09-22 ぬくもりをあなたに
棺牢の中に入っていたモノは、一見しただけではそれが何なのか分らなかった。
目を覆わんばかりの、人の原形もとどめていないような……内臓と肉塊と血溜まりとしか言いようのないものだった。
その肉塊に多数の槍が突き立てられ、無造作にこのミスリルの入れ物に放り込まれていると言った方が正しい。
一瞬、息をのむほどの時間、周りにいた者みなが混乱する中、深月の声が教会内に響いた。
「ジュ……ジュノー! たすけて……ゾフィーを。うわあぁ、ゾフィー!」
「やってる! ロザリンド! パシテー! 刺さってる槍を一本ずつ抜いて。一本ずつ」
「分かった! これでいい? 傷が塞がったら次の抜くよ?」
「血を失い過ぎてるの。これでいいの? 本当に助かるの?」
「絶対に助けるわ!! 大丈夫。ゾフィーはものすごく強いの。あなたは邪魔だから離れてて!」
「そんなこと言ったって、いやだ、ゾフィー! ああぁ……」
「烏丸! 深月をひっぺがして! 治療の邪魔っ!」
「深月、柊に任せろ。絶対にうまくやる」
「こ、こんな惨いことが…… こんな惨いことがあるか……」
奇しくもジュノーを祀るこの教会、翼を生やし、光を抱いた女神ジュノー像の前で、深月は祈りながら見守ることしかできなかった。
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この4つの世界で、過去から現在にかけて、最高の治癒権能を持つジュノーだったからこそ慎重に慎重を重ね、ゾフィーを死なせず生かしたまま、美月とパシテーに的確な指示を与え15分かけてすべての槍を抜き、バラバラになっていた肉体を元通りの組成に組み直すことができた。
ゾフィーの身体を貫いていた槍、その数37本。
女の柔肌に槍を37本も突き立てるなど、どれほどの狂気か。
全身くまなく、両眼や頭部に至るまで槍に刺し貫かれていて、ほとんどすべての槍は柄の部分が折損していた。どれほどの憎しみをもって槍を突き刺せばこれほど惨たらしく身体を破壊し尽くせるのか……。
ジュノーもまさかゾフィーがこれほどの責め苦を受けているとは考えなかったのだろう、下唇を噛み締めながら治癒させた。
「できる限りのことはやったわ。あとは目を覚ますのを待つだけ」
横たわるゾフィーをふたつの腕で抱きしめる深月は、ゾフィーの柔らかい肌、軽いウェーブのかかった艶やかな髪に顔をうずめた。忘れえぬうなじの匂いがフラッシュバックを起こす。
感じる……体温を。
聞こえる……鼓動が。
息をしている……。
ゾフィーを感じる。
もうこの腕に抱くことはできないかもしれないと思っていたゾフィーが、いま腕の中でスースーと寝息を立てて眠っている。
深月の精神と肉体は、ここで安堵感に支配された。
脱力する。
気が遠くなる。
2万年……、いつだったかアリー教授が言ってた。深月がベルフェゴールとしてこの世界に来て世界を滅しかけた戦争をしていたのは、およそ2万年前だと言われた。
深月は実に2万年ぶりに奪われた妻をこの手に取り戻すことができたのだ。
深月の背後では、そのショッキングなシーンを見てしまったミツキとタイセーの側女イヴが倒れ、浅井は教会の外まで走って行って思う存分胃の内容物を吐き出した。
どれぐらい時間が経ったろうか。
さながら教会の中庭、みんな祈るような空気の中、静寂は破られた。
「なんだか初めて会ったときみたいですね。恥ずかしいわ」
「……ダメだ、我慢しろ」
「はい。分かりました」
……。
……。
「……ただいま。あなた。いま帰りました」
「…………」
「ジュノー、助かったわ。ありがと。また借りができたわね」
「どうせ返す気もないくせにさ」
「初めまして、ロザリン。んと、パシテーは何年振りかしらね。はい、この人の妻です。ゾフィーといいます。よろしくね」
ロザリンドは初めて会ったゾフィーを見て息を飲んだ。
この、魔人族から禍々しい角と爪を取り除いて、ただ美しいだけの存在に目を奪われずにはいられない。光沢があって軽そうな黒髪と、深く、どんな血の色よりも深い、根源の紅を具現化したような、見る者を惹き込む紅い瞳。
前世で魔人族として生まれたロザリンドの憧れていた姿がそこにあった。
「ほんと、パシテーと言い、ジュノーと言い、ゾフィーと言い、ここまで完璧に綺麗だと嫉妬心も湧いてこないわ」
「姉さま、余裕なのね。私はいつも嫉妬ばかりなの」
「ねえあなた、そろそろ離してくれませんか? 穴だらけでボロボロの服を着替えたいわ、こんな姿で新しい奥さんたちに挨拶するなんてカッコ悪いじゃない」
ゾフィーはその場で着替えた。アリエルのように[ストレージ]から手に取って、それを着替えるなんて動作も必要なく、瞬間着替えのように、パッと瞬きほどの間に身に着けた衣服だけがすげ変わる。その完璧な体のラインがピッチリ出る全身タイツのようなボディスーツは深紫色の光沢ある材質だった。
すぐさまジュノーのファッションチェックが入った。2万年近いブランクがあっても、そんなことは一切考慮されない。いまダサいものはダサいのだ。
「ちょっとその恰好は今の世の中ちょっとマズいわ。変態姉さんにしか見えない」
「へっ……変た? これは鎧下なの。とっても動きやすいんだからね。もう」
「私のスリムチュニックを上からかぶったらどうかな? 身長もあんまり変わらないし」
「ゾフィー? あなたのファッションセンスは2万年遅れてる。ちょっとまって」
ゾフィーは美月の側に歩み寄って、少し見上げるように言った。
「わ、ロザリンって私より大きいんだ。ちょっと悔しいな……」
「ねえあなた、私の衣装ケース出してみて。合うの探してみるから」
ロザリンドの衣装ケース8箱ぜんぶその場に並べて出すと、女どもが総出で似合いそうな服を物色しはじめた。あーでもない、こーでもないと。
「まあ。スカートって可愛いわね。気に入ったし。ちょっと借りとくわねロザリン。ところであなた、これはなに?」
ゾフィーは目ざとく深月の影になにか不審なものを見つけた。その得体の知れなさを察してか、少し不機嫌そうな顔をしている。
「ああ、これはネストだよ。てくてくが設置した転移魔法陣なんだけど魔法生物限定だから俺たちは入れないんだ」
「ふーん。そうなの。中はどうなってるの?」
「入ったことないから分からないけど、結構快適な部屋と、あとドラゴンがぐっすり眠れるスペースもあるらしい」
「へーっ、いいアイデアね! 私の知らない間にいろいろ新しい魔法もできたのね」




