01-26 それでも戦いは続く★
20170724 改訂
2021 0724 手直し
2024 0206 手直し
一方、敗退したノーデンリヒト北の砦の守備隊、正確には『ノーデンリヒト北魔防砦守備隊』だった兵士たちは戦闘前200名ほどいたが80名程に数を減らしながらも、アリエルの参戦にも助けられ、なんとか撤退することができた。
トリトンの想定より敵が強力だったこともあり、実に半数以上の兵を失った上に砦を奪われてしまった。命があっただけ良かったと喜ぶ声もあるが、この敗北はノーデンリヒト領が始まってわずか10年で領地を奪われてしまったことを意味する。
つまり国王より賜った領地を奪われたトリトン・ベルセリウスは領主として、実質的に失職したも同然なのである。つまり領地を失い没落した貴族である。
敗戦し撤退してきた兵士たちは、もぬけのカラになったトライトニアの村を素通りし、そのまま南下する。いずれ必ず侵攻のある村を守りたいのはやまやまだが、トライトニアは平地にあり、とても攻めやすい地形にある。トリトンたちはノーデンリヒトとボトランジュを分ける境界線上の峠にある、古く名もない小さな関所に陣を敷き、トリトンはノーデンリヒトを取り戻すためここに亡命政府のようなものを設置するのだそうだ。
負けたんだからとっとと逃げかえればいいものを、事はそう簡単ではない。
ノーデンリヒト領は、シェダール王国が勝利し、併合した王国の領土であり、ノーデンリヒト領主として認められたトリトン・ベルセリウスは、たとえ敵が攻めてきて領地を奪われてしまったとしても、それを奪還する義務がある。それこそ、命を懸けて、一生かけてでも、戦って争って、殺して殺されても、それでも奪われたノーデンリヒトをまた自分たちの手に取り戻すべく、戦いを続けていくのだという。
今夜は生存者の無事を祝した細やかな宴と亡命政府の決起集会をするらしいけど、今日はマローニからすっ飛ばして戦闘したりといろいろと疲れたし、明日にはマローニに戻らないといけないので今夜はゆっくりと体を休めなければならない。
今でも腕の骨の芯に残った敵を斬り裂く手応えや、獣人たちの断末魔の叫び声、そして自分に向けられる本気で殺しにかかってくる狂気を含んだ眼光……。目を閉じずとも瞼に焼き付いて、脳裏から離れない。
アリエルは真っ暗になった関所の端っこに立ってる木の根元に座り込んでもたれかかり、ぼーっとしながら、峠を吹き抜けて行く風に吹かれて、物思いに耽っている。返り血に固まった髪も服もそのままに、ただ手は細かく振動するような、身体の芯から来るような震えが止まらず落ち着かなかったのだが……。
さてと。ダラダラしてても始まらない。アリエルは動きたくないという欲求を振り払い、とにかく沈んでしまった気分を紛らわすため、重い腰を上げて身体を動かすことにした、関所の端っこに露天風呂でも作ってやることにする。
みんな風呂ぐらい入れてやらないと汗と血と泥にまみれて酷い臭いだ。どうせこんな峠の関所には着替えの服もないんだから、きっと明日早々にトライトニアまでこっそり生活必需品を取りに戻ることになるのだろうけど。
そうだ、このバリバリに固着した血糊だけでも洗い流せるように洗濯場も作らないといけない。
グレアノット師匠に叩き込まれた土木工事の魔法で風呂の工事を始める。避難民たちのために毎日シャワーを作っていたので防水の施工は慣れたものだ。
アリエルが無心になって風呂場を作っている間、トリトンとガラテアさんは今後のことについて話していた。どうやらここに留まって教会に救援を要請し、神殿騎士の助力を頼んでまた砦を奪還するつもりらしい。そんなことを話し合うトリトンを横目に見ながら、アリエルは呆れ顔で考えていた。
こんなことを永遠に続ける気なのか。
母さんのもとに戻ってやる気なんてこれっぽっちもないんだな。
はあ……なんだか考えすぎて疲れた。
これは答えが出ない迷路のようなものだから、考えるのをやめよう。
……となるのも自然なことなのかもしれない。
領地を失い、地位も失ったトリトンにかけてやる言葉など思い浮かぶはずもなく、アリエルは心ここにあらずとばかり、考え事をしながら作った割には、正確な風呂ができあがった。
「みんなー、風呂を作るから完成したら順番に入ってね」
―― おお――っ!
