10-18 離反
アリエルたちは帝国の陣に戻り、もぬけのカラになってしまった寂しいテントで、外が明るくなるまでの短い時間だけでも眠っておくことにした。
グレイブはテントに戻ると、てくてくの闇魔法でぐっすりと幸せに眠らされているカレを叩き起こし、セイクリッドが戻らないその理由を説明した。グレイブはカレに自分は今後どうするかを伝え、カレはグレイブに同調して支度を整え、誰にも離反することを伝えず、ひそかに帝国軍から出奔した。
朝、まだ暗いうちから剣を振るロザリンドと目が合ったが、何も言わずに立ち去ったそうだ。
少し肌寒い空気の中、天幕の明かりを落として仮眠していたアリエルたちも、朝、空気を切り裂く音で目が覚めた。この音はロザリンドの素振りの音だ。昨夜、自分の剣がプロスペローに届かなかったことでその実力差を実感したのだろう。
とはいえ、そのプロスペローは何度も転生を繰り返す間ずっと剣士であり、その道を極めた達人中の達人。この世界では伝説に数えられる化け物じみた時空魔法剣士によくもまあ傷をつけたもんだと感心するのだけれど、でもその時空魔法剣士が敵だというのだから、プロスよりも強くなる以外の選択肢はない。
なんてことを考えつつハッキリしない頭のまま辺りを見渡すと、ゾフィーはぼ――っとしてて寝癖でボサボサの髪をバリバリと掻いていて、ジュノーはいつも早く起きていて、すでに身だしなみも完璧に整えている。
パシテーはいつものように毛布を巻き取って意地でももう少し寝る構えを崩さず簀巻きになっている。今まさに最前線にいてもアリエルたちはマイペース。
戦場に来ていても何ら変わらない、いつもの朝だ。
てくてくは昨夜の大規模魔法でかなり疲れたらしく、何年かぶりにアリエルのネストで沈んでいった。
「2~3日は眠るから起こさないでほしいのよ」なんて言ってたけど、パシテーが部屋を完成させたらゾフィーに叩き出されてしまう運命が確定してる。
昨夜のうちにサオにもネストを設置したのでハイペリオンは引っ越した。てくてくは巨大に成長した同居人をサオに押しつけて、やっと静かな寝床に戻った。
サオはアリエルに弟子入りしたばかりのころ、ハイペリオンの世話係をしていた。ハイペリオンからしてみると幼竜期からずっと世話してくれたのも、一緒に遊んでくれたのもサオだったからだろう、ハイペリオンは同然のようにサオのことを覚えていて、サオの前に出ると大喜びでサオにじゃれついて、いやサオじゃなければ軽く死んでしまうだろうほど愛情表現を見せた。普通のエルフならハイペリオンが甘噛みしただけで5回は死ねるのに、それを見事にあしらって見せるサオの技量と言うか、懐の深さと言うか。ハイペリオン的にはやっと自分の一番好きな主のところに帰ることができたということだろう。
サオは一旦テントまで来たが、まだ夜明け前だと言うのにハイペリオンと一緒にどこかに飛び去ってしまった。ハイペリオンと飛んだことがないから練習しておきたいのだとか。でもそれはきっと口実だろう、ハイペリオンがサオを乗せて飛びたかったのだ。
自らの意思で主と決めたエルフを乗せ、嬉々として飛び立ったハイペリオン。サオは世界の大きさと自らの小ささを目撃するのだろう。きっと。
さてと、今日はちょっと忙しいことになるかもしれない。アリエルはそんなことを考えながら身だしなみセットで歯を磨きながらぼーっとした頭を少しずつ覚醒させながら、ぼんやりと昨夜の出来事を頭の中で整理していた。
昨夜、プロスペローと会った。実に16年ぶりだった。
そして話した。次に会ったときはお互いに問答無用で殺し合うことになるのだろう。エリノメ・ベルセリウスの話を聞いて分かった事がある。
宿敵として血で血を洗う戦いを繰り広げてきた相手とイトコ同士という近しい血縁で生まれてきたことについてヘリオスは関係していない。むしろ転生してベルセリウス家に生まれたアリエルのほうがこの数奇な運命に割り込んだのだ。
ならば問題ない。ベルセリウス家に転生したのは偶然という事にしておけばいい。
だがしかし、アリエルが帝国を離反したとしてもノーデンリヒト陣営に入ることはできない。
アリエルは自分たちの立ち位置の複雑さに嘆息を漏らした。
