09-14 ソラン・愚行の果て
逃げ遅れて走る逢坂先生やイルベルム、タマキたち文官は爆風と衝撃波をまともに受けて吹き飛ばされ、顔面から着地するという生まれて初めての経験をすることとなった。50メートル近く離れたはずなのに飛礫やガラスの破片を頭からかぶり、小さな傷をいくつも負ったが、幸いなことに意識ははっきりしている。
外に飛び出して爆破魔法の直撃を避けた者たちも、衝撃波を受けた鼓膜がダメージを受けたようで耳もよく聞こえなくなった。勇者に次ぐ実力を持つと判断された韮崎や浅井も倒れ込んで、すぐに起きれないでいる。
いったい何が起こったのかと状況を把握すらできていない。
そんな中、飛びだしたジュノーが急ブレーキをかけ、方向転換した。
「常盤、すぐ戻るわよ」
「わかった。タイセーは救護室に連絡、パシテーは怪我人を」
「爆発したんだから救護班すぐ出てくんだろ、おい浅井大丈夫か?」
爆破された別棟に向かって走るジュノー。窓ガラスはすべて割れ、扉は吹き飛んでいて、屋根まで破壊されているようで、何やら煙のような白いもやがもうもうと上がっている。
破壊された室内では部屋の天井が全て落下し、いったん外に向けて破壊された屋根もそのあと重力によって室内に落下した。明り取りの天窓もすべて吹き飛ばされている。爆発の現場ではおびただしい埃が舞い濃霧のように視界を遮っていて足元に何があるかもよく見えない。
フワッ……。
深月は、まずこの埃を吹き飛ばし、まだ意識を保っている選抜勇者のために視界を確保してやることにした。じゃないと気配察知で攻撃できる深月が有利すぎる。
風の魔法により埃で充満する室内の空気は急激に清浄化され、目の前には地面に片膝をついて動けないでいる中山が見えた。
「どうした? ゴング鳴らしただけだぞ?」
深月は肩に積もりつつあった埃をポンポンと払いながら言った。だが、その言葉を聞くべき相手はもうみんな倒されている。
跪いた姿勢で朦朧とする意識を何とか保っているに過ぎない中山は未だ自分が敗北したことも理解できていなかった。ただ何が起こって自分はこんな訳の分からないダメージを受けているのか把握するため脳細胞を働かせるにも足りず、意識を保とうとすることだけで精いっぱいだ。
あたりを見渡した深月は、倒れずに意識を保っているのが中山だけだということを確認すると、しゃがみ込んで顔を近づけ、中山の耳元に優しく語りかけた。
「なあ中山、ここはお前らの世界じゃない。みんな無関係でいるべきだ。戦争には介入しないほうがいいぞ」
その言葉が耳に届いたのか、それとも聞こえなかったのかは定かではない。
焦点の定まらない虚ろな目を少しだけ深月の方向に動かしたのみだった。
そのままバタリ音を立てて前のめりに倒れ地面を舐める中山。いつから意識がなかったのかもわからない。
「あっちゃあ、やっぱ聞こえてないのかな? もうちょっと手加減したほうが良かったっけ? 瀬戸口は? どこ行きやがった? 偉そうなのは口だけかよ……」
ムカッ腹の立つ瀬戸口をぶん殴ってやらないと気が済まないので、たぶん埋まってんじゃないかと思う気配の出どころあたりを掘り返していると、ジュノーと美月が駆け込んできた。
「はい、ケンカ終わり! あなたもケガ人の救助を手伝って! すぐ!!」
「まだ瀬戸口殴ってないし」
「もう殴るトコなんか残ってないわよ。早く見つけて。全員ちゃんとほら」
美月の気が立ってる。自分だってやる気マンマンだったくせに……、なぜか怒ってる。
「ちょっと力加減を間違えただけじゃないか」
「間違えなかったことないじゃん!」
