08-17 精霊たちの居ぬ間に
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「で……、アタシの部屋で雁首揃えて何してるのよ?」
ここはマローニのベルセリウス邸にあって、四柱の精霊たちのなかでただ一人、個室を与えられているてくてくの部屋だ。
サナトスにべったりなはずのアプサラスが軽口を叩いた。
「ワタシタチ今夜は飲み明かしたい気分なの……テックも付き合いなさいよ」
何か様子がおかしいと訝しむてくてく。
さて『この二人に何があったのか聞き出さなければならないのよ……』と思ったその時ガチャっとドアが開き、イグニスまでもが入ってきた。
いましがたアプサラスとアスラが訪れてきたので、もともと部屋でゴロゴロしていたてくてくを加えると、この部屋に四柱の精霊たちが勢揃いしていることになる。熱心に精霊信仰しているハリメデなどがこの場に居合わせたら心臓が飛び出して死んでしまうんじゃないかという絵面だ。精霊たちから醸し出される神々しさ……など爪の先ほどもないが、それでも精霊がひとつの部屋に、一堂に会するなんてことこれまでなかったのかもしれない。
イグニスが肩を落として、なにやら残念そうな表情を隠そうともせず言った。
「うーん、やっぱ無理だって」
何の事だかわからず顔を見合わせるアプサラスとアスラ。
察したてくてくが状況を説明する。イグニスが凹んでいる理由だ。
「イグニスはサオに契約を持ち掛けたのよ」
「うん、それでワタシ断られた。サオは精霊の力を使えるほどの力を持ってないって。『私は身の程をわきまえていますから』だってさ。確かにサオは力不足ではあるけど、契約したらしたで今よりもずっと火を扱うのは楽になるはずなのに」
傷心のイグニスを慰めるなどという心遣いが精霊の間にあったとするならば、もっと仲良くできるのだろうけれど、精霊には姉妹を労わるという慣習はない。サラッとスルーされてしまうイグニス。
「で、アプにアスラ、アナタたちマスターほっぽって何してんのさ」
素知らぬ顔で余所見を決め込むアプサラスと、よっこいしょってな感じでてくてくのソファーに無言でどっしり座り込むアスラ。
「むっ! 何かおかしいのよ、アナタたち揃ってサナとレダから離れるのは怪しすぎるのよ! ああ、ダメなのアタシのサナが」
てくてくが部屋から駆け出そうとするのを必死で止めるアプサラスとアスラ。いまのサナトスの部屋にこの20歳近い外見のお姉さんてくてくが踏み込むと必ずや修羅場になってしまう。
「ほんと酷いわ。サオにふられたワタシを誰も慰めちゃくれないのよね……」
「こんど慰めてやるのよ、だからこの……」
「今だけは絶対にダメだからね、いま踏み込んだからサナもレダも一生のトラウマを負うわさ。イグニス、こっちが正義だからこっちに付きなさい」
てくてくもほか三柱の精霊たちが力尽くで制止するものを振り払うこともできず。
ベッドに縛り付けられて朝まで監視されることとなった。
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翌朝、がっくりと肩を落としながら、アプサラスとアスラに手を引かれ食堂に入るてくてく。なんだかもうこの世の終わりが来たような顔をしていて、サオはじめ家族たちを心配させたけれど……。
「おはよう!」
なんだか妙にスッキリとしていろいろ吹っ切れたようないい表情でサナトスが食堂に入ってきた。その表情は大人びていて、以前にも増して男らしく見える。
昨日あんなに泣いていた男がまるで嘘のような変貌ぶりだ。
その後ろを隠れるようにコソコソと入ってくるレダ。
小さな声で「おはようございます」と言ったきり、誰とも目線を合わせようとしない。これは明らかに挙動不審である。
昨夜は食事を食べなかったレダに、はんなりと柔らかく会釈するヘレーネと、ニヤニヤしてなんだか嬉しそうなベリンダ。
食事が運ばれてきて、全員で朝の食事タイムだ。
いつもの白パンにゆで卵と新鮮な野菜たっぷりのサラダ、そしてガルグの厚切りベーコンの香草焼きに暖かいスープというマローニでは標準的な朝食。
今朝は何故だか誰も言葉を交わさない。だいたいいつも朝はグレイスやカンナがうるさくて、サナトスが『うっせえ静かに食え』なんて大騒ぎになる朝の戦場なのに、今日は誰も言葉が出ないのだ。
だが、言わなくていいのにコーディリアが突破口を開いた。
「ねえレダちゃん……」
つんつん……とコーディリアが指さすのは首。
『その首にべったりと付いたキスマークは何ですか?』という意味だ。
―― ガチャッ!
