08-16 二人の気持ち
書き直し作業しています。いま200話周辺をウロウロしています。
このあたりから急に口調が変わったりしますが書き直し前の領域に飛び込んだと思ってください。
かならず書き直します。
サナトスは勝ち誇ったように降参してとっとと帰れと言った。
だがしかし、本当はサナトスの方がもうやめて欲しかった。てくてくに言われたことばを甘く考えていたのだ。アプサラスの力を引き出し、手加減なしに思い切って力を使った結果がこれだった。人などサナトスが実際に見ることもなく、十把一絡げで、目に見える範囲まるごと皆殺しといった無慈悲な攻撃をいとも容易く行えてしまったのだ。
人は人と争うのに相応の理由が必要だ。死力を尽くして戦い、勝利する。だからこそ、戦った末に敗れたとしても『全力を出したのだから』『勇敢に戦った』だとか『名誉を守った』だとか、そういって死そのものを美化すすることで、たとえ命を失ったとしても、死そのものを無駄じゃなかったとして、死者への手向けとするのだ。
だがしかし、今日ここで氷に閉ざされて死んだ者は正々堂々戦ったわけでもなく、勇敢に戦うチャンスも与えられず、名誉など1ミリも守れなかった、ただ無為に死んだだけの者たちだ。
剣をとって戦場に出てきたのだから、人を殺すことにも、殺されることにも相応の理由があって然りなのだろう。だがしかしサナトスと戦って敗れた万に及ぶかと言う数の兵たちは全力を出すこと叶わず、勇敢に戦う前に、名誉などこれっぽっちも守れず、ただ殺されるべくして殺されたわけだ。
サナトスが忠告する王国軍の司令官にもそれぐらいのこと百も承知なのだ。
だがしかし、王国軍の威信にかけて、王国騎士団の誉れにかけて、ガキひとりにやられっぱなしで、帰れと言われたからといって、はいそうですかといってすんなり帰れるわけがないのだ。
戦争ってやつは本当にろくでもない。もっとたくさんの兵士が死なないと帰るという選択肢を選ぶこともできないのだ。
マローニ西側を攻めている王国軍の兵たちは土を操るスカーフェイス『レダ』と接敵し阿鼻叫喚の中で空から飛来する岩に押しつぶされたり、地面から突き出す岩棘に突き刺されて次々と命を落としている。ここで引かねば誰一人として生きてこの戦場から帰れない。もちろん敗戦の報告もできない。
―― シュパアアアァァッ!
―― シュルルルルルゥ
動きを止めて軍司令の前に立つサナトスに向けて後方の陣から矢が放たれた。
相当な腕前なのだろう。何本か飛来した殺意のこもった矢、それぞれがサナトスの胸や首、頭に命中し身体に突き立つ……。
だがしかし……、その矢は当たらない。当たったに見えた矢はサナトスには当たっていないのだ。
ジャプッ……と、まるで水に矢を撃ち込んだかのような音がして矢が通り抜けてしまう。
一瞬だけ勝ち誇ったような目をした王国軍の将軍だったが、今はもう『信じられない』という表情から、やがて恐怖が色濃くその顔を、身体を支配し始める。
何より驚いていたのは、いま矢を射られたほうのサナトスだった。これ以上やるとみんな死んでしまうからもうやめようと言いに来たというのに、まさか矢を射られるとは思っていなかった。
こんなにも濃い敵意と殺意が人を狂わせている。まるで狂戦士のように、瀕死になった仲間を助けようともせず、相手を殺すことだけしか考えていないようにしか思えない。
サナトスは[ファイアボール]を圧縮し、[爆裂]を練り上げる傍ら、冷気を含んだ風を巻き上げた。
ただそれだけだった。
―― ドッゴォォォ!!
