08-18 薄暗い未来を少しでも明るく。
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その後、サナトスは一人で冒険者ギルドに行って、限定解除で冒険者登録を済ませた。
星組筆頭のくせに冒険者登録してなかったことのほうが不思議なのだが、サナトスは水魔法に長けているということで、氷のない季節に氷を作って売るだけで自分の学費や小遣い程度なら賄えてしまうから、冒険者ギルドに登録する必要性がなかった。ただそれだけの理由だ。
今回サナトスが冒険者の端くれになったのだけど、さすがにミルクイベントはしてもらえそうにない。戦時だということもあるが、いまこの冒険者になったばかりのウルトラ強力な新米を知らない人はいないし、ちょっと絡んでやろうなどと考えるような命知らずな先輩冒険者が居るはずもない。
だいたいベルセリウス家に関係する人物が冒険者登録したからといって嬉々としてミルクイベントなんぞ進行させると必ずや酷い目に遭うのだから。いや、ひどい目に会わなかったことが未だかつてなかったのだ、マローニの冒険者ギルドではミルクを頼んだ新米がいると『まずは疑え』という標語が出来上がったぐらいだ。
ギルド受付嬢を長くやっているカーリがサナトスの登録証を手渡した。
「はい、これが登録証だからね、なくしちゃダメだよ。はあ――っ、しかしあのアリエルの息子が結婚する歳になっちゃったのね……私なんてもうとっくに行き遅れちゃって諦めてるのに……もう羨ましくもなんともないわ。でもさ、サナトスくんなら冒険者しなくても夏の間は氷作って売るだけで普通に食べてけるんじゃないの?」
カーリはアリエルの同級生だというが実年齢はアリエル+4歳だから……そう、プロスペローと同い年の38歳。外見は悪くないと思うけれど、とことん浮いた話に縁がないそうだ。もしかすると男に興味がないんじゃないかという噂を聞いたことがあるほど浮いた話がない。
併設されたギルド酒場では、ポリデウケス先生が今は戦時で学校も休校になってるのをいいことに、朝っぱらから兵士たちとあーでもないこーでもないと言いあってる。
そんなところに教え子のサナトスが来て「結婚するから仕事を探しに来た」なんて言われたもんだから黙っちゃいられない。
「おおおおおっ! 結婚するのか、おめでとう! 相手はどこの誰よ? アリエルも早かったがサナトスは輪をかけて早いな。……いや、ちょっとまて、サナトスおまえ学校はどうするんだ? 実技大会を楽しみにしてる奴らも多いんだからな、嫁さんもらってもやめるなよ、お前はちゃんと卒業しろ。アリエルは中退だったんだからな」
ポリデウケス先生の言い分からしてこれだった。この戦時だからこそ非常事態でみんな仕事どころじゃない。それでも現実の問題として生活費は必要だし、結婚しました、でも生活力ありませんじゃあ、まったくお話にならない。経済的に自立する前に結婚を決めてしまったので急ぐ必要があるのに、中等部卒業しろとか、ないだろうに。
ポリデウケス先生と一緒に飲んでいたハティさんも祝福してくれた。
「サナトスくんも結婚か。あのアリエルの息子が俺より身長でかくなったとおもったらもう嫁さんもらうとか、俺もトシとるはずだ。おめでとうな! 仕事の方は大丈夫だぞ。こんな戦時でも仕事はあるからな。安心していいぞ」
ハティさんは何年もかけてノーデンリヒト領事の娘、カッツェ族のエララさんを口説き落とし、毎年毎年子宝に恵まれ、いまや6人の子どものパパ。毎日毎日着実に仕事をこなすAランク冒険者で、いまやマローニでは知らない者はいないほど有名な冒険者になっている。誠実で真面目に依頼をこなすので、依頼者の方から指名されることも多々ある。マローニギルドの看板冒険者の筆頭だ。
そう、この戦争は魔族を排斥するための戦いだというからには、ハティさんも6人の子どもたちと妻エララさんの未来が掛かってるからどうあっても後に引けない戦いだ。いざとなったら家族だけでもノーデンリヒトに逃がす準備もしているそうだけど。
エララさんとその子供たちはカッツェ族だから奴隷にはされないだろうけど、王都の奴らにとって獣人は人じゃなく動物と同じ扱いだ。種族が違うだけで殺しても構わないなんて発想の出所そのものがよくわからないけど、愛するものを守りたい、幸せな生活を守りたいという気持ちは本当に良くわかる。
でも、逆の攻める側はどうなんだろうと考えてみる。
