10-01 勝利と正義は乖離す
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ハルゼルを足蹴にし、イカロスをぶん殴ってサオを奪った謎の少年を囲む帝国勇者軍たちの間に、数秒遅れて飛び込んできた赤い髪の少女が乱入者の正体を明らかにした。
たったいま戦場に到着した赤髪の少女が弟王エンデュミオンが欲している女で、たったいま勇者だと名乗ったこちらの少年が勇者サガノ、帝国軍のクソルーキーだ。
「治療を頼む」
「もう完治したわ。で、何か考えがあるの? ここで始めたら難民のコたち全員を守れないわよ。ゾフィーもパシテーも守るのにはまるで向いてないんだから」
「仕方ないだろ……どうすっかなあ……」
ハルゼル曰く、行儀の悪いクソガキとまで言わしめた勇者サガノが乱入して、せっかく捕らえたサオを奪って目の前に立っているのを黙って見過ごすことなんてできないスカラール。
「おい、コソコソ話してんじゃねえよ勇者9号。お前ら何をしたか分かってんのか? うっわ、回復させやがったよ……苦労したのに台無しだ」
「勇者サガノだな? 俺はセイクリッドという。いいかよく聞け、これはお前の勘違いだ。俺たちがお前の味方で、そっちの女が敵なんだ」
どう言ってこの場を切り抜ければいいかと頭をひねっていたアリエルにとって、運良く勇者のひとりが勘違いということにしてくれたことは幸運だった。
この流れは予想してなかったが乗らない手はない。
「え? マジっすか? ガラの悪い山賊が女の子を襲ってるようにしか見えなくて……。あっちゃー、ブッ飛ばしちゃった人……、大丈夫ですかね?」
こんな茶番で誤魔化し切れるかどうかは別にして、問答無用で殴ってしまったことも棚上げしてもらったうえで穏便に済ませられるなら穏便に済ませたい。
セイクリッドに味方だと言われ、囲む勇者たちから殺気が引いてくのを感じると、ロザリンドは刀を鞘に収めて立派に成長したサナトスの姿に目を奪われている。
16年ぶりに会った我が子の姿だ、みとれない母親なんていない。
「何見てんだよ……、サオを、サオを返せ!」
サナトスは自分の力が及ばず、サオを守ることができなかった。偶然に偶然が重なって助けてもらった相手にまで悪態をついてしまう。それほどまでに悔しくてしょうがないのだろう。
「ほいよ。悪かったな、ちゃんと治療してもらったからもう大丈夫だぞ」
勇者サガノがサオを降ろして手放すと、地面に落ちていた盾がサオの前にサッと再配置され、ひとつ[爆裂]の魔法が練り上がった。
「勘違いとは言え助けてもらったことには感謝します。ですが、この門から離れてください。はやく!」
[爆裂]を見て遠巻きに包囲し始めた帝国軍。勇者サガノも下がる他なかった。
前代未聞のトラブルに一般兵を制止して下がるよう退却のラッパが吹き鳴らされた。
勇者たちが遠巻きになったことで、サオの周りに続々と集まりはじめた男たち。
その顔ぶれはアリエルにとって、とても懐かしい面々だった。
サナトスは、父親譲りのモテそうな顔だけど、そのマッチョな体は魔王フランシスコのようにビルドアップされている。アリエルは16年ぶりに会ったサナトスを抱っこしてあげようと思ったが、少し考えたあと手を引っ込めた。
サオは、相変わらず細かったけど、16年の間にずいぶん身長が伸びたようだ。
約170センチのアリエルと同じぐらいか、ちょっと高いぐらいだ。
レダは相変わらずちっこくて、顔を見ると少し安心した。サナトスと結婚したと聞いたときにはびっくりしたもんだが。
後ろの方、ダフニスに肩を貸してるのはカルメとテレスト? あいつらも元気そうだ。
なにか失敗でもしたのだろうか、少し気分がすぐれない。顔に似合わない神妙な表情だ。
ポリデウケス先生もハティも……っ!
あれは誰だ? 顔を見ただけで破壊力抜群の……。
イオだ!
