09-04 側女
不意に深月がこぼした一言で、クラスメイト達は騒然となった。
もうここからは帰れない。深月はこれまでベルゲルミルやカリストさんや先代のアーヴァインたちから話を聞いて知っていることを言ったまでだ。
エルドユーノにある神聖女神教団の転移魔法陣は一方通行で、こちら側から日本へのゲートは開かないという。現に深月たちがこの世界に召喚されたときの魔法陣は固定型ではかった。
クラスメイトたちがいま一番知りたいことは、たったいま嵯峨野深月が言ったことは本当なのか? ということだろう。
その疑問には初老の神官が答えてくれた。年の頃は50代か。白髪交じりだけど日本人だろう。
「そうですな、召喚術を持った者が大量の魔導結晶を用意した上で、何らかの方法で転移門を開き、日本の側からあなたたちを召喚しなおしてくれたのなら、あるいは……と、かなりその確率は低くなります。かくいうわたくしも20年前、ここに召喚されてきた元日本人でございますれば、20年間積み重ねた知識はございます。これからのことで分からないことがあればアドバイスできましょう。相談事などございましたら何なりと」
逢坂先生は眦をキッと吊り上げて睨み付け、袖を掴んで神官を問い詰めた。
「それって帰さないって意味ですよね? 帰るのは諦めてここで暮らすのに慣れろって事ですよね? そんなことが認められますか。いいえ、私は認めません。私はこの子らの親御さんから大切なご子息を預かってるんです。無事に帰す義務があるんです!」
逢坂先生がこんなにも声を荒げて抗議する姿を見たの、クラス全員、初めてのことだった。
だけど神官は何も言わずに小さく首を振った。
逢坂先生が生徒たちを無事に帰す義務があろうが、なかろうが、帰れないものは帰れないのだ。
「鈴木くんはどうなりましたか? 山本くんは? 沢渡さん、高山さん、恵谷さん、十和田くんに多田さん、そして遠山くんは? あの子たちは今どこに居ますか?」
その声は心の奥底から湧き上がる不信感を表現したかのような低い声だった。
「え?……えっと……」
深月は、その8人がどうなったのかを知っている。
だけどそれを逢坂先生に伝えるのは深月の役目ではない。
「神官、ここに来たとき倒れていた8人だよ。救護の者が担架に乗せてどこかに連れて行ったんだが? 先生は、その8人はいまどこでどうしているのかと聞いてるんだ」
「はい……。ここに来られた時すでに事切れておられましたゆえ。棺に入れられ英霊の眠る空白地へと送られている頃でしょう」
「今すぐ! 今すぐ私をそこに連れて行って!」
「いいえそれはなりませぬ。亡骸はすでに空白地へと送られました。空白地は生きとし生けるものの赴く場所ではございません。女神ジュノーのもとへと召されたのです」
また女神ジュノーだ。
この世界に連れてきたのも女神ジュノーなら、召喚時に事故があって死んだ8人も女神ジュノーのもとへ召された。なんでもかんでも女神ジュノーのせいにすればいいと思ってる。
そんなこと芹香が許すわけがない。
「バカなこと言わないで。死んでしまった家族や友達の亡骸は、その者に対する愛が深くて近しい者たちが埋葬すべき。第一その者たちは洗礼を受けずに亡くなった異教徒でしょう? あなた方の作法に従う義理もないのではなくて?」
ジュノーが声を荒げてまで講義するなんて珍しい。どうもここに来てからジュノーの機嫌がいまいちよろしくないようだ。
深月なら一発でブチ切れて「おまえらみんな爆発してしまえ!」で済ませてしまうところを、ジュノーは論理立てて先生の側に立ち、神官を説得してくれようとしている。
さすがだ我慢強い。深月と美月には無理だ。
「承知しました。では聖者の埋葬を執り行う神官にそう伝えておきますが、教団は縦社会でございますから、要求されたからと言ってルールを曲げるなんてことは考えにくいというのが実情です。この教団にある限り、女神ジュノーの言葉がすべて。たとえ洗礼をうけていなくとも、この世界の人はみな女神ジュノーの子なのです」
「先生、ジュノーはそんなこと言ってませんからね」
とフォローも忘れないあたりがジュノー。
ゴタゴタはあったが、ジュノー、ロザリンド、パシテーの側女も適当にではなく、ミツキと同じ部屋に暮らす仲のいい者を選んだ。いずれノーデンリヒトにでも連れていく予定なのだから。
「タイセーおまえは? 好きな子を選べよ」
「俺の探してる子はここには居なかったよ。だから俺は要らない」
「要らないなんて言っちゃダメだ。一人助けてやるつもりで選ぶといい。なあ、この際だからみんなにも言っとく。この子らは側女なんて呼ばれちゃいるが、早い話が奴隷だ。浅井、あからさまにイヤそうな顔をするなよ。この世界じゃ当たり前なんだ。お前が拒否したらこの子らは別のやつに与えられるか売られていくかだ。そのイヤそうな顔が義侠心から来ているのならば目の前にいるたった一人を救ってやれよ。たった一人だ。たった一人しか救えないと考えるか、それとも一人なら救えると考えるかだ」
「嵯峨野……あんたいったいどうしたの? ここに来てからまるで別人みたい」
「あはは、違うのよトーカ。この人は最初からこうなのよ。日本では強くある必要がなかっただけ。でもね、この世界はどんなに力があっても足りない。そんな世界」
「だから変わったってワケ? なによそれ……」
「だからこの人は変わってないんだってば。それにやるときはやるのよ? 凄いんだからね」
ごくり……。
ロザリンドのその言葉に男子たちは息をのんで色めき立ち、女子たちは赤面してしまうような言葉だった。
「あなたは黙ってて。なにその歩く誤解製造機みたいな発言は……」
ロザリンドの話をぶった切ったジュノーが一歩前に出て話を続けた。
「まあ、私たちは私たちが救えるだけの奴隷を救うわ。あなたたちがどうするのかなんて私にはどうでもいいこと。どうぞお好きなように」
タイセーはジュノーと美月が韮崎を殺しかけたとき、目の前に居てその一部始終を目撃し、恐怖で涙目になっていた子で、いちばんちいさな子を選んだ。なんだか気の毒に思えたんだそうだ。
他のクラスメイトがどうしたのかは知らない。深月たちは選んだ側女を連れて早々に部屋に戻ったのだから。
翌日は朝から講習会のようなものがあるらしい。朝九時に宿舎棟の隣の建物のホール会議室に集合とのこと。
「宿舎ねえ……」
そう、宿舎という割には警備が厳重すぎるのである。帯剣した兵士が物々しく警備している。
外敵が襲ってくるようには思えない。やはりこれは逃げ出すのを防ぐという意味合いが強いように思える。
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タイセーの部屋。そして傍らに立つのはタイセーが選んだハーフエルフの奴隷、イヴ。
まだ10歳なんだそうだ。
「俺ががこの国の言葉を話せるのがそんなに不思議なのかい?」
「は、はい。私たちは異世界の人に言葉を教える訓練をしました。少しならニホンゴも分かります」
「そうか、よろしく頼むよイヴ。俺の名前はアーヴァイン。あーさんと呼んでおくれ。まだ日常会話ぐらいしかできないから、いろいろ教えてくれたら助かるよ」