なんか今日初めていい掛け声を聞いた。次は洗濯場を作ると言ったら、何人かは整地から手伝ってくれるらしい。
ノーデンリヒト守備隊はやっぱこうじゃないとね……。やっぱこうじゃないと……。
エーギルの強さに恐怖して一歩も動けなくなっていた自分を助けるため、命を落としたアンドリューさんと、アランおじさんの姿がフラッシュバックして、ぶわっと涙が溢れだしてきた。そんな涙を誰にも悟られたくなかったせいか、無造作に泥だらけの袖で涙を拭った。
それでも止めどなく溢れてくる。涙が。涙が止まらない。
アリエルが泣いているのを知ってか知らずか、すぐそばで洗濯場を作る作業を手伝っていた王国騎士のアレジさんの手が止まっていることに気が付いた。そう、アレジさんもカントさんも、そしてドトールさんも、みんな涙を堪えきれず、ただ無言で涙を流しながら洗濯場の基礎を固めていた。
戦いに敗北し、倒れた友を葬ってやることもなく、野ざらしにして逃げ帰ってきた兵士たちには、慰めの言葉もなく、労いの言葉もない。どんな言葉をかけてやっても空虚で心には響かない。ただ涙だけが滾々と湧き出してはぼとぼとと流れ落ちるだけだ。
そっか、こんな時は泣いていいんだ……。
アリエルは言葉を飲み込んだ。
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アリエルは水の魔法を使って湯船に水を張り、そこにファイヤボールを撃ち込むことで熱いお湯を得た。ノーデンリヒトの関所に露天の湯けむりが舞う。
返り血を浴びて服や髪がカペカペになってしまったものを、お湯で洗い流した。
そして風呂に浸かると、浮力に身を任せながら、ようやくリラックスできたような気がする。アリエルにとってお風呂なんて、避難民護衛からずっとシャワーだけで済ませてきたので、いつから入ってないのか分からないほどだが、久しぶりにお湯に身を委ねると、全身から脱力して、いろんな心配事から解放されるような気がした。
なるべく体に疲れを残さないよう十分温まって、そして[ストレージ]からいつもの普段着を出して、自分だけサッパリさせてもらった。トリトンたちに風呂に入るよう伝え、安堵したらとてつもなく眠くなってきた。気を張りっぱなしで分からなかったのだけど、たぶんマナが足りてないんだろう。
アリエルの記憶にないぐらい深い眠りに落ちてゆく。どこまでもどこまでも深い闇に落ちていくように、波や流れが少しもない水鏡のような静寂の湖の底に落ちてゆくように、静かな眠りに沈んでゆく……。
疲れた……。
たくさんの人が死んだ、たくさんの人を死なせた。
アンドリューさんの人生と、アランおじさんの人生が唐突に終わってしまった。
アリエルが死なせてしまった大勢の獣人も、きっと故郷には帰る家もあれば、無事を祈っている家族もあるはずだし、難民たちを狙ってきた盗賊も、あいつらたぶん近隣の貧しい村の農民だ。収穫だけじゃ家族を食わせることができないから、護衛のいない商人の馬車などを襲って食い扶持を稼いでいるのだろう。
家族の話を聞いてちょっと知ってる程度のアンドリューさんが殺されただけだというのに、こんなにブルーな気持ちになってしまった。戦場での人の死に人生を重ねてなんていられない、とても気分が悪くなってくる。
トリトンも戦争なんて望んでいなかったし、あのエーギル・クライゾルでさえ戦いなんて望んじゃいなかったのに、何か抗えない大きな力に従って殺し合いを続けているような気さえしてきた。
アリエルにも家族は居る。トリトンとビアンカは掛け替えのない家族だ。
