09-17 悪の美学
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その日の夕食後、タマキと、馬車を飛ばして戻ってきたイルベルムが同期の者全員と、そして5年前に召喚されてきた先輩の勇者候補たち、宿舎にいる者すべてを大部屋に集めた。
ここに来た時、エルフの側女を選んだ部屋だ。石造りの床は相変わらず顔が写るほどピカピカに磨かれている。ここに集められた者は何の話で呼ばれたのかは容易に想像できた、今日、宿舎を訪ねたエンデュミオンと嵯峨野のやり取り、まだこの世界の言葉を解していない者たちには内容までは分からなかったが、何か大変なことを言われたのだろうということはみんな知っている。
「みんな集まりましたか? 全員ですよ?」
タマキは全員そろっていることを確認すると、イルベルムが今日あったことの経緯を話し始めた。
「今日、弟王エンデュミオンさまが視察に来られたのは皆さんも知っての通りです。そこで弟王さまは、勇者サガノに勅命を下しました。ノーデンリヒトに向かい、魔人サナトスを討ってくるようにとの命です」
室内がいっぺんに騒がしくなった。ざわざわと、まるで雑踏の中にいるような雑音。
その雑音を切り裂く声が響き渡る。中山だ。
「静かにしてくれ! ……勅命? というと? 嵯峨野たちが戦場に出るってことか?」
「はい、そうです。この戦いに勝利し、見事サナトスを討ち取った者には騎士勇者の称号を与えると約束してくださいました。これほどの名誉はこれまでただの一度もありません。あなた方は願ってもないチャンスを与えられたのです……ですが相手はあの冷凍魔人サナトス」
―― ぶっ!
真剣な話をしているというのに誰かが噴き出した。
口をおさえているのは他でもない、嵯峨野だった。
「笑ってすまん! でも冷凍魔人なんて異名つけられてんの? マジで?」
「大悪魔が噴き出すほど面白かったのね?」
ロザリンドがご機嫌だ。ホント魔人族って奴は、こんな恥ずかしい異名を付けられてなにが嬉しいのか分からない。
「兄さまだって冷凍する魔法あるの……それを誰にも教わらずに使えるって凄いことなの」
パシテーは水系の魔法にはサッパリなので素直に感心しているようだ。
「ああ、悪かったよイルベルムさん、続けてくれ」
「ではいま分かっている敵戦力について説明します。まず最強最悪の魔人サナトス。これが水と氷を操る人類の天敵であり、次期魔王となることが確実視されています。今回の勅命は魔人サナトスの討伐でありますが、そう簡単にはいきません。サナトスにはレダという恐ろしいエルフの妻がおりまして、このレダも恐ろしい土魔法により、これまで万を超える兵士を倒しています。この夫婦にはアルトロンドの神聖典教会が相当額の賞金を懸けているそうですから、倒したものには懸賞金が支払われます」
レダが土魔法? ……確かにレダは魔法の適性が高かったが、どっちかと言うと腕力で物事を解決するロザリンドミニみたいな子だった。
「なあパシテー、レダって……」
「レダは土魔法のスケイトを無詠唱で簡単に覚えたの。でもたぶんアスラがついてるの」
「マジか……レダみたいなお転婆が精霊王になったら大変じゃないか」
「勇者サガノ? 質問はあとで受けます、いまは話を聞いてください」
「あ、すまん」
「ではそれ以外の戦力を説明します。もうひとり恐ろしい力を持つ者が報告されています、私は見たことがないのでよくわからないのですが、身体が鉄でできていると言われるほどの堅守を誇る門番がおりまして、それがサオという爆破魔法使いです。マローニという街を攻めていたとき、勇者のひとりがサオに倒されたと報告を受けています。本当に身の毛もよだつような恐ろしい力を持っていると聞きます。その他にも魔軍には力を持ったものが複数いると言われておりますが情報が確定しているのは、たった今読み上げた3つの魔物でございます。まずは現地で戦っている筆頭勇者セイクリッドと合流してから作戦をたてるのがよろしいかと」
「ちょっと待った! サオが勇者を倒した? 間違いないのか?」
「はい、報告が上がってきた中で、魔人サナトスたちに倒された日本人は3人、行方が分からなくなっているのが2人です」
タマキがしみじみと語った。
「サオに倒されたのは私の同期だったケイトです。治癒師の才能があって、誰よりも強力な障壁魔法も使えて、攻撃魔法も一通り使える万能の勇者でした」
それらを踏まえて、あらかじめそれほどの強敵を倒さなければならないということを明言しておいて、イルベルムは言葉を続けた。
「勇者サガノに同行し、ともに魔人サナトスを討伐する有志を募ります」
そして韮崎はここでもまた要らぬことを口走った。
