10-14 アリエルは口ばっかり
「くっ……」
プロスペローは唇を噛み締め、血が滲んだように見えた。
父シャルナクに知られたくなかったことを暴露され、この場に居られなくなった。殺せといったのにそれを断られた挙句のことだ。
「……殺さないのなら……、行っていいか?」
「いいけどさ、また背中からブス――ッて来るなら、いま殺しておきたいとは思うぜ?」
「いや、アシュタロス……お前は正面から斬る。次会った時が……決着だ」
「ダメよ、あなたの相手は私。次と言わず今でも構わないわよ」
アリエルは挑発するゾフィーを制止しながらも去ろうとするプロスペローに行っておかなきゃいけないことがあった。
「んー、今更だけどな、俺はお前らにアシュタロスと名乗ったことはただの一度もない。むかーし転生したときその名をつけてもらったことがあるだけだ。あと、ヤクシニーもそうだからな。リリスはジュノーの偽名だったけど、いまはジュノーだ。いいか、俺の名はアリエル。そして、ゾフィーにジュノーだ。次また間違えたら今後お前をセクロスと呼んでやる。歴史にはセクロスで名を残すことになるからな」
プロスペローは返事をすることはなかったが、否定することもなかった。
「そっちのステルス……ルナと言ったな。お前はそっち側につくんだな?」
プロスペローは真沙希に敵なのか味方なのか、はっきりさせろと言った。それを受けて仮面をそっと外した真沙希。
勇者サガノと見比べて遺伝子の存在を確信するほどよく似た兄妹の姿、それは見間違うことのない嵯峨野真沙希その人、12歳(中一)だった。
「その名は捨てたの。私は謎の女ですからね、名を名乗る気はないわ」
「誰が見ても妹よね」
「うん、笑っちゃうぐらい兄さまにそっくりなの」
「そうね、名乗る必要なんてないわね。同じ顔してるもん」
「まあ、こいつは俺の妹で、俺たちの戦いには関係ない、えっとクロノス?」
「プロスペローだ。アシュタロスではなくアリエルを名乗るならお前も俺をクロノスとは呼ぶな。俺はプロスペロー。プロスペロー・ベルセリウスだ」
それだけ言うとプロスペローはフッと消えた。音もなく。
「あ、飛んだ。どこに飛んだ?」
「えーっと、たぶんソスピタの南東……かなあ。今ならトレースできるわよ? 追っかけて殺す?」
「ソスピタはとっくに滅びたわ。いまはアシュガルドよ」
ゾフィーがアンチマジックのフィールドを解除してプロスが飛んだ次の瞬間には、真沙希は姿も気配もなにもなくなっていた。真沙希は着替えもなしにセーラー服でこんな世界に飛び出して大丈夫なのだろうか……心配だ。あとで真沙希を探す方法でも考えなきゃ……。
「あれ? イシター? お前なんで残ってんの? プロスと一緒に行かなくていいのか?」
「私は……シャルナクの妻です。人として生き、人として死ぬのが望みです。私の身勝手を許せないならどうぞ一思いに殺してください。あなた方ほどの力があれば容易いでしょう」
「イシター、俺はお前を許さないよ。今日、本当はプロスも、そしてお前も殺すつもりだったんだ。ゾフィーを奪われた恨みがあるからな。……なあ、何万年もの間、生きたまま苦しみを与え続けるって、どうすればそんな酷いことができる?」
イシターは少し俯き気味になったが、力のない目でアリエルを睨みつけたまま胸を張って答えた。
「あの時は……それが正しいことだと思った。弁明はありません」
「ゾフィーは俺のもとに戻ったからね。恨みはあるけどさ、もういいよ、お前ら見てたら殺す気が失せた。お前らも死ぬほど苦しんでいるようだしな。俺はそれを見て楽しむとするよ。思う存分泣いて苦しめばいい。……あ、それとな、人として生き、人として死ぬのが望みなら、人の心で物事を考えるようになればいいと思うよ」
アリエルをじっと見つめるイシターの視線。次の言葉を待っている。
こう見えてこの女、怒らせたらジュノーといい勝負のブチキレ女。ムチャクチャ怖いんだけど、どういう訳かいまはしおらしい。消沈して力のない目を見ているとあまり厳しいことを言ってやるのも気の毒になってきた。
「お前もただの人を愛してしまったのだろう? なら、たった一度の人生をいとも簡単に奪われてゆく人たちの側に立って、いま自分に何ができるかを考えたらいいと思うよ。ヘリオスなんかの言いなりになるよりもそっちのほうが絶対にいい。引きこもってないでさ……。俺からはそれだけだよ、イシター」
アリエルはそういって話を締めくくろうとしたせいかジュノーは少し不満そうな顔を見せた。
だけどゾフィーはいつものようにニコニコと優しい微笑みをたたえている。
「ゾフィーすまん。やっぱプロスもイシターも殺せなかったわ俺」
「そうね、あなたはいつも殺す殺すって口ばっかり。……でもね、私はそんなあなたが好きよ」
「なによまったく、私の身にもなってほしいわ」
ジュノーは不満そうだった。