韮崎を殺す勢いで蹴とばしてストンピングくらわしてた2人がそんなこと言っても納得できないのだけど……どうやら、ただ見物してただけの女子生徒たちもみんな巻き込んでしまった事で怒っているらしい。その点については反省しておくとする。
----
外に逃げたタマキ、イルベルム、ランクスの3人含めて、逢坂先生、韮崎、浅井も合わせて軽症。
別棟に残って深月をぶん殴ってやろうと思っていたやつと、深月がぶん殴られるところを見物してやろうと思っていたやつらは全員、揃いも揃って生死の狭間を彷徨うこととなったが、瀬戸口のアホ含めてジュノーの治癒魔法により傷一つない状態で目を覚ますことができた。
爆発現場で瓦礫の下から救助された者たちはみんな、何があって自分が建物の外に並べられていて、また、どういう経緯で抜けるように青い空を見ながら目を覚ますことになったのかをすぐに思い出せなかった。ただ一人、中山を除いて。
中山は目を覚ますと、無言でその場に座り込んでいた。
いつの間にか練兵場の端っこに寝かされていたこと。自分をクラスのリーダーに推薦してくれた仲間たちもみんな同じように寝かされていること。救護班がフル稼働していること。今の今まで自分たちが居たはずの別棟が、まるで爆撃でも受けたかのように破壊されていること。
そして、中山たちが相手をしていた嵯峨野を取り囲んでいるランクス、イルベルム、タマキたちはこれまで見たこともないほど険しい表情で尋問しているのだから。
「はあ……負けた……のか」
----
中山太一郎は高校に進学してからというもの、同じクラスとなった嵐山アルベルティーナのことが気になって仕方がなかった。気が付いた時にはもう恋に落ちていたのかもしれない。小学校時代から嵐山のことを知ってるという瀬戸口にいろいろ聞いて情報を引き出したが、その内容に驚いたというよりも、まず信じられないものだった。
嵯峨野深月、どの角度から見てもその男は冴えない、目立たない、イケてない。なのに、嵐山だけじゃなく、柊と、あとスポーツの申し子みたいな常盤まで、3人揃ってこの男と付き合ってる彼女だという。そんな馬鹿な話があるか! と最初は信じられなかった。
いや、信じたくなかっただけかもしれない。
運命の6月6日、クラス全員が丸ごと異世界転移に巻き込まれ、自分の意志とは無関係に、こんな言葉も通じない世界に連れてこられた。この世界は弱肉強食、力ある者がより多くを得られるという、とてもシンプルなルールだった。
最初は中山も混乱と不安が先に立ち、どう行動すればいいか分からなかったけれど、落ち着いて考えてみたらS高を出て国立大学に行ける者は成績上位1パーセント以下。だいたいが専門学校、短大、Fラン大学。高卒のまま就職する者も多い。このS高に入学した時点で学歴社会では負け組の構成員になったことが確定しているようなものだ。
異世界転移でやってきたこのアシュガルド帝国が示した好条件は中山たちのように野心を持つ男子生徒たちの心を鷲掴みにするほど魅力的なものだった。それはそれは、悪魔が耳元で囁くように、抗えない魔性の声が、忘れていた野心という感情を呼び起こすのに十分だった。
欲しければ力をもって奪い取ればいい。これがこの世界のルールなのだ。
これをチャンスと思わないような奴は男じゃあない。
だけど力をもって嵐山を奪い取ってやろうとは思っていなかった。
ただこの弱肉強食の世界で、嵐山が誰かに力で奪われてしまうことを恐れたのだ。
これまで何人もの勇者がこの世界で戦って、その大半が命を落としているという、それが現実だ。
嵯峨野ごときの力では嵐山を守り切れるわけがないと、そう思った。
