09-16 弟王エンデュミオン
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竜騎兵たちは本当にあいさつ程度で飛び去ってしまった。ワイバーンが落ち着きを失いかけていたので、きっと人の多いような環境は好まないのだろう。神経質な一面が見られた。
ワイバーンが飛び去るのを見送るクラスメイトたちの気がそがれる前にその場でランクス教官の講義が始まった。いまの竜騎兵たちの運用法、陸上の軍との連携で敵を攻める際の利点と注意点、共闘する際の作戦などが主な内容だったが、講義の最中、どうやら来客があったようで、宿舎を守る兵や救護室の職員、配膳のおばちゃんに至るまで慌ててゾロゾロ出てきては一列に整列して跪き始めた。
ざわざわと教官たちがざわめきたち、落ち着きを失っているところに神官が駆け込んでくる。
「ランクス教官! イルベルム助役! 大変なお方がおみえになられました!」
目線の先には男が2人。ゆっくりと歩いてくるのが見える。
教官たちの慌てようを見るに、恐らくは軍の偉いさんが予告なしのサプライズ訪問でも仕掛けたのだろう。
「け、敬礼!」
周囲に居た教官など軍属、そして神官たちも瞬時に緊張し敬礼で2人の男を迎えた。
その男は、右手をそっと上げ敬礼不要と促しながら優しそうな表情でこちらに向かってくる。
「誰だ? あれは……」
「皇帝陛下の弟君、弟王エンデュミオンさまと、騎士勇者ハルゼルさまにあらせられます。さ、さ、サガノどのも私どもに倣ってお辞儀を……」
皇族と……騎士勇者? なんだそれは? 騎士伯みたいに金で買える貴族の称号みたいなものか? そんな者に下げるような頭は持ち合わせていないので聞こえない振りをしてこの場を乗り切ることにした。
「いいよ、楽にしてくれ。私は軍属じゃないし、この者たちはここに来てまだひと月ほどなのだろう?……今年は素晴らしい才能を持った者が大勢来られたと報告を受けてね。第一次選考で5人もの勇者が選ばれたとか。これまでなかった豊作だな」
ランクスは跪いたまま答えた。
「弟王さま、もったいないお言葉です。10日の期限では5人が選定されましたが、半年後の二次選考でも必ずやまた数名の勇者が選出されることでしょう。素晴らしい出来にございます」
弟王エンデュミオンはすぐ横にある破壊された建物を凝視しながらランクスに問うた。
「あれの経緯を説明してほしいのだが?」
「はっ、実は勇者同士がいざこざを起こしまして。決闘騒ぎになってしまいました」
「ほう、なるほど。それは素晴らしい。数だけでなく、品質も高いということか。これは楽しみだ。なあハルゼル、お前の地位も危ういのではないか? ルーキーたちに足元をすくわれんようにな」
弟王から声をかけられたハルゼルはただ瞑目しぺこりと頭をたれるのみだった。
深月はエンデュミオンの言葉に強い違和感を感じた。人に対して品質などという言葉を何の疑いもなしに使っている。普通なら優れた人材とかいくらでも言いようはあるはずだ。まだひと月も経ってないのだから言葉も分からないだろうという憶測から口が過ぎたのか? いや、そうでもない、ごく自然に喉から出てきた言葉だ。
「ん? そこの者、まさか、まさか赤髪の者がいようとは……」
エンデュミオンはジュノーを見つけると、他の者には目もくれず、一直線にこちらに向かってきて、ジュノーの前で足を止めた。
「初めまして。私はエンデュミオンという。軍属じゃないんで楽にしてくれても構わんよ。えっと、通訳が必要かな?」
「いえ、お構いなく。初めまして。ジューンと洗礼名をいただきました。あ、あの、私が何か?」
「ほう……美しいな。いや、失礼した。この地で赤髪というと、かなり高位の神の一族の証と言われておるのだが……うーむ、ちょっと言葉が難しいかな?」
「いいえ、なんとなくわかります。私の髪の色が珍しいとおっしゃっているのですね? ありがとうございます。でもこの髪の色は私たちが暮らしていた世界の一部の地域では、ごく普通にある珍しくない髪の色なのです。国のお偉方が足を止めてお声を掛けるほどでは、残念ながらないと考えられます」
片言が凄すぎてマネできない。不慣れな言葉で一生懸命話そうとしている感が見事に表現されている。
こういう咄嗟の誤魔化しはジュノーを見習いたい。
皇族がジュノーに何か興味を持ったようで、敏感に察した逢坂先生がまたしゃしゃりでてきた。
「あの? 私の生徒が何か?」
「あ、先生、私の髪の色が珍しいらしいの。普通ということをうまく説明できなくて」
「ああ、そうだったの? えーっと、通訳していただけるかしら。赤毛は欧米では少ないどころかごく普通に見られる髪色です、何十万人もいますよ」
通訳官がしっかりとした通訳をするとエンデュミオンは少し大げさ位に驚いたような表情を見せながら「本当か。そんなにいるのか……さすがアルカディア。神話の世界とは伊達ではないな」と小さな声で呟いた。
「いや、すまなかった。こんな所で立ち話をするのもアレだ、近いうち食事に招きたいのだが?」
