09-07 甘言
----
深月たちはとても眠れない夜を宿舎の屋上で過ごした。
朝日が昇るころになって部屋に戻ると、ミツキたちエルフの子らはすでに目を覚ましていて、ベッドの片づけを終えていた。
なんだかせっかくベッドメイクをしてくれたというのに、またそのベッドにゴロリと横になるのは悪い気がしたけれど、この狭い部屋に3つもベッドを並べているせいでソファーなどはすべて放り出してしまったのだ。ベッドでゴロゴロするしかない。
ベッドにのっかるとエルフたちは各々の食事があって、主人たちとは違うものを食べるのだと言う。
主人の食事が先、自分の食事は主人の世話を終えたあとなんだそうだ。こいつはいただけない。
だがしかし、食堂そのものが人族専用であり、エルフは食堂で食事をすることができないという。
「仕方ないな、あまり目立つわけにいかないからここにいる間だけは、ここのルールを守ろう」
「へー、ルール守るんだ。ちょっと意外……」
ロザリンドが意外そうな顔をした。
「いまは目立ちたくないし、この子たちも慣れてないんだ。徐々に慣らしていこう」
深月たちが一階の食堂に行くと、すでにみんな配膳の列に並んでいて、テーブルの方では食事を始めている。タダで食える学食みたいなものだ。
朝食にはライスが出た。定期的に日本人が召喚され、少ないとはいえ日本人が暮らすアシュガルド帝国では、コメなど農産物で簡単に再現できるものなら入手できるのだそうだ。
とりあえず宿舎で見つけた日本由来と思われるものはコメと箸だけなんだけど、コメ食えるだけで幸せ度数が数段アップする。ガルグの焼き肉を箸でご飯の上にワンバン、ツーバンさせて肉汁ごはんにするのを想像しただけで旨い。こんどやってみよう。
美月は食欲がないらしく食べ物に一つも手を付けていない。物憂げな表情のまま、食堂の木の長椅子に腰かけている。マローニが陥落したという情報は美月の前に暗い影を落としている。我が子を再びこの手に抱きたいと願い続け、そして16年たった昨日やっと戻ってこられたというのに、マローニが落ちたなんて聞かされると心配で心配で絶望感に苛まれるのは仕方ないのかもしれない。
日本に居て5年おきに起こる失踪事件を調べていた深月は理解していた。
勇者召喚魔法陣の規模が、今回に限って想定していたよりも大きすぎた。帝国軍がマローニやノーデンリヒトを相手に優勢に戦えているのなら、今回だけ大規模にする必要などないはずだ。
アシュガルド帝国は戦力が足りないのだ。
「メシ食ったら講習会があるらしい。マローニやノーデンリヒトが大変なことになってそうならここを飛び出すことも考えるからさ、そんな顔するな。お前に元気がないとみんな沈んじまう」
深月は美月の肩に手をやって、少しでも食っておくようにと促した。
----
美月の朝食は少しだけしか喉を通らなかったようで、パシテーの2倍ぐらいしか食べなかった。その量は成長期真っただ中の深月の半分より少し多いぐらいだ。
生きてるだけでプロレスラー並みのカロリーを消費する美月にしてみれば驚異的な少食っぷりで、このままだと痩せてしまうんじゃないかと心配するほどだった。
深月は、そんな美月の背中を押し、宿舎に併設された隣の別棟に向かった。小走りで追い抜いていくクラスメイトたちの後をついて行く。
前世じゃアホタイセーでも勇者になれたのだから、深月たち一行は一人残らず勇者になれるだろうと高をくくっている。戦闘のほうは正直ぜんぜん心配してない。そんなことよりもマローニが陥落したという情報の真偽も確かめておきたい。まずは情報収集から、これは基本だ。
前世のアリエル・ベルセリウスは情報戦で負けたと考えている。だからこそ情報の大切さは分かっているつもりだ。
