01-01 プロローグ 前編 深月と美月
主人公は『嵯峨野深月』
常盤美月ともう一人、深月に告白した美少女もヒロインのひとりなので、どうか忘れずに覚えておいてやってください。
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2024 0206 手直し
「ヒヤァ————!」
「—— メェェ!」
パンパン! パン!
カン高い悲鳴のような叫びと竹刀の打ち合う歯切れのいい炸裂音が響く体育館では、剣道のインターハイ予選が開催されていた。
体育館に併設された二階観客席の端っこ、プラスチックのとても座り心地の悪いベンチ椅子に腰かけ、遠目から試合場を見ている少年が居た。
退屈そうに試合の行く末を見物しているというより、ただぼーっとしながら眺めているに過ぎない。
死んだ魚のような目、それは爪の先ほどにも興味のないものを見る目だった。
少年の視線の先、二階席から見下ろす試合場に目を戻すと、人形のような出で立ちの女子たちがこぞって奇声を発し上げていた。
「チェストァァァ!」
「ソイヤァァ!」
「オオオオゥ!」
これで会話しているように聞こえるから不思議だ。
剣道の経験がないからよく分からないのだけど、この変な声は『気合い』なんだそうだ。剣道場なんてそれこそ日本中どこにでもあるので、このような風景、けたたましい奇声も、もはや日常といって良いのだろうけれど、いや、やっぱりちょっと日常からはかけはなれた世界だと思う。
そんな日常からはかけ離れた空間で少年が何をしているかというと、ここで試合をする幼馴染を応援するためだけに貴重な休みを返上して、こーんなエアコンも完備してないような蒸し暑い空間で、剣道女子たちの発した汗が蒸発した気体のまざった空気を胸いっぱいに吸い込み、ただぼーっと団扇を扇いでは、大して涼しくもない風を起こしながら、防具をつけてのドツキ合いを鑑賞しているわけだ。
今日ここで試合する幼馴染の名前は美月。常盤美月。
身長150センチちょい。体重は40キロもないんじゃない?って感じの華奢な肢体と、肩までの黒髪に整った顔。剣道さえやってなければそこそこモテたであろうルックスなのに、青春の恋愛という甘酸っぱいページを束で丸ごと千切ってドブに捨てたような残念女子だ。
ちなみに身長についても体重についても、完全に推測である。
そんなこと聞こうものなら手刀を竹刀に見立てて、即座に飛び込み面を打たれてしまうだろう。
美月のモットーは悪即斬なんだ。
悪即斬といえば、小学生の頃の美月は、お転婆が過ぎて隣接する地区のガキ大将グループと取っ組み合いの抗争起こしたりするような奴だったので、この女だけは心底恐ろしいと思ったもんだけど、中学に上がった頃からの二次性徴で骨格から身体のライン、そしてその顔までが見事なまでに女の子女の子しはじめ、高校生にもなるとこの女の黒歴史を知らない野郎どもがかなりの高得点を付けて、彼氏の座を狙っている(らしい)。
おいおい、こんな奴の彼氏になろうものなら、枯れ死になってしまうぞと変なダジャレがでてしまうほどに要警戒なわけ。
小学生時代から美月を知り、剣道をそのままケンカに応用して角材で容赦なく叩きのめすという非道行為の被害者となった野郎どもは、まかり間違ってもこの女に高得点を付けたりはしないのだけど。
そんな幼馴染の美月を応援するため二階席に陣取っている少年、つまり自分のことなのだが、そう、両親がつけてくれた名も『みつき』という名前だった。
フルネームでは嵯峨野深月という、ぱっと見た感じでは冴えない、実に冴えないという印象なのだろう、みんなそう思っているだろうし、そのことについて異論はない。
美月と同じで名前が『ミツキ』、幼馴染の女の子と同じ名前だという、たったそれだけの事でけっこうひどい目に遭ってきた、存在感と幸の薄さには定評のある17歳だ。
髪は生徒手帳にある校則の髪形を踏襲したような標準的なもので、そのせいか目立つことがない。身長はちょっと背伸び気味に計ってもらって168センチと、せっかく背伸び気味に計ってもらっても170にあと2センチ足りないのが惜しくて、身長を聞かれたら無意識に「170ぐらい」と答えてしまって、自己嫌悪に陥ることがある。
顔はたぶん普通ぐらいに整いはしていると思うけれど、いかんせん童顔キャラで、女子からは「可愛い」と言われることがあるという程度の普通具合だ。
これは誰も知らないことだが、服を脱いだらちょっと筋肉質でガッチリしてるのが自慢だったりする。できることなら可愛い女の子と二人だけの秘密にしたいと思ってるけれど、そういった予定は今のところ、残念ながらない。
