10-15 ソスピタ
跪くポリデウケスの言葉。
それは空気を読むことが苦手なダフニスでさえも言葉を失うほど真剣な空気と共に発せられた。
「まずは名乗りなさい。そして面を上げて。私はソスピタを捨てた身です。あなたに跪かれるような身分ではありませんから」
「アデル・ポリデウケス。ソスピタの末裔にございます。ジュノーさまがソスピタを捨てられたのだとしても、ソスピタの民はジュノーさまを捨てるようなことはありません。おかえりなさいませ」
「赤髪の熱血教師の噂はかねがね。……夫がとてもお世話になったと聞いております。……? ソスピタの民? もしかしてまだ血筋が残っているのですか?」
「はい、アシュガルド帝国に残って現在も政に携わる者がおると聞きますが、わがポリデウケス家は遠く西の地、フェイスロンドの西の果て、エルダー大森林に囲まれた最果てまで逃れて、世界を襲った大災厄を生き延びました。今ではエルフたちとともに平和に暮らしているはずですが……私も故郷には長く帰っておりません故、今この混迷の時代にどうなっているかまでは……」
ジュノーはまだここの地理に明るくない。アリエルにも話に加わってほしいのだろう、助けを求めるような視線を送った。
「このまえ行ったろ? フェアルの村があったところ。あそこがエルダー大森林。日本が2つぐらいスッポリ入ってしまうほど広いから数年ぐらいじゃ探索できやしないだろうけど……先生、そこは? エルダーのどのあたり?」
「エルダー森林に寄り添うマローニの半分ぐらいの規模の町なんだ。外から行き来する隊商の定期便もあるし、詳細な地図になら載ってる。ジェミナル河近く、サマセットという……」
「サマセット!? 先生、サマセットと言ったか?」
「ああ、サマセットはソスピタの民が暮らす隠れ里なんだが……知ってるのか?」
「名前だよ先生。その町をサマセットと名付けたのは誰?」
「伝説の魔女アスティがソスピタの民を率いてエルダーの近くまで逃れてきたと言い伝えられてるが……」
「アスティは無事に逃れていたのか! 先生もうひとつ教えてくれ。アスティは家族を連れていたか? 夫は? 子どもたちは?」
「あ、ああ、どうしたんだアリエル……、初代村長がアスティの夫だと言われているが遥か古代の話だからな……、すまん名前までは覚えてない」
アリエルは震える手を抑えきれない。まさか、まさか、滅亡したと思っていたアマルテア人がアスティと共にフェイスロンドに逃れていたとは……思いもしなかった。
「アスティの夫はアマルテア王家から分家したサマセット市長の息子フェラールだ。俺とは遠い親戚にあたる。……デナリィだよジュノー、デナリィ族の末裔が生きているかもしれない」
「奇遇ね、私もいまソスピタ王家、分家筋の末裔を見たところなの。ここを片付けたら次はサマセットに行ってみる?」
「行くよ! 行くにきまってる。いいだろゾフィー」
「もちろん」
「ではこのアデル・ポリデウケスも同行を希望する。アリエル? でいいのか? 何度も何度も若返った挙句、パシテー先生だけじゃ飽き足らず、ジュノーさままで娶るとは、お前にはグラウンド5万周ぐらいの罰を与えないと個人的に気が済まないところだが……それと引き換えで先生からのお願いだ? いいだろ?」
「グラウンド5万周とか酷いよ先生……えと、セカからサマセットまでの距離は?」
「セカからフェイスロンド領都グランネルジュまで約500キロ。そこからさらに西、人族の支配の及ぶ最西端ネーベルの街まで500キロ。ネーベルからさらに西北西に向かいジェミナル河沿いに約1000キロほどいくと俺の故郷、サマセットだ。案内が必要だと思うぜ? なんせあの辺はなんもないからな。ノーデンリヒトからだと3か月は余裕でかかる距離だ」
確かに……そういえばあれはハイペリオンの卵が孵ったときだ。たしかフェイスロンド西部のだたっぴろいとしか言いようのない原野でプチ遭難してしまったのを思い出した。あの土地はマジでやばい。正確な案内のできる者が同行しないと本気で遭難してしまう。でも3か月もかける時間はない。
「じゃあ明日外にいる帝国軍にはお帰りいただいて、次の日にはマローニを取り戻してくるからパシテーはネスト部屋つくっといて。家具に装飾とかいらないからさ、納期優先で」
「ん。わかったの」
「先生、セカに居たボトランジュ軍はフェイスロンドのほうに撤退したらしいけど心当たりない?」
「ん? セカの軍がフェイスロンドへ逃れている? それは本当か? なら少し心当たりはあるが……確実とは言えないぞ? 同行させてくれるなら案内するが?」
変わらないな先生も。故郷が心配ならそう言えばいいのに……。
「だーっ、わかったよ。でも先生、深酒はだめだよ。酒癖が悪いのはみんな知ってるんだからさ」
「わかった。戦時は1日2杯までと約束しよう」
すぐ横で事の推移を見守っていたベルゲルミルのハゲが、先生の1日2杯宣言を聞いてツッコんだ。
「ガハハハ、アデルおまえそれいつもの節制じゃねえか。その半分に減らさねえとな」
「マジか!じゃあ1日1杯まで。これいじょうまからないからな」
「くっそ、裏切ったなベルゲルミル」
「ばっか野郎アデルてめえ、よくも柊先輩と同じ一族だなんてホラふきやがって羨ましいじゃねえか」
「真実なんだから仕方ないだろ?」
ダフニスがアリエルの肩に腕を回し、軽くヘッドロックする形でどこかに連行してそのまま酒でも飲み明かすのかと思われたそのとき、どうせアリエルはもう今夜は帰ってこないだろうなと思ったジュノーがポリデウケスに酒が入る前にはっきりさせておきたいことを問うてみた。
「ところでポリデウケスさん、私と一緒に帰郷して何をするつもりですか? 私を担ぎ上げても何もいいことありませんよ? 私が女神だなんて教会がでっち上げた嘘ですし、どっちかというと私はリリスという名のほうが通ってるんだけど」
「はい。ポリデウケス家、ゲーリング家はソスピタの再興を念願としていた事もあったそうです。しかし、もうそんなことはどうでもいいのです。私たちソスピタの末裔はサマセットで土着のエルフたちと共に暮らすうちに少しずつ血は薄まって、私がサマセットを飛び出したときはもう、ソスピタ王家の証である赤髪をもって生まれてくる者も数名になっていました。血族としてのソスピタ王家はもう失われてしまったのかもしれません。だからジュノーさまを担ぎ上げてどうにかしようなどとは、これっぽっちも考えていないのです」
「ならば私に跪くような価値などありませんよね?」
「いえこれは王族に対する礼儀ですから欠かすことはできません。よせとおっしゃるならばよします。そして私が期待するのはあなたの夫、アリエルです」




