09-27 思い出のマローニ
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アリエルたちがノルドセカを出てから12日間の道程は、あまり変わり映えしない緑の丘陵地帯をただひたすら北に向かって行軍したのみだった。マローニを取り巻く情勢は厳しさを増しているが、勝手知ったる近所の道を歩くアリエルたちの歩調は軽く、待ちきれないように早足になってしまう。
途中、すれ違った旅人は皆無だったのが寂しい。ノルドセカからマローニまで南北を繋ぐ街道は、小さな村々を経由する賑やかな道で、商人や旅人がひっきりなしの往来があったのに、ノルドセカからマローニへ物資を輸送する軍所有の荷馬車列と何度かすれ違ったっきりだった。
この道の先にあるのは軍事施設だけなんだということを暗黙の裡に表す。
味気ない行程を遅れることなく、予定通りに到着したアリエルたちを別に歓迎するでなく、高い防御壁が一行を迎えた……。いや、ずいぶんと帰ってくるのが遅くなっちまったようだが、この様変わりした仰々しさは何だと言いたい。
街の外観は強固な防護壁で周囲をぐるりと囲まれていた。アリエルたちのよく知るマローニの面影は、外から見る限り、まるっきり失われている。
「あの防護壁を見てると懐かしいなんて気持ち、これっぽっちも沸いてこないよな」
「傾斜がついてて上に行くほどオーバーハングしてるの。兄さま、あの防護壁を設計したのは、きっと師匠なの」
パシテーはグレアノット師匠から土魔法を学んだから師匠の設計の思想と理論がよく分かっている。
対してアリエルが土魔法の講義を受けたのはノーデンリヒトで生きていくための魔法技術の一環として教えてもらったから高度な設計までは教わらなかったけど……むしろ地ならしから始めての整地作業、基礎固めと、地味な作業を延々やらされたのを覚えている。
そんなアリエルであっても建築物をパッと見ただけで誰の設計かなんてまるっきり分からない。というか気にした事もない。きっとこれはアレだ、アリエルにとって業物の剣を見たらその作者が誰なのか知りたくなるのと同じことなのだと思った。
ロープで繋がれて歩くエルフたちはさすがに辛いようで、アリエルたちの荷物を運ぶはずの荷車は疲労したエルフたちが常にかわりばんこで乗り降りする憩いの場となっていた。心が折れそうになっている難民エルフたちをミツキたち側女が励ますという奇妙な関係が出来上がっている。
おかげさまで精神力が維持できているようだけど……旅慣れない女の子の足にこれほどの長距離移動は厳しい。マローニで馬車を買えなければ、ここから先の道程にトラブルが起こる。
「イルベルムさん、買い付けたエルフたちが歩けないっていうからさ、馬車を用意しないとここからもう動けないんだけど」
「分かりました。交渉してみましょう」
イルベルムの話によると帝国軍に追従し補給物資を一手に賄うのはシェダール王国の商家、センジュ商会。いまや王国一の豪商になっているらしい。なんと嘆かわしいことか。
国の政治に口を出すほど莫大な資金力を持っている特権商人のことを豪商と呼ぶ。まさかこんなところでセンジュ商会の名を聞くとは思ってなかったのだけど……。
「センジュ商会が王国一の豪商だって?」
「知っているの?」
ジュノーは知らなくて当たり前。センジュ商会はスヴェアベルムに転生したアリエルの母方の実家だ。
……とはいえ、ジュリエッタぐらいしか面識はないのだけれど。
そういえばダリルのエレノワ商会が莫大な利益を得た商品は奴隷だった。ってことはセンジュ商会も奴隷を商品として扱ってるってと見て間違いないか。
マローニ南門から少し北に行った辺り、その昔、盗賊が幅を利かせてた時代に作られたという刑場。エーギルが磔刑にかけられ処刑された忌まわしい場所だが、いまはもう取り壊されて荷物が高く積み上げられている。物資の山々がいく盛りもあって、そのすぐ横に一見して倉庫のような建物が建てられていた。急ごしらえなのだろう、無駄な装飾など一切ない、ただ荷物を一時保管できればそれでいいといったイメージだ。
馬車が余裕で出入りできる大きさのスライドドアの上部に懸けられたセンジュ商会の看板に目がとまった。いや、正確にはセンジュ商会を表す家紋というか、マークに目を奪われたんだけど、これどこで見たっけか。荷車をデフォルメして描かれたかのような車輪のマークだ。
はて? なんだっけか? と看板を見上げているうちにイルベルムがチャイムを鳴らしていたらしい、中から出てきた男と書類のやり取りをしている。
