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09-20 女神像のもとで

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 エルドユーノ郊外にある訓練施設を出た深月アリエルたち一行は、与えられたエルフ女たちを連れ出すことに成功し荷車にのせた。小さな村や集落は点在するものの、広い通りを西に向かって折れるとあとはバラライカまで一本道だ。遠足気分で鼻歌交じりの者などひとりもいない。深月アリエルの後ろに連なる兵士たちもこれから行く戦場の子とはよく知っている。何万もの帝国軍人がそこで戦死したからこそ補充という形で送り込まれるのだ。皆一様に表情は暗い。


 寝不足の女たちは交代で側女たちの乗る荷車に便乗しては昼寝することで睡眠不足を乗り切った。

 サスペンションのない荷馬車だったので乗り心地、寝心地は最悪だったそうだ。

 最初から中々に酷いスタートだったが帝国内で陸戦隊の移動する隊列を襲おうなんて輩はひとりもおらず、順調そのものに進軍し、3日の行程だったが深月アリエルたちは予定よりも半日早く国境の街バラライカについた。


 16年前、深月アリエルたちが目指した街だ。

 戦闘のあった当時は乾燥していて赤土が顔をのぞかせていて、雑草も覆い尽くすことができなかったような乾燥した土地だったが、アリエルたちの目の前には別世界か?と思えるほど巨大な湖が広がっていて、その水面はシンメトリーに空を映し出していた。


「この湖は16年前の決戦でかの3大悪魔を討ち滅ぼした際にできた大穴。勝利ヴィクトリアの湖と呼ぶものも大勢おります」

 イルベルムがえへんと胸を張って3大悪魔討伐の自慢話を始めた。その話を聞くたびに深月アリエルは心がよどむのを感じた。帝国軍を甘く見たせいでロザリンドを、パシテーを殺されてしまったのだ。


 当事者だったロザリンドもパシテーも、そんなイルベルムの自慢話などまるで耳に入らないように聞き流し、ただただ驚きの声を上げた。


「すっごいの。向こう岸が遠いの」

「ここ? 私たちが戦ったのはここで間違いないの? はあ? なんでこんな大爆発してんのよ。改めて見たら信じられないほどの大災害じゃない……私の身体どうなったの? もしかして蒸発しちゃった? せめて刀……いえ、指輪だけでも回収してほしかったのに……これ見て絶望したわ」


 ジュノーは腕組みをしながらコクコクと頷いた。

「あなたにしては被害が最小限ね。よく我慢したわ。サナトスのおかげかしら?」

「え?」

「え?」


 イルベルムの話によると、ここから船に荷物を積み込んで4日でノルドセカに着くという。

 船で大河を下ることの有用性がこれだ。アシュガルド帝国とアルトロンドの国境にあるバラライカの港町から河を下ってノルドセカまでたったの4日の距離しかないという事だ。しかし逆に、ノルドセカからここバラライカの港町まではジェミナル河の流れに逆らい、下流から上流に向かって遡行することになる。モーターやエンジンのないスヴェアベルムで兵員を輸送できるほどの巨大船で流れに逆らうのは大変な苦労を要する。兵員と物資満載では風魔法使いの一団を乗せても遡行できず、ノルドセカを出航した兵員輸送船がバラライカまで遡上するのに、空荷物の船を風術師の風魔法でゆっくり運んでいる。


 シェダール王国とアシュガルド帝国の関係がこじれ、万が一にでも戦争になってしまった場合には、アシュガルド帝国軍のほうが圧倒的に有利に戦えるということだ。


「なあランクス教官、俺たちちょっとセカに用事があるんだ、ノルドセカに着いたら半日だけでいい、ちょっと寄り道をさせてくれ」


 ランクス教官は深月アリエルの言葉に少し眉をしかめて見せた。

「あなた方はここに知人もおりますまい? セカへいかような用事か?」


「女だ。女を待たせてる」


「失礼とは思うが、勇者どの? 同行のお三方はみな奥方であると聞き及んでおるが?」

「美しい女は何人いてもいいだろう?」


「ま、そのとおりでございますな。了解した。半日だけですぞ」

「ありがとう。とびっきりの女を見せてやるよ」


 ランクスと深月アリエルのやり取りをすぐ横で聞いていた浅井ルシーダはもう呆れ果てて言葉も出なくなった。出るのは溜息だけ。常盤美月ときわみつきの友達として許せない気持ちでいっぱいだ。浮気男は全ての女の敵なのだから。