他人の愛する者を奪ったり、幸せな生活を壊したりすることに命を懸けるなんて、どうやればそんな発想が生まれてくるのか、サナトスには考えられなかったのだ。
自分が今まで生きてきた、たったひとつしかない命を懸けるに足る理由がどこにあるのか、自分を愛してくれた人を悲しませて、遠く離れたこの地で果てることになったとして、その死は愛する家族に誇れる死に様なのか。
それとも人族というのは、名誉もなく、望まぬ戦いでただ命を散らすことに関心がないのだろうか。
ただ軍属であり、命令が下ったから殺しに来ているだけで、自分が死ぬという事の重大さにすら最初から意味を求めてはいないのかもしれない。
サナトスは自分に向けられた剣とその殺意を忘れられない。
殺すために来たくせに、いざ剣を交えると死にたくないという表情で必死になって剣を振るい、生き残ろうとする兵士の、死にたくないから殺すといった殺意の出どころが忘れられない。
望むか望まないかなんてどうでもいいことだ。殺意に理由を問うたところで意味がない。
サナトスは向けられる殺意に対して、同じく殺意で応えることを選択したのだ。
もう負けられない。守るものがいるのだから。
泣き言も愚痴も言ってられない。愛するものがいるのだから。
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それから6日後、朝食のときに何の前置きもなしにアスラが言った。
「レダのおなかに新しい命が芽生えているわさ」
エルフの妊娠期間は20~24か月と言われている。
氷室ベルセリウスとしてはまだ収入も少ないというのに、2年後にはパパになってしまうらしい。やはり狩人なんかもしないといけなさそうだ。
サナトスが生まれてから今の今まで、お金で苦労したような素振りはなかった。
もともと祖父のトリトンが王国騎士としてノーデンリヒトを守っていたことから、そこそこいい給金がマローニで暮らす祖母のビアンカに支払われていたから、サナトスたちノーデンリヒトのベルセリウス家の者は、特に何不自由なく、のほほんと暮らしていけたのだろう。
でもトリトンが王都に反逆してからは給金は支払われてないはず。
サナトスもお婆ちゃんの細いスネをかじり続けるわけにもいかない。
「働かないとな」
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マローニではそれから約1年が経った。
ボトランジュの長い冬が終わり、雪が解けて野山に花が咲き始めた頃、氷屋のサナトスは冬の間は収入がほとんどないので狩猟に明け暮れた。しかしそれがあまりにもうまくいかないので、マローニでいちばんの狩人、ユミル・グラッセにコツを教えてもらうことになった。
ユミルはアリエルを尊敬する狩人だと言う。狩猟の腕前では、マローニ中等部5年にとび級で編入してきたアリエルに、今でもまるでかなわないのだとか。
父アリエルの意外な側面を知ることとなったサナトス。
鍛冶師と聞いた時も驚いたものだが、今度は狩人としても超一流だというのだ。
アリエル・ベルセリウスという男はいったいいくつの顔を持ってるいるのか。サナトスは自分の父親ながら、いっぺん会ってみたいなと思うほどだ。
ユミルに言わせると、サナトスは無詠唱で魔法を行使できるのだから弓を引く必要はないという。アリエルと比べ、何がそんなに劣っていて狩猟がうまくいかないのかと単刀直入に聞いたらあっさりと宣告された、要はサナトスには獲物を見つけ出す能力がまるっきり欠けているらしい。
アリエルは人や動物の気配を読む技術に長けていて、自らの気配も消して、音もなく狩場を移動するのだとか。
音もなく移動する方法はサナトスにも分かる。[スケイト]だ。それなら狩猟に出たとき普通に使っている。
ならば『気配』だ。
どこに獲物がいるかを知る技術と、獲物に先に気付かれずに接近する技術があれば、今のように野山を駆け回って逃げる鹿をひたすら追い回すといった狩りをせずに済む。
ユミルに礼を言い、屋敷に戻ったサナトス。
父アリエル・ベルセリウスの弟子なら何か知ってるだろうと、サオに相談することにした。
「なあサオ、父さんが狩りの時に使ってたっていう、獲物の気配を読む技術って知ってる?」
「気配探知よね……うーん、私も教えてもらったけどあれは難しいな。気配を感じるのは私よりもパシテーのほうがだいぶ上手だったし」
「難しい? ってことは訓練でどうにでもなるってことか?」