宿舎のすぐ隣にある別棟へは、簡素な屋根の付いた渡り廊下を歩き、階段を5段あがったところにある。宿舎の方はスヴェアベルムの建築技術で建てられたものだったが、この別棟は恐らく日本人が設計して建てたのだろう。簡素な会議室のような、特徴のない建造物になっていて、室内には簡単な木製の椅子が人数分用意されているようだ。机などはない。この別棟がスヴェアベルムの建築と大きく違うのは、屋根にまで明り取りの窓がついていて、室内であっても明るいことぐらいなのだが……。
ガラスを通して見える景色に歪みが少ない。日本人を多く召喚して文化を取り入れているアシュガルド帝国の文明は、隣国シェダール王国のそれを遙かに超えている。
深月が室内をまじまじと観察していると、ノックもなしに扉が開き、男が二人入ってきた。一人はレザーアーマーを纏った茶髪の男で、もう一人は女神教団の神官服を纏った黒髪の男だ。
茶髪の男は深月たちが既に集まっていて、用意していた人数分の椅子に空きがないことを確認すると上機嫌で話し始めた。
「おっ、さすがだ。まだ10分前だというのにもうすでに全員集合しておる。では、少し早いが始めて、そして少し早く終わったほうがいだろう。……それでは注目! お、いいね。私があなたたちの教練を担当することになった、ランクスだ。まあ、簡単に言うと教官だ。ちなみにニホンゴを話せる数少ないスヴェアベルム人の一人なのでよろしく。今日、あなたがたに今おかれている状況、情勢とそして今後のことを説明しようかと思う。あなたが逢坂先生ですね。初めまして。あなたの生徒に教鞭を振るうことをお許しください……。ではイルベルムどの、よろしくお願いする」
ランクスと名乗った教官、歳は40過ぎぐらい。レザーアーマーの上から見える筋肉の付き方から想像するに、軍人か軍人上がりなのだろう。もう一人、説明を担当するのは日本人にしか見えない神官服を着た、やせぎすの男だった。
「では、神官のイルベルムが説明を担当します。質問などは後からまとめて受けるので、まずは私の話を最後まで聞いてくださいますようお願いします」
イルベルムはざっと会場を見渡し、25名、誰も意義の声を上げないことを確認すると話をつづけた。
「……はい、皆さまは日本、いいえ地球といえばいいでしょうか。故郷を離れ、このスヴェアベルムの地に降り立ちました。私イルベルムは皆さまの今後についてお話いたします。……んっ。では単刀直入に申し上げますと、我々は悪魔や魔物たちとの戦いの渦中にあります。あなた方がこの世界に召喚された理由はただひとつ。北の地に跋扈する魔物たちと戦い勝利して、最終的に滅ぼしていただきたいのです」
待ってましたと言わんばかりに逢坂先生が立ち上がった。
「お断りします! 先生はそんなこと許しません!」
「少々お待ちください。質問は説明を終えた後にまとめてお受けしますゆえ」
先生が続けようとする言葉を手のひらで制止し、イルベルムはさらに話を続ける。
「昨日我々は、召喚の祭壇に供物を奉じ、祈りを捧げました。女神ジュノーは我々の祈りを聞き入れてくださり、そしてあなた方33名が召喚され、この世界に下ろされました。あなた方は女神ジュノーに選ばれし者なのです」
なるほど、祈っていたら勝手に現れたと思わせるように誘導している。
これで召喚されてきたとき命を落とした8人の死の責任も女神ジュノーにひっかぶすことに成功した。
女神に選ばれし勇者であると刷り込んで救済の名の下に魔族と戦争させようって事なのだろう。
んなことは知ってた。
深月は言われなくても知ってた。
嫌と言うほど知ってたことだ。
「あなたがた別世界人のほとんどは神々の寵愛を受けております故、この世界に来るとみなさま一様に新たな力が解放されます。私が聞き及んでおるところでは、昨夜、夕食のあと、体力を持て余された方々が人をものすごい勢いで蹴り飛ばしたり、それを目で追えないほどの速度で追ったり、また普通なら死んでしまうような打撃を受けても生きていたり、瀕死の重傷を負った人を……何事もなかったかのように治癒したり。おっとこれはこちらの医療班の仕事だったわけですが」