イオすげえいかついオッサンになってた! 顔だけで威圧感がヒシヒシ伝わってくる。
ベルゲルミル……、お前はもう薄毛とは言わせない。ハゲだハゲ。ツルッパゲだ。
「うぉっ、ちょっとマテ、髪の毛赤くなってっけど、アンタ柊先輩じゃないっすかね?」
やばい。ベルゲルミルが気づいた。
そういえばベルゲルミルの野郎は高校の時、柊芹香の親衛隊やってたらしい。
これは面倒だ。
そんなベルゲルミルを敢えて無視するジュノー。今はそれどころじゃない……。
「なあジュノー、見てみ。あれがサナトスだ」
「なかなか男前じゃないの。あなたよりモテそうよ?」
「いやいやいやいや、オレを超えるのはもうちょっと先の話だろ」
サオの爆破魔法から離れる際、引きずられてゆくものの中にフラフラしながらも立ち上がろうとするイカロスと、脇腹を抑えながらやっと立ち上がったハルゼルの姿があった。
「クッ……、この……」
大ケガさせないよう手加減してブン殴ってやったつもりだが、サオが痛めつけられるところを見てしまったものだから感情的になってしまって、手加減のさじ加減を緩めてしまったようだ。
特にイカロスは脳がかなり揺さぶられたらしく、足もとが覚束ない。傷は治癒魔法で瞬間的に治癒するけれど、脳が平衡感覚を取り戻すのには少し時間がかかる。
ハルゼルがアリエルを睨みつけるその目には例えようのない侮蔑が含まれていた。
アリエルも負けじと睨み返す。
「すみませんね。帝国軍人たるもの、山賊のような風体の男たちに嬲られる婦女子を見かけたら、必ずや助けに入らなければならないという、勇者の魂に突き動かされての行動でした。まさか味方だとは思いもよらなかったので、申し訳なかったです」
まるであらかじめ用意していたような棒読みの謝罪をしてみせた勇者サガノに、密命を受けたハルゼルは我慢できなくなった。
「誠意も気持ちもまったくこもってない形式的な謝罪だな。まあいい、勇者サガノ、責任を取れ。お前はいまからあの魔人サナトスと一騎打ちをして、見事打ち倒してこい。エンデュミオンさまより直に賜った命令がそれだったはずだ」
アリエルはこのいけ好かない騎士勇者の顔だけは覚えていたが、名前までは知らなかった。
《 この男、誰だっけか……、たしかエンデュミオンと一緒に宿舎にきたスケベの片割れだ。いつの間にジュノーの横にポジション取りしてやがんの? 》
「責任をとれって言われてもなあ、部下の不手際は上司の責任だろ? じゃあ……ひいてはアンタの責任でもあるんじゃないのか?」
「お前が言うな! 勇者サガノ、お前は命令を実行すればいいんだよ。それが軍というものだ」
「断る。辞令によると、俺がここに配属されるのは明日からになってる。なんだか1日多く働いたら損な気がするからね。明日やります。明日」
要塞の門前に集まったノーデンリヒト軍の面々を見てみると、サオが敗れるシーンを見てしまったせいか、どうも士気がさがってしまって戦おうという気概がいまいち感じられない。サナトスはどういうわけか半泣きになってるし、レダはサオの背中に張り付いて……なんだ、レダも泣いてるのか。
そんな中、サオだけが鋭い気を放ってこちらを睨みつけている。だけど、他の者の士気がダダ下がりだ。いま戦闘を再開するとサナトスたちに勝ち目はないかもしれないし、誰か殺されでもしたら大変だ。
いまここで戦闘を再開することだけは避けなければならない。
「じゃあ、そうだな。これからうちの荷物が到着するんだ。荷をおろして、テント張って、うーん、午後からの余興ということでよければ。もちろん休日出勤と危険手当マシマシにしてくれないとイヤだよ?」
「よし、よく言った。エンデュミオンさまの勅命、見事果たしてみせろ」
ハルゼルがそう言うとサオたちを遠巻きに包囲していた帝国軍の兵士たちは皆一斉に踵を返し、自陣に戻って行った。
その中でイカロスだけが話の流れを理解していなかった。
確かサオを倒したはずだ。首根っ子を捕まえて勝利を確信していたのに、気が付くとどういう訳かスカラールに肩を借りて陣に引き返す敗者のようになっていた。一体何が起こって地べたに転がっていたのかをまるで理解できていなかった。気がついたら地面に倒れていたし、あたりを見渡すと、倒したはずのサオがピンピンして睨みを効かせていたのだ。それらの事実から導き出される答えは……そう、別に考えなくても分かる事だった。
「やられたのか……私はどれぐらい気を失ってた?」
「さあな、たぶん、20、30秒ほどか。すぐにマータが治癒したのになかなか起きてこねえから心配しちまったぜ? まさか効いたのか? ただ殴られたようにしか見えなかったが」
「殴られた? 私は殴られたのか?」
「ああ、噂のクソルーキーにぶん殴られて、風に吹かれて転がる紙袋みたいにフッ飛ばされてたぜ」
「……そうか、恥ずかしいところを見せたな……」
「いーや、ありゃあ脅威だよ。何が脅威かって、爆破魔法が直撃しても治癒魔法一発でピンピンすんのが普通だってのに、いまのお前のその姿はヤバい。治癒魔法が万能じゃないことが証明されちまったからな。当然これは敵にも見られた。これまでのような治癒魔法ありきの突っ込みはもうできねえ」




