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01-20 北の砦

20170723 改訂

2021 0721 手直し





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 朝だ。


 実はベルセリウス家では、朝食の準備を一人で賄うポーシャを除けば、アリエルが一番早起きである。もう一人の使用人であるクレシダは朝食の準備をしないかわり、夜遅く、ポーシャが寝てしまったあと、屋敷の窓を含むすべての戸締りまでを担当しているので、クレシダが起きてくるのは、ポーシャが朝食の支度をして、ある程度出来上がった後である。


 なのでアリエルが庭で剣を振っているとき、クレシダがきて「食事の準備ができましたよ」と言ってくれるのは、実は、クレシダの朝イチの仕事でもあった。


 アリエルはクレシダが呼びに来るまで剣を振る日課を続けていて、春の季節になるとだいたい終盤には汗をかいている。汗を拭く手ぬぐいを持ってきてアリエルに手渡すのもクレシダの役割だったのだが、そのアリエルが水魔法『セノーテ』を覚えてからは部屋から首にぶら下げて出てくるようになった、クレシダの仕事がひとつ魔法に奪われてしまったという。


 アリエルにしてみると、仕事が減って喜ばれると思っていたので、まさか仕事がひとつ奪われたと考えるその思考回路が理解できなかったのだけど、使用人サーヴァントには使用人サーヴァントなりにプライドを持って仕事をしているのだとトリトンに言われ、なるほどと少し納得した、それ以来、アリエルは汗拭きの手ぬぐいをクレシダにお願いするようにしている。


 今日もアリエルが朝から木剣を持ち出し、庭のはじっこで素振りをしている。足もとが土の地面だったのだけど、アリエルの足の踏む足の位置が少し掘れて低くなっているのが分かった。アリエルは土の魔法で整地し、平坦に均す。


 身体が目を覚まして、一通り素早い動きで素振りをはじめ、ひとしきり汗をかいたころ、クレシダが呼びに来てくれた。いつものように手ぬぐいを受け取り、顔から首、首から頭まで汗をぬぐいつつ、エントランスから会食場に向かった。


 しかし席に着いたのはアリエルだけ。

 トリトンが砦に行くとまた半月ほどお留守になってしまうので、きっと昨夜は夜遅くまで夫婦の営みをしっかり、手を抜くことなく体力の続くギリギリまでしていたのだろう。


 なんだかムカついた。


 仕方なくひとりで朝食を食べたアリエルだった。

 ちなみに朝食はバターをいっぱい塗った白パンと鶏卵のゆでたまご、ガルグのベーコンと、あとミートボールだった。この世界のベーコンは前世で食べたものより塩が効いていて、いっしょに食すならゆで卵に塩を振る必要がないほどだ。うまみも段違いで濃いので、ベーコンだけで食べるのはさすがにきついが、パンと一緒にいただいたり、細切れにしてスープの具にするなど、ガルグのベーコンは保存食でありながら、万能の食材だ。アリエルもここノーデンリヒトの特産物としては、ガルグのベーコンは大好物だ。


 アリエルは食事を終えると、庭に出て木剣を振りながらトリトンが出てくるのを待っている。よくよく考えてみると、トリトンと遠出するのは生まれて初めて、というか、アリエル自身、グレアノット師匠と近くの山でキャンプした以外には満足に集落の外に出たこともなかったという、極めつけのインドア派として育った。前世ではマウンテンバイクにテント積んで一泊ツーリング行ったりするぐらいにはアウトドア派だったはずなんだけど、今では見る影もない。


 ここノーデンリヒトの空はカーンと高く澄みわたり、緩やかに頬を撫でる少し冷たい風が肌寒くも感じる。いま冷水で洗ったばかりの、突っ張る顔をバチバチと叩いて少し気合を入れた。


「うん、いい朝だ」


 屋敷から北東に1日歩くと北の砦というから距離にして30キロもないぐらいか。馬なら足を大切にしながら休憩いれて3~4時間ぐらい? [スケイト]で飛ばすと15~20分ぐらい? か。荷物は[ストレージ]に放り込んだし、移動するのに馬はいらない。