だけどアリエルは生まれる前のビアンカの子供の身体にとり憑いて、赤ん坊の生命を乗っ取ってここに居るのではないかという疑念が消えない。何しろ腹の中に居た記憶まで残ってるんだ。前世が嵯峨野深月で、トラックに轢かれるという事故で死んでしまった。何らかの力が働いて、そこに居た胎児に憑依したと考える方が自然なんだ。
トリトンのことも、ビアンカのことも大好きだ。心の底から、好きだと言える。
両親も息子だと思っているようだけど、でも、でも、本当は違う。別人なんだ。
托卵されてカッコウの雛を育てるオオヨシキリの親鳥を見ているようで、本当に……なんといえばいいのか分からないが、悪いことをしたんじゃないかと思う。アリエル・ベルセリウスという人間が本当に生まれていたら、この家族はどうだったろう? なんて考えてしまう。
トリトンもビアンカも、我が子の仇に、こんなにも深い愛情を注いでくれているのだから。
アリエルは夜空を見上げながら考えた。
『俺はこの世界でいちばん空虚な存在なのかもしれない』
人の腹から生まれた、人ではない、何か別の存在。神子と言ったっけ?
つい10年前までは、日本人、嵯峨野深月として、こんな血なまぐさい世界とは無縁の、平凡な人生を送っていたはずなのに、事故に遭って死に、そしていま、星座も違う異世界でアリエル・ベルセリウスとして生きている。それは当たり前のことなのだろうか、グレアノット師匠は特別なことだと言った。
死んだ人間が異世界で生まれ変わるだって? そんなことが普通であるわけがない。
では幸運だったのか? 幸運だからといって、生まれ変わるって、いったいどんな仕組みで?
きっと誰かがそう仕組んだ……。
いや、誰が?
ただでさえ一人も友達がいないのに?
気分がアンダーに落ち込んでいるようだ。こんな時は無心になるのに限る。
じゃないと死にたくなる一歩手前だよ。
ああー、久しぶりにぐっすりと眠れる……。
心地よく、闇の中に沈んでゆく……。
アリエルはその晩も夢を見た。
なだらかな丘陵地帯……地面には数えきれないほどの死体が横たわる。
その死体を覆い隠すように、灰が降り積もる。
アリエルは何となくこれが夢であることが分かっていた。
そうだ、これはまだ7歳の頃、グレアノット先生に初めて魔法を教わった頃に見た夢の続きだ。
前に見たときはときは気が付かなかった、でも死体はみんな剣を抜いた状態で倒されていて、何千、何万というおびただしい数の死体が灰に埋もれてゆくのを見て、確かにここで戦闘があったのだなと理解した。
皮のブーツが灰をかぶっている。
くるぶしまで灰に埋まりながら、視界のすべてが灰と死体しかない、こんなにも惨たらしい戦場を、おそるおそるではなく、ただ死体を踏まないようにだけ、足元を気にしながら広い歩幅で歩いている。足音は灰にかき消されてほとんど聞こえないが、自分の両側に一人ずつ、だれかいるのが分かる。
そうだ、7歳のころ見た夢にも、傍らにいた女性だ。
ふとみると死体の折り重なる丘の上に、ひとが、跪いてうずくまっているように見える。
3人はゆっくりと丘を登り、この戦場でただ一人の生存者と思しきひとのもとに歩み寄った。
うずくまっているのは男だった。肩の下から右腕を失っていて、革の冑と金属の肩当に灰が積もっているが、装備品には高貴な装飾が施されている。敵の将軍なのだろうか。
うずくまる男は顔を上げ、自分と目が合った。憎しみを凝縮させた呪いとしか感じないほど、穢れた眼差しだった。ひとはどれだけ憎しみを増幅させれば、こんな表情ができるのだろうか。
視界の右側から腕が伸びて、激しい怒りと憎しみを生み出すこの男の首を掴むと軽々と持ち上げた。その手は美しく繊細で、片手で男の首を掴んで持ち上げるといった力技を見せた手とは思えないほど細い指だった。
ほどなくして男の体は脱力し、ただぶら下がっているだけの状態になった。