「師匠に教わったそのままの言葉で説明するとね、マナを持たないと言われてる動物たちも、植物たちも、実はマナを持っている。ただ動物のマナは人とは異質で色? も違うからマナと認識することが難しいだけなんだって。……私は今でも毎日鍛錬してるけど、動物のマナは感じられない。人なら分かるんだけどね」
『あ……、そういうことなのね、サナ、ちょっとだけ心当たりがあるわさ』
『マジか!』
アプサラスがなにかピンと来たらしいので、また明日は朝から山にこもることになりそうだ。
気配探知が使えるようになれば、ガルグや鹿をいまよりもずっと簡単に見つけ出すことができるだろうから、狩人としても収入を得ることができる。
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一方こちら、サナトスが気配探知のことでサオに質問していたのと、ちょうど時を同じくして、はるか遠いエルダー大森林の南端に位置するフェアルの村に、物々しい装備を付けた戦闘集団が到着したのだった。
ひとりはエルフの男で剣と弓を装備している。
ひとりは大きなツノが天を衝くほどの威圧を放つ魔人族の戦士。
もうひとりは銀色のなめらかな毛色のウェルフ戦士。
アリエルが使ったとされる転移魔法陣を魔導結晶で起動し、アスラ神殿に現れた。
フェアルの村では急を告げた。村を守る戦士たちが総出で剣を持って迎え撃つ。
その中には勇者パーティの弓師として戦ったドロシーと鍛冶屋のタレスたち、レダの両親もいた。
村長タキビが代表してこの3人の戦士たちと、何用でフェアルに来たのかと聞いたところ、この男たちはドーラの魔王フランシスコが遣わした近衛兵で、魔王からフェアル村村長に向けて直筆の親書を持ってきたという。
このとき初めて、家出同然で村を出て行った跳ねっ返り娘、レダの婚姻が報告されたのだった。
時間の流れが止まったように安穏としたフェアルの村を賑わしていた、あのくっそお転婆娘がドーラの王族の、しかも次期の王候補の一人であるルビスの魔人に嫁入りしたなどというから、父タレスは泡を吹いて失神してしまい、たったいま戸板に乗せられてまじない師の婆さんの家に運び込まれたところだ。
とても苦い薬を飲まされて飛び起きるのだろう。
ドロシーはルビスの魔人と聞いて、あの時の赤ん坊か……とピンときた。
まさかあの子がドーラの王族の子だとは思っていなかったのでこちらも驚きを隠せなかったけれど、自分の孫であるセキの娘が今年14歳になった。
名をミツキという娘だが、10歳で村の戦士とガチ殴り合いの喧嘩をして引き分けてきたレダのような暴力的な性格でもなく、お淑やかとしか言いようがない。だがしかしその名を頂いたという、あの暴力の権化、ルビスの女魔人。アリエル・ベルセリウスの妻ロザリンド・ルビスが実はドーラの王族の姫さまだったのかと合点がいったところだ。
ドロシーは頭をひねって記憶を呼び起こそうとするが……。
「うーん、そういえばそんなこと聞いてたような聞いてなかったような」
いや、レダが結婚してくれたことは心の底から嬉しく思うが、まさか今でも夢に魘されるほどの恐怖を刷り込んでくれたトラウマの元凶である、あの女魔人と親戚関係になってしまうとは考えてもいなかった。これでは痛し痒しといったところ。
フェイスロンドの領都グランネルジュからやってきたという旅の吟遊詩人エルフに聞いた話だとたった3人で14万の兵を率いる10人の勇者と戦って相討ちになったような結末だった。よくある吟遊詩人の脚色された与太話として村の誰一人信じなかったが、ドロシーには信じる根拠がある。
そしてレダのほうも、かのロザリンドには及びもしないが、相当な使い手になっていて、自分より弱い男には興味ないなんて言う。そんなことを言うと、フェイスロンド中を探してもレダより強い男なんていやしないかもしれないのに。
マローニやノーデンリヒトに行けば必ずレダのお眼鏡に叶うような強い男がいるはずだし、マローニには顔の傷を消してくれる治癒師のおじいさんも居たはずと思い、レダのマローニ行きも特に反対しなかったのだけれど、まさかアレの息子と結婚するだなんて。
育ちが悪いから礼儀作法がまったくできないはずのレダが? いや、自分譲りのあのお転婆娘がまさか王族になろうなんて思ってもみなかった。
「こんなことになるなら礼儀作法から花嫁修業ビシッとさせておくべきだったわ。ところで使者さん、レダの旦那様ってもしかして、えーっと、サナトスって男の子?」