 ちなみにトリトンの馬の名前はボイジャー。馬を引き取ってきた日にアリエルが名付けた。

 内緒だが本当の名前はボイジャー2号という。アリエルの前世、嵯峨野深月さがのみつきが乗ってた青いマウンテンバイクがボイジャー1号だ。


 汗ばむぐらい剣を振ったころ、トリトンが大荷物を肩に担いで出てきた。

 鞍袋がパンパンすぎて馬が可愛そうだ。


「おはよう。父さん。その荷物おれが運ぼうか?」


「ん? おはようエル。自分の荷物は自分で持つさ。っても持つのはボイジャーなんだが……、おまえ本当に強化魔法で走っていくのか? 砦までは遠いぞ?」


「疲れたら乗せて。それでいいや」


 トリトンは鞍袋をボイジャーの鞍に括り付けるとあぶみに足をかけて、ひょいと乗った。

 馬に乗るとき好んで羽織る薄手のルダンゴトと羽の付いたツバ広の帽子が決まっていて、なかなか格好のいい出で立ちだ。


「決まってるね」

「当たり前だ、おまえのおやじ殿はカッコいいんだよ。……さてと、遠出するときは早目に出立しないとな。もうすでにちょっと遅れ気味だかからさっそく出るぞ。アリエルおまえはボイジャーより前に出ないよう、一定の間隔を空けてついてくるように」


 『スケイト』は約1年の試行錯誤と改良の結果、移動するのに最適な魔法となった。馬よりも速く、マナの消費もたぶん少ない。


 いや、師匠のシゴキに頑張って耐えてた頃は毎日マナ欠乏の症状でぶっ倒れていたけれど、スケイトのマナ消費量についてはよくわからない。だけど強化魔法をかけて走るなんてのと比べ物にならないほど楽に移動できる。そもそも全力疾走なんてのと比べるまでもなく、すいーすいーっとスマートだし、そして何より走るよりもかなり速い。早がけの馬にもまったく遅れることなく余裕でついていける。


「父さん、ボイジャーがしんどそうだよ」


「おお、そうだな。ちょっと張り合ってしまったよ」


 昼に砦まで着けるぐらいにペースを落としてのんびり、ぽくぽくとひづめを鳴らしながら歩くボイジャー。


 これぐらいの物見遊山できる速度で歩くなら徒歩よりも馬のほうが優雅な旅に見える。馬が移動手段の要だった時代って、時間がゆっくり流れていたのだろう。


 馬という動物を乗り物として考えると、単純に移動するだけでなく、移動する道の起伏や路面の状態、そして水場や餌場までも考える必要があるけれど、それでも馬には旅の道連れとして人のパートナーとして確固たる地位を築くだけの理由があるという。それは信頼なのだとか。


 移動手段として、乗り物としての馬ではなく、共に旅をするパートナーとして考えるその思想には共感するところがいくつもある。


 ボイジャーの息が整ったらまた軽く速足トロットに移行し、ひづめの音を軽く響かせながら丘を登ってゆく。屋敷から砦までは、道という道はついていない。ただ人の歩いた跡、馬の蹄の跡が分かる程度の踏み跡が付いているので、昼間なら迷うようなことはないだろう。


 なだらかに連続する丘はひたすら美しい丘陵を形成しており、今日は緑の上に、白やピンクやの草花が咲き誇っている、いい季節だ。


 1時間ほど移動すると開拓の跡も見られなくなり、ただ大自然の広大な丘陵地帯を淡々と行くことになる。これは新世界を旅するシチュエーションだ。その雄大さに涙が出そうになった。


 新幹線や飛行機で行くよりも、馬の速度でのんびりと景色と澄み切った空気を堪能しながら旅をすることの素晴らしさが分かった。その辺の草叢くさむらに寝そべって昼寝するのにもいい風が吹くのだから、この世界まるごと癒しのリゾートのようなものだ。


 この土地は素晴らしい、この夏にでも前の世界でキャンプ行った時みたいにテント用意してもいい。でも今は土の魔法を使ってサクッとカマクラみたいな住居を作れるからテント泊という発想すらなかったのだけど。ちょっと自分でキャンプ道具考えて作りたくなってきた。