「え? なに? 嵯峨野さがのってまだ女いるの? 信じらんない」


 しかし韮崎アッシュの視線はいぶかることをやめなかった。いまの深月アリエルの言動もおかしい。


「どこかの街で待ってるらしい。たぶんあいつら、この世界に来たことがあるんだろうな。最初からこの世界の言葉が話せた時点で俺は怪しいと思ってたんだが……」


「じゃあ何? 日本に帰る方法があるってこと?」

「そうだな。あるかもしれないな」


 この世界に来て、日本に帰った。これは浅井ルシーダにとっても韮崎アッシュにとっても重大なことだ。しかし遠い目をしてまるで他人事のように話す韮崎アッシュを見た浅井ルシーダは少し呆れたように言った。日本に帰るということは、こちら側の世界で得たものを全てかなぐり捨てるということだ。


「ふうん、なんだか帰る気なさそうね。アッシュ」

「ああ、俺は……もう帰れねえかもな」


 そんな二人の傍ら、すぐ隣に立っていた美月ロザリンドが2人の疑問に答えた。友達に変な疑いを持たれるのは嫌だったという、ただそれだけの理由でだ。


「そうよ、浅井トーカ。私たちはこの世界を知ってる。でもね、期待させて悪いけど、ここから日本に帰る方法は分からないの。深月うちのひとはあるはずだって言ってるけどね」


「じゃあ、ここにきて、どうやって日本に戻れたの?」


 浅井ルシーダの疑問は至極真っ当な疑問だった。いま聞いただけの説明だと分からないことが多すぎる、いやむしろ矛盾していて当然次に質問されることも分かっていてそう答えたのだろう。


 美月ロザリンドは顎をポリポリと掻きながら思い出しにくい記憶の引き出しを探していた。


「うーん、じゃあ浅井トーカ、36年前? のことなんだけど……私がさ、身長150センチそこそこのちっこい身体で剣道部でさ、すっごい頑張って部活に打ち込んでたんだけど、試合でひとつも勝てなくてさ……。浅井トーカはね『大きいくせにちっこい美月みつきを叩くなんて許せない』って怒ってたんだよ? 覚えてる?」


 美月ロザリンドが言ったのは、前々世、つまり嵯峨野深月さがのみつき常盤美月ときわみつきが黄色いナトリウムランプの連続するバイパス道路を歩いていて、トラックに轢かれるという事故を起こし、死んでしまったときのことだ。


 当然、浅井ルシーダには覚えがない。


常盤ときわ? 何を言ってるの? 36年前?」

 混乱する浅井ルシーダと、その横で眉根を寄せて深く考えている様相の韮崎アッシュ


「ああ、だんだん分かってきたぜ。だがまだ繋がらねえ。……でもそのうち分かんだろ? 常盤ときわ

「そうね。だいたい察しは付いてるんでしょ?……本人に聞けば?、ねえ……」


 ランクス教官から半日だけ行軍を待ってもらうよう話を取り付けた深月アリエルは、まさか話が回ってくるとは思ってなくて、一瞬どう答えたらいいか分からず困った顔をみせた。


 美月ロザリンド浅井ルシーダと仲がいいから、いつもの『友達にウソをつきたくなかったんだ』みたいなことを言いだすアレだと察した。


 ってことは、この場をウソで切り抜けるようなことをすると、あとで美月ロザリンドに怒られるから、ウソは言えないってことだ。


「んー、そうだな。美月みつき、ちょっと説明が難しすぎる。もうちょっと簡潔に説明してやらないと、2人とも分かってないぞ?」

「じゃああなたに任せるわ。どうせ私は訳分かってないしさ」


「うーん、そうだな……。じゃあ韮崎アッシュ、おまえは『あっ、このシーンどこかで見た』とか「あれっ? ここ初めて来たはずなのに知ってるぞ』とか『このシーンは夢で見た!』とか思ったことないか?」


「あるさ。何度もな。既視感デジャヴってやつだ。疲れた時に脳ミソが錯覚するってやつだろ? いつだったかテレビで見たぜ?」


「そこまで分かってるなら説明しやすいな。じゃあそれが本当に記憶にあった出来事で、忘れてしまった記憶の断片を脳が拾い上げて、ふとしたきっかけで思い出してるんだとしたらどうだ? 俺たちは何度も何度も同じ時間を生まれ、そして死ぬというサイクルを、これまで何百回も繰り返してるんだとしたら?」


