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09-28 この笑顔を守りたい


「ねえあなた、ケンカ売られてるって理解してる?」

 ロザリンドの目がヤル気まんまんで輝いている。このケンカを買えという意味だ。


「えっ? マジで? こいつらってアレだろ、可愛いエルフの女の子に負け続けたからって、兵糧攻めでマローニを落としたっていう腰抜けだろ? よく聞こえなかったんだが、誇り高き何だって?」


 酒場のイザコザだというのに、あちこちで強化魔法の起動式が立ち上がり、酒場の空気は一触即発の危険な雰囲気に変わった。


「私もよく聞こえなかったわ。でも誇り高き腰抜けどもがエルフの尻を追っかけ回してるのは知ってる」

「あはは、それそれ。チキンどもにはお似合いだ」


 ニヤリと嗤うロザリンド、ボキボキと指を鳴らす乾いた音がギルド酒場に木霊こだまする。


 アリエルにしても売られたケンカだ。殺さない程度にぶん殴ってやるのが礼儀と言うもの。


「んだとこのガキ! やっちまえ! 構ゃしねえ!」



----


 結果はわざわざ言わなくても分かるだろうってほどありきたりなものだった。

 アリエルが殴れたのは最初の2人ぐらい。他は全員がロザリンドのパンチとキックをもらって気持ちよく床に沈んでいった。手加減していたとはいえ酒場に居て飲んでいた帝国兵23人全員が担架に乗せられて酒場を出ていく羽目になり、一時、ギルド酒場の前は騒然となった。


 イルベルムとランクスが走ってきて、事態を収拾してくれているところだ。

 マローニを統括する千人隊長アクエフという男がえらい剣幕で怒鳴り込んできたが、階級ではあきらかな上官である勇者に対し、下級士官が一方的に絡んだことを酒場のマスターがしっかりと見ていたため、ありのままを証言してくれた。そもそも強化魔法をかけてから殴りかかっている時点でケンカとは見なされない。責任はマローニ駐留軍のほうにあるということで押し切り、酒場の修理代はマローニ駐留軍の方で負担させることとなった。


 当然だがいい気味だ。


「イルベルムさん、この事はどうか内密にしてもらえないかなあ」

「いえ、報告書には記載する義務があるのでそれはちょっと……」


「いや、報告書はナンボでも書いてくれていいからさ、あっちで待たせてある妻たちにバレたら心配させちゃうからさ。頼むよ」

「ああ、そっちでしたか。そういう事でしたら私は貝になりましょう」

「ありがとう。恩に着るよイルベルムさん」



----


 酒場での乱闘騒ぎも、その責任の所在がはっきりしたことだし、アリエルたちはそのままイルベルムに引っ張られ、補給を受けている荷車の車列に戻ると、さっき頼んでおいた幌馬車がもう到着していて、エルフたちが行列を作って乗り込んでいくところだった。


「お、センジュ商会のやつら仕事がはやいな。……、ん、毛艶も悪くない。いい馬だ」


「兄さまおかえりなさい、食料の100人分が荷車に積めないの。こんなに積んだら押す人が大変なの」

「今だけでいいよ。あとでこっそり[ストレージ]に入れとくから」


「あとそれと……兄さま?」

 パシテーが指さす先は馬車の幌の下部。さっきのセンジュ商会の看板にあったものと同じマークが描かれていた。盗賊に狙われやすい商家のマークを入れるなんて珍しいと思ったのだけど……。


「どうした?」


「このマーク……ジュリエッタの……」


「パシテー知ってたの? 俺知らなかったんだけどさ、センジュ商会が帝国軍の物資を納入してるらしい」

「違うの、このマーク、ジュリエッタたちと捕まえたエルフの賞金首、ほら、タキって人の!」


 ……っ! そうだ思い出した。どこかで見たことがあると思ってたんだ。

 アリエルはパシテーとふたり旅の途中、南方に向かう道すがらエルフの賞金首を捕まえたことがある。

 その時の賞金首がタキという、もとドーラ軍のエルフ男だった。


 そう、これと同じデザインの烙印がタキの肩に押されていたのをこの目で見て覚えている。


 いくらお転婆で嫁の貰い手がなかったとはいえ、ジュリエッタが幼馴染で王国騎士のネレイドと組んで賞金首を追っかけるなんておかしいと思ってたけど、まさかタキを奴隷狩りの罠にかけて攫おうとしたのがセンジュ商会だったとは……。