 ランタンとかストーブとか火器全般、住居カマクラ含めてアウトドアに必要なものはだいたい全部魔法でできるという時点でもう全く雰囲気とかブチ壊しなんだけど。


 アリエルがノーデンリヒトの大平原を見ながらキャンプギア自作のアイデアを考えなていると、少しのぼりがきつくなってきた。川べりの道をひたすら上がることになる。アリエルはスケイトだから楽に滑って坂を上がることが出来たけど、やっぱり鞍袋に荷物満載のボイジャーには辛そうだ。


 坂を上り切ると、なだらかな高原になっていて、向こうのほうに石造りの砦が見えてきた。

 トリトンが手を振っている。砦の物見に何の合図だろう?


 休憩をいれて5時間かかったが砦についた。ボイジャーは少し疲れ気味だ。

 砦の向こう側はちょっとした広さの平原になっててタイガのような針葉樹の森が一面に広がっている。


 すげえ綺麗な自然の中に、石造りのちょっと不釣り合いな感じなんだけど、それでも邪魔というよりは溶け込んでいないだけでそれほど主張が強いわけでもない、軽く馴染んだ感じの古い砦だ。


 敵の侵攻を食い止めるための砦だというのに、扉は開けっぱなし。その前で交代の人と、今から勤務終わって休みの人が引継ぎの事務仕事をしているようだ。


 トリトンが到着したときには既にほかの交代の人たちは到着して引継ぎしてるじゃないか。

 やっぱり遅刻したんだ、隊長がそれじゃ部下に示しがつかないだろうに。


「おおー、エル坊、いらっしゃい。久しぶりだな」


 アリエルのことを馴れ馴れしくエル坊などと呼ぶ、この男爵ヒゲのおっさんは、トリトンの副官でガラテアさんという。トリトンの王国騎士団の頃の同僚で、なんかノーデンリヒトに島流しにされるのが決まってがっくりと肩を落としてたのを見かねていっしょに着いてくることを決めたというお人よしが鎧を着て歩いてるような人だ。


 たまーに屋敷に遊びに来るんで、子供のころから可愛がってもらってる。


「こんにちわ。ガラテアさん。ご無沙汰してます」


「エル坊、天才なんだって? トリトンの自慢話にいい加減うんざりしてるところなんだ、あとで手合わせ頼むな」


「わはは、私はガラテアが軽くのされる方に晩飯のディーアの肉を賭けるぜ」


「まてまて、エル坊まだ8歳そこらだろ? わしだって剣術には自信あるんだが? 俺のテーブルに肉を運ばせてやるからな」


 じゃあ、食事の後の訓練の時にでも実戦形式で立合ってみるかという話になってしまった。

 僻地とは言え最前線に位置する軍事施設なんだから、毎日の訓練は絶対に疎かにできない、自分が強くなることに貪欲になる。それがひいては自らを助け、仲間を助けることに繋がるのだと聞いたことがある。


 別に守備隊の人たちをのしてやろうなんて考えたこともないのだが、それでもけっこう、そこそこ戦えるんじゃないか? というまるで根拠のない自信だけは持っているから、立ち合いには応じたい。できることなら実戦じゃない訓練での立ち合いでこの自信を打ち砕いてもらえるとまた明日からの励みにもなるだろう。


 なにしろ今でも毎日朝も夕も、毎日欠かさず木剣を振っているのだし。


 トリトンはアリエルにこっそり耳打ちして「ガラテアには手加減しなくていいぞ」なんて言ってる。さすが王国騎士だ、そんなに頑丈なんだな。職場見学にきていきなり立ち合えなんて言われるとは思わなかったけど、よくよく考えてみるとトリトン以外の人と立ち合ったことは一度もない。多くの人の剣筋を見させてもらった方が勉強になるから、シゴキも望むところだ。


「待てよトリトン、エル坊はここまで走ってきたんじゃないのか? いくらなんでも厳しすぎるだろ?」


 アリエルがガラテアと立ち会うことになったと聞いて、守備隊の兵士たちがゾロゾロと集まってきた。普段トリトンが『うちのアリエルは超天才なんだ』なんて自慢しまくっているので、物珍しさ先行なんだが、その天才っぷりを一目見たいと思うのも仕方ない。