もちろん嵯峨野に対して妬みの感情が無かったわけがない。鈴木や遠山たちが死んだときにも薄ら笑いを浮かべていた嵯峨野はクラスの嫌われ者だ。この世界に来て力を得たようだが、瀬戸口と比べて評価も低い。
あんな奴に嵐山や柊を任せておけない。クラス全員が力を合わせて身を守ろうという提案は全員一致で受け入れられたが、あの嵯峨野の個人主義というか、秘密主義というか、クラスメイトとは一線を画し、自分たちのグループに属する者以外とは決して打ち解けようとしない、まるで見えない強固な壁がそこにあるかのように振舞っては他人を寄せ付けない性格はもうどうしようもない。
この嵯峨野の性格は幼少期から少しも変わってないらしい。
ネクラで虚弱体質。最近は体調が良いらしいが、小中学校と、学校で倒れることなんて日常茶飯事だったそうだ。ケンカはそれなりに(相当)強かったというが、この世界にあって虚弱体質だから今日は戦えませんなんて言い訳が通用しないことは誰もが知ることだ。
あらゆる角度から考えて、嵯峨野はリーダーに値しないというのがクラスメイトの総意。
今日、勇者が選定されて戦場に出る許可が出るこの日にクラスの決定を伝える必要があった。
その結果がこの惨事だった。
----
「ガキの頃からの恨み。ぶっ殺す! イチだオラァ!!」
瀬戸口の号令で中山も同時に木剣で殴りかかった。ケガをさせたところで救護班が治療してくれるから思いっきりブッ叩いてやるぐらいが丁度いい。
……だが渾身の力でぶん殴った木剣は嵯峨野には届かなかった。
―― ガガッ!
―― バッキィ!
中山の木剣は初撃でへし折れてしまった。
すぐ左では瀬戸口が目にも留まらないスピードで3連撃、4連撃を加える……だが、その攻撃は強固なバリアのような防壁に阻まれ、嵯峨野の身体まで届いていないというのに、瀬戸口は攻撃の手を緩めようとはしなかった。
「オラぁ! 死ね、死ねやコラ! オラ! オララララララアアアアッ!」
まるで何かにとりつかれたように殴り続ける瀬戸口。自分の力が及ばないことは初撃で理解したはずなのに、勝てないことを理解しながらも、まるで悲鳴を上げるように大声で恫喝しながら、攻撃の手を緩めることができずにいる。
そうだ、瀬戸口も恐ろしかったんだ。
勇者の称号を得た2人が、丸腰の嵯峨野を相手に、訓練で打ち合って、ようやく手になじんできた木剣をもって渾身の力で殴りかかった。一発ぶん殴ってやれば勝負は決まるはずだった。多少の大ケガをしてもここには腕のいい治癒師が常駐してくれているから手加減などする必要もなかった。
攻撃は当たった。いや、嵯峨野の身体を覆うバリアのようなものに当たって木剣は失われた。当の嵯峨野はと言えば、瀬戸口の連打を体中に受けながらも、慌てず防御もせず、ポケットに手を入れたまま、その唇にうっすらと湛えられた微笑んでいた。
そんな嵯峨野をみて中山は空恐ろしくなり、戦うことを諦めてしまったのだ。
一瞬、動きを止めてしまった。呆然とただ棒立ちになっている中山の目の前に光が現れたところまでしか記憶がない。気が付けば練兵場の整地された土の上に転がされていたという訳だ。
気を失う前、嵯峨野が耳元で言った言葉を中山は覚えていた。
「なあ中山、ここはお前らの世界じゃない。みんな無関係でいるべきだ。戦争には介入しないほうがいいぞ」
嵯峨野がどういう意図をもってこの言葉を中山に語ったのかは分からない。
だけど、負けたことは理解できた。もうどうやれば勝てるのか分からないほどの完敗だった。
そういえば嵐山たちは嵯峨野につかず、ただあの場から避難した。という事は、こうなるってことは予め分かっていたということか。
最初からこうなることが分かっていたと? ……なんだ、そうだったのか。