イルベルムが昨夜のちょっとした揉め事をネタにしやがったもんだから、韮崎は不満そうな顔で振り返って、こっちを睨みつけている。
《 ちょっと待ってほしい。韮崎、お前を蹴ったのはジュノーだし、止めを刺そうとしたのは美月なんだぞ? 俺はどっちかというと止めて助けてやったんだ。お礼を言われこそすれ、そんな目で睨まれるようなことをした覚えなんて爪の先ほどもないんだけど。》
ぶつくさと聞こえないように言ったところで当の韮崎に聞こえてないのだから、ただ愚痴っただけだ。
「あなた方はもうすでに見ておるはずです。知っておるはずです。その身に宿る神々の寵愛を受けし力、どうか我々にお貸しください。力をお貸しいただけるのであれば、我々は全力をもってその厚意にお応えします。働き如何によっては貴族の称号、騎士勇者の称号、もちろん領地も与えられます。昨夜与えられた側女たちはどうだったでしょう? 簡単な言葉を交わしているうちに、かならずやあなたもこの世界の言葉が話せるようになります。あなたの働きが評価されると、もっと多くの側女を与えられます。また、お給金も一般の公務員や軍属と比べると数段よいので、この国では多少贅沢をしたところでお金に困ることもありません」
いつかベルゲルミルが言った好待遇をあっさりと約束した。あいつらはこんな誘惑を蹴ったからノーデンリヒトに飛ばされてきたのか? 信じられない。
深月にはベルゲルミルが正義のおっさんに見え始めている。振り返るベルゲルミルから後光が差し込み……いや、後光だと思ったのは頭のテカリだ。あのオッサンから後光なんぞさすはずがない。
イルベルムが約束した待遇はベルゲルミルのハゲ頭から後光が差し込むほどの好待遇だった。
その証拠に少しざわついていた皆が黙ってしまった。じっくりと聞き入ってる。
もう帰ることができないんじゃないかという絶望と不安で一杯になってるところに甘い言葉の誘惑をしてみせやがった。飴と鞭戦略の進化版だ。
こんな甘言、いくら世間知らずの高校生だとしても100%信じる訳もないだろうが……ほかに行くところもないし、外に出たら言葉も通じないから、どうしても帝国の世話にならざるを得ないという……、そこにツケ込まれるスキがあったのだ。
イルベルムは更に誘導をやめない。
「側女だけではございません。あなた方の暮らしてきたニホンの国では一夫一婦制が採用されていました。ですがこの世界は一夫多妻制が許されています。いえ、許されているというより、それが普通なのです。あまり見かけませんが一妻多夫というのも禁じられてはおりませんし、年齢制限なども一切ございまんので、ご自由に恋愛と婚姻をしてくださいませ。ここには真の自由がございます」
とても魅力的な話だが、それは嘘だ。
この世界の一夫多妻では正室が『この女となら一緒に暮らしていける』と認めた女だけが側室になれる。そして3人目の妻を娶るときは前の二人の妻が揃って『まあいいでしょう』と側室に入ることを許可しないと許されることはない。だいたい普通にしてるだけだとまず100%許可なんか貰えないから、夫はそれこそ必死になって妻2人の機嫌を取ることになる。
一夫多妻が男の夢だなんて思ってるやつは現実を見てゲッソリすればいい。
そして女たちは完全なる縦社会を形成する。先に妻の座に座っていた者の方が『エライ』という、封建的な社会が形成されるのだ。深月の家庭の場合だと、1番がゾフィー、2番がキュベレー、3番がジュノーで4番がロザリンドなんだから、ロザリンドは上にいる3人の妻たちには絶対に頭が上がらない。
今のところ1番と2番が不在だからこそ3番のジュノーが一番エラそうにしているけれどそれは誤解だ。美月もパシテーも居なかった頃はジュノーの序列が3番で最下位だった。つまり1番のゾフィーに突っかかって泣かされる役ばっかりさせられてきたけれど、ここにきて下に2人付いた。