「あー大丈夫大丈夫。アリエルはこれぐらいじゃマナ欠にやならんよ。……なあアリエル、おまえ人気あるな。ちょっと強いトコみせてやれよ」


「はい、俺も訓練に参加するつもりで剣持ってきたし……、父さんの肉のためにも頑張るよ」

「ははは、そうだ、その意気でな」


 ノーデンリヒト砦の昼食はパンと具たっぷりのシチューで、ポーシャの作るシチューとは違って肉多めなのでボリュームたっぷり。パンはこの砦で今朝焼いたばかりのものが出てくるし、この美味しい肉はきっと砦の近くで獲れた肉なんだろう。これはこれで美味しかったんで、ちょっと食べ過ぎてしまった。


 さてと休憩の後は砦の南側に出て訓練だ。


 王都を守護する王国騎士団の騎士たちが、こんな地の果ての砦勤務になったら腐ってしまってグダグダになってしまいそうなものなんだが、さすが最前線と言ったところか……。素振りを見ているだけでタダ者ではないことが窺える。みんなトリトンほどじゃないにしてもそれなりに鋭い剣筋でズバズバと空気を切り裂いていた。


 アリエルはというと、ただ木剣を振ってるだけなんだけど、ガラテアさんが腕組みをしながらその素振りを見物している。


「ほう。エル坊は冒険者になる気だってトリトンが言ってたけど、8歳? 8歳にしては……もう大人の剣筋だな。おっちゃん、ちょっと楽しみになってきたわ」


「俺は友達が居ないからね。だから剣が友達なんていう寂しい奴なんですよ」


 はー、なんかもう、自虐ネタが寒い。というよりも自虐ネタを言ったアリエルのほうが落ち込んでしまうような破壊力を秘めている。もう二度と言うまい。


 ガヤガヤと人が集まり始めた。みんな素振りをしたり柔軟体操をしたりして、身体が温まったようだ。そろそろ立ち合いが始まるのかな?


 トリトンが鎧の準備して出てきた。


「よーし、最初からメインイベントやるかー」

 

「エル坊は準備できてないぞ? 鎧ないのか?」

「あー、おっちゃん、大丈夫だよ。俺けっこう防御魔法強いから、そのまま刃引きの剣で頭打たれても死なないよ?」


「マジかよ、でもなあ、いくらなんでもヘルメット被ってくれないと叩けないって。やっぱり心配だから、ヘルメットだけでも被ろうな……、じゃないとホント打ち込めんからな。みすみす肉をくれてやるわけにもいかん」


 などというのでアリエルは半キャップのヘルメットを用意してもらい、頭に被せてみたら、やっぱり大きくてゴソゴソ動いた。仕方がないので頭に手ぬぐいを巻いてからヘルメットをかぶり、あご紐を引いて縛ると、まあいいか……というぐらいにはフィットした。


 子供用のかぶとなんか砦にはないから仕方ないのだけど。


 トリトンが開始線を引いて中央に立った。なるほど審判をしてくれるらしい。


「んじゃそろそろ始めるか? ガラテア」

「わしはいつでも」


「んー、魔法つかってもいい?」

「いいぞ。でも手加減しろよ? 怪我させないようにな。あと、アリエルは木剣でな」

「はい。わかりました」


「ちょっとまて、この距離で魔法なんか唱えさせるはずがないだろ? それに木剣を使わせるってことは、わしの方が一方的に負けるから怪我させないようにってことだよな。まさかそこまでか? そこまでの実力があるんだな?」


「まあ、やってみろって」


 トリトンのニヤニヤが気持ち悪い。でも、それがあまり悪い気もしないのはなぜだろう。


「よろしくお願いします」


 ガラテアさんは額当ての付いた半キャップヘルメットに、トリトンと同じ前面だけプレートの付いたハーフプレートメイルを装備している。これは王国騎士団の標準装備なのだが、サイズは体に合わせるためサイズが15種類も用意されているらしい。鍛冶職人泣かせの鎧だ。