さて、アリエルたちより後方に居ながら、ぐっすりと眠っていた帝国軍の兵士たちも、そろそろ目を覚ます者が出始めた。どうやら前線に近い陣に居た者たちはてくてくに近かった分、睡眠の魔法がよく効いていたが、てくてくから距離のあった後方の陣にいた者の中には運よく睡眠魔法をハーフレジストできた者が居て、朝メシの準備を誰もしていないことで騒ぎになり、順次叩き起こされているといったところか。
「ダメね、みんな寝てたみたいだから朝食の準備も何もできてないわ」
速い時間から身体を動かしていたロザリンドが食堂テントから戻ってくるなりガラガラガラ……と薪のような乾燥肉をテーブルの上に転がした。
……ジャーキーだ。
どうせ食わないんだから持ってこなくていいのに。
しかし朝食ができていないということは帝国軍としても朝っぱらから非常事態宣言発令である。白パンも焼けてないし、スープも今やっと材料を切ってるところらしい。いくらなんでもそれじゃあ作戦に支障が出るので、ストックされていた保存食のジャーキーが配られて、それをしゃぶって朝食の代わりにせよとのお達しなんだとか。
人数分のジャーキーをもらってきたロザリンドも心なしか寂しそうな顔をしている。そりゃあそうだ、もしこんなものが日本の食卓に出てきたら日本中の頑固オヤジたちが一斉にちゃぶ台を返し、食卓が宙を舞うに決まってる。街で買った物であれば乾燥させるときにちゃんと塩を使うので塩味がついているのと、あとうまい具合に臭みも取れているから、美味しくないまでも普通に食べられるのだけど、戦場の非常食は行軍しながら狩猟した肉を材料にして作っているので、ただ乾燥させただけだ。生の鹿肉を薄く切って、カラッカラに乾燥させた干し肉なんだから、口の中に広がる獣臭ささと、微かに残る生臭さが如何ともしがたく、日本育ちのお上品なアリエルたちの口には合わない。
これは一言でいうと、士気にかかわる重要な案件なんだけど、まあ帝国軍の士気なんか下がってくれたほうが都合がいい。だけどこれじゃあいくら何でも朝っぱらから残念過ぎる。
「白パン食べようか。パシテーが起きたら朝のスイーツかな」
ストレージから白パンを出して、みんなでこっそりテントの中で食べることにした。
他の兵士たちに見つかったら大変だ。
寝坊したパシテーが髪をとかしながら着替えた服の下にナイフベルトを装備しているところだが、朝食を食べる時間があればいいが……。緊張感のなさは特筆ものだ。
一方、帝国軍の本陣テントでは、セイクリッドのみならず、グレイブやカレが居なくなっていることでちょっとした騒ぎになっていて、あちこちセイクリッドたちを探す声が聞こえ始めた。
ランクス教官の声だ。
テントの中に入られてしまうと白パン食ってるのがバレる。アリエルはパンをよく噛まずに飲み込んでテントの外に出た。
「サガノどの! 実は筆頭勇者どののテントがもぬけの殻になっていて、探しておるのです。見かけませんでしたかな?」
「おはようランクス教官。セイクリッドさんたち? 知らないな。実はこっちも朝から見当たらないやつらがいてさ……」
白々しいというべきだろう。アリエルはランクスにアーヴァインたちが居なくなってしまった事を伝えた。
「なんと、それは一大事ですぞ……おや? エルフたちはどうなさいましたか? 見当たりませんが」
「あー、逃げられた」
「100人ぐらい居ませんでしたっけ?」
「88人な。全員、ひとりも残らず逃げられた。テントはもぬけの殻だよ」
「ではサオは!! 敵将のサオはどこに?」
「ここにはいないよ」
「な……なんと、それは責任を問われますぞ……。いや、サガノどのが先陣を切られるのですから、出てきたらまた倒して捕えればいいだけのこと。サオはノーデンリヒト軍の守りの要ですからな、出てこないわけにもいかないでしょう。逃げられたのならまた捕えればいいだけの話。勇者サガノどの、活躍を期待してますぞ」
ランクス教官が長めのジャーキーをかじりながら今更そんなことを言い出した。本当に今更だ。
アーヴァインたちのことで少し詰問されたが、信じられないことに目が覚めたら居なくなっていたということで、まったく疑われることがなかった。なにしろ勇者軍の助役たち、ランクスやイルベルムもみんな目が覚めたら勇者たちが居なくなっていたという状況は同じなのだからそれを咎めるなんてこと出来やしない。
