09-35 俺が勇者だっ!
足にボーラが巻き付いて転倒し、激しく土煙を上げながら地面を転がるレダ。機動を失い、地に伏せたところにチャンスとばかり3人勇者の連携攻撃が襲う。
―― ザン!
―― ズバッ!
―― ガッキィン!
レダは転倒しながらも器用に地面を転がってグレイブとアドリアーノの攻撃を避けることには成功したが、イカロスのタイミングを読ませないよう一瞬溜めた斬撃をガードせざるを得なかった。
この一撃はイカロスが好んで使う常套手段。さっきスカラールがサナトスに使ったのと同じく、ガードさせるために放たれた重い一撃だった。
そんなレダの危機を知らず、戦場の中央ではようやく風が巻き起こり、砂塵を吹き飛ばしはじめた。
いつもならこれでも十分に通用していたはずだった。
戦場の全域を見渡し、流動する敵の動きを注意深く観察していた司令塔、サオが急を告げた。
「レダが危ない! サナトス行って!」
レダの危機を知ったサナトスは前も見えないのに縮地で飛び出した。至近距離で爆破魔法を使ったときにできるスキを狙われ、自らの視界をも塞いでしまった事は明白なミスだった。これまで付け込まれなかったことが不思議に思えるほど明らかな弱点だ。
カタパルトから打ち出されるジェット機のような急加速で救援に飛び込むサナトス。
あと2秒は稼げると思っていた勇者たちは、ここでレダを動けなくしておく予定だったが、それこそ書いて字のごとく鬼の形相で向かってくるサナトスは予想外だった。
レダをとり囲む輪に振りかぶった剣をひと薙するだけで、まるで引き波のように大げさな間合いを取る勇者たち。みすみすレダを倒すチャンスを諦め、深追いせずにその場を離れていった。
サナトスはそのあらかじめ打ち合わせをしていたかのような引き際の見事さに奇妙な違和感を感じたが、レダの傷を気遣うのに精一杯で戦場全体を見渡して状況を見る余裕などない。
「レダ、無事か? ケガは?」
「ごめん、失敗しちゃった。左腕が上がらない……このロープ、切れないの……」
レダの足にぐるぐる巻きになっているのは鉄線交じりのワイヤーロープ。さっき重い一撃をガードしてケガを負った腕では切れず、解こうにも片腕では難しい。
「魔人! お前の相手は儂だよ」
もう治療を終えたのか、真っ白な鎧が焦げてはいるが、レダを助け起こそうとするサナトスに対し、パワー全開で斬りかかるスカラールとグレイブのコンビネーション。
「2人? あと2人はどこだ?」
イカロスとアドリアーノの2人がその場から消えていることに気がついたサナトス。
居てもたっても居られず、かと言ってレダのそばを離れるわけにもいかない。例えようのない胸騒ぎが止まらなかったが、大声で注意を促すことしかできなかった。
「2人そっち行った! 気をつけろ、なにか狙ってるぞ!」
スカラールとグレイブの波状攻撃を受けていなしながらも、レダを守りながらも奮闘するサナトス。
ここは勇者軍の狙い通り、少なくともレダを守っている間、サナトスは至近距離で爆破魔法を使えなくなった。自分の迂闊さが招いた危機だ。立ち直るまでは時間がかかる。
そして勇者たちにとって、いまは少し時間を稼げるだけで十分だ。
「ちいっ、あのバカ。母親に似ず甘いな」
「そこがサナトスのいいトコなんですけどね」
2人の勇者の猛攻を凌ぐ事で精一杯のサナトスに加勢するため、カルメとテレストが急行するのを確認すると、イカロスはひとつセイクリッドに合図を送った。
いま戦場の最左翼に4人の戦力が集中し、イカロスの狙い通り、中央に空白が出来上がったのだ。
ウェルフ2人がサナトスの加勢に出たのを確認した女騎士ウェルシティの鋭い眼光が単身 防護壁を守っている3メートルのベアーグをターゲットロックし、踊るように斬り込んだ。
女騎士の素早い攻撃に曝されるダフニスは、ドラゴンの骨から削り出したという大型の打撃武器を振り回しながら一撃、二撃と、必殺の攻撃を連発するが、当たらなければ地面に穴を開ける重機と同じだ。
ひらり、ひらりと華麗に躱しつつ、舞うように二刀を振るい、小さく振って腕の筋を斬り、くるりと背後に回って踵のアキレス腱を斬る。最小の力で、最大限の効果を狙う攻撃。これがウェルシティだ。ダフニスはとてもやりやすい相手だと言ったその言葉に嘘はない。
「私あなたのようなモフモフしたの嫌いじゃないんだけどね」
腕の筋を斬られ、武器も落としてしまい、アキレス腱を斬られ立つこともできないダフニスにお別れの言葉をいうウェルシティ。振り上げた剣でトドメの一撃を放とうとした刹那、ダフニスが己の牙を武器として相打ちを狙ったその時、
―― ドウォ
―― ドォォォォン!