テレビの学園ドラマに例えたら、主要な登場人物に入れないクラスの人数合わせの役割。カメラには映っていても決して主役には絡むこともできない背景の一部のような、そんなどこにでもいる、いや、いなくても誰も困らない存在。それが嵯峨野深月の定位置だった。
自慢といえば、女の子から告白を受けたことがあるぐらいか。高校に入学してしばらくの頃の話だ。告白されるなんて生まれて初めての経験だった。
告白してきた女の子は地味だったが眼鏡の美少女。ただ惜しむらくは自分よりも背が高かったことぐらいか。175センチのモデルさんのようなスマートな美少女から突然降って湧いた幸先のいい出来事にそれ以後のハイスクールライフがバラ色になるかと期待したのだけど、実はこの女の子、美月とは非常に仲の悪い犬猿の仲だったりした。二人の女が自分を取り合ってくれてるなんて考えると男冥利に尽きるところだが、どうやらそんなお花畑ではなさそう。せっかく告白してくれたんだけど、あまりよく知らなかったことと、やっぱり美月と仲が悪いというのはいただけないので、丁重にお断りさせていただいた。
そのまま、その後の高校生活では浮いたような話とは全くの無縁。本当にこれっきり。
せっかく勇気を振り絞って、そんな冴えない深月に告白したというのに、敢え無く振られた残念な女の子は見る見るうちに磨かれて美しくなり、今や男どもの人気はクラスどころか学年でも1、2を争ってるというから、ダイヤの原石を見分ける才能のなさをひどく悔やんだものだ。やっぱり付き合っておいて、美月と仲直りするよう、説得すればよかったと思ったが後の祭りだった。
そんな普通オブ普通の嵯峨野深月が普通の人とちょっと違うことは、親の仕事が鍛冶屋ってことぐらい。あくまで自分は普通からびた1ミリはみ出すことがない標準的という枠の中に納まり切りなので、親の職業でも引っ張り出さなければ変わったところを引き出せないのである。
中二病を患っていた頃はブラックスミスとか呼ばれてちょっとカッコいいかなと思ったのだけれど、親父の工房は包丁や美容師の使うシザーがちょっと有名なぐらいなので、優越感もクソもない、ただの鍛冶屋の息子。
二軒隣に住んでる同級生の女の子と同じ名前だし、そもそも女っぽい名前なので、からかわれたり冷やかされたりは日常茶飯事なのだけど、度を越してイジメてくるような奴には美月の容赦ないホウキの一撃が見舞われた。
つまるところ、美月のお転婆のおかげでいつも助けられてきたのが深月だった。
いや、堂々と胸張って言う事でもないのだけれど、その幼馴染のお転婆な美月から、
「どうせ家でゴロゴロしてるんでしょ、応援に来なさい」
と命令され、オジサン(美月のお父さん)と一緒に観戦中というワケ。ダラダラと団扇をあおいだり、気合を入れて応援なんかできない理由もそこにある。なにしろ自分は剣道になんかこれっぽっちも興味がないのだ。
「そろそろかな……」
と、オジサンがカメラを構えると、丁度小さな剣士が試合場に出てきた。
防具をつけると誰が誰かわからなくなりそうだけど、美月は小柄なくせに上段に構えるので見間違えることはない。
小さいくせに上段なんてするもんじゃないというのは、高校に入ってから負け続きという散々な戦績が物語っている。まあ勝つために剣道やってるわけじゃないというのは美月の言だ。
だが、試合場を見てみると相手がデカい……。対する美月が子供のようだ……。
身長はともかくとして、体重は倍あるだろ。
開始線に立つと、美月は面の前で竹刀の鍔か刀身の根元あたりに何か一言かける。何を言ってるのかは分からないが、美月オリジナルのおまじないというか、ルーティーンというやつだ。
そこから静かに、、ゆっくりと上段の構えに移行し、冒頭のあの気合いというか、ウォークライというか、相手を威圧して飲み込むような咆哮をあげる。
試合が始まった。
応援席にいる深月も選手に負けじと大声で声援を送るけれど、もう、ぶつかっては吹っ飛ばされ、吹っ飛ばされては倒され、見ていられない。応援するこっちが涙ぐんでしまうほどのやられっぷりだった。
剣道って、体格の差なんてあんまり関係ないから体重別じゃなくて無差別級なのだと聞いたことがある。でもこれだけ体格差ある相手に、体当たりで崩してから踏み込んで打つような戦術をとられると、実際はどうであれ素人にはアンフェアにしか見えない。
試合結果はというと、美月は頑張ったけれど、順当に一回戦で負け。
さっき顔見た時に聞いたけど、相手がちょっと名の知れた強い相手だったらしく、アッサリ負けた割にはスッキリしたように見えた。
我々応援団はそろそろ帰り支度を始め、美月は部活メンバーたちの試合がぜんぶ終わってから、ミーティングして帰るらしい。
早々に引き上げて、混雑を避けて帰る車の中、常盤のオジサンが運転中に話を振ってきた。