「しかしながら、昨日の戦闘で敵の主力が敗北し出てきづらくなったことは確か。予定からはかなり遅れましたが30分後には総攻撃を行いますから急ぎ準備を。陸戦隊12000に竜騎兵20騎。トキワどのとサガノどのに加えて、かの騎士勇者さま5人が居れば十分すぎる戦力です。今日は戦闘前に降伏勧告をする予定です。こんな砦さっさと抜いてしまえばトライトニアは丸裸ですからな、アッサリと降伏するでしょう。さっさと帝国に凱旋しましょう。サガノどのは騎士の称号が約束されておりますからな。いやはや羨ましい」
イヤらしい目つきで馴れ馴れしく迫るランクスに、寒気がするほど気持ち悪いものを感じた。
甘く見すぎだランクス教官……。
資源や商権などの利権を狙った戦争なら早々に和平が模索されるのだろうけれど、大義名分はどうあれ、この戦に敗れると愛する女や家族たちが奪われてしまう。ノーデンリヒトの男たちに戦わず降伏するという選択肢はありえないんだ。最後の一人になっても戦うだろう。
「では、急いでくださいね。準備ができたら中央へ向かって一番前へどうぞ」
ランクスが去ったあと、アリエルはテントに戻って黒と白で真っ二つに分かれたパーカーを出して着替えた。今日はこれを戦闘服にする。ありふれた普段着だけど、魔導師なんだからローブとパーカーに大きな差はない。
ゾフィーは深紫の鎧下ピチピチタイツにロザリンドの普段着を合わせてそれなりのファッションだし、ジュノーは女性用の神官ローブをチュニック丈に切った物を着用。制服をミニスカートに改造する女学生さながらである。ロザリンドは前世で着ていた黒皮に赤いアクセントのバトルスーツをチョイスしたが、ちょっと胸が痩せたらしい(人族になって胸が小さくなった)のと、腰回りがキツ目になってしまった事を気にしているようだ。
「ねえロザリン、胸がきついわ。あとこのスカート、腰がぶかぶかでクルクル回っちゃうのよね」
ロザリンドにもらったシャツをうまく着こなせず、だらしなく胸の第3ボタンまではだけさせたゾフィーの言葉がこれである。ロザリンドの胸にグサッと刺さった。
「ねえジュノー、あの人本当に悪意ないの? これ新手の嫁イビリよね? 私何か嫌われるようなことしたかな?」
「心配しなくていいわよ。ゾフィーはそんなことに頓着しないの。自分と比べてあなたの腰周りが太いだなんて考えもしない。あなたよりもガサツなの。そっち方面の気遣いをしてほしいと思っているなら、早めに諦めたほうがいいわね」
女たちはみんな準備完了したようだ。
アリエルは声を張り上げるでもなく、朝の低めのテンションのまま号令をかける。
「よっしゃ、ぼちぼち行こうか」
アリエルたちはランクスに言われた通り、最前列に立った。昨日の余興でサナトスを破ったロザリンドと、サオを倒したアリエルの姿が見えると歓声が上がった。だが今日はもうそんなことにはならない。
アリエルたちのローテンションとは対照的に帝国兵たちは徐々にヒートアップし始めた。控えてる兵のうち、まずは4000ほどの兵がウォーミングアップしながら陣を組んでいて、今にも突撃しそうな勢いで気勢を上げ、号令を待っている。
そのすぐ後ろでも兵が準備運動を始めているし、後方でも4000ほどの集団が集まり始めている。12000を3つに分けて波状攻撃でもしかけるつもりなのだろうか。
大声で指示しているのはランクス教官だ。
アリエルがここに連れてきたエルフの娘たち88人も昨夜忽然と消えたと言った。ランクスがそのことを誰かに漏らしたのだろう、逃げたエルフたちがノーデンリヒトに向かったことぐらいアホでも分かる。問題は、アリエルの所有物とされてきたエルフたちは所有者の焼き印を押されていないということ、つまり、アリエルの手から離れたエルフはもう誰のものでもない。捕まえた者が所有するのがここのルールなのだ。朝っぱらからジャーキーしか食ってないくせに妙にやる気レベル3倍ぐらい出して気勢を上げる兵士たちの腹の中は読めた。
オッサンどもが1万人以上も、こんな女っ気のない北の端っこまで来て、あの門の向こう側には、法に守られていない若い女がいっぱい居て、金魚すくいの『すくいどり』よろしく、捕まえた女みんな自分の物になるという特典がついてるのだから、やる気を出さないわけがない。……今日の戦いは勝ってあの門を抜いて略奪の限りを尽くそうと思ってるんだろう。我先に、誰よりも前に出たいという気持ちも分からんでもない。
