09-03 帰れない者たち
「答えられないのなら答えなくていい。今から質問をするから、もし違うなら首を横に振れ。いいな」
ミツキと名乗ったエルフの少女はうつむいたまま静かに深月の問いを待つ。
「キミはフェアルの村のミツキか? セキの娘か?」
ミツキは瞑目して何も答えず、小さく小刻みに震えている。首を横に振らない、何も答えないイコール肯定ということだ。
そう、アリエルが14歳の頃、パシテーとの旅先でが奴隷狩りから保護したセキの娘、ミツキがどういう訳か、ここにこうして跪いている。
「いい名だ、ミツキ。その名前にどんな意味が込められているか知っているかい?」
「真っ暗な夜の道をやさしく照らしてくれる美しい月だと聞かされて育てられました」
「うん! いい答えだ。よし、俺はキミにするよ」
深月は振り返り、誰よりも早く神官に向かって宣言した。
「俺はこの子に決めた。いいな神官」
「ん? あなたさまは今、その側女と何か話をされていたようですが?」
「んなこたあどうでもいいだろ? 俺はこの子に決めたからすぐに手続きしてくれ」
「かしこまりました。しかしお目が高いですな、その娘、トシはいっておりますが貴重な純エルフの娘にございます。ここにある50の商品の中では最も値の張る逸品。真っ先にそれを見つけ出して選び出すとはさすがでございますね」
下種な称賛を受けて眉根を寄せるアリエル。そこに思いもよらないところから待ったがかかる。
「ちょーっと待てやコラ! そいつぁ俺が最初に目を付けてたんだよ。お前は別のにしろや」
もっとも価値があると聞いたからか、それともクラスでも最も目立たない嵯峨野深月がここにきて堂々と偉そうに口調も変わって話しているのが気に入らないからなのか、韮崎が怒気を含んだ声で恫喝する。
「誰だ? えっと……。ニラサワだっけか?」
「韮崎だ! ここじゃあアッシュという名をもらった。お前ここに来てから偉そうだが、いったいどうしちまったんだ? あぁ? ヘタレがイキってんじゃねえよ。その娘は俺がもらってやっからテメエは引いとけ。な」
「いや譲れない。この子は俺のモンだ。えっと、誰だっけ?」
「あぁ?……いい度胸してんじゃねえか、ぶっ殺してやんよ、から……」
―― ドゴッ!!
しんと静まり返った室内に鈍い音が響き渡ると同時に韮崎が吹っ飛んでいった。
「美月はホントに……問答無用の暴力を振るっちゃダメだってば……」
韮崎を横蹴りでフッ飛ばして残心……。
ジュノー、まさかの蹴り技炸裂であった。
「えーっ!」
蹴った後の残心時に捨て台詞を吐いたジュノー。
「私の夫を殺すと言いましたか?」
「なに? 美月じゃないの? え? あれ? 美月は?」
―― ガスガス!
―― ガスガス!!
美月は、もう動かなくなった韮崎の頭部に、高速かつ執拗にストンピング攻撃を加えている。
「おまえ何やってんの? ぐたーってなってるよ? そいつもう意識ないぞ?」
「あーこいつムカつく。いうに事欠いて私の夫をぶっ殺すだと? このクソが。お前が死ね。コラ、今すぐ死ね」
「やめろって。もういい。今回だけはそれぐらいで許してやれ」
韮崎もこの世界に来ておそらくは相当身体が強くなっているのだろう。日本からスヴェアベルムに来たとき、たぶん何か封印が解かれたように力が湧き出してきたのを深月は身をもって知っている。だけど頭にこの執拗な攻撃はマズい。ケガだけで済むならいいけど障害が残ったりすると大変だ。
散々踏みつけにしてズタボロになった韮崎の足首をもって引きずってくるロザリンド。
地面には流れる血を引きずられた跡がついてて、まるで大筆書道のパフォーマンスみたいだ。
「うっわ、あの血、誰が掃除するんだ……。パシテーはマネしちゃダメだぞ」
「姉さまたちの行動は正しいの。私は出遅れちゃったけど」
パシテーまでそんなことを言う……。
美月もパシテーも、前世この世界で殺された事実を覚えてるってことが相当なトラウマになっているようだ。殺すとか殺されるとか、その単語を聞いただけでもビクッとしてしまうのも仕方ない。日本に居たころはそうでもなかったが、スヴェアベルムに戻って来て神経が高ぶっているのだろう。
「ジュノー、治療を」
「イヤよ。これぐらいじゃ死なないし」
ジュノーの機嫌が悪い。でもジュノーが死なないと言ったらきっと死ぬほどじゃあないのだろう。
この韮崎という男の耐久力と防御力に少し感心してしまった。そう、この男もここにいる以上は勇者候補だ。ロザリンドの手加減したストンピング程度じゃ死なないということだ。
「タマキさん! 不慮の事故だ。けが人が出たからお願いする」
一部始終を見ていたタマキはすぐさま救護の神官を呼び寄せ、担架を担いできた神官たちはそそくさと韮崎を運んでどこかへ連れて行った。その後入れ替わりで、並ばされている子らとはまた別の奴隷と思しきエルフ女性たちが呼ばれて、床を汚した血の跡を綺麗に掃除している。
一部始終を見ていたクラスメイトの中に数名だけ違和感の残るものを見た者がいた。
いや、数名だけが見えたと言うべきか。
数メートルは離れていたはずの柊芹香がいきなり瞬間移動のように現れて横蹴りを放ち、ものすごい勢いでフッ飛ばされ壁に向かって一直線だった韮崎真也だったが、それを後追いで、常盤美月が空中でむんずと捕まえたと思いきや、一気に地面に叩きつけたあと無慈悲なストンピング攻撃を加えたのだ。そんなの人間の所業じゃあない。
「柊さん、常盤さん、……えっと、あの」
「ああ先生、この二人な、小言はあとで俺が言っとくから。心配かけて悪かったよ。えっと韮崎は死んでないから大丈夫大丈夫。すぐにピンピンして戻ってくるよ。美月はほら、100メートル10秒台だからさ。やっぱ速いわー」
「嵯峨野! いま常盤と柊があんたのこと夫?って言ったよね?」
「ああ、そうだ。アルベルティーナも加えて3人とも俺の妻だ。あらためてよろしくな。えーと……」
「もう6月なんだから名前ぐらい覚えなさいよ。私は浅井。浅井冬華。で、何の冗談?」
浅井は冗談だと言う。中学生のころバレンタインチョコをもらって『3人とも俺の女だ』って言ったことはだいたい浸透してると思ってたけど、それをわざわざどういう経緯で、どうなって、こうなったのかなんて説明しなくちゃいけないとなると面倒だ。
「えーっと、たしかクラス委員の子だったな。で、冗談って何?」
「深月いいってば。もう面倒だから私から説明するねトーカ。この人は私たち3人の夫。私たち3人はこの人の妻。以上」
深月は堂々と『3人とも俺のヨメ』宣言をやってのけた。
逢坂先生は腕組みをしてその上に豊満な胸を乗せる格好で深月を斜に見ている。
エルフ奴隷のことと言い、3人の妻といい、逢坂美瑠香には疑問点がいくつもあった。
「ふうん、どういうことか説明してもらえるかな? 嵯峨野くん」
「先生、タマキさんや神官たちにに聞いてみたらいいよ。この世界は一夫多妻が許されている。そして俺たちはみんなもう、日本には帰れない。そうだろ?」
「…………」
クラス全員の顔から血の気が引いていく。
「私たち……もう帰れないの?」