「思い出したよ……。またセンジュ商会に来ていろいろ話を聞かないとな。……あ、そうだ御者席ぎょしゃせきで馬を操れるひとが居ないか探してみて」

「無茶なの。森エルフは馬に乗らないの。きっと馬なんて見たことがない子のほうが多いの」


 馬を操る御者が居ないと馬車が動かないので、荷車を押してくれる人たち、つまり元ボトランジュ人たちの中からつどって、交代で御者席に座ってもらうことにした。ほんの少しの人だけという限定ではあるけれど、少し休んでもらえる。



「点呼オッケー! んじゃ出発するぞ!」


 出発の合図に合わせて、荷車が動き始めると、後ろからジャージの袖を引っ張られた。

 ジュノーだ。


「あのさ、さっきの話なんだけどさ、ケガ人が大勢出たとかで救護の者が足りないらしくて、こっちにまで治癒魔法のできる人を呼びに来たのよ。でも誰かさんが難民たちが攫われてしまわないようにしっかり見張ってろって言うもんだから私たちは誰も動けなかったんだけどさ……」


「お、おお、それは大変だったな。ジュノーのおかげでみんな無事だったよ」


「で、さっきイルベルムが戻って来たから吐かせたんだけど……、なんでケンカになったのかを詳しく」

「イルベルムは貝じゃなかったのか……」


「貝の口を開かせるのは簡単。ちょっとあぶってやればパカッて開くのよ?」


「お前はロザリンドかよ! マローニは俺たちが暮らしてた街なんだ。サナトスも母さんたちも、サオもてくてくも、友達もみんなこの街で暮らしてた。俺たちの家もいまは汚ねえ軍人の宿舎になってて、ちょっとムカッ腹たててたところにケンカ売られたからさ……。高値で買わせていただいたよ。ま、俺の出番なんかほとんどなかったけどな」


「…… えっ?」


 ジュノーは追憶の彼方、記憶の奥底にある忌まわしい時代を思い出す……。

 もう思い出したくもない。だけど、決して忘れることなんてできない悲しい記憶だった。


 民族浄化。

 全てがベルフェゴールの敵だった。ザナドゥの少数民族、デナリィ族はベルフェゴール反乱のとがを受け、皆殺しにされてしまった。生まれたばかりの赤ん坊から、満足に歩くことも出来ないであろう老人まで、男女の分け隔てなく、それこそ絶滅するまで殺戮が続けられた。


 ベルフェゴールを慕う国民だという理由で、ベルフェゴールと同じ民族だという、たったそれだけの理由で。


 圧倒的な数で侵攻してきたスヴェアベルム兵の手で無残に殺されてしまった。


 ベルフェゴールは愛する者たちが受けた迫害を忘れない。サマセット陥落、アマルテア滅亡……血の涙を流しながら戦い、そして死んでいった者たちの無念を忘れない。愛する者を救えなかった戦士たちの無念を絶対に忘れない。何度も何度も繰り返したアルカディアでの生活、日本人でも『大切な友達』と呼べる男は烏丸大成からすまたいせいだけだったし、自分を産んでくれた両親に対しても、見えない壁のようなものを作って、どこかよそよそしく振る舞うのが癖付いていたように思う。


 周りの大人たちにしてみれば、人見知りが激しく、可愛くない子。それが嵯峨野深月さがのみつきであり、柊芹香ひいらぎせりかだった。


 ジュノーの知る嵯峨野深月さがのみつきは、目の前で泣いている人のために心砕きこそすれ、家族でもない誰かのためにケンカするほど感情を高ぶらせるなど、これまでなかったことだ。


 もう数えきれないほど繰り返してきた人生、悲しみの連鎖がベルフェゴールの心に深く重く沈殿していったのをジュノーはずっと傍で見ていた。だけど、ジュノーが知らないたった一度の人生、このスヴェアベルムに転生して殺されるまでの人生で何があったのだろうか。


 【小さく閉じた輪廻の輪】と呼ばれた隔離世界に囚われてしまって以来、ベルフェゴールの心から決して消えることのなかった心のおりが少しずつ削り取られ、従来の明るさを取り戻しつつあるようにも思えた。