「おお、ご存知でありましたか。はい、その通り。現在、ルビスを受け継いでおるのはサナトス様だけですから、次期魔王の最有力候補であらせられます。レダ様はサナトス様の正室でございます故、私と2名の近衛兵が派遣されて参ったという訳です」
使者の方はドーラのエルフ族。近衛兵は魔人族の戦士とウェルフ族の戦士。
魔族を束ねる現魔王は、新しく親戚になったドロシーとタレス、そしてレダの姉セキとその娘ミツキの護衛にと、地の果てにあるフェイスロンドの外れ、フェアルの村まで派遣してくれたのだから、村長も歓迎しているのだけど……。
実は世界の半分を見てきたドロシーであっても、ウェルフ族や魔人族(男)を見ることすら初めてなので、ビビってるというのが正直なところ。この閉鎖的な村に馴染めるかどうか今から心配だ。
「あのサナトスくんがねえ。成長した姿が想像できないわ。可愛い子だったのは覚えてるんだけど」
「サナトス様とレダ様はマローニの防衛戦で一緒に戦われたと伺っております。二万五千の敵に対してたった二人で応戦し、敵軍はわずか15分で一万を失い敗走したと。……レダ様もサナトス様と同様にマローニの英雄でございます」
「そう……」
自信たっぷりに披露されたサナトスとレダの英雄譚に表情を曇らせたドロシーに少し違和感を感じたエルフ族の戦士。もしかすると失礼があったのでは? と思い、すかさず真意を確かめた。
「いかがなさいましたか? 私めの話に何か不快な点でもございましたでしょうか?」
「いえ、違うんです。なんでもありません。ただ、娘と、娘が愛したひとのことが心配なのです。たった二人、15分で1万は倒したってことですよね? それで王国軍は敗走したと」
「はい、その通りでございます」
「なら次は必ず勇者がくる。アルカディアから神々が降臨すると勇者となり、レダとサナトスを殺しにくる。お願い、私をマローニに連れて行ってください。私も多少は戦えます。これでも昔は勇者のパーティに居たことがあるのです」
「はい、恐らくはあなた様のおっしゃる通り、いずれ勇者がマローニを攻めるでしょう。いやもしかするともう来ているかもしれません。ですがそれは私たちにはどうしようもないことです。……勇者の力と、ルビスの力というものは、もはやここまで来ると我々が命を賭けて介入したところで戦況がどうにかなるといったレベルではございませんことをご理解ください。それに我々がここに来たのは、レダ様のご家族の安全を確保するためで、危険な戦地へ送り出すことではございませぬ。そこのところ、くれぐれもご理解くださるよう、重ねて申し上げる」
そういわれてみれば確かにそうだ。いまさらドロシーが助けに行ったところで勇者の一行を相手に戦える訳もなく、ただ足を引っ張りに行くようなもの。
「はあ、分かりました。自分の力が勇者を相手にまったく通用しないことも知ってます。でも心配しながら待っていることしかできないなんて、つらいですよね」
「はい、我々は追って沙汰あるまでここを守らせていただきます」
「よろしくお願いします」
村長にもセキにも、セキの旦那にも、そして自分の旦那タレスにも説明をしなくちゃならないのは面倒だけれど、もう面倒事にも慣れた。
ドロシーも、子どもは親を心配させるものだということで納得したところだ。
「まったく我が娘ながら……」
イライラする気持ちを抑えきれず、ここまで口に出しておきながら言葉が続かない。
そう言ったドロシーの表情はやがて微笑みが勝ち始め、やっと愛する男性を見つけた、行き遅れの娘の幸せに安堵する母親の顔になった。
「タレスもセキも、よく聞いてね。レダが惚れた相手はね……」
そこから説明すると、ドーラから護衛と称する戦士が来たのも頷ける話だった。
「でも、王族の正室になんて……レダのことだからきっとお行儀が悪すぎて叩き出されるのがオチよ? ねえ父さん」
「アリエルさんと親戚になるってことだろう? ベルセリウス家っていやあ大貴族なんだぞ。そんなとこにレダが? 迷惑をかけてないか心配だなあ……」
行き遅れの娘が嫁に行ったあとから次々と心配事に悩まされる。タレスも父親なのだから。
タレスやドロシーの危惧しているところは違ったが、招かれざる最悪の客というのは来るな来るなと思っていると来てしまうというのが世の常らしく、
そしてほどなくして、遠く離れた北国ボトランジュでは、シェダール王国軍の引き揚げたあと、神聖典教会率いる神兵たちの先頭きってマローニの南門前に勇者たち一行が到着した。