 ガラテアさんはノーデンリヒトに来てからずいぶん太ったらしく、ちょっと鎧が小さなっているように感じた。てか肌が露出してるところもあるんだこれが。


 これが僻地勤務の砦守備隊の実情なのだろう。。


 アリエルはトリトン以外と立ち会うのは初めてなんだけど、意外と落ち着いていた。

 実戦経験もないくせに、肩を回したり、関節を温めたり。いつものルーティーンを組み立てているうちに、心は落ち着いてきた。そしてゆっくりと木剣を上段に構える。


 ガラテアさんの構えは両手剣を右の肩に担ぐ感じの変則的な上段ともいえる奇妙な型だった。

 右バッターボックスに入ったホームランバッターのような……。


 アリエルが構えたのをみて、ガラテアも足もとを均してから構えなおした。

 準備完了だ。アリエルはゆっくり顎を上げ、ガラテアを睨みつける。


「うむ。では始め!」


 トリトンが合図した瞬間、アリエルはガラテアの足もとを深い砂地に変化させて飛び込んだ。

 グレアノット師匠曰く、土の魔法で、土の質を変化させる効果がある。堅くしたり柔らかくしたり、砂にしたり。ちょっと前に閃いたことを試してみた。


 ガラテアはサイドステップで避けようとしたが、強化された脚力で砂地を力いっぱい蹴ったのでズルっと転びそうになるほどバランスを崩し、その首にアリエルの剣が突き付けられ、勝負ありの笛を聞いた。


 トリトンはわずか0.5秒で夕食の肉を勝ち取ったことになる。


 砦の兵士たちはガラテアが単に足を滑らせて転んだようにしか見えなかったので、だいたいの兵士は腹を抱えて笑っている。


 何が起こったのか分かったのは、最近、立合うときは[砂地]を禁止にしているトリトンと、実際に[砂地]を食らって一瞬で負けたガラテアだけだ。何しろズルっと滑った次の瞬間にはもう元の地面に戻されてるんだからタチが悪い。他の見物人には何が起こったのか分かりにくいので相手を殺しさえすれば次の相手で対策される可能性が低い。実戦なら自分の足下が砂地に変わったことを知った瞬間に死ぬのだから相当に非道な魔法である。


「こうもやすやすと首を取られたってことか……」


「悲観しなくていいぞガラテア、私もそれに対抗する効果的な方法が思いつかんのだ。たとえば一対一でやるとして、自分の足下の地面だけ砂になったとしたら、強化した脚で急な移動はできないし、無理に動こうとしただけでバランス崩れるから、必然的にアリエルの攻撃は受けて防御することが最善ということになるんだが、だからといって動かず防御していると大きめの魔法が飛んでくるからな、だいたいそれで火傷することになるんだよなあ。なかなか対応できんぞあれは。ところでガラテア、もう一本やる気があるなら私が考えた唯一の対処法があるんだが、使ってみるか」


「おう! やる気はあるが肉はもうないぞ」


「アリエル、もう一本な。今度は[砂地]禁止で」

「はい」


 トリトンが考えた唯一の『砂地』対策がこれだった。


「……トリトンお前、親の威厳とか王国騎士の誇りとか、そういうの完全に忘れてるよな」

「そうでもしないとアリエルの鍛錬にならないんだよ。仕方ないさ」


 呆れたように言うガラテアと、それを呆れたように返すトリトン。

 ガラテアはもう単にアリエルの練習相手にされてしまっていることに気が付いたが今更やめるわけにもいかない。ならばちょっとでも痛い目にあわせて、いい勉強させてやろうじゃないかという気にもなるってもんだ。


「じゃあ、もう一本、構え!」

「はい、よろしくお願いします」


 ガラテアは『砂地』を禁止されたことで、今度は足元に注意を払わなくてよくなった。ひとつ警戒しなくていいぶん、思い切った攻めができる。


 アリエルは落ちつき払い、いつものルーティーンで構えた上段のまま顎を引いて、伏し目がちに開始の合図を待っていた。


 そして二本目が開始される。


「始め!」


 始め!の号令を聞いた瞬間、今度はガラテアが踏み込み、前に出て剣を振りかぶる。

だがしかしガラテアは目を見張った。なにしろアリエルの左肩の上あたりに[ファイアボール]が完成していいるのだ。


 踏み込んでしまった以上あとには引けない。

 ガラテアは直線的な動きで正面に向かったせいでファイアボールを胸に受けた。そして信じられないスピードで次弾が作られ、ファイアボールが顔面に命中した。実戦ではないのでただの目くらまし程度、大やけどするほどの威力はないが、2発の[ファイアボール]を食らったガラテアは前が見えなくなり、振りかぶった剣を下して防御姿勢をとるしかなかった。