食事の時に音を立ててはいけません。これはナイフとフォークを使う食事では最低限のマナーなのだけれど、グレイスは皿の上にナイフとフォークの両方を落としてしまった。
朝の食卓が凍り付いてしまい、あたふたするレダを見かねたサナトス。
「えーっと、俺さ、嫁さんもらうことにしたから。ってことで、飯食ったらすぐ冒険者ギルドいって登録して、そんで仕事探してくる」
サナトスの隣でモジモジと小さくなってるレダとは対照的に、どうやればたった一晩でこれほど成長できるのか? というぐらい大人びた空気を醸し出すサナトス。食堂に入ってきた時はその雰囲気の変貌ぶりに驚きはしたが、やはりグレイスは黙っちゃいられないようだ。
「サナ……あなたレダに魅了とかしてないよね?」
朝の食卓が吹雪の雪山のようになってしまった。
何しろ、あのアリエルの血を引く息子であるのにサナトスはあまり家族を心配させるようなことはなかった。それについては本当にいい子に育ったと言っていいだろう。
でもサナトスは紅眼の魔人。スカーレットの持つ魅了という必殺の武器を持って生まれてきているのだから、心配するのはみんなそっちのほうばかり。
誰も言葉を発さなかった理由はそういう事だ。魅了されたとしても、朝には魅了が解けてしまって昨晩のことは鮮明に覚えているという言い伝え。みんなレダに対しては、腫れ物に触るような扱いになってしまう。
もし魅了されたのだとしたら、排卵の周期が長くなかなか妊娠できないエルフ女でさえも百発百中で赤ちゃんができてしまうという、非常に使いどころの難しい種族スキルだが、これを使ったとなると結婚前提になるのも仕方がない。
食事をするフォークとナイフを止めようともせず、いつもの朝食時の雑談のようにサオがサナトスに言った。そう、何事もなくいつものように、自分の皿から目を離すことなく、何ら変わりなく。まるで学校に行くサナトスを『行ってらっしゃい、気を付けてね』と送り出すとき声をかけるような気軽さで。
「サナ、本当に愛した人にだけしか魅了を解放しちゃいけないって事は、くれぐれも言いましたよね? 自分に恥じることはないのね? 気持ちに偽りはない?」
「ない」
サナトスは胸を張って即答した。
「はい。分かりました。レダ、末永くサナトスをよろしく。そのうちサナトスの両親が帰ってくるとは思うけれど待ってはいられないわね。まったく戦時だというのに、結婚とか……ほんとあの親にしてこの子ありって本当よね。私からはこれだけ。あとは自分の口でビアンカさんとヘレーネさんに報告しなさい」
というとサオは静かに何事もなかったかのように食事を続け、こぼれ落ちそうになる卵の黄身の半熟をうまくフォークで掬うようにして口に運んだ。今年一番の大ニュースになるであろう、こんな大事件を、これっぽっちも大事にするつもりもなく、まるでこうなることがあらかじめ分かっていたかのようにゆで卵にナイフを入れて何事もなかったかのように次から次へと口に運ぶのだから。
グレイスは訝ってサオに聞いてみた。
「サーオー、なんでそんなにそっけないのよ? 何か知ってたの?」
「グレイスはこの二人を見ていて分からなかったの? いずれこうなることは分かってたわよ。レダもレダで、口じゃあ拒否してたけどもう心はグラグラしまくってたもんね、時間の問題だと思ってたけど、まさかこんなに早く落とされるとは……。ま、ロザリィよりは頑張ったと褒めてやるべきかもしれないわね。ロザリィなんて初対面で落とされたチョロインだし」
サナトスはまずビアンカに報告するため向き直った。
「婆ちゃん、えっと……」
ビアンカの方はレダのほうが心配になったらしい。
「レダちゃん、サナトスはこんなこと言ってるけど、いいの?」
「は、はい。……よ、よろしくお願いします」
「はい、レダさん。サナトスをよろしくお願いします。あー、よかったわ、アリエルの時は私だけそっちのけでさ、全部終わってから事後報告で『母さんおれ結婚したから』なんて言われてさ、式も済ませちゃった言うしさ、息子の晴れ姿を見れなくて本気で拗ねてしまおうかと思ったけれど、サナトスは私の孫なんだからね、今度は見逃さないわよ。あ、そうそう。トリトンは呼ばなくていいわよ。事後報告で十分だから」
サナトスは十四歳の少年だが、結婚するのが早すぎるとか、若すぎるだなんて誰も言わない。
何しろこのビアンカは十三でベルセリウス家の嫁に来て十四でアリエルを産んだのだから。
「ヘレーネ婆ちゃんも、えっと……なんというか、急な話で……」