だけど『すくいどり』のポイは値段が高いくせに、薄くて繊細で、そして破れやすい。
何事にも落とし穴があるってことを忘れちゃいけない。
いつもはちゃんと歩調を合わせて進軍するところ、今日は逸る気持ちを抑えられない帝国兵たち。なんだか追われる格好になって早足で進むアリエルたちのすぐ後ろには不機嫌そうに雁首揃えた5人の騎士勇者が続き、ハルゼルがジュノーを警護しながらの進軍だ。ムカつく野郎だが、弟王の命令でジュノーを守るというその意志だけは本物と見た。まあ吹き矢とか、そういう飛び道具に警戒しておけば大丈夫だろう。いつも通りに防御魔法を張っておけばいい。
後に続く4000の帝国兵の先頭行くアリエルたちは、頃合いを見計らって[スケイト]で急加速し。少し先行してから振り返ると、ノーデンリヒト要塞を背にして大声を張り上げた。
「止まれ! ストップだ。前進をやめろ帝国兵!」
真っ先に対応したのは騎士勇者たち5人で、アリエルが振り返って声を張り上げたときにはもう剣を抜いて構えていた。この対応の早さには不信感しかない。アリエルたちが裏切ることも当然考えていましたよとでも言いたげだ。
だがしかし同じく最前線を歩いていたランクスとイルベルムは驚愕の表情を浮かべている。
どうやらアリエルたちの行動は予想だにしなかったようだ。
「なっ? なにを……」
「スケベ面が張り切るとロクなことにはならないんですよ。ランクス教官、俺たち4人、只今をもって帝国軍を離反します。イルベルムさん、お世話になりました。戻ったら逢坂先生たちによろしくお伝えください」
現状の戦力としてあてにしていた勇者がドタキャンよろしく手のひらを返したもんだから指揮していたランクスの顔ったらもう口あんぐりだわ指揮棒みたいな杖は落とすわで相当なショックだったのだろう。たぶんこのまま帝国に帰ったら降格人事が待っている。少し気の毒ではあるけれど、せっかく自由を得たエルフたちを我が物にしようなんてスケベ心、お天道様が見逃してやったとしてもアリエルは許さない。
ランクスとイルベルムの驚愕とは裏腹に離反宣言を傍らで聞いていたハルゼルはあらかじめ予定されていたことが滞りなく行われているかのように別段驚いたようでもなく、ただ、少し呆れたような口調で言った。
「ふむ。勇者サガノ……お前はどうでもいい、だが治癒師のヒイラギは置いて行け」
「はいそうですか、じゃあ置いていきます……なんて言うとでも思ってんの? もしかして」
ここまで話したところで背後のノーデンリヒト要塞から鎖の巻き上がる音が響き渡り、重そうな門が持ち上がると中からゾロゾロといっぱい出てきた。知った顔がソロゾロと……。イオやロザリンドの姉さん、べリンダまで。それもタイミングばっちりだ。あらかじめアリエルたちがノーデンリヒト軍と通じていたかのようにも見えたが、そんな事実はない。
かつての仲間たちのスタがを確認するアリエルの目に、ちょっと信じられない人物が映った。
「あれ? あれはコーディリア? なんでコーディリアが出てくんの? エルフだし! 見た目だけはかなり上等だから敵がやる気出しちゃうよ? ……うっわ、シャルナクさんまで」
まさかシャルナク・ベルセリウス本人が前線に出てくるなんて考えてなかった。いや、おっかない女が横についてるから大丈夫だ、騎士勇者が束になってかかってもイシターの守りを抜くことは出来ないだろう。おっと、昨日亡命したばかりの韮崎や浅井、アーヴァインも出てきている。さながら全員集合だ。
「てか、みんな出てきてるってのに、なんで熊野郎が出てこないんだ?」
「ダフニス? 朝まで飲んでたんじゃないの? あのアホ熊ちっとも変わんないわね」
役に立たない熊はいいとして……。
「シャルナクさん、こんなとこに出てきちゃ危ないってば」
「ベルセリウス家の男は家族を絶対に見捨てたりしない。キミだって命を落としたにもかかわず、転生してまで家族の危機に駆け付けたじゃあないか。姿は変わってしまったが、キミは間違いなくベルセリウスの嫡男だよアリエルくん」