死んだのだろうか。
片腕で男の首を掴んで持ち上げた、繊細な指の持ち主は脱力した男をうずくまっていた場所に投げ落とした。男の首は不自然な角度に曲がっていて、おそらくは首を握力で握り折られたことが死因だと思われる。
首を折られた男の、その憎しみの瞳には灰がまぶされた。
3人は踵を返して、いま自分たちがつけてきた足跡を踏み戻った。
丘の上まで続く足跡は確かに3人分だった。
しばらく行くと振り返り、同時に巨大なファイアボールを練り上げ、それを小さく小さく圧縮して白銀に輝く砂粒の欠片ほどにまで縮小させると、それを今できたばかりの男の死体に撃ち込んだ。
瞬間、光に包まれた。
……。
……。
「起っきろー! メシだぞエル坊!」
うー、誰だ……。
ああ、ガラテアさんか? ここは? ああ、誰かが毛布を掛けてくれたのか。でも関所の堅い石畳の上で寝ていたので体中が痛い。いやこれは寝違えた訳でもなさそうだ。なら筋肉痛か……。
アリエルはうつむき加減になって今の今まで見ていた夢を思い出していた。
いつもは夢の中に居ても夢だとは分からないのに、今朝の夢はその場に立っていながら、なんとなくこれは夢だという事が分かっていた。
……、あの戦場に倒れていたおびただしい数の死体……、多くの死体がバラバラに引きちぎれていた。アリエルが何となくわかったことは、あの夢で見た大虐殺を引き起こしたのは、自分なんだろうなということだ。
アリエルは夢に打ちのめされそうになった。まったく、酷い夢だ。
あんな夢を見たのは、きっと昨日の戦闘のせいだ。
大勢の死をこの目で見たからこそ、あんな夢を見てしまったのだろう。
まさに悪夢と重なる、ひどい経験だった。
本当に…………。
「ん――、ガラテアさんおはよう」
目ヤニで目がくっついて左目が開きにくいし、なんだか口の周りがガサガサになってる。
これは乾燥したヨダレか。……ほんといつ以来なのか、がっつりと泥のように眠ってしまった。顔を洗ってこないと、このまま帰ったらポーシャの小言30分コースだ。
と思ったが、ここにポーシャは居ないんだった。
本当に頭がぼさっとしている。
「エル坊、疲れたんだろ? よく寝てたな。でも早く飯食わないと片付けられちまうぜ?」
なんだか気分がすぐれない。現実に凹まされたのに、夢にも打ちのめされた。
精神がアンダーに落ち込んでしまう。
こんな酷い朝だというのに朝食まで抜かれたらたまらない。
「わかったよ。パンのいい匂いがしてる。この香りで目が覚めたらよかったのにな」
目覚めの声にオッサンのガラガラ声で起こされた恨みを皮肉にしてやった。
いつもシャキンと手入れされたバロン髭がぐったりと元気がないガラテアさんは、昨日の今日だというのにいつも通りだった。そのメンタルの強さを半分わけてほしい。
「おっと、言うなあエル坊。かなり疲れていたから心配だったが、なかなかどうして若いと回復も早いようで安心したよ。ほれ、早くメシいってこい」
ケツを叩かれて送り出された食堂で出た朝食はスープとパンと鹿肉のジャーキーだった。
アリエルとしてはおやつ代わりのジャーキーは好きなんだけど、兵士たちにはおおむね不評だ。
そりゃまあ、ジャーキーってば、ただ肉を日干しにしただけの乾燥肉なんだから仕方がない。
これが2日も続けば俺もジャーキー嫌いになるかもしれない。ただ塩気の少ないスルメのような感覚で、ひたすらしゃぶって唾液でとった出汁を啜るかのような、そんな食べ物だ。
こういうと汚く感じるが、要はガムのようなものだといえば分かってもらえると思う。
そして、こんなにも古くて、ところどころ崩れているような小さな峠の関所なのに、いきなり80人も来たにもかかわらず人数分の食事を用意できる厨房というのも何気にすごいと思った。
