08-33 ゾフィーの時空
「また便乗しました。きっとベルに会わせてくれると思ってたわ。ありがとねテック」
―― パチン!
ゾフィーが指を鳴らすと……シーンは大自然の中の緑の平原に移動した。
そこは高台に建てられた建造物。足下は赤茶けた石畳であまり広くない円形の展望台のような場所。
パッと見た感じでは、ノーデンリヒトのベルセリウス邸すぐ横にあるアリエルの工房に建てられた物見の塔にのようなイメージだが、今いる場所の方がだいぶ高いように思える。
どうやら塔のてっぺんにいるようだ。
景色は遥か遠くまで視界が開けていて、河沿いに小さな町。遠くの方に見えるのは海だろうか、それとも大きな湖だろうか。町の周辺にはいくつもの風車のついた塔があって、ゆっくりと回転している。いままさに町の向こうの水平線に陽が落ちようとしている逢魔が時の少し前。
この場にはジョッキを持ってほろ酔いの男がひとりと、女が3人。うち一人がてくてくの魔法に乱入してきた背の高い女のひと。サナトスのほうを見ながらニコニコしている。
そして血のように深く赤茶けた髪が印象的な女……てか、ポリデウケス先生と同じような髪色と言ってしまうとこの女性に失礼にあたるだろうか。でもこの女の子の赤髪は手入れが行き届いているのだろう、艶があってポリデウケス先生の髪とはずいぶん印象が違って見える。
あと一人はただ白いとしか表現できない、色を塗り忘れた線画のような女性がいて、サナトスたちに気が付いているのはさっきてくてくがゾフィーと呼んだ女の人ひとり。
他の3人は草原を波打つ少し強めの風に吹かれながら、みな一様にリラックスしながら夕日を眺めているだけだ。白い女性の髪が軽くしなやかに、踊るように風にそよいでいるのが印象的だった。
「しまった! やられたのよ!」
さっきのドヤ顔はどこへいったのかと小一時間ほど問い詰めたくなるほど狼狽するてくてく。
罠にかけたつもりが逆にその手を軽くひねられてしまった。
「なにもしないわよ。新しく家族になった人たちに紹介しなくちゃいけないと思って。……ようこそ、私の記憶に。ようこそ、私たちの国に。ようこそ、私たちの生きた時代に」
「サナトスの記憶からアナタの記憶に移動したというの? 強制的に? そんな……デタラメなのよ」
ここは俺たちがどう足掻いても手も足も出ないてくてくの魔法の中だったはず。
その強力無比な闇の魔法を逆手にとってなお、この女は涼しい顔をしている。
そして一歩二歩とモデルさんのようなウォークでゆっくりと歩み寄り、塔の屋上、円形の舞台の中央に出てぺこりとお辞儀をしてみせた。
「はい、ゾフィーです。ベルフェゴール第一の妻です。いまはオバケみたいなことになっていますが、よろしくね。レダさんとはお話をしたことがありますね」
皆の予想通り、この女性はゾフィーだった。サナトスも名前だけは聞いたことがある伝承の女神だ。
驚愕するてくてくやサオのことは放っておいてゾフィーは話を続けた。
「こっちの、この白ーい精霊がベルフェゴール第二の妻、キュベレー。残念だけど彼女はもういないの。私たちに永遠の呪いをかけて先に死んでしまいました。呪いを受けた私たち三人はそれから何度死んでも転生して蘇り、また出会いから始まって、そして何度でも恋をして結ばれるという歓びを遺してくれたの。とってもキュベレーらしい素敵な呪い。でもちょっとした大人の事情があって私だけオバケになってます」
ゾフィーは男の腕にぶら下がるようにベタベタくっついて離れようとしない赤髪の女性の傍らに移動したあと、まるで『やれやれ……』とでも言いたげな呆れ顔で紹介を続ける。
「ふう……そしてこの、夫の腕にぶら下がって離れようとしない赤いのが……ベルフェゴール第三の妻ジュノー。スヴェアベルムではジュノーって有名だったわね? 知ってると思うけど」
「知ってるのよ。名前だけは」
「ああ、名前だけ知ってるな」
「そういえば名前だけしか知らないわね」
「私も……実はよく知らない」
「あははは、いい気味だわ。ざまあないわねジュノー。……そしてロザリンは第四の妻で、パシテーさんが第五の妻になるらしいわ。で、六番目はサオさんかしら?」
「は、はい! いちどは断られちゃいましたけど……いつか必ずその末席に」
「マジかよ!」
「え? どうしたの? サナ反対なの?」
「いや、そうじゃなくて……いいや、ごめん、話進めて。俺もう黙ってるから」
ちょっとまさかの信じられないサオの言葉と展開に驚いてついノリツッコミを入れてしまっただけなのに、レダとカンナにそんな責めるような目で睨まれたんじゃ黙っているしかない……。
「はい、サオさんですね、わかりました。テックありがとうね。あなたのおかげで私はみんなとお話をする機会を得ました」
ゾフィーはてくてくの頭をやさしく撫でる。第一の妻というよりはお母さんのようだ。
「そして、この人が、アマルテアの国王であり私たちの夫、あなたたちの知るアリエル・ベルセリウスの前身、ベルフェゴール。今でいう姓はないわ。どう? いい男でしょ? 本当はいちばん最初に紹介しなくちゃいけないのだけど、うふふ……、もったいぶっちゃいました」