白く煙る冷気が風に巻かれて渦を巻いたように見えた。するといま矢を射た陣まるごと、数百の兵が氷像となり、次の瞬間に襲った追加の爆破魔法により、粉々に砕け散ってしまう。
数百人もの兵を一瞬で失ったのを見せられた、王国軍の頭に赤い鶏冠の付いた将軍は名乗ることも、名を聞くことも忘れ、今まで体験したことがないほどの狼狽を見せ、震える声で「わかった、我々は軍を引いてノルドセカまで下がろう」と宣言すると、ほどなくして退却のホルンが吹き鳴らされた。
王国軍の兵士たちはみな口々につぶやく。
王からの命令がなければ誰が同胞と剣を交えたいものか。
戦わない選択肢が選べるのであれば戦いたくなどなかったし、撤退する正当な理由がありさえすればいつでも撤退している。だがまさか敗戦してのこのこ帰る羽目になるとはこれっぽっちも考えていなかったのだが。
外の様子が分からず、閉ざされた門の内側を守っていたラクルスたちの耳にも敵軍が撤退するホルンの音が届く。歓喜し勝鬨を上げる弓兵たちを見上げると弓兵の一人が興奮冷めやらぬ様子で叫んだ。
「敵軍が帰って行くぞ!」
この門から5人が打って出てまだ15分も経っていないというのに、敵は2万以上いたはずなのにも関わらず、そんな短時間でもう雌雄が決してしまったという事だ。
……それからしばらくの後、戦闘終了後に門から出たラクルスは目撃した。
東側には敵の死体など一体もなく、ただ血と肉がシャーベット状になってぬかるんでいる異様な光景を。
もう人の形を成していないが、おそらくここで何千という兵が命を落としたのだろうことは、想像するに難くなかった。バラバラになった鎧の中にも人体と思しきパーツが入ったままになっている。
防護壁の近くまでは到達できていない。つまり、戦闘が始まってすぐに、ここで数千の兵たちが命を落としたということだ。
そしてマローニを守る衛兵たちも数人が大規模な氷結系魔法に巻き込まれ、命を落としたとのこと。
前線に出たはずのサナトスはサオに連れられて早々に帰っていった……。
西側を守ってくれた精霊術師のエルフも早々に引き上げた。
状況を呑み込めないラクルスは少々の苛立ちを覚えた。まるで想像もできない。いったい外で何があったのか。
「弓兵たちは帰すなよ、小隊長はどこだ? 話を聞きたい」
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サナトスは屋敷に戻り、自分の部屋で一人、ただ一人、ふさぎ込んでいた。
力加減ができなかったこと……。
もうマローニの人たちは誰も死なせない。そう意気込んだその思いが強かったせいか、それとも緊張していたせいか、つい全力で力を振るってしまって、その結果、何千もの兵士たちを殺し、マローニの衛兵も何人か巻き込んでしまったのだから。
しかし一番驚いているのは当の本人ではなく、サナトスの力を引き出したアプサラスだった。
そう、一撃で敵兵を50~100倒せれば勝てるだろうと想定していたアプサラス、まさか初撃で500ほどの兵を氷像にしてしまえるほどの範囲攻撃に加え時間差で爆破魔法を起動し全てを粉々に粉砕してしまうなんて、そこまでは想定外だった。
『サナトス、今日の戦闘はワタシにも想定外だったわ。次からはもっと慎重にやるの。だからもう、そんなに悲しまないで。悪いのはワタシなの。アナタは少しも悪くないのよさ』
『違うよアプ。前々からサオに言われてた微調整の鍛錬が嫌いで、いままでやってこなかった俺が悪いんだ。くっそ、加減ができなかった。くっそ……』
サナトスは食事もとらずに、薄暗い部屋で塞ぎ込み、自分を責めるばかりだった。
サオにやっておけといわれた鍛錬をサボって未熟なまま戦いに出たことで、味方までをも巻き込んでしまったことを悔いていたのだ。
―― コンコン。
ノックの音がした。
ドアをノックする音が聞こえてもサナトスは返事をしない。誰とも話したくはなかったし、誰とも会いたくはなかった。食欲もなかったし、シャワーなど浴びなくても、そもそも汗もかいちゃいないのだから。
「サナ……入るよ?」
部屋の主の許しなく不躾にも強引に部屋に入ってきたのは他ならぬレダだった。
カーテンは暗幕が引かれていて、まだ日は高いというのに薄暗い部屋。ベッドに座って小さくうずくまる少年。ルビスの紅い眼は暗がりで良く目立つ。
その瞳はレダを見ることができず、視線を落としているのがよくわかる。
14歳の少年の部屋。勉強机があって椅子もある。