いつもは無人か、稀にボトランジュ側の兵士が何かの用事できたとき少人数が駐留してるだけなのに。小麦粉とか備蓄してあったのだという。これも驚きの事実だった。
「ごちそうさまでした」
本当にうまいパンだった。
撤退してきた翌日の早朝からもうパンを焼いてるなんてすごいと思う。
食堂の後ろの方ではトリトンがガラテアさんと話してる。ちょっと割り込んでいいかな。
「おはよう父さん」
「おお、アリエル、昨夜は疲れてたようだな。よく寝たか?」
「はい。いっぺんも目を覚まさず、さっきガラテアさんに叩き起こされるまで爆睡してたよ」
「エル坊ががっつり寝るのは珍しいな。たしか近くに鹿が居るだけで目を覚ますぐらい警戒しながらねてるよなあ、いつも……」
「昨日はマローニから飛ばして帰ったからかな、えらく疲れたんで、目が覚めなかったみたいだ。ああ、そうだ父さん、母さんとの約束でさ、俺すぐにマローニに戻らなきゃいけないんだ。そろそろ支度して帰るけど? なにか言伝ある?」
トリトンはアリエルが帰らなきゃいけないと言ったことで、表情から少しだけ険がとれた。
ビアンカのことを思い出したのだろう。
「おお、そうか。もう帰るのか。ちょっとまってくれ。ビアンカに手紙を書くから」
「はーい。んじゃ俺、昨日の風呂の解体してくるよ。あと、俺、鹿とガルグの肉もってるんだけど、料理人に渡しとけばいい?」
「おお、ガルグとりの名人になったな。おかげさまで今日は干してない新鮮な肉が食えそうだ。ありがとうな」
ガルグが出てくると聞いて、ガラテアさんは少し声のトーンを上げた。
「ガルグいいね! エル坊は旅人になんかならず、狩人になれば食いっぱぐれないぞ? 獲物の気配分かるんだろ?」
「なんとなくしかわからないけどね。旅をしながら食べる分の兎が捕れたら満足だよ」
アリエルは踵を返し厨房に行くと、もう次の昼食の準備に取り掛かってた。
厨房の担当者も昨日は剣をとって戦ったボトランジュ領軍からの移籍組の人だ、この人が亡くなっていたら80人の食事なんて賄えるわけがない、トリトンがここの関所に留まれるのも、この人がいるからだ。
でも、さすがに80人増えるとこのサイズの厨房じゃどうしようもないかもしれない。
「おじさん、肉あるけど、どこに置いとけばいい?」
「おお、ありがとうアリエルくん。じゃあそこに置いといてくれ」
指定された場所に鹿を3頭、ガルグを2頭ならべて出すと、えらく驚かれた。
一気に食べきれないと全部ジャーキーになってしまうのだが、その加工をするのもそれなりに急がないと腐ってしまうから。マローニまでの護衛をすっぽかした4人が生きているのなら、その人がひたすら肉を日干しにしている姿が目に浮かぶようだ。
もちろんアリエルのストレージにはあと5頭のガルグが入っているので、自分の食い扶持に困ることはない。
厨房に行ったあとアリエルが土魔法で作った風呂を解体しにいったら、ぜひ置いといてくれと言われたので、置いとくことにした。通行の邪魔にはならないけど、露天風呂なんだよねこれ。アリエルが居ないと水を張るのにも苦労すると思うけど、その辺はきっとまた護衛をすっぽかした人が担当するのだと思えば納得だった。
せめて壁ぐらい作ってやろうかと思ったけど、それも要らないらしい。
しばらくはこの関所、女性の通行はないだろうけど……。ちょっと風紀に問題があるんじゃないかと思う。
帰る準備が整い、ブーツの革ひもを締めなおしていると関所の横の扉からトリトンが出てきた。
「アリエル、母さんにこの手紙を持って行ってくれ。あと、気を付けて。身体を大事にな」
「うん。わかった。父さんも、身体に気を付けて。…………あと、幸運を」
「ああ、アリエル……その、なんだ。みんなを助けてくれてありがとうな。私は不甲斐ない父親だが、お前の代になる前になんとか戦争を終わらせて、そしてお前が嫁さんをもらって、ノーデンリヒトで不安なく暮らせるような、平和な土地にできるよう頑張るからな」
そういうことを最後に、ちょっと真顔で言ってしまえるのがトリトンのいいところなんだろう。
礼なんていらなかった、トリトンは軍属なんだから、必ずや領地を取り返して、魔族どもを叩き出すとか言うと思ったのだが、ここで不安なく生活できるような、平和な土地にできるよう頑張ると言ってくれたのは、素直にうれしかった。
「うん。ありがとう父さん、でも母さんを悲しませるようなことはしないでね。あと、寂しがらせるのもダメだよ」
「ああ、そうだな。お前にも心配されることがないよう心に留めておくよ」
トリトン、ガラテアさん、ほかみんながアリエルを見送りに出てきた。
アリエルは振り返らず、会釈程度に右手を軽く上げて、[スケイト]を起動し、高くジャンプしてから走り始めた。これはアリエルなりに精いっぱいかっこよくデモンストレーションしただけで、派手に魅せる以上の意味はない。まあ、今はそんなに急ぐ理由もなくて、夜までにマローニに着けばいいのだけど、のんびり帰る気分じゃない。
出るとき慌ててたせいでビアンカたちいまどこにいるのか知らなかったりするし。
でも明るいうちに帰らないと衛兵の詰め所いっても追い返されるだけだろうし。
ここからマローニまで時間にして4時間ぐらいか。そんなに急ぐ理由もないと言った尻からこんなこと言っちゃうのも何だけど、そうだな、こう、気分の沈んでるときは……。
ぶっ飛ばすに限る。
アリエルは強く風を切って空気の壁を斬り裂くように[スケイト]で滑行しながら、一路マローニの街へ向かう。道中は考え事もせず無心になって最短のライン取りなんかを考えながら滑っていたので、気が付いたら、工業地帯の煙突から煙がたちのぼるのが見えた。マローニの街だ。
時計で言うと15時ぐらいに到着したので正確には分からないが、もしかすると最高速度記録が更新されたのかもしれない、アリエルが衛兵の詰め所を訪れて避難民たちがどこにいるのかを確かめたら、ビアンカ、ポーシャ、クレシダの滞在先が分かった。
トリトンの実家、ベルセリウス家の次男、シャルナク・ベルセリウスの別邸に厄介になっているらしいというので、早速そのベルセリウス別邸とやらに向かった。所在地は衛兵のおじさんから聞いていたので迷うこともない。
マローニの街は人口4万人と、地方都市の中ではわりと大きなほうだという。
なにしろ人通りが多い! これはノーデンリヒトなんていう超僻地の開拓村で生まれ育ったアリエルにとって新鮮だった。なにしろずっと見ていても、常に視界のどこかに人がいる。
そしてここにはノーデンリヒトでは見たことのない石畳や街灯が見られ、通り沿いに所狭しとビッシリ4階建て、5階建ての建物が隙間なく建っている。土魔法建築の建物だ。
ベルセリウス家の本宅は中央通りを北に真っすぐ上がったハイソサエティエリアにあるらしいがが、ビアンカたちが間借りしている別宅は中心街にある。中央通り沿いには商店が並び、通りから折れても食品を扱う商店が並んでいる。本宅が役所などの林立するエリアにあるのに対し、商業区画であるこちらの方が立地がよく、何かと利便性いいんじゃね?と思った。
そして格子を並べたような塀が続く区画があった。
別邸とはいえ、トライトニアの屋敷より何倍も立派なので、いまビビってるところだ。
もしかして、父さん……本当に貴族だったのか!? と思ってしまうほどの屋敷だった。