「ああ、ここで暮らしてた人たちは、みんないい人たちばかりだったさ。友達も、家族もいたんだ」

「うん。お義父さんもお義母さんも、サナトスも、友達もみんな。あなたの大切な人みんなに私を紹介してね」



 アリエルはハッとして息をのんだ。

 そう言って、とてもいい、屈託のない笑顔を見せるジュノーの横顔を見たからだ。


 ジュノーが本心から笑った顔。


 なくしてしまったものがひとつ……この手に戻ってきた。

 あとはもう二度と失わないよう、守るだけだ。


「しかめっ面のジュノーが笑った。こりゃ雨が降るな」

「笑ってないわよ。ただちょっと嬉しかっただけ」


「嬉しいって? 何が?」


 ロザリンドと2人でケンカしたことでみっちりと小言をいわれるのかと思ったら、思いがけないところでジュノーの花のような笑顔が見られた。怒ってないのか? 本当に訳が分からない。


 アリエルは疑惑の視線をジュノーに向けた。


「なんて顔してるのよ。しかめっ面のアリエル? 変なの」

「あのなジュノー……。いや、もういいや。お前はそうやって笑ってろ。な」


「何それ? バカにされてる気がするわ。不愉快だし!」



----


 マローニを出てしばらく東に行くと、アリエルたちは歩みを止めてエーギルの眠る丘に向かって手を合わせた。街道から丘に向かって日本式のお祈りだ。手を合わせるのは仏教かな? エーギルが仏教の教えに従って成仏したとは思えないけど。エーギルもダフニスほどじゃないにせよアバウトな性格だったらしいから、なんでもいいだろう。


 マローニからノーデンリヒトまでの道は昔と比べ、相当に人や荷車、馬車が通ったらしく、踏み跡や車輪の轍、馬の蹄鉄の跡などが入り乱れ、道幅も数倍に広がっていた。


 難民のエルフたちは馬車を手に入れたことで、マローニからノーデンリヒトまで20日の道程みちのりを身体に負担なく移動することができた。それまで足が痛いだの豆がつぶれただのと言ってジュノーを困らせていたエルフの女の子たちも、荷馬車に揺られて20日目ともなると、今度は尻が痛いらしい。


「お尻までは治療できませんからね」


 なんとも冷たい事を言うジュノー。尻が痛いなら仕方がないし、ジュノーが専門外というなら、専門家が出るべきだ。アリエルが直々にお尻をさすってタッチヒールで治してやろうかと思ったところ、ロザリンドに腕を掴まれてしまった。

 まるで満員電車で捕まった痴漢のごとくだ。


「ジュノーは女の子のお尻なんて専門外なのよ。お尻専門はあっちの勇者。あの手でお尻を撫でて触って治療するんだけど、痛いの我慢できない人いるかな?」


 ロザリンドの言い方がひどい。悪徳勇者という設定なのに加えて、変態勇者っていうレッテルまで貼られてしまう勢いで沽券こけんにかかわる。もちろん尻をさすってほしいなどと手を上げる女の子は一人もいなかった。


「女の子はお尻の痛みが治まったみたいだし……まったく何てことしてくれるんだ。これじゃ商売あがったりだよホントに」


 そんなゆるーい雑談をしながら20日間、予定を遅れることなく歩いた。


 マローニからノーデンリヒトまでの道程は特に何もなかった。本当になーんもなかった。

 帝国軍が我が物顔で歩くようになって以来、ボトランジュ東北部の村々も廃村になっているのが目立つ。荷車を押す元ボトランジュ人たちの表情も堅くこわばっている。


 そう言えばアリエルたちはこの街道で盗賊に襲われたことはあるが、帝国軍の行軍を襲うようなアホはいない。何もない、平和な旅で当たり前の旅を続け、そして当たり前のように予定通り、20日目の夕方には、あと丘を3つぐらい。距離にして数キロといったところまでたどり着くと、アリエルの気配探知スキルに大規模戦闘の気配が飛び込んできた。


「戦闘をやってる。俺とロザリンドが先行してちょっと見物してくる」

「私も同行するわよ。あなたたち2人を行かせたら絶対に見物で済まないし。またケンカするに決まってる」

「俺って本当に信用ないよな! じゃあゾフィーとパシテーは列の先頭よろしく!」


「はい、気を付けてねあなた」


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