「いえ、ここに来てよかったわ。ロザリンドの嫁入りは見られなかったもの。戦場に出た娘を心配してたら敗戦の報でしょ? オロオロして泣いてたらあのダフニスに『ロザリィは男と駆け落ちしちまったが幸せそうだったぜ』なんて言われてそれっきり。開いた口が塞がらなかったけど」
「ねえサオ、ロザリィはどうだったの? おしえてよ」
べリンダはダフニスの笑い話でしか聞いていなかったロザリンドの婚約をサオの口から聞きたかったのだろう。グイグイと前のめりに出てきた。
「え? たぶんダフニスのバカから聞いた通りよ。勇者たち強くて、みんな命からがら砦の中に逃げ込んで、ロザリィも私も、あのダフニスもカルメもテレストも、そうねエララも、みんなもう30分後には死ぬんだって思ってたんだけどね、師匠、うん、アリエルさんが……ケガをして動けないロザリィをこう、こんな感じで腕に抱いて、なんだか治癒魔法を施術しながら求婚したの。指輪を贈るでもなく、花束を手渡すでもなく、自分が打った業物の剣を贈って。ダフニスはアホだアホだって笑うけどさ、前世でアルカディアに住んでた頃から好きだった人がずっと探してくれてて、16年かかってやっと見つけたら今にも磔刑にかけられる寸前で、間一髪で助けられるなんて、すっごいロマンチックな話よね。私はすっごく憧れたなあ」
そのときだった。ガチャっとドアが開かれ、満席の食堂に一人の若い男が入ってくると、軽い挨拶を交わした。
「おはよう皆さん。んー、アルカディア? なんだい? 朝から神話の話かい? サオさん」
軽いノリ、金髪碧眼で細身なのにガッチリした筋肉質の細マッチョで、女にもてない理由が見つからないのに、なぜか浮いた話を一つも聞かないナイスガイ。
その名をプロスペロー・ベルセリウスといった。
朝からちょっと不機嫌だったグレイスも年の離れた従兄が登場したことで、その口元から少し笑顔がこぼれる。
「あ、プロスさんおはようございます。いつもお世話になっています。実はサナトスが結婚することになりまして」
「おお、本当か! そいつぁいい。サナトスお前もやるなあ。お相手は?」
「ああプロスおはよう。あとで報告しようと思ってたんだ。レダこっちおいで、えっと……」
「おお、チャーミングなエルフの娘さんだね。俺はプロスペロー・ベルセリウス。王都プロテウスの役所で働いてて、キミとキミのダーリンがマローニを守れば守るほど肩身が狭くなってくるという地獄のような職場で働いてるんだ。お手柔らかに頼むよ。えっと……、ここは笑う所だからね……。気の毒そうな顔はやめてくれよ、自虐ネタは滑ると悲しいんだ。……そうだな、続柄はどうなるんだろうな? キミの旦那様のお父さんのイトコってところだ。よろしくね」
「肩身が狭いのは見た目に年を取らないからだと思うわ」
「うっわ、グレイスってば鋭いなあ。実はその通り、エルフでも混ざってんじゃないかって言われて酷いパワハラに遭ってるんだよ、ストレスで1シルバー禿げできちゃったし、休職願い出して帰って来たんだ。とほほほ。ところで父さんはこっちにきてないみたいだね、まあいいか、んじゃ俺はこれで。食事中にバタバタして悪かったね。サナトス、おめでとうさん。レダさんを大切にしないとダメだぞ」
サナトスは軽く会釈しながら右手を挙げるだけで応えた。
いま出て行ったつむじ風のような男はプロスペロー・ベルセリウス。シャルナクさんの息子で、セカのベルセリウス家は壊滅したらしいから、このまま順当にいくとボトランジュ領主となるはずの男だ。両親が行方不明になって親の顔も知らないサナトスからすると父親がわりの、いい兄といった関係だった。
プロスペローは実年齢38歳のはずだが、とても年齢を感じさせない。まだ20代前半にしか見えない若さを保っている。誰がどう見ても人族の青年で、エルフ族には見えないのだけれど、このような魔族排斥の折、王国に弓を引くベルセリウス家の嫡男ということもあって、エルフの血が混ざっているという噂が立つのもしょうがない。休職とは言うが、復職できるかどうか微妙なところだ。
朝食が終わると、レダはビアンカとヘレーネにとっつかまってしまい、グレイスとカンナと、そしてベリンダが纏わりついて離れなくなってしまった。花嫁の祝福はもう始まっている。カンナのお母さんたち二人は昔レダの母さんの仲間だったとかで、えらく大げさに祝ってもらっていて、カンナたちは庭に花を摘みに出て行ってしまった。エルフ族は花冠を編んで祝福するのだそうだ。
魔人族は女であっても顔に傷の一つや二つあったほうがいいのだとかいってレダはえらく気に入られてしまっようだ。
サナトスはレダが温かくベルセリウス家に迎えられたことでホッと一つ、胸をなでおろしたところだ。
「じゃあ俺、ギルドいってくるから」