ベルフェゴール。この人がアリエル・ベルセリウスの中の人、そしてサナトスの父親だ。
身長は180ぐらい。ガッチリ体型だがそれほど筋肉が目立つほどでもない。
髪は濃い茶色で、とび色の瞳。髪色と瞳の色はレダを少し濃くした印象だが、顔はさっき見たアリエル・ベルセリウスとは似ても似つかない、誠実そうな美丈夫で、自信に満ち溢れた表情からは強さが窺える。
「人族? じゃないな?」
「よくわかったわねサナトス。ベルフェゴールはザナドゥの北半球にある、とても小さくて貧しい国の王だったの。スヴェアベルムにはいないデナリィ族というザナドゥ固有の種族。争い事を好まず、おおらかな性質の少数民族でしたが……争いごとに巻き込まれてしまって、私たちの力が足りずに滅亡してしまいました。そして、サナトス」
ゾフィーがサナトスの名を呼び、そしてじっと目を見た。
「え? はい?」
「あなたは第四の妻ロザリンが産んだ私たち家族の、二人目の子なの。よろしくね、サナトス。いまは大母って言わなかったっけ。私はあなたの母さんの一人よ。あらためましてよろしくねレダさん。健康な孫を産んでくださいね。……あと、知ってるとは思うけどあなたたちは監視されている。ベルフェゴールの縁者だと知られただけで殺されてしまうかもしれない。私と会ったとか、ベルフェゴールの血縁だとか、軽々しく口にすべきじゃあないわ」
ゾフィーが監視者と言った。サオには心当たりがある、バラライカで14万もの敵兵が待ち伏せしていたことも、グリモア詠唱法の技術が帝国に盗まれていたことも。
「監視者とは……誰なのですか?」
「ごめんなさい、今の私はこんなオバケみたいな状態だからよくわからないの。でもベルは知っているはず。ベルが帰るまで軽はずみな行動は厳に慎むことよサオさん」
「帰ってくるんですね、師匠は、師匠は帰ってくるんですよね……」
サオの声が涙声に変わる。
「そうよサオさん。あの人はしつこいの。何があっても決して折れないし、何一つ諦めたりはしない。今すぐにとはいかないでしょうけど、ベルは必ず戻るわ。私もオバケはオバケなりにベルが戻れるよう精一杯頑張ってみるから」
そういうとゾフィーは瞬間移動でサナトスとレダの背後に回り込み、そして二人の背中に腕を回した。
「んー。母さん頑張ってあなたたちの両親を戻すからね。あの人が留守の間、家族を守るのは私の役目なのにホントごめんなさい。もう会えないかも知れないけれど、いつだって見守っているから。身体には気を付けて。えっとえっと、アプサラス、アスラ、テック、どうか力を合わせて家族を守ってね。お願いするわ」
三柱の精霊たちは無言で頷いた。なぜかアプサラスだけは親指を立ててノリノリのサムズアップで応えた。精霊たちがケンカをやめて結束してくれたらそれだけで様々なストレスから解放されるからいろいろ助かる。今日のこれはその第一歩かもしれない。
母さんの名前をちょっと可愛らしく間違えている辺りツッコミたくて仕方なかったけど、サナトスにしてみれば母親がいっぺんに増えて、困惑するよりもニヤニヤが止まらない。
優しい表情のまま小さく手を振りながら急激に存在が遠くなってゆくゾフィー。
その美しい夕焼け空と、心地よい風の感覚は霧散し、そして皆は別邸の居間で目を覚ました。
「やっと目を覚ましてくれたか……。ホッとしたぜ。声をかけても身体をゆすっても起きないからはたいてもいいのか考えていたところだ。ところでエラントだけずっと寝てるのはどうすりゃいいんだ? このまま目を覚まさないってことは……ないんだよな?」
「あ……、油断したのよ」
「まあ、仕方がないわさテック。ふふふ」
なぜか上機嫌で饒舌になっているアプがてくてくに絡もうとする。
まったく、いまさっきゾフィーに『力を合わせて家族を守ってね』って言われたくせに。
「なにせせら笑ってるのよ」
「序列がハッキリしたかしら~? ワタシが一番先に名前を呼ばれたわさ。テックあなたは三番目。イグニスが居たら最後になってたかもしれないわね。いい? ワタシがいちばんお姉さんでアナタは三番目」
「アナタたち近くに居ただけじゃないのよさ」
「ノン、私が一番。アナタは三番なの」
「ああ、ダメ。今日はいろいろショックでもう頭がクラクラするのよ。……ブライ、その人は寝かしといてもそのうち起きるから心配いらない、……疲れたのよ。アタシ今日はもう寝るの」
肩を落としてトボトボ、足取り重く居間を出てゆくてくてく。
周到に仕掛けた罠を破られた上にまたもや便乗され全員ゾフィーの記憶に飛ばされてしまった。
てくてくにしてみればショックだろう……。いまアプがてくてくに絡んじゃいけない気がする。
「アプ、お前らマジでちょっとは仲良く……」
「ふふふ、そりゃあもう仲良くするわさ。アスラもテックもワタシのカワイイ妹なの。もうイグニスもついでに妹でいいわ」




