10-16 ポリデウケスの言葉/べリンダの悲しみ
変なところでぶった切れちゃってて、後半はべリンダの話になっちゃってます。
「人が人に跪くなどあまり愉快な気持ちにはなりませんのでやめてくださると助かります。あと、その話し方も。私はあなたの教え子の妻。それ以上でもそれ以下でもありません。それなりの対応を望みます。それと、うちの夫にどのような期待をされているのでしょうか」
「あ、はい。えと、普通に話せと言われても……。徐々に慣れるということで構わんでしょうか?」
「ええ、もちろん」
「で、では、私はアリエルを、えっと前世? の10歳の頃から知っています。中等部で少し教えていたこともある。このアリエルという男は、面倒くさがり屋で、たったひとりで国を相手に戦える力を持ちながらも、この国の現状を変えようとはしなかった。だけど目の前で行われる非道や、危機に瀕する仲間を助けるためになら率先してその力を振るっていたのを私は知っています。アリエルの力は、常に弱きもの、奪われるものたちを守るために振るわれてきた。……ならば、目の当たりにしないと動けないなら見てもらいます。弱きものが人生を奪われている現場に連れていって、その場でどうするのかを決めていただきます。アリエルは皆で頭を下げて頼み込んでも人を殺すとなると首を縦に振るような奴じゃない。だから! 見てもらいたいだけです。それがきっと、子どもたちの未来に繋がると信じている」
「……なあ先生、俺は破壊神と言われたり、死神と言われたり。つい最近じゃあ帝国では大悪魔なんて呼ばれてたりするんだぜ? 教会ではまだ大罪人だろ? そんな大悪人に何を期待するんだ?」
「ああ、お前は俺の教え子だ。性格も傾向も知ってるさ。どこかよその世界に行くなら、ここを素通りするじゃなく、まずこの世界を救ってからにしろ。お前が悪魔と呼ばれるなら私も小悪魔と呼ばれるぐらいにはなってやるさ」
「小悪魔ってのは可愛らしい悪女の事を言うんだ。先生は一生かけても小悪魔になれないって……」
「じゃあお前が大悪人なら俺は小悪人でいいだろ?」
「一気に小物感が増したよ先生……」
「アリエル、お前にはこの世界を……」
「見てきたよ。あちこち旅をして回ってりゃイヤでも目に入る。俺が連れてきたあの子たち、もうみんな村を焼かれてしまって帰るところもないし、家族ももういないんだ。あの子たちはもう十分すぎるほど地獄を見てきたんだよ。……でもさ先生、プロスも言ってたろ? 俺にできるのは、壊すことと、殺すことだけだ。世界を滅ぼすことはできても、世界を救うなんてこと、俺には無理だよ」
「見てきたんだなアリエル。お前のその目で」
「ああ、見てきたさ。この目で」
「じゃあアリエル、教えてくれ。私は何をすればいい? 生まれ来る子どもたちのために、私は何をすればいい? どうすれば明るい未来を残してやれる?」
ポリデウケス先生の後ろにいるサナトスと目が合った。レダは小さな肩でミツキの震える肩を抱いている。パシテーは鼻歌を歌っているかのように上機嫌だし、ロザリンドはこっちを見て、少し口角を上げてニヤリと笑って見せた。
ロザリンドもパシテーも、きっとポリデウケス先生と同じ気持ちなんだろう。
「……分かった。先生はここから打って出る兵を組織して。朝になったら外にいる帝国軍には帰ってもらうから。そうだな、明日にはマローニから帝国軍と王国軍に出て行ってもらおう。セカもすぐに取り戻すよ」
「まてまて、一般兵たちにとってマローニは遠い。20日はゆうにかかる」
アリエルが送る視線の先に居るのはゾフィーがいて、ゾフィーのほうもアリエルが何を言わんとしているのかを察してポリデウケスの話に続いた。
