担いで進攻してくる元気のある奴らには申し訳ないが、纏めて倒さないとこちらには非戦闘員もいるんだ。
「ロザリンドおまえ右側を頼む。俺は左側を……サナトス! お前はよく見て学べ」
「あら、私はまたお留守番? ここは私が出るわ。あなたはもう休んでて。お疲れさまでした」
「マジ? ダメだロザリンド戻れ。ゾフィーが出る。絶対前に出るなよ!」
いそいそと先走るロザリンドを呼び戻すと、ゾフィーの傍ら、フッと現れた身長ほどもある無骨な長剣。ドスっと音を立てて地に突き立った。
「んっ。今日はこの子を使っちゃう」
「せっかくサナトスにいいトコ見せようとおもったのに」
「私はあなたにいいトコ見せたいかな。見ててねロザリン」
今まさにゾフィーが1歩前に踏み出したところで帝国の援軍が間に合った。
―― ピュ――ッ! ピュルルルゥ!
上空から笛の音がいくつも響き、高空を編隊飛行する竜騎兵の一団が頭上を飛び越えていく。地上軍の第二波は少し遅れ気味なので竜騎兵の方が先行する作戦のようだ。
「お、きたきた。待ってました。昨日は見られなかったからな。……でも……あの高度からファイアボール撃っても弓兵に対する牽制ぐらいにしか使えないぞ?」
「それで十分なんじゃないの? 牽制なんだから」
ロザリンドが身も蓋もないことを言う。
耐魔導障壁の強力な使い手を砦の上に配置すればよさそうなもんだが、戦力の補充もままならないノーデンリヒト、守るにしてもそう簡単にはいかない。中央の陣からバリスタ戦車がギリギリと弦を引き絞って発射準備が完了したようだし、地上軍との連携でこそ威力を発揮するというのもあながち間違ってない。
しかしあのバリスタ戦車、バリスタを基礎ごと大型の荷車に乗せただけだ。荷車を押す二等国民たちは全員ノーデンリヒトに逃れたから、鎧を着た陸戦隊では体が重く、思ったように戦車を押すことができちゃいない。戦車なんて名ばかり、ひいき目に見ても移動バリスタ砲台だ。トーチカの中に隠れてさえいなければ脅威じゃない。
アリエルたち前線にいる者たちの頭上を飛び越え、砦の防護壁の向こう側を激しく空襲する竜騎兵たち。今のところ豆鉄砲のようなファイアボールを撃ってくるだけだから正直期待外れだ。いずれ奴らも空から爆破魔法を降らせるようになるだろう。そうなったら脅威どころの騒ぎじゃなくなるのだけれど。
地上では砦攻めの第一波の兵と第二波の兵が合流し、盾を鳴らし気勢を上げながら侵攻してくる。
梯子兵の数が多い。なるほど、そうこられたんじゃ数の勝負だ。イオやポリデウケス先生じゃ対応できないのだろう。
要塞に地上軍が迫り、空からは竜騎兵たちが我が物顔で攻撃を続けている戦場にどよめきが起こり、一瞬だけ兵たちの動きが止まった。
上空、太陽を遮って巨大な影が横切ったのだ。
真っ先に異変に気付いたのは竜騎兵、いや、竜騎兵を乗せて上空を舞うワイバーンたちだった。
怯え、パニックを起こし、我先にこの場から逃れようとするワイバーンたちに情け容赦ない威圧が放たれ、空中で気を失ってハラハラと落ちていく竜騎兵たち。
ワイバーンたちは背中に背負っていた重荷を振り落としてでも、この場から逃れようとするが……これほどの接近を許してしまった以上はもう、誰かが犠牲になっている間にたとえ1メートルでも遠くに逃れることしかできない。
ハイペリオン。天翔る白銀の王者がノーデンリヒトの守護についたのだ。これ以上、この小さな爬虫類の狼藉を許すことなどない。
仲間を犠牲にしながらも襲い来る牙を辛うじて避けることができた竜騎兵たちは、ドラゴンの背から放たれる正確無比な爆破魔法に曝され、ある者は直撃し、ある者は衝撃波で翼を折られ、次々と墜落してゆく。
サオだ。ハイペリオンの攻撃をかろうじて躱した竜騎兵たちを機械のような正確さで射撃する爆破魔法。たとえ直撃しなくとも近くで爆発するだけで落とされてゆくワイバーン。地面から矢を射ても、爆破魔法を撃ち込んでも、ことごとくがワイバーンの動体視力と運動能力に及ばず躱されてきた。だけど今はその動体視力と運動能力をもってしても、容易に逃れきれるものではない。ハイペリオンに追われ、牙を躱しながらその背から狙い澄ました様に放たれるサオの[爆裂]までしっかり見て避けることなど出来る訳がないのだから。
竜騎兵は自らを誉れ高く空の王者と称し、帝国軍の中でも最精鋭の地位にあった。
だがいまも空にあるこの白銀の『災厄』を前にして、空の王者などと……よく言ったものだ。
竜騎兵が竜騎兵たる証のワイバーンが逃げることもできず、ただ食われるだけの存在なのに。
先ほどまで我が物顔で空を蹂躙していた竜騎兵たちは、もはや捕食者に狙われる餌に過ぎなかった。
一騎、また一騎、まるでゆっくりと風に翻弄されるポプラの葉のように舞いながら落ちてゆく。
地上軍にしてみれば、今まさにエルフ女の目前まできて、いち早くこの女を戦利品にしようと思った矢先の出来事だった。上空での惨状を目の当たりにし、威圧されてすくみあがる。最初は太陽を背にしていたので良く見えなかった。だが、兵士たちが子どものころ絵本で見たっきりの『それ』は、確かに災厄として存在し、いままさに自分たちの頭上に降りかかろうとしている災いを防ぐ手立てなどありはしない。
「へえ、サオやるじゃない。私も負けてはいられないわ」
砦に取り付こうと襲い掛かる帝国兵たちに対し、突き立てた長剣を引き抜いて回転がてら一閃しただけ。
ゾフィーの攻撃はただそれだけだった。
景色がズレる。
空間がズレる。
刹那、帝国兵たちは胴から真紅の線が引かれたように見渡す限りすべての兵が血飛沫を上げ、ボロリと真っ二つに折れて地面を転がることとなった。
ゾフィーは敵を斬らない。肉も斬らない。そこにある空間そのものを切断する。
高位の時空魔法の前には防御も防具も、身を守るためのあらゆる手段が無意味だ。この世界の空間にあって座標を持つもの全ては時空を支配するゾフィーの手の内なのだから。
「うっわ、初めて見たけど、こりゃ追いつくの大変だわ……」
「姉さま、見えただけでもすごいと思うの」