「深月くん、お疲れさま。美月に付き合ってくれてすまんね。飯でも食っていくかい?」
何の気なしに深月も答える。
「いえ、お構いなく。ウチ今日はカレーなんですよ。俺が食べないと減らないんで……。しかし、今日は相手が悪かったッスね」
「あはは、美月はいつも相手のほうが大きいからね。仕方ないさ」
と、オジサンは軽ーく言う。そういえば娘の試合には必ず応援に行くけれど、ここ数年は勝ったところを見たことがないと言って笑ってたのを思い出した。
クーラーを入れるにはまだ早い季節なので窓を開けると風が気持ちいい。
すこし肌に冷たい走行風を受けながら美月の試合を振り返っている。幼い頃からずっと庭で竹刀を振っていたのを見てきたこと、虐められて泣かされた深月の仇をとるため、2コも年上のガキ大将と熾烈な争いを繰り広げ、自分も殴られて鼻血を出しながらも勝ってくれたことを思い出していた。
「勝ち負けを決めるって、残酷ですよね」
考えていることが言葉に出てしまって少し戸惑ったが、少しの沈黙の後、前を向いたままオジサンが応えてくれた。
「ああ、深月くんはさ、美月が努力してるのをずっと見てきたからね。なんとなく何を言いたいのか、おじさんには分かるような気がするよ」
勝者、敗者なんていうと綺麗に見えるけれど、言い方を変えたら優と劣だし、大会に出場した選手はみんなそれなりに努力してきたはずだ。努力に優劣なんか付けられるはずがない。
それでも小さな頃から毎朝毎晩、竹刀を振ってる美月を見てきた者には、その努力に[劣]を付けられたように感じたんだ。
怒り、やりきれなさ、何と表現すればいいか分からない、もやもやとした感情に戸惑うばかりだ。
その時、
―― ヴーヴーヴー!
スマホにメッセージ着信のバイブ音がした。
【美月】『あー、負けた負けたー イイトコなしでした。来てくれてありがとね』
美月からだ。
こっちは努力の敗北を見せつけられ何とも言えない複雑な気持ちでドンヨリしているというのに、当の本人はあっけらかんとしたものだった。
深月は表情も変えず、慣れた手つきでスマホを操作し、
『ん、頑張ったな。俺はデカい女が嫌いになったよ』
と返信し、深月は少しの間、心地よい走行風を楽しんだ。
もやもやした気分も当然あるんだろうけど、常盤のオジサンはなんだか満足気な顔をしているのが印象的だった。
信号待ちでこれまで上機嫌で歌っていた鼻歌を止め、チラと振り向いてから「ところで深月くんはお父さんのあとを継ぐのかい?」と、いきなりこっちに話を振ってこられた。
まあもうすぐ18になるし、高校卒業した後、とりあえずは進学の希望を出しているけれど、正直乗り気じゃない。自分は何をしたいのか、自分は何になりたいのか、自分の将来に対するヴィジョンがまったく見えてないという状況を、まるでどうすることも出来ちゃいないってことだ。
「いや、目的もなく進学って言ってるけど、本当は何をしたいのかも分かってないんですよ」
親父も母さんも好きな生き方をしろと言ってくれてるのには感謝してるけど、卒業という区切りまでに、だいたい自分の生き方を決めておかなきゃいけない。その期限が刻々と近づいてるのに何も決められない。そんな自分に苛立ちを感じているのは確かだけど。
オジサンは鼻歌の続きか、ちょっと頭を揺らしてリズムを取りながら優しい視線を深月に送り、少し見てから車を発進させると、深月にとってものすごく重要な情報を、とても軽く、さりげなく言った。
「うちの美月と同じことを言うね。美月も剣道やめたあとは何も決めてないんだってさ」
聞き捨てならない言葉に「え? 美月剣道やめるの?」と食い気味に反応してしまったのも仕方のないことだ。
何しろ美月が彼氏なしで高校生活を続けていたのもきっと剣道を続けていたからだ。現に美月に告白した男たちはみんな剣道に負けて撃沈しているのだから。
いま剣道をやめたりしたら飢えた野獣どもが大挙して美月のもとに押し寄せるだろう。
……というのはちょっと大げさか。
でも美月が剣道をやめるタイミングというのは気になる。
「んー、そうだねえ。それは深月くんが自分できくといいよ」
何か言い含むように答えた後、また鼻歌の続きを歌い始めた。深月にとってそれはすげえシリアスな展開なのだけど、オジサンはそれを楽しんでいるかのようにすら見えた。
「年ごろの娘を持つ親の心境は分からんですよ」
「はっはっは、そうだな、深月くんも将来思い知ればいいと思うよ」
心にもやもやしたものを残しながら、身も蓋もないオジサンの言葉に苦笑いしながらの帰り道。美月は剣道やめちゃうのか……と、考えると深月の方が少し寂しくなって、溜息が出た。
美月に、なんて言葉をかけてやればいいのだろうか。