「何人ぐらい送ればいいの? 転移魔法陣の規模にもよるけど、まあ頑張って作るわ」
「ありがとうゾフィー。というわけで先生、明日には転移魔法陣が設置されるらしいから、兵の組織は頼んだよ」
「て、転移だと……」
それからはもう帰りたいと言ってるのにダフニスに捕まってしまって、カルメ、テレスト、ポリデウケスたちと大騒ぎになってしまった。
ベルゲルミルはポリデウケスと組んでジュノー先輩に親衛隊を結成するとか高らかに宣言したが、ジュノーが直々に「暑苦しいのは嫌です」とキッパリお断りしたので親衛隊の話は5秒で立ち消えになった。
このまま続けると酒が運ばれてきて下卑た笑いと下ネタが中心になること必至なので、女たちが絡まれる前に退散したい。隙を見て脱出せねば。
サナトスの後方で椅子に深く腰掛けて、ずっとロザリンドに物憂げな視線を送っていた双角の女戦士は、何も言わずに立ち上がり、ロザリンドの合わせようとする視線に応えることなく、扉を開け、振り返ることなく部屋を出て行った。
----
魔人族の戦士、ベリンダ・アルデールはロザリンドより3つ年上の、同じ母から生まれた実の姉。
男のように立派な角と、美しい真紅の瞳を持つ妹のことが自慢だった。
妹が長い間行方不明になって死亡説が囁かれ始めても、あのお転婆ロザリンドが死ぬわけがない。そう信じていた。
子どものころ、初めて木剣を持ったばかりの、まだ5歳だったロザリンドに圧倒された時の事。
「ロザリィは鉄でできてるから強いんだ」
ベリンダは3つも離れた妹に手も足も出なかったことに言い訳しなくてはプライドが保てなかったのだろう。今思えば酷い言い訳だった。でも同時に『鉄のロザリンド』はベリンダの自慢になった。ベリンダにとって弟が王になったことよりも、大きく、強く、誰よりも美しい妹を自慢していたのに。
ロザリンドを殺すことなんか誰にもできない。必ずどこかで生きている。
そう信じていたのに、妹は16年前、すでに死んでいたのだという。
絶対に信じたくなかった妹の死を……確信してしまったのだ。
あそこに立っている大きな人族の女は、行方の分からなくなった妹に間違いないのだろう。
見えない剣筋はもとより、あの女から醸し出される重厚な殺気と、剣はそこにあるべきとでも言いたげに収まりのいい姿からにじみ出る、その佇まいはロザリィそのものだ。
姉であるベリンダが見て、疑いようもなくロザリィなのだから。
妹は死んだのだ。あそこにいるのは別人……。
抱き合って再会を喜ぶことなんてできない。おおかたあそこにいる二柱の女神の慈悲を受けたのだろう。なんらかの奇跡が起こって、妹は再び命を受けてここに立っている。
そう、自慢だった妹は、生まれ変わって他人になってしまった。
アイガイオン・アルデールの娘、ロザリンド・ルビスは戦いの中で命を落とし、一族の象徴たる二本の角と、ルビスの証たるスカーレットを失ってなお蘇り、戦神ゾフィー、女神ジュノーとともにノーデンリヒトの地に降り立ち、一族の危機を救う……か。
「あなた男どもが好きそうな神話になってしまったわよ、ロザリィ」
つぶやき、滲み出る涙を袖で拭うべリンダ。
自慢の妹が死んだなどと……、知りたくはなかった。
今日の作戦会議室での出来事、目に焼き付けたあの女の姿を思い浮かべる。
はあっ……大きなため息ひとつ。
夜空を見上げると満天の星。
ベリンダは深く息を吸い込むと、唇に少し微笑みをにじませた。
「相変わらず、幸せそうだったなぁ……ロザリィ。」
ベリンダの心の中は、寂しさが半分。そして、ほっとしたのが半分になった。
少しだけ暖かくなった心を宿舎に持ち帰る。
「母さんになんて言おう。ロザリィの死が素敵な話になってしまうなんて、母さんもきっと戸惑うわ」