友軍であっても情け容赦なく爆破魔法が2連射され、ダフニスとウェルシティの2人を巻き込んだ。
「ぐっぁ、あっちい! 毛皮が焼ける!」
「ブライ! ダフニスを」
「任せておけ!」
ブライがサオのもとを離れ、爆破魔法も2発撃った。ここが分水嶺。
サナトスを至近距離の爆破魔法で視界を封じたところから、すべてがこの瞬間のための布石だった。
「よし! 狩るぞ」
イカロスの激に呼応し、セイクリッドとアドリアーノがサオに襲いかかる。
大げさに振りかぶられた剣を見て、落ち着いて盾でガードするサオ。
……。
様子がおかしい、盾に衝撃がない。代わりに、盾を抱いて2人の男が地に伏せる。
セイクリッドとアドリアーノの狙いはサオではなく、サオを守る2枚の盾だった。
サオの前から盾が落ち、視界がひらけると剣から鉄棒に持ち替えて飛び込んでくるイカロスと、さっきまでバリスタの射手をしていたハルゼルが襲いかかった。
サオの[爆裂]はまだ完成しない。
イカロスの振りかぶった角度から攻撃を予測し、この神速の攻撃を3歩の交差法でギリギリ躱すサオ。
1対1の戦いなら敵からは遠く、自分からは近い絶妙の間合いになったはずだが、同時に斬り込んできたハルゼルの攻撃にも対処する必要があった。
サオは半身になって躱した動作の延長で斬り込んできたハルゼルの手首関節を取り、ひねって投げた。
だが投げられたハルゼルは天地がひっくり返る中、受け身を取ることもなく、手に持った剣でサオの膝を狙う。腰も入っていない、バランスを崩したところから腕を伸ばしただけ、まるで事故に遭ったかのような、攻撃とも言えない剣撃だった。
そんな中途半端な一撃でも両手持ち剣の慣性の乗った質量は、防御魔法の上から、膝を斬り裂き、半月板を損傷するにとどまったが……サオの動きを止めるという目的であるなら必要十分のダメージだった。
いま攻撃をかわされたままの方向に回転し、振り向きざまに鉄棒を繰り出したイカロスの突きが、膝に攻撃され、がっくりと崩れたサオの鳩尾に、突き刺さった。
「かはっ……」
―― ドン!
