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『過去編』 しかめっ面のジュノー(8)

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 ジュノーたちが家出してここ、アマルテアで暮らすようになってから夏秋冬と季節は巡り、ほとんど雪が積もらない冬に感動すら覚えたのも束の間、厳しくもない冬は短く早々に去って行き、もう暖かく花のつぼみが膨らみ始める春になってしまった。


 ここのところジュノーはベルフェゴールと一緒に行動することが多くなった。アマルテアでお世話になっている間に、ザナドゥの食べられる野草や山菜を教えてもらうという名目であちこちの土地に出向いたり、魚の釣り方や捌き方を教わったりなど、傍から見ている分にはジュノーが一方的に追っかけ回しているようにしか見えない。


 