「ノーデンリヒト方面攻略軍司令部宛ての補給物資を受け取りに参りました。あっ、それとですね、ちょっと積み荷が増えてしまったもので、馬車を馬ごと買い取りたいとおっしゃる方がおられまして……」
「あ、俺だ。馬車5台と、それを引く馬もつけて売ってほしい」
応対に出たセンジュ商会の男は茶色に近い、暗い金髪がくりくり巻き毛になっているのが特徴の、小太りの男だった。
「ようこそ帝国軍のお歴々。このたびは当商会に馬と馬車のご用命、ありがとうございます。ですがお客さま、ここにある馬車と馬は商品をお手元にお届けするための移送手段でございます。これを販売してしまいますと……」
「2頭立ての幌馬車を5台。馬車馬を10頭。それと軍補給物資に100人分の食糧を追加だ。代金は王国金貨で50枚もあれば足りるだろう? もし足りないというなら……」
イルベルムに見えないようこっそりと一枚、白銀に輝く鱗を握らせ、ニヤリと笑うアリエル。
それは手のひらには握り切れないサイズの巨大な鱗だった。
「どうだ? それに興味はないか?」
白銀の鱗を渡された男は、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに商人独特の鋭い目つきで手の中のものを鑑定しはじめた。まずは手触り、そして材質の検分から叩いて耳に近づけると微かにキン――と響く音叉のような音。羽のように軽いにもかかわらず、金属ほどに硬い。こんなもの、人の手が作り出せるものじゃあない。手に取った瞬間に『もしや』と思ったものが確信に変わった。
「こ、これはドラゴンの鱗……たしかにこれは目玉が飛び出すほど高価なものですが……」
せっかくイルベルムに見せないよう、こっそり手渡したというのに台無しにされてしまった感はあるが、いくらイルベルムがこの世界のことをよく知っているとはいえ、所詮は日本人。これがどのような物なのか? というところまではさすがに知らないらしい。
「それは便宜を図ってくれた礼だ」
「い、いや、しかしこのような貴重なものはいただけません……助役どの、このお方はいったい? ずいぶんとお若いようですが……」
「勇者さまにございます。アシュガルド帝国の弟王エンデュミオンさまより勅命を受けてノーデンリヒトに向かうところであります。多少の無理を聞いていただけるとみなが助かりますゆえ」
「はっ、それを聞いただけで身元の保障はされたも同然。分かりました。王国金貨50枚にて、2頭立ての幌馬車5台と、それを引く馬10頭、あとノーデンリヒトまで25日、追加の食料100人分。これで商談成立です。そしてこちらの鱗……」
「ああ、さっき言ったろ? それは無理を聞いてくれた礼だから取っといてくれて構わないよ。もちろん、それを商品としてもっと仕入れたいというなら、お近付きのしるしともなる。帰りにまた寄るからその時にでも相談しようか」
「なるほど、名刺代わりということですか。これが何枚もあると聞くと、我々商人は心が鷲掴みにされる思いでございます。商談、それは願ってもないこと。お帰りの際にまた立ち寄っていただけるのを心よりお待ちにしておりますよ」
「出発までに行軍する隊列の一番前のグループに持ってきてくたら助かる」
「かしこまりました。必ず間に合わせましょう」
慌ただしく補給物資を運び出す荷車が出ていくセンジュ商会の荷積み場。
荷車は来るときの3倍規模に増車となった。帝国軍の動かせる物資の豊富さに辟易してしまうほど。
「こんなに物資いるのか?」
「先週、ここから1万の兵が先行してノーデンリヒトに向かいましたので、次々と運ばねばなりません。私は目録に記載されたものが全て積まれているかどうか検品の作業に立ち会わねばなりませんのでこれで。2時間ほどでここを出るので、またその時に」
センジュ商会に代金を支払うと、アリエルたちはイルベルムと別れ、勝手知ったるマローニの街がどう変わったのかを見て回ることにした。人の生活臭がしなくなってはいるが、セカの北東地区ほどでもないか。人々の生活は保障されているのか、昔からあった食料品店などはそのまま残っていて、店が開いてる。
ここから北の街区にある初等部と中等部の建物、マローニ魔導学院などは軍が徴用し、軍の施設として積極的に使われているらしい。
たしかに部屋数の多い既存の建物を積極的に軍施設に転用すると楽だけど……、でもそれをやってしまうと、ここを追い出された者たちの頭の中、軍施設の見取り図があるってことになる。
通りからちょっと東に入ったところにあるベルセリウス別邸を外からちょっと覗いてみると、見る影もないほど増築に増築を繰り返したようで、美しかった庭は見る影もなくなっていた。