ジュノーもようやく偉くなったのである。それについて深月は一言だって口出しすることは許されない。
そういう事なので、自由に恋愛と婚姻なんてできるわけがない。そんなことができるならこの世界の女はほとんど自分のものだ。
「ねえ? 何を考えてるの?」
「いや、べつに……、韮崎がほら、興味持ったみたいだからさ……」
「ふうん、そう。……自由に恋愛と婚姻なんて絶対に許さないからね」
「あ、当たり前だろ?」
図星だった! 美月に思いっきり釘を刺されてしまった。美月は察しが良すぎる、心臓がバクバクと弾けそうだ。
なのでイルベルムのいう事は『ウソは言ってない』というレベルの話だ。真に受けるとエライ目にあう。話が途切れたので、質問待ちだと判断し、深月が手を挙げた。
「んじゃ質問いいか?」
「はい、えーと、」
「サガノだ」
「はい、あ、そうですね、言い忘れましたが、あなた方は洗礼を受け、女神ジュノーの子に生まれ変わったのです。今後は授かった名を名乗っていただきます。日本での名は真の名として大切に心にしまわれておくのがよろしいでしょう」
「一応確認だが、ぜんぶお断りして日本に帰らせていただきたいというのは無理なんだろうな? どうせ」
「あなた方は女神ジュノーに選ばれた使徒でありますから、我々が送り返すことなどと罰当たりな所業はできません。それに、我々には時空を超えるなどという神の奇跡を起こすほどの力はございませんゆえ」
イルベルムは時空と言った。
空間転移ではなく、時空を超える『時空転移』だ。それは空間だけじゃなく時間も一緒に超えてきたということ。 もう少し掘り下げて質問してみたい、いや普通の生徒はこんな細かいところに突っ込まないだろう、これ以上は藪蛇になるかもしれない。
「わかった。じゃあ具体的にどうすればいい? あと、この世界の情勢をかいつまんで説明を」
「はい、具体的にはあなたがたには、まず能力審査を受けていただきます。これはあなたがたがこの世界で戦っていく上でどの程度の力を持っておられるかの審査です。一定の水準に達しない者をいきなり戦場に出したりなどということはないのでご安心を。そして審査の結果、最高ランクの戦闘力を持つと判断された者は勇者として千人隊長と同等の地位になります。勇者ほどではないが勇者と共に戦える力をもっていると評価されたものは勇者との同行が認められます。もちろん戦いの適性がなくとも、たとえば私のような通訳官など、この国にはいくらでも需要がございますので仕事に困ることはありません。……次いで、情勢というのは? あの? 何からお話をすればよろしいでしょうか?」
「んー、昨夜ずっと側女と話したんだが、もうこの世界には魔族が支配する土地なんてほとんどないと言われた。じゃあ俺たちはどうすればいいんだ?」
「なんと、もうそんな話ができるほどになられましたか。素晴らしい学習能力です。確かに先月、我々は筆頭勇者セイクリッドの働きにより、難攻不落として知られるマローニという魔軍の要衝を手に入れましたが、これは包囲戦による兵糧攻めに加え、降伏勧告と数か月にわたる交渉により明け渡してもらったに過ぎません。魔軍は更なる北の地、ノーデンリヒトに退いて今も戦力を蓄えております」
「筆頭勇者?ってことは俺たちの中で一番の実力者が最前線で戦っても、交渉で退かせるのが精いっぱいってことなのか? 魔物ってのはそんなに手強いのか?」
「はい、マローニを支配していた魔軍の将は名をサナトス。ノーデンリヒトの死神と畏れられ、次期魔王になると噂されるほどの悪魔……。打ち倒すことは容易ではないと言わざるを得ません」
ロザリンドの背中をポンと叩くと、ホッとしたような安堵の表情で肩を落とす。
疲れた顔で……もうこれ以上疲労を表現できないような、ぐったりとした表情で深月の肩に顔をうずめた。
「な、大丈夫だったろ?」
「うん、ホッとした……。でもホッとしたらお腹すいてきたよ……」