「……嵯峨野さがの、俺的にはビッグバン理論よりはこっちのほうを支持したい気分だが、なんだか難しいことを言ってけむに巻こうとしてるんじゃねえか? っていう疑いのほうが大きいぜ。……だがよ、仮にそれが本当だったとして、さっき常盤ときわが言ってた36年前の話に繋がるって事か?」


「そうだよ。……てか、おまえ、いまの話、理解できんの?」


「いま常盤ときわに簡潔な説明をしろって言ったくせにそれか? マジ信じらんねえ。あのな、俺ぁ、ビッグバン理論なんていう天文だか物理だかのワケわからん話よりオカルトのほうが好きだ。死んだら消滅なんて話よりも、何度も生まれ変わって生きてるというほうが夢があっていいと思うぜ」


 中山ソランたちクラスメイトは、突きつけられた現実リアルに押しつぶされそうになって、生きていこうとするだけで精一杯だったというのに、なるほど、韮崎アッシュは現実をしっかりと見たうえで夢を語れるナイスガイだった。深月アリエルの中で韮崎アッシュ株が少し値上がりした瞬間だ。


「なあ韮崎アッシュ、ひとつ聞かせてくれ。最初に側女たちがずらっと並んでたとき、お前は何で俺が選んだ子にこだわったんだ?」


「はあ? そんなことあったっけか?」

「お前がうちの怖い女たちにひどい目にあわされたあの時だよ。脳にダメージでもあったか?」


「いや俺はドンクセえ割に打たれ強いらしい、頭のほうは今のところ無事なんだが、ああ、あれな。別にこだわっちゃいなかったさ。ただな、あれだけの人数いて、あの子だけが震えてたんだ」


 韮崎アッシュはあれだけの人数いて、ひとりだけ震えていた子を助けようとしたってことか。……ひとりだけ?


 深月アリエルはずらっと並んだ女の子の中に、ひとりだけ純エルフが混ざっていたことが気になったというだけだ。それを韮崎アッシュは、ひとりだけ震えていたから気になったという。


「…………それだけ? マジでそれだけの理由なのか?」

「ああそれだけだ。他にどんな理由がある?」


「そっか韮崎アッシュ、実はあの子ちょっと知ってる子でさ、おまえにひとつ借りができた気分だよ」


「はあ? そんなこと当然だろ? でも借りがあるってんなら、うちのナリシュも同行させる許可をもらってくれたことは俺にとっちゃデッカイ借りだ。それと合わせてチャラにしてくれたらありがたいぜ」


 まあその後、整列したまま跪いたエルフの女の子たちは韮崎アッシュが一方的に叩きのめされたのをみて全員が震え上がることになり、クラスメイトはみんな震えるエルフの女の子を選ぶ羽目になり、中でも涙目で身体の芯からガタガタ震えてた一番小さな子をアーヴァインが引き受けたという、とても笑えないオチが付いたのは記憶に新しい。


「あはは、そうだな。チャラにしとこう。それがいい」


 深月アリエル韮崎アッシュの背中を押して桟橋を渡り、兵員輸送船に乗り込んだ。




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 船旅が苦手なパシテーは終始落ち着きがなかったが、追い風が強く吹いたせいか予定の前日の午後には無事、ノルドセカに着いた。3日と半日の船旅の間、ただひたすら船酔いと格闘し、初日の1ラウンド目からKOされてしまったタイセーいわく、生まれてからこれほどの地獄を体験したことはないらしい。


「うー、俺たぶん今なら多少の拷問なんざ屁でもねえ気がするぜ」


 ウソだ。前世のタイセーは美月ロザリンドに死ぬ寸前まで殴られてた。

 絶対にそっちの方がキツい。やっとおかに上がり、自分の足を地に付けたパシテーもようやく安堵の表情を見せた。


 帝国軍陸戦隊第三軍ていこくぐんりくせんたいだいさんぐんは今夜はノルドセカでキャンプするそうだ。

 深月アリエルたち一行は勇者優待ですぐにセカへ渡船を出してもらえることになり、深月アリエルたちを乗せていった船はセカ港のほうで帰りを待ってくれているというチャーター船だった。なんと素晴らしい勇者特典だろうか。


 深月アリエルに同行するのは全員……、いや絶対に誰か残して行けって言われると思ったけれど、まさか側女たちも含めて、韮崎アッシュ浅井ルシーダもくっ付いてくるとは思わなかった。


「てか俺さ、女に会いに行くっつってんじゃん。みんな何で付いて来るのさ」

「いやあ、もしあんた達が戻ってこなかったら私たちどうすればいのかなって思って」


 浅井ルシーダの言い分はもっともだった。


「俺マジで信用ないのな」


 深月アリエルたちはセカ港で渡船を降りると、桟橋から通りに出て街に向かったけれど、セカの街は以前のように賑やかではなく、まるでゴーストタウンのように見えた。

 商店は略奪にあって荒れたまま。扉も破壊されたままで一般市民はまるで見かけないし、家屋の中に人の気配もない。あれだけ居た人たちはいったいどこに行ってしまったのか?

