09-31 赤髪の価値
「夜戦はやめといたほうがいい。死体を片付けたり葬ったりするのにまた休戦しなくちゃいけなくなる」
「ああ、その件なら報告書を読んだぞ。しかしそれほどの力があるなら、なぜ敵の側から夜戦を仕掛けてこない? なにか不都合なことでもあるのか?」
あの闇は気まぐれで、向こうから夜戦を仕掛けてきたとしたら帝国軍の被害がどれほどのものになるか分からないほどだというのに、仕掛けてくる気配もないと言うセイクリッド。
そんな幽霊のような敵が居たとして、真っ向勝負しようとしたとき兵士たちの士気がどれほど下がるかということにまで言及されると、それ以上なにも言えなかった。
夜はノーデンリヒト要塞も眠る時間なのだ。
もっとも夜にもしっかり攻めてさえいればあんな要塞を抜くことなど難しい話ではなかったのだが。
「むう、オカルトのようでにわかには信じられないが夜戦をやりたくないというのが兵士たちの総意だというなら無理強いできない。仕方ないな。私たちは多少の足止めを食らっても平気だが……ハルゼルが困るか。よし、お前がそういうのならよほどの相手なんだろう。増援の一個師団は分けずに統合して、この要塞を抜いたあとの掃討戦に使うか。どうせ戦利品もガッポリ持ち帰るんだ。士気高揚しすぎてまーた鼻血だすヤツが大勢出るだろうな」
夜戦はダメだというセイクリッドの提案をあっさりと受け入れたイカロス。わざわざ倒すのに手こずるような強敵と戦うよりも、そんなリスクは避けて、倒せば勝ちにつながる要人を狙ったほうが効率もいいしリスクも少ないという考え方で作戦をたてて、こちらの被害もできるだけ少なくして勝つのが第一条件として設定した。
「わははは、東ゲイルランドの戦な。エルフ女が大量に獲れたんで鼻血出すやつが続出でよ、救急テントが大行列になっちまったせいで『鼻血は治療の対象になりません』ってな張り紙を出すハメになっちまった。ちなみにそれ書いたの儂だ」
「オヤッサンの汚い字を読めたほうが驚きだ」
「あはは、違いないわ」
アドリアーノの突っ込みに同調するウェルシティ、簡単にはいかないまでもこの要塞を攻略することは可能だ。ここさえ抜いてしまえば、ノーデンリヒトの地はエルフの楽園だと聞く。宝の山を前にして高揚心を抑えられないのは兵士も騎士勇者も同じことだ。
「そうだな、この要塞を抜けばノーデンリヒト。噂ではエルフたちの楽園なんだそうだ。……そう考えるとこのくだらない任務も少しはやる気が出てくるから、兵たちの士気については心配なさそうだ」
「問題は、セイクリッドの言う、その得体のしれない幽霊みたいなのが不確定要素になってることだが……」
「それって闇の魔法だろ? 16年前のバラライカ決戦でブルネットの魔女が使ったのがそれだ」
「おいおいハルゼル、またブルネットの魔女を落とした自慢話か? そういうのは酒の席でやってくれ」
「自慢話にするにはもう古い話だよ。もう完全に過去の栄光さ……。俺もまた何か新しい功績を上げないと立つ瀬がなくなっちまうな……って言うかさ、今日の感じだと俺たち見てるだけでよくないか? ルーキーなんざお膳立てしてやらなくてもサナトスと一騎打ちしてこいって言えばコロッと殺されてくるだろ? で、俺は傷心の新妻をエンデュミオンさまのもとに連れ帰って任務完了、だけどエルフ狩りには参加したいから、イカロスたちが苦戦してるとか適当な事いってまた戻ってくるさ」
「なあハルゼル、お前よくそんなのやってられるな。弟王ともなれば女なんか選り取り見取りだろうがよ? 他人の女が欲しいからって男を死なせて奪おうなんてカッコ悪いぜ」
「オヤッサン、それ以上はダメだ。俺も最初はそう思ったが、それがただの横恋慕じゃないらしい。赤髪のえらい別嬪さんなんだが……」
あまりに弟王が執着することを不審に思ったハルゼルがちょっと調べてみたところ、その理由はすぐに分かったらしい。もと日本人には関係のない話だが、もともと帝国に暮らす土着の者たちにとって、赤い髪はとても馴染みの深い一族を連想させるという。
ソスピタ王国の忘れ形見。
赤髪はその昔、この世界が破壊神アシュタロスに滅ぼされかけたとき、アルカディアに逃れた王族の証なのだそうだ。