いや、あれは帝国軍がやったことじゃない。パシテーに建ててもらったアーヴァインの住居も残っているし、ひとつ窓のない石造りの建物に3メートルサイズの巨大な扉が見える。いつかドーラに行ったときエテルネルファンの町でよくみかけたドーラ建築だ。あれが倉庫じゃないとすれば、ダフニスが住んでいたとしか考えられない。
背中のチャックを開けたら中から酒飲みのオッサンが『のそり』と出てくるとしか思えない、あのぐうたらガハハ熊がマローニくんだりまで来ていたなんて信じられないのだが……。
「なあロザリンド、ダフニスの野郎も来てたっぽいように見えるんだが……」
「そうね、でもあいつらしいよ。なんだかんだ言ってあの熊、あなたのことが好きだからねぇ」
「よしてくれ。俺は男は嫌いなんだ」
通りに戻って北に見えるのは、……懐かしい、冒険者ギルドだ。
ギルドの建物は変わりなくそのままだけど、トレードマークの鷹の旗は降ろされていて、いまは酒場として営業しているようだから、アリエルたちは少し寄っていく事にした。
ウェスタンドアを押して中に入ると、真っ昼間から割と繁盛しているらしく、中には帝国兵たちが屯している。
そりゃそうだ。ここは戦地から500キロ近くも離れている中継基地。緊張感なんてカケラもなくて当たり前。こいつら兵士はここに居るだけで給料をもらえるんだから、お天道さまが高いうちから飲んでクダ巻いてても構わない。
一歩奥に足を踏み入れるとギラリと睨みを利かせてくる帝国兵たち。視線を逸らして軽くいなすアリエルと、やはり睨み返さずにはいられないロザリンド。
アリエルは『ケンカ買います』という挑発的な視線で睨み返すロザリンドを制止すると、みんなでカウンターに陣取った。
すぐ横、酒に酔ったハティが書いた『我が友アリエルの結婚を祝して』……もう消えそうになっていたが、まだうっすらと残っている。
落書きを指でなぞって、ここで暮らした日々を思い出した。
マローニ。ここはいい思い出がたくさん詰まっている。街並みがそのまま残っているだけでもよかった。
「おっちゃん、ミルクをジョッキで」
「すいません勇者どの、ミルクはないんですよ。酒ならいっぱいあるんですがね?」
「昼間っから飲むと助役たちががうるさくてさ。……あ、そうだ。カーリやハティ、ユミルたちが今どこでどうしてるのか知ってたら教えてくれないか?」
おっちゃんのグラスを拭く手が一瞬止まったが、そのまま目線も上げずに答えた。
「んー、そんな人いたっけかな? 歳をとりすぎちまったせいかよく覚えてないんだ。人探しなら他をあたってくれ」
「そか、ありがとうな。おっちゃん」
アリエルたちはマローニの冒険者ギルドに併設されたギルド酒場で、完全アウェーな突き刺さる視線に曝されている。ビアジョッキをガン!とテーブルに叩きつけた男が、アリエルに絡む。
「ケッ! ガキかと思ったらなんだ、勇者サマご一行かよ……くそったれ」
アリエルを勇者と知って睨みつける兵士。勇者サマなんて揶揄したような言い方をされたが、階級では千人隊長と肩を並べているはず。まあ、いきなりこんな高校生のガキが自分たちの上に立って『死んで来い』なんて命令を出すんだからやってられないのは分かるが、その不満は面と向かって言っちゃダメだ。
士官学校出たての兄ちゃんならいざ知らず、いきなりケンカ売る気満々でこられちゃ、ケンカ買うしかなくなってしまう。そもそも帝国軍がマローニに駐留してるだけで相当イライラしてるのにだ。
「なんだよ勇者が嫌いなのか? これでも味方なんだぜ?」
「……味方だなんて誰も思っちゃいねえよ。異世界人が……」
「たしかに異世界人だが、祖先は同じだって聞いたぜ?」
「そうさ、神話の通りならあんたらは深淵の呪いで世界を見捨てて逃げた卑怯者の末裔で、俺たちは滅亡を生き延びた誇り高き英雄たちの末裔だ」
異世界人に食って掛かる男の声が熱を帯びてきたのを察してか、テーブルの対面で飲んでいた男が立ち上がり、制止気味に割って入った。
「おいおい、その辺にしとけ。懲罰はイヤだろ?……悪かったな勇者サマ、俺たちみんな酔ってるが、こいつ下戸でよ、シラフなんだわ。許してやってくれ、な」
悪酔いしてる風でもないと思ったら、思いっきりシラフでそこまで言うか。いや、酒でも飲んでないとやってられねえって意味なのだろう。ここは本当に空気が悪い。
女連れのときに絡まれたら、普通はトラブルを避けるだろう。こいつらそれを見越したうえで絡んでいる。もめ事を避けようとしたら腰抜けだのチキンだの言ってバカにするというパターンが透けて見える。だけどこいつら本当に運が悪い。横に居た女がロザリンドだということが、こいつらにとっての不幸だったとしか言いようがない。……もう、どうしようもなく。