「しかし夫婦そろって賞金首ってのも業の深い話だなよな」
「なあアッシュ、悪には悪の美学があるんだろ? お前はそういった戦いの渦中にあるんだ。自覚しろよ?」
今にも美月にぶん殴られるんじゃないかと思って身構えた韮崎だったが、深月がドヤ顔を決めて分かりにくいことを話したせいで、頭からクエスチョンマークが3つぐらい出たような気分に陥った。
だがしかし、タマキとイルベルムが実名を出して勇者が倒されたという。
まだ実戦の空気すら経験したことのない韮崎にもこの決断は重いものだという事が伝わってきた。
深月はこの際だからみんなに言っておきたいことがある。クラスメイトたち全員の顔が見える位置に向き直った。
「なあみんなこれだけは言っとく。クラスの総意なんざクソ食らえだ。自分の意志で決めろ。ここから先は戦場で、命を落とすことがある。まあ俺がやったことを例に出して悪いが、思い出してみろ。練兵場に寝かされていた自分を。目を覚ませてよかったな。……だが、あれが戦場だったらお前たちはもう二度と目を覚ますことがない。夢を見ることもなく、永遠に眠り続けるようなものだ。そして死体袋に入れられて穴に放り込まれる。戦士の最期なんてだいたいそんなもんだ」
あれだけ目も合わせてもらえなかったというのに、今は注目を浴びている。厳しすぎるだろうか? いや、言い過ぎたということもないだろう。ただの現実をありのままに話してやってるだけだ。
「し、死ぬ? 死ぬってどういうことなの? 死んだらどうなるの?」
誰だっけか、浅井たちと少し仲が良かった女子だ。死んだらどうなるのか教えて欲しいらしい。
「えっと、誰だっけ。すまん」
「春日、あなた本当にクラスメイトの名前もおぼてないのね。洗礼名はフェイリー」
「よし春日じゃあえっと、ビッグバン理論って知ってるよな?」
とんでもないところに話が飛んでしまってどうしたらいいか分からないまま、なんとなく頷くフェイリー。
「ん、ビッグバン理論ではすべては一点から始まったとされている。時期はだいたい138億年前だという話だ。うん」
「それが? 今そんな話してた? ちょっと何言ってんのかわかんないんだけど」
「だからさ、フェイリー、俺も、お前も、逢坂先生も、タマキさんも、みんなそこにあったんだ。138億年前、俺たちはみんな一つで、そこにあったんだ。……はい! その頃のことを覚えてる人が居たら挙手」
そんなもの誰も憶えてるわけがない。誰も手を上げるわけがない。だけど、みんな嵯峨野深月の話に聞き入っている。5年前に召喚されてきた先輩や、ずっとここにいるというタマキ、イルベルムも。
「死んだら、生まれる前の状態に戻るだけだ。138億年という気の遠くなるほど悠久の時を経て、いまの俺たちがあって、その命はとてもデリケートで、いとも簡単に失われてしまう。そして死んだらまた永遠の暗闇だ。……いいか、それが死だ! クラスの総意なんざどうだっていい。俺たちと同行してサナトスに殺されるか、ここに残って次の勇者に選ばれて死ぬか、それともタマキさんたちのように文官の道を目指すか、日本の技術を再現する技術職という生き方もある。自分の死に方を決められる幸運に感謝して、自分の意志で決めろ」
深月がそう言い放つと、逢坂先生が先生らしい言葉を重ねた。
「嵯峨野くん、あの、クラスみんなで力を合わせて……」
「先生、クラスのみんなまとめて殺されようって決まったらまた呼びに来て。出発は明後日なんだ。俺たちは準備もあるし、今日は疲れたんでもう部屋に戻ってるとするよ。アディオス、アスタルェーゴ」
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まさかビッグバン理論まで引っ張り出してきて、どう強引にひん曲げてくるのかと思って聞いていたら、すんなりと落としどころにスポッと落ちたので感心した様子のジュノー。
「ねえあなた、ビッグバン理論って、なぜビッグバン理論って呼ばれるようになったか知ってる?」
「大ボラだろ」
「そう。自分で選べなんて言っておきながら、わざわざ選びにくい選択肢を提示して戦わないほうを選ぶよう誘導するなんて、とんだ大ぼら吹き」
「敵を減らすってのは基本的な戦術だと思うけど」
「あなたは敵を減らすとか言って、クラスのみんなを敵に回して戦いたくないだけでしょ? でも自分の意志で選択したわけじゃないよね? あなたの言葉を借りるなら、自分の死に方を自分で選べなかったということ。あなたはみんなの自由をひとつ奪ったの」
んー。ジュノーの言いたいことは分かる。たぶんロザリンドもパシテーもきっと同じ意見だ。
「誘導なあ、ちょっと違うかな。あれは脅しだよ」
「あはっ、それがあなたの悪の美学ね、納得したわ」