「その赤髪の女を妻にすることができができれば、アシュガルド帝国の古老たちはも、一気に弟王へ気持ちが傾くかもな」
「ハルゼル! めったなことを言うもんじゃないぞ。ここにはセイクリッドたちもいるんだ」
「私はハルゼルが横恋慕なんて言葉を使ったことのほうに驚いたわ。一瞬言葉の意味が分からなかったし。オヤッサンと年かわんないんじゃないの?」
「ちょっとまってくれ、ルーキーを死なせる? 聞いてないぞ? なんだそれは。そんなことは許さない。こんど到着するルーキーたちは全員俺の部下になることが決まってて既に辞令が届いてる、それを弟王が死なせろと? 本気なのか?」
聞き捨てならない話の内容に、黙っていられず、噛みつくように口を出さずに居られなくなったセイクリッド。まだ召喚されて間もないであろう、右も左も分からないルーキーが連れている女を奪うために死なせろだなんて、そんな命令を黙って聞くほうがどうかしてる。
「おいおい、儂は知らんからな。だがハルゼルは直接弟王から密命を受けたらしい。儂らが口出しできる範疇を大きく超えておるよ。この場にグラナダとカノッサが居ないことでだいたい察しはつくだろうが。あいつらカタブツだからよ、こんな謀を嫌うんだ」
「俺も大嫌いですよ」
「なあセイクリッド、……好きでこんなことしたい奴なんていないんだ。だから協力しろとは言わない。ただ耳を塞いで目をつぶってればいい」
「ハルゼルさんはむしろ積極的でやる気マンマンに見えるんですけどね? 気のせいっすか?」
「おいおい、機嫌を損ねちまったか。なんでお前がそんなにイラついてんだよ。まあお前もそのルーキーと会えばわかるって。ガキのくせにすげえ生意気でよ、この世界が一夫多妻OKとわかったらもうヨメが3人もいるらしいし、エンデュミオンさまの前でもポケットに手ぇ突っ込んだまま斜に構えてるしな。なんつーのあれ? ひとことで言えば『行儀が悪い』って言えばいいの? ひとの女が欲しいから男死なせて奪おうだなんて、普通ならお諫めするところなんだが、俺はいい気味だと思ったよ。己の無知なる行いは、その身に災いとなって降りかかるって事だろ? 自業自得だあのクソガキ」
少し空気が悪くなったのを察してか、騎士勇者の中で唯ひとりの女性、ウェルシティはルーキーにイラついてクソガキと罵ったハルゼルとはまた違った印象を持っていると言って、二人の間に割って入った。
「私はむしろ好感度高いんだけど? だって召喚されてまだ1か月たってなかったのよ? そんな短期間に一夫一妻制の常識で固まった日本女性をどう口説き落とせば3人も妻にできるのか興味あるわー。でもさ、3人もいるんだから1人ぐらい横取りされてもいいんじゃない? って話にならないのよね。ひと悶着あるわよそれ」
ハルゼルはいくらエンデュミオンからの命令だとはいえ、同じ日本人であるルーキーを死なせてまで女を奪ってこいと言われてそれを受けたことを責められていることが気に入らない。
弁明するつもりはなかったが、誤解されたままじゃ沽券にかかわることでもある。しっかり説明をしておかなければならないことだ。
「だから単純に女を横取りしたいって話じゃなくて、これは高度に政治的な問題なんだ。いいか? 赤髪の治癒師でアルカディア出身、しかも若い美女ともなれば、先に手を付けておかないと皇帝陛下みずからが軍を率いて奪いに来るやもしれないほどなんだ」
この世界にきて20年、もうこっちの世界のほうが長いイカロスにもちょっと理解できない話だ。
王族とはいえ過去何千年も前の話、そんな古い国の王族がいまの帝国にそれほどの影響を及ぼすとは考えられない。
「何者なんだ? その赤髪の女って……」
「赤髪は帝国が建国する以前にあったソスピタ王の末裔である証、更に高位の治癒師とくれば女神ジュノーの血を引く者である可能性が極めて高いし、あるいは生まれ変わりかもしれない」
「うっわ、それが本当だとすると……権力者なら喉から手が出るほど欲しい女だな」
「エンデュミオンさまが奪わなくても、いずれ必ず皇帝陛下に奪われる。エンデュミオンさま配下の俺たちとすればエンデュミオンさまには更なる上の地位に上り詰めていただいた方が恩恵も多いだろう?」