だいたいいつも真っ先に背後を狙われるのはジュノーなのだからジュノーとしてはここでプロスを倒しておいてほしかったのだろう。
「シャルナクさん、申し訳ない。プロスとは戦う事になった。つまり俺はベルセリウスとは敵対することになる」
「……いや、あの、アリエルくん? 本当にアリエルくんなのか? いやしかし、敵対などとは」
「いえ、アリエル・ベルセリウスは死にましたよ。他ならぬ俺が言うんだから間違いないです。クロノスはクロノスという歴史上の英雄の名を捨ててもプロスペロー・ベルセリウスと名乗りましたからね、俺が殺されたことはもうどうだっていいけど、俺は目の前で妻を殺されましたから、敵対しないわけにはいきません。たぶんこれはもう宿命なんじゃないか? とまで思いますよ」
「いや、だからと言って」
「シャルナクさん、プロスはね、あの状況で、自分はプロスペロー・ベルセリウスだと言ったんですよ。プロス自身が『あなた達の息子だ』と言いたかったのです」
シャルナクはその言葉を聞いて、もう何も言えなかった。
イシターの目に涙が溢れ、ポトリポトリとこぼれ始めた。だけど目の前にいる宿敵たちに涙を見せたくはないのだろう、シャルナクの背に顔を預けて涙を隠そうとしている。その小さな背が嗚咽に震えているのに。
「ノーデンリヒトと敵対する気はないからね。でも、サオとてくてくは連れていきますよ、二人とも俺の女なんで。なあ、一緒に行こう! サオもてくてくも、ほら」
その言葉を聞いてハッと顔をあげたサオ。その言葉を16年間ずっと待ち続けていた。サオは後先のことを全く考えず、まずは力いっぱいのダッシュ力をもってアリエルの胸に飛び込む。
『一緒に』ただその言葉が欲しかった。
―― ガッツン! ……☆
サオが手加減なしの全力で飛び込んだものだからもう頭ゴッツンがクリティカルヒットして目から星が飛び散って頭がクラクラするほどのダメージを負ったアリエル。
不意打ちではあったが、サオが飛び込んできたのに強固な防御魔法を緩めないとサオがケガをしてしまう。いつもの甘々なアリエルだ。
「サオ……爆破魔法よりも効いたってば……」
てくてくの方は落ちついて皆に別れの挨拶をしているようだ。アリエルは身構えて損したところだ。
サオじゃなく てくてくのほうが飛び込んできてサブミッションの泥沼に引きずり込むという未来を想像してたんだが。
「あー、そうだ。忘れるトコだった。サナトスー、ちょっとこい」
自分より若く華奢な男が父親だと言われてもいまいちピンとこないサナトスは、馴れ馴れしく呼ばれて足取りは重いけれど、それでもすぐに人垣をかき分けて前に出てくるなんて可愛いところを見せた。
アリエルもロザリンドも機嫌がよくなった。
「んっ。おまえのクソオヤジからの預かりモンだ。お前のカアチャンが監修した業物その2だぞ。見ての通りの日本刀で『北斗』という。ロザリンドの剣と同じものだ。まあ、昼に見た限りじゃまだまだ使いこなせないだろうが……まあアーヴァインにでも習えば、そのうち使えるようになるだろ。なんせお前のカアチャンは怖えからな、ちゃんと手入れしろよ」
「ん。知ってる。さっきも全く見えなかった」
「んー、まだまだだな、あれは2回斬ってるんだぜ?」
「3回よ」
サナトスは16年ぶりの親子の対面で、父アリエルと目を合わせて苦笑する。
「いや、3回はないだろ、なあサナトス」
「ああ、いくらなんでもそれは……」
「ん? 試してみる?」
「……いや、試さないよ」
「お、俺も、痛いのヤだし」
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「さあてと、腹も減ったし帰るか? ……レダ、サナトスをよろしくな。フェアルの村は……残念だった。なんだっけか、お世話になった人へ、お返しと仕返しは絶対に忘れちゃいけないんだったよな。兄ちゃんに任せとけ。平和に暮らすエルフの村が襲われるなんてことはもう二度とない。約束するよ」
いい頃合いだし、ベルセリウス家と敵対する事になってしまったので早々にお暇することにしたのだが、3メートル近くある熊野郎が出口を塞いだ。
「おいおい、待てよ兄弟! 若返るなんてズルいぜ」
「誰が兄弟だ、ぬいぐるみ野郎」
「がはは、久しぶりに会ったってのにツレねえなオイ。飯ぐらい食ってけや」
「おまえと飯くったら酒飲まされて朝帰りになってジュノーが不機嫌になるからヤダ……」
と熊野郎を軽くいなし、出てゆこうとするアリエルの進行方向ににしゃがみ込んでいる男がみえた。ポリデウケス先生だ。
「あれ? どうしたの先生、大丈夫か?」
うずくまっているように見えたから具合でも悪いのかと思ったけれど、どうやらうずくまっているのではなく、ジュノーの前に跪いている。
ポリデウケスは片膝をついたまま視線を上げず、地面を見据えたまま神妙な面持ちでジュノーに言った。
「ジュノー・カーリナさまとお見受けしました」