「お招きにあずかり光栄です。ですがご期待には沿えません。私には夫がおりますので」
「なんと既婚者とは。それは失礼した。いやしかし、あなたのような美しい女性の心を射止めた幸運な男はどなたかな」
「あ、俺がそうです」
深月は一歩前に出てエンデュミオンの前に立った。
「勇者 嵯峨野、無礼である。まずは跪くことを憶えよ。このお方をどなたと心得るか」
「余は構わんと言ったぞ。何度も言わせるな」
構わんと言ったそのセリフとは裏腹に、露骨に不機嫌そうな表情を見せたエンデュミオン。
女を口説こうかって時、横から夫がしゃしゃり出てきたんだからムカッ腹も立つだろう。
しかもその夫とやらは身長170あるかないかの小男で、ひょろっとしていて、この赤髪の美女と並んで歩くには誰が見ても見劣りする貧乏くさいガキときた。服装もだらしないネズミ色の、まるで乞食の着るようなみすぼらしいローブだ。そんな男が皇族の中でもトップクラスの地位にいる弟王エンデュミオンの前に、跪かず堂々と胸を張って立ち、不敵な眼差しを送っていること自体、前代未聞の事件だった。
深月の調べた情報によると、弟王エンデュミオンは勇者召喚に大層ご執心で、特に力を持った勇者を自分の直属に召し抱えているらしい。それがさっきの騎士勇者なのかどうかは分からないが、勇者召喚の最高責任者は、この弟王エンデュミオンで間違いない。
それに帝国軍陸戦隊第三軍の最高司令官でもある。つまり、クラス全員をここに召喚させたのはこの男ということだ。深月にしてみるとありがたいことこの上ないが、もともとこの世界とは縁もゆかりもないクラスメイトたちにしてみれば迷惑なことこの上ない。
加えてさっきの『品質』という言葉。これは人を人と思っていない傲慢さから出てきた言葉だ。
一か八か、鬼が出るか蛇が出るか、藪に棒を突っ込んでみることにした。
「弟王さま、お願いします。手柄を上げるチャンスをください。いまの生活じゃ妻にドレスを着せてやることもできません」
このスケベ野郎、露骨にジュノーを狙いやがった。
ジュノーが欲しいならその夫は邪魔者以外の何者でもない。穏便に死んでもらいたいはずだ。
どう出るのか? このスケベ面……。
エンデュミオンは勇者サガノと呼ばれたこの小さな少年の頭のてっぺんから足のつま先までを舐めるように値踏みし、軽く鼻で笑ったかのような態度で見下してみせた。
「ふむ。確かに。この国で何不自由なく家族を養っていくためには手柄を立てねばなるまい。サガノと言ったか、余が手柄を上げるチャンスを与えてやろう……お前のその自慢の強さに見合った強い相手、そうだな……、ノーデンリヒトに向かい、魔人サナトスを討ち取ってくるがいい。さすればお前に騎士勇者の称号と、地位に見合った領地を与えることを約束しようではないか。戦闘単位は揃っておるか? 足りなければ相応の戦力を貸与しよう」
「ああ、妻たちも含めて俺たち5人、いつでも準備完了だ」
「そうか、ならばお前の働きに期待しているよ。必ずや魔人を討ち取ってくるように」
エンデュミオンはとても満足そうな顔で帰っていった。帰り際、イルベルムとランクスが呼びつけられ、いっしょの馬車に乗せられていったあと、すっごい慌てたような表情でタマキがこう言った。
「大変なことになったわね。あなた達がどれだけ強くても魔人サナトスなんて無茶よ。どうしよう、あの筆頭勇者セイクリッドでも勝てないほどの化け物なの。今のうちに撤回したほうがいい、私が各方面に……」
「くくく……大丈夫だよタマキさん。望むところなんだ。パーティの意思も固まってるよ」
「もちろん!」
ひときわ大きな声で気合の入った返事をする美月と、ジト目で深月を睨むジュノーの姿があった。
「あの男の心を操ったでしょ?」
「人聞きが悪いな。ちょっと誘導しただけじゃないか」
「私が言いたいのは、誰をエサにして誘導したのかってこと。ま、いいわ。不愉快だけどドレス買ってくれるなら許してあげる。私真っ赤なイブニングが欲しい」
「ええっ、私も。私も」
「常盤あなたは甲冑で我慢しなさい。2メートルの女に合うドレスなんて存在しないから」
「ええっ、私も欲しいの」
「あなた仕立ててもらった服がまだ残ってるんでしょ? しかも耐火素材でオーダーメイドの。私もオーダーメイドじゃないとダメなんだから」
「20年ぐらい前の話なの……洗濯で黒が薄くなってるかもなの」
「オーダーメイドなら私の体に合うドレスも作ってもられるでしょ。ねえ、私は黒のドレスが欲しい」
「あなたはオーダーメイドの甲冑でいいって言ってんの。でも黒似合いそうね肩にトゲ生やしたりしてさ、魔王っぽいマントもいっしょにオーダーメイドしたらいいわ」
「魔王と一緒にしないで!」
「だ――っ! 買うから。みんなの分を買うからケンカすんなー」
遠巻きに囲むみんなからの視線が程よくグサグサと突き刺さる。シンと静まり返ってしまった。
韮崎は、自分たちが憧れていたものの現実を垣間見た。
「これが一夫多妻の現実なんだな……」
こんなのが何十年も、それこそ死ぬまで続くなんて考えたくもない。ほんと禿げる思いだ。