 まさかどこかに攫われたってこともないと思うが。


 すれ違う帝国兵たちはジロジロとこちらを見はするが、呼び止められたりなどということもなく、トラブルもなかった。セカ港区を出ると幾分か賑やかに人々の生活が見られるようになった。どうやら帝国軍が支配しているのは港の区画だけのようだ。


 セカの人たちは深月アリエルたちとは目を合わせるようなこともせず、帝国軍の徽章を見ると無条件で道を空けてくれた。


 深月アリエルたちはセカの人たちと話すこともなく丘の上の教会まで来られた。べつに帝国の旗を掲げて歩いてるわけでもないのだが、占領地で堂々と帯剣している時点でボトランジュ陣営の者ではなく、セカの住民にしてみれば敵なのだ。トラブルになると損することが分かっているのだろう。


 セカの大教会は中心部の小高い丘のてっぺんにあり、周囲360度すべてを見渡せる位置にある。

 ここが王国中心地であるとするなら王の居城を建設するに値するような一等地だ。

 そしてこの大教会は神聖典教会しんせいてんきょうかいに属する。帝国のエルドユーノにある神聖女神教団しんせいめがみきょうだんとは同じ女神ジュノーを信仰していることもあって、さすがに帝国兵の略奪にあったわけもなく、まあ、普通に廃墟の様相を呈している。


 礼拝堂の椅子はもう長いこと誰も座っていないらしく埃が積もっていて、ステンドグラスから差し込む色とりどりの斜光がチラチラと舞う細かい埃を鮮やかに映し出す。まるで時間が止まっていたかのような礼拝堂。ここはもう忘れ去られた教会だ。神殿騎士たちがボトランジュ領主の敵に回った以上は誰も祈りを捧げることはないだろう。


 深月アリエルはこの丘に近づく者や、建物の中に人の気配がないことを確認し、礼拝堂の右奥の中庭にある転移魔法陣の石板へと向かう。


「アッシュ、ルシーダ、武器はいいよ。中に人の気配はないから」

「なによその便利能力」


 転移魔法陣は礼拝堂からさらに奥にある屋内庭園に石板と共に設置されている。破壊されていないか心配だったけれど、別に荒らされた様子もなく、以前と変わりなくそこに存在していた。


 少し違うのは、礼拝堂にあったジュノーの女神像が無造作にこの場に置かれているぐらいか。


「よし。みんなは少し離れてて」


 美月ロザリンド浅井ルシーダの袖を引っ張って石板から遠ざけた。そこまで逃げなくても大丈夫だと思うが、何が起こるかわからないのだから警戒しておいたほうがいい。


 皆が一歩以上引いたのを確認すると深月アリエルは石板を踏んで中央付近に立った。

 だがゾフィーの出る気配はない。


 ちょっとカビ臭い空気のなか1分ほど待ってみたが何の音沙汰もなしだ。


「ゾフィー? 出ないなら帰るぞ」


 アリエルがしびれを切らして帰ると言ったのがまるで合言葉だったかのように、光がはじけたようなエフェクトが生じ、石板の中心に立ち上がる人型ひとがたの光。そこに薄っすらと光る半透明の、とても存在感の薄い……裸の女性? のイメージが現れた。


「もう、なんでそんな意地悪言うかな」

「お前のことだから待ちきれなくて、ここで姿を現したまま待ってると思ったんだけど?」


「私はじらすのがうまい女なの。おかえりなさい、あなた。ってなによジュノーもいるのね」


 ジュノーは現れた異様な者が足のつま先から頭のてっぺんまでを舐めるように見たあと、ようやく『それ』がゾフィーだと理解した。わざわざアルカディアの日本まで来て、深月ベルフェゴールの記憶を消しさないと言ったのと同じアストラル体で現れたのだ。


 そしてその姿は日本から強制転移魔法でエルドユーノの転移魔法陣まで連れてこられたとき、学校の教室に突然乱入してきたジュノーの知らない少女が同じようなアストラル体だったこととも繋がった。


「久しぶりね……ゾフィー」


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