10-07 サオの居場所
----
どれぐらい時間がたっただろうか、戦場の余興はおわり、見物していた者たちは皆、各々の陣へ戻ってしばらくした頃のこと。
サオがゆっくりと目を開けると、直視できないほど明るい光に包まれていて目が慣れるまで時間がかかったが、その光源が天幕にあって、まるで昼間のような光をそそいでいるおかげで、ここが大型のテントの中であることはすぐにわかった。
拘束されるでもなく、ただ地べたに薄い毛布を敷いてその上に寝かされていただけ。悪く言えば粗末な寝床だった。ワイワイガヤガヤと、まるで雑踏の中にいるように、とてもやかましく頭に響く。
ゆっくりと見渡してみてわかった。この子たち……みんなエルフだ。
ここはまるで中等部の女子たちの昼休みのように雑談している中でポツンと目が覚めたような不思議な空間だった。そんな中にひときわ目立つ赤い髪の女性を見つけたサオ。
たしか勇者軍の治癒師の女性だ。
いかにも冷たそうな、氷の微笑を浮かべる美女をまじまじと見て、なんだか仮面をかぶっているみたいだと思った。
頭がぼうっとして、脳が思考を拒否し、もっと眠りたい欲求に駆られるけれど、なぜこんなところで寝かされていたのかを理解するまで、時間はかからなかった。
サオはあの少年との一騎討ちに敗れ、そして捕虜にされてしまったのだ。
エルフの女の子の報告でサオが目覚めたと知らされて、さっきの赤髪の治癒師が話しかけてきた。
「火傷と鼓膜のダメージは治療しておいたわ。どこか痛いところはない?」
「……頭がふらふらします」
「マナ欠乏。それは仕方ないわね。もう少しそこで休んでなさい。あなた今日2度めなんだから、あまり無茶をしないようにね。動けるようになったら逃げてもいいわよ」
とても冷たそうだと思えた赤髪の女性の言葉は、サオの想像の逆を行く、とても温かなものだった。そのギャップに戸惑い、今日2度も治癒魔法を施してもらったお礼を言ってないことにすら気が付かなかった。
サオは人生で味わったことのないほどの気だるさをその身に纏いつつも、女の子たちの中に混ざって、今だ完全には目覚めない脳で思索を巡らせる。いま赤髪の女性に言われたとおり、足さえ動けばこんなテントなんか飛び出して早く逃げてしまいたいのはやまやまだけれど、あの少年と、女勇者の話を聞くまで帰ることはできない。
あの長身の女勇者はロザリンドという名を知っていた。ドーラの格闘術を完璧に使って見せた。
そういえば てくてくの言動も行動も、今になって思えば不可解すぎる。てくてくは何か知っているし、あの少年もだ。16年前、アルカディアに向かった師匠とロザリィを知らないなんて言わせない。絶対、何かを知っているはず。
「ありがとうございます。逃げ出す前に確かめておきたいことがありますので」
まだ立ち上がれないまでも、お辞儀をして礼を言うサオの視線の先、赤髪の女性がすこし微笑んだその向こう側でふと立ち上がった黒髪の女性……。
大きい。ロザリィほどの長身にウェーブのかかった黒髪。
そして大きく尖った耳を持つ女性は、サオの視線に気づくと振り向いてその優しそうな紅い瞳で語り掛けた。
「ハーイ、サオ。元気そうでなによりね」
唖然とした。
いつか てくてくの見せた記憶に侵入してきたオバケのような存在が、実体をもってあろうことか目の前でサオに向かって手を振っているのだ。
「……っ! ……ゾフィー?」
サオが驚嘆の声を上げた直後、背後からサオの頬っぺたに人差し指をむにゅーっと刺し込んで、に――っと笑う女がいた。
「サオ、爆発するほど元気なの」
「え?……パシテー?」
ぱっと見は別人。でもその醸し出す雰囲気とゆるーい空気感、そして話しかける声のトーンに、ついパシテーの名前が出てしまった。
「ん――。15……、16年ぶりなの?」
パシテーだと確信した。
反射的にがばっ……としがみつくように強引な抱きしめ方をするサオ。
まだ足元が覚束ない。ずるずると腰にしがみつくような格好になってしまうのを、パシテーに抱き起してもらう、16年ぶりの再会にしてはみっともない姿だった。
その時サオの背後、テントの入り口から入ってくる人の声が聞こえた。
「まったく、なんであんなに怒るかなあ? 誰も負けてないし、誰も死んでないんだから上出来よね?」
「なにがサオを引き渡せだ。あのアホ、全てコトが終わったらケツの穴から[爆裂]突っ込んで奥歯をボッカン言わせてやる」
「あのドスケベ教官、絶対なんか裏あるわよ……しかし腹たつ……、あ、サオ目が覚めた? もう起きていいの?」
「おおっ、サオ。目が覚めたか?」
サオはパシテーに縋りついたまま、この2人の勇者から視線を外すことも、瞬きをすることも出来なくなってしまった。
この2人がテントに入ってきた瞬間、敵地のど真ん中に囚われているというのに、空気はとても居心地のいいものに変化したのが分かった。忘れかけていた安堵感が突然フラッシュバックして脱力してしまうサオ。パシテーに支えられながら、ズルズルとその場にへたり込んでしまった。
「ん。サオ。よく練り上げたな。素晴らしい魔導だった。お前を高弟とする。俺も誇らしいよ」
「小さな頃から手を抜くことを知らない真面目な努力家だったからね。認められて当然よ。でもホント、自爆するとこまで見習わなくてもいいのよ? サオ」
「……ロザリィ? ロザリィなの?」
「ただいま。サオ、遅くなってごめんね」
サオはロザリンドの胸に思いっきり飛び込んで行った。
アリエルの方もサオが胸に飛び込んでこれるよう両手を広げて『さあおいで』の構えで待っていたというのに愛弟子のサオはというと師のことになど目もくれずロザリンドの胸に一直線という……。
「ねえあなた、その広げた手はどう収めるのかな?」
「私が飛び込んであげるのー」
「ああっ、パシテー! 順番を守りなさいな。私が一番なんですからね」
----
「師匠なんか嫌いです。てくてくにだけ知らせて、なんで私には内緒なんですか? どうしたらそんなに年下になるんですか! 私、もしかしたら姉弟弟子だと思って、負けるわけにはいかなくて、すっごく頑張ったのに、師匠だったなんて。……私、騙されました。ひどいです」
「だからサオ、こんだけ多くのエルフの難民たちが居ると思ったように動けないんだって。それとな、最後のアレはダメだぞ、自分の身を最優先に考えないと」
「イヤです。師匠なんか嫌いだと言いました! いったい私がどんな思いで門の前に立ったのか、まるで分かってくれようともしないんですね。私もう本当に攫われると思ったんですから、もう師匠に会えないと思ったんですから、もう本当に死んでしまうと思ったんですから……ううっ……師匠なんて大嫌いです」
ふくれっ面で泣いて泣いて、機嫌を損ねてしまったらしくプイっとそっぽを向いたサオを抱き寄せ、美しい青銀色の髪を優しく撫でるロザリンド。
「ほらほらサオ、もう泣かないの。分かってるわ。ぜんぶこの人が悪い。みんな知ってるからね。戦利品になれなんて酷いよね。自爆したくもなるよね。この人、そんな女心も知らないで怒ってるんだからほんとバカよ」
サオが泣いて責めるもんだから、女たちは当然サオの味方。どういう訳かアリエルが一方的に悪いという事になってしまった。
それからサオは16年分の涙をいま纏めて流しているかのように1時間にわたって泣き続け、ロザリンドの胸からパシテーの胸に移動し、そしていまコバンザメのようにアリエルの背中にへばり付いているところだ。
「私の炎が急に引いて行ったの、あれどうしたんですか?」
「お前、真空の断熱層を作ってたろ? あれをちょっと真似たんだ」
「ズルいです。盗まれました……じゃあ、盾の攻撃は防御魔法で弾いたのに、なんで私の拳は全部避けたんですか? 防御魔法と金属の盾に何か関係があるんですか?」
「関係ないよ。あれだけ体重乗せて本気で殴ったら拳のほうが砕けるってば。痛いんだぞ?」
「手加減されてたんですね。ひどいです。やっぱり師匠はひどいです」
ロザリンドはこの師弟の会話を黙って聞いていてこめかみの血管が切れそうな思いを我慢するのに、ただ拳をぎゅうっと握り締め、ジュノーに愚痴をこぼした。この二人が共同戦線を張るのは珍しい。
「あはは、私なんだかすっごくイライラしてきたわ……」
「ええ、話には聞いていたけれど、まさかこれほどとは思わなかったわ」
「兄さま、2人がイケズ姑みたいな顔になってるの。いいかげんにしたほうがいいの」