鉄棒の重い一撃だった。サオの体は軽くフッ飛ばされたあと要塞の門に打ち付けられ、ズルズルと滑って地に伏せた。
「十字架を立てろ! アドリアーノ、ウェルシティ、そっちのブライになにも詠唱させるなよ!」
立ち上がることもできないのに鉄の棒で何度も何度も腹を突かれ、息もできないサオ。鉄靴で頭を踏んだり蹴ったりの目に遭わされ、脳にダメージを受けたせいで意識も途切れ途切れになっている。
抵抗する力を失ったサオの首根っこを掴んだイカロスは、片手で持ち上がるその軽さに驚いた。
「なんとも軽い。これがあの防人か。これでは普通の女と変わらんではないか……」
「グリモアを開いたら女は即殺す。どっちが早いか試してみるか?」
アドリアーノの機転でブライも動けなくなった。
サナトスを食い止めていたスカラールとグレイブは作戦が成功したことを受け、サオを奪い返されないようにと、中央に移動、ベルゲルミルたちをたった1人で抑えていたカレもみんな中央に集まり始めた。
「サオ! サオオォォオ!」
敵の術中に嵌められ、全てが終わったあとで湧き上がる自責の念。レダの足からロープが解け、ケガが軽症なのを確認すると即サナトスはサオ救出に単身で飛び込んでゆく。
だが遅かった。サナトスのその渾身の一撃はセイクリッドの盾に阻まれ、横からウェルシティの反撃に阻止される。
「うおおォォ、サオを! サオを離せ!」
ぐったりしてもう戦う力を失ってしまったサオは、うなだれたままなんとか顔を上げ、サナトスに何かを伝えようとして……だけど、声にならないその言葉……。
サオが奪われる……。サナトスは何度も救出を試みる。だが、セイクリッドやアドリアーノがそれを許さない。
サオは朦朧とする意識の中、運ばれてくる十字架を見て自分の運命を幻視していた。
あの日、ノーデンリヒト北の砦を守っていた時、何もできず蹂躙されるばかりで、そういえばあの時も、砦の門の前で死を覚悟したのだった。
でもあのときはロザリィを助けるために師匠が飛び込んできた。
あの衝撃的すぎて、今でも思い出さずにはいられない出会いのシーン。
「し……しょ……」
あの時、サオは命を諦めてしまった。敵の戦利品にされてしまうぐらいなら自ら命を絶とうとしていた。抗う力がなかったせいだ。でも、今は違う。
命を諦めない。
師アリエルの帰る家を、家族を守ると決めたのだから。
―― ぺち。
サオは意識も朦朧としていて自分の首根っこを捕まえているイカロスの顔もはっきり見えてないというのに、緩やかな弧を描いて、力のない平手打ちで戦う意思を見せた。
まだ戦う、まだ諦めない。サオは自分の持てる力の全てを使って、それでも戦いを続けようとしていた。もう意識をしっかり保つことだけで精一杯だろうに。
そんなサオの平手打ちを頬に受けたイカロス……。頬が震え、顔が赤く紅潮し、その侮辱の平手打ちに我慢ならなかった。
「この、下郎の分際で騎士の顔を……」
恥をかかされた報復がてら、グッと握りしめが鉄棒を振り上げたその瞬間だった。
サナトスであっても入ることができなかったこの鉄壁の布陣をあっけなく抜けて通る一陣の風。
―― ガスッ!
―― ドカッ!!
不意にハルゼルを襲う飛び込みざまの飛び膝蹴りと、突然の乱入者に一瞬振り向いたイカロスの顔面にコークスクリュー気味に突き刺さった右ストレート。
まるで紙細工の人形のように吹き飛ばされる勇者たち2人の姿があった。
「ふう、よく頑張ったな」
もんどり打ってふっ飛ばされるイカロスとハルゼルを尻目に、枯葉のように地面に落ちようとするサオを優しく抱きとめた黒髪少年の最初の台詞がこれだった。
ノーデンリヒトの抵抗は覚悟していたが、サナトスに対応していた背後に現れた突然の乱入者は想定外だった。ここまで見事なコンビネーションでサナトスたちを圧倒した勇者たちとはいえ、指示を出すイカロスが倒されると一瞬の混乱のうち目配せで合図するだけの時間、動きを止めてしまった。
こんな時、自分の判断で躊躇なく動けるのは歴戦の勇士、スカラールだけだ。剣を水平に寝かし乱入した少年とサオの二人とも巻き込んで叩き斬る構えで飛び込んだ。
「横取りはよくないぞ、小僧」
―― ガッ!
相手が丸腰の少年であっても容赦なく斬り捨てようとしたスカラールの前に長身の女が割って入った。渾身の一撃をあっさりと受け止める日本刀使いの女。ざらつく猫の舌のような剣気が肌を舐めるのを感じると、囲んでいた者たちは怖気立ち、みな間合いの外に出ざるを得なかった。
正体不明のデカい女に剣気を当てられ、怯んでしまった数瞬の膠着状態、重苦しい鉄のような空気を打ち消すようにスカラールがひとつ問うた。
「なあ、お前ら何モンだ?」
「あ?」
少年は苛立ちを露にした。
このままサオを抱き締め、ヒーリングしてやりたいところだが、せっかちな野郎どもが「何モンだ?」なんて剣を構えてせっついてくるのに辟易した様子。
黒髪の少年ははサオを抱いたまま振り返り、大きく息を吸い込むと囲む全員を一瞥してから言い放った。
「俺が勇者だっ!」