読みっぱなしで放置された本が数冊。整理整頓されてない、出しっぱなしの棚の上。
妙に生活感のある机が印象的だった。
「ここ座っていい?」
返事はない。ただチラッと眼球が動いただけ。
机の上に置かれてある本を手に取ってみると、神話戦争を題材とした英雄クロノスの伝記と、破壊神アシュタロスの侵攻、決戦の地アルゴル~破壊神の最期~ ……だった。
サナトスはただふさぎ込んでいる。いつもなら「出てけよ」の一言があってもよさそうなものなのに。相当精神に堪えたのだろう。
当たり前の話だが、いま一緒の部屋にいるこのレダもマローニに来るまで人なんて殺したことはなかった。あの日、フェイスロンドから北回りでマローニを目指して[スケイト]で旅をしていたレダ。なにやら激しく争う気配を察して様子見がてら近づいてみると魔族の少年たちが盗賊とも思えない訓練された大人に絡まれていた。そんな命のやり取りをしているところバッタリ出会った偶然の出会いだった。
レダには一目見ただけでサナトスだと分かった。ちょっとイイとこ見せたいと思って力んだ結果、敵の斥候だとは言え、命を奪ってしまった。初めて人を殺してしまった。そのことが精神に堪えないわけがない。マローニに来てからというもの、アリエルの家族の危機を救うのだと気丈に振る舞ってはいるが、もう何千人もの兵の命を奪ってしまった。毎晩ぐっすり眠れるわけもない。限界まで起きていては、睡魔に襲われて気を失うように眠り、短時間意識を失ったまま覚醒するまでを睡眠としているようなギリギリの生活になっている。
今日のサナトスは土の精霊王レダが見ても異常だと思えるほどの戦闘力で東側の戦線を一瞬で崩壊させ、ものの15分で戦闘を終わらせた。王国軍の戦死者は、サナトスが担当した東側とレダが担当した西側を合わせて1万ぐらい……と見られている。
レダは戦場で常にサナトスを気にかけている。危機に陥ってはいないか、サナトスの守る東側が押されてはいないか、常に遠くから見ているつもりだったのだが、ちょっと目を離した瞬間にサナトスは敵陣奥深くまで侵攻し、将軍旗の翻る敵司令部に達していた。
サナトスの侵攻速度に危機感を覚え、自分も眼前の兵力を圧倒しつつサナトスの応援に向かわねばと奮闘していると間もなく敵撤退のホルンが鳴った。数えてはいないが、たぶんレダも2千ぐらいは倒したはずだ。その短い時間でサナトスは8千もの兵を倒し、プライドが服を着て歩いているようなシェダール王国軍を退かせたのだ。
守った人々の熱狂、歓喜するマローニの住民。そして英雄ともてはやされての凱旋。
それなのにサナトスは泣いている。大きな体をこんなにも小さく震わせて泣いているのだ。
なんてことはない、サナトスもレダと同じ人の子。
レダはゆっくりとサナトスに歩み寄り、傍らで優しくサナトスの頭を撫でながら言う。
「サナ、あなたはもう戦わなくていいよ。これからはぜんぶお姉さんが戦います」
サナトスは初めて視線をあげて目の前で強がっているエルフの小さな女性を見た。
『戦争なんだから仕方がない』『敵が我々を殺しに来るのだから殺されてもしょうがない』きっとそんな慰めの言葉をかけてくれるのだろうと勝手に勘違いしていた。
でもこの小さなお姉さんは、サナトスにもう戦わなくていいといった。誰だってそうだ、戦争なんて嫌だし、人を殺すのなんて嫌に決まってる。
「サナ、もういいから。あなたはもう誰も殺さなくていい。私が守るから。あなたの大切な家族も、あなたの思い出が詰まったこの街も、アリエル兄ちゃんの帰ってくる家も、ぜんぶ私が守るからね。もう大丈夫だから安心して、今夜はもうお休み。また明日ね」
いつもの勝気な、自信に溢れた眼力の強い目はなりを潜め、ぐったりと疲れたような目をしながら、この小さなお姉さんは言う。もう嫌なことをしなくていいと、あとは全部自分に任せて、サナトスはもう何もしなくていいんだという。
こんなに疲れ切った目でそんなことを言わせてしまうほどに自分は不甲斐ないのだろう。そう言って部屋から出て行こうとするレダを追って背中から抱きしめるサナトス。
「心配させて悪かった。でも逆なんだ、レダ、おまえはもう戦わなくていい。これからは俺が戦うよ。こんなに酷い思いをするのは俺だけでいい。レダ、お前を守らせてくれ」
サナトスの背後からアプサラスが出て、半ば強引にレダからアスラを引きはがした。
アスラは「レダを泣かせたら許さないんだからね……」と捨て台詞を残し、二柱の精霊はドアから出て行ってしまった。