実はベルセリウス家がえらい貴族だったなんて、半ば信じてなかったことを白状する。
ガチでドン引きしている。
「……ここで合ってる……よな……」
門扉が閉まっていて入れないので中を窺うとうちの馬車があった。間違いなさそうだ。
「うーん、どうやって開けてもらうんだ? 面倒だから塀を超えてやろうか……。いや、ポーシャがいるんだった。ヤバいヤバい」
などと独り言をつぶやきながら、あーでもない、こーでもないと思案していると門に繊細な彫刻が施されている小さなレバーが付いていることに気付いた。レバーは細いチェーンを伝って、上のほうにある小さな鐘に繋がっていた。
ちょっと高級そうなチャイムだ。
おおよそ理解したアリエルは門についたチャイムをカランカランと鳴らす……と、しばらくして執事さん? ぽい人が出てきたので名を名乗ると、とても丁寧な対応で屋敷の中に通された。
執事さんが開けてくれた扉をくぐると、整然と並んだ石畳のエントランス、一階の玄関ドアはものすごく重厚な無垢板で、開かれた扉を潜り抜けると玄関ホールがあり、階段が……って、まるで豪華客船のような作りに驚いた。
装飾品など極力省かれた実質主義の設計だが、この街の中心部にありながら空間を贅沢に使ったこの建築法は、さすが貴族だと感心してしまう。
この屋敷の壮大さに空いた口がふさがらないというのに、「どうぞこちらへ」と左手にある奥の部屋に案内された。ノックの音がして、扉を開くと中に居た人の蒼い瞳がアリエルをみた。
ビアンカだ。
ソファに掛けていたビアンカが駆けだして、アリエルを抱き締めた。
顔に久しぶりの豊かな感触が押し付けられる。この柔らかさは確かにビアンカだ。間違いない。
もごもご……、「ただいまっ、母さん。……父さんは関所に撤退したよ」
「ケガはない? 怖い思いしなかった?」
「大丈夫だよ母さん、何も心配なかったんだ。父さんたちも無事だしね。これ、父さんからの手紙。ところでちょっと疲れたから眠りたいのだけど、ダメかな? ダメなら外で寝てくるけど」
「そのベッドを使いなさい。疲れたでしょ? ゆっくりお休み」
「母さんありがとう。ほんと日の高いうちから失礼して寝させていただきます」
倒れ込むように横になったベッドは、なんだかフワフワしすぎていて、逆に寝つけなかったけれど、ほのかにビアンカのいい匂いがして、大きな安心感に包まれた。
疲れていたせいか、熟睡してしまうまで落ちるのに時間はかからなかったと思う。
アリエルはゆっくり、ゆっくりと水底に沈むように、眠りに落ちていった。
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アリエルがすやすやと寝息を立て始めると、ビアンカは受け取ったトリトンの手紙の封を解いた。
親愛なるビアンカ。
不自由な生活をさせてしまってすまない。
守備隊はアリエルの助けで無事にノーデンリヒト関所に陣を敷いているから安心してくれ。
教会が介入したらすぐに戦争も終わるだろうからこちらも心配は無用だ。
ところでアリエルの事だが、精神的にかなり参っているようだ。
戦場では鬼人のような力を発揮するが、その実まだ10歳の子どもだから、お前に頼みたい。
私はまだ剣を手放せない愚父だからな、血の臭いのしみついた鎧を着たままじゃ抱きしめてやることもできない。
すまん。勝手ばかり言って。
また手紙を書くよ。 どうか身体には気を付けて。
トリトン・ベルセリウス
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読んでいただきまして、ありがとうございます。
この話をもって一区切り、一章完です。
次話からアリエルは街で生活をすることになります。