 そしてようやく前が見えたと思ったら、その背後から首に剣が添えられホイッスルが鳴らされた。


「勝負ありだ」


「はぁっ、ダメだ勝ち方が思いつかん。無理だ無理、降参だよ。自慢の髭も燃えてしまったじゃないかまったく……、まさか剣を一度も振らせてもらえないまま2本取られるとは思ってなかったな。……しかし、なんだ? 魔法はいつ詠唱したんだ? 起動式を書いたようには見えんかったが」


「アリエルは無詠唱で使えるんだよ」


「無詠唱? 魔法をか? そんなの聞いたことないぞ? エル坊はこれだけの力があって将来は冒険者になりたいってのか? もったいない! もったいなさすぎるぞトリトン、エル坊は王都の魔導学院に通わせるべきだ」


「ああ、ビアンカもそう言ってるんだがなあ、本人は冒険者で日銭を稼いで世界を旅して回りたいらしい」


「これほどの力をもって冒険者か、なんとも羨ましい話だな……。さてと、観客の中に笑ってるやつはもう一人もいないぜ? みんなエル坊を見る目が険しくなってるからな。おいみんなー! わしのカタキを取ってくれた奴には秘蔵のブドウ酒を1本やる! 誰かカタキとってくれや!」



―― オオオーッ!!


 みんなそんなにブドウ酒が欲しいのか、我先にとアリエルの前に集まった。


「わっはっはっ、やってみろ、そしてお前らも負けてしまえ」


 ガラテアさんもなんだか上機嫌に笑っている。

 アリエルはなんだか人気者になったようでうれしかったので、来る者は拒まず、全員を相手することにした。


 その後、トリトンを除いた砦の兵士、いまこの砦にいる全員の45人抜きを達成。


 決して弱いというわけじゃない。さすがに強いことは知っていても、上官の息子でしかも初対面の8歳の子供に初撃から本気で打ち込めるような人はあまりいないのも事実なのだから、次の機会にはもっと苦戦するだろう。


 でも正直、強かったのは数人で、他はだいたい[砂地]どころか[ファイアボール]の目くらましすら不要だと思った。上段から溜めの入った初撃を踏み込んで左手を伸ばして打つ面への攻撃『片手面』が面白いほどよく当たった。この世界では剣を上段に構えるようなカタがないらしく、きっとみんな上段に慣れてないからだろう。


 この1人の子供に副官のガラテアをはじめ、守備隊の全員が抜かれたということで、トリトンはとてもとても上機嫌で兵士たちに説教を始めた。


 8歳の子ども相手に一本もとれず45人抜きを許してしまった不甲斐なさを滾々(こんこん)と、はたまたクドクドと饒舌に説教を続けていた。トリトン怒りの大反省会である。


 説教が熱を帯びてくると「なぜ隊長だけやらんのですか?」と不平を言う兵士が出てくるが、とぼけた様子で「ディーアの肉は俺の好物だから取られる訳にはいかないだろ」と言って激しいブーイングとともに笑いを取っていた。


 なるほど、やっぱトリトンは慕われてるんだなと、ちょっと安心した。


 もう一つ収穫。[スケイト]の高速機動がものすごく強力だということが分かった。半年前まではこれほど細かいコントロールできなかったけど、師匠に言われて微調整の訓練を続けていることで、きちんと成果が出てる。自分が強くなっている実感を得られるというのは本当にうれしい。


 その夜の食事は、アリエルのテーブルに大量の肉が積み上げられた。


 

食べきれなかったディーアの肉(鹿肉)はストレージに入れておくといつ取り出してもアツアツの状態で食べられるのです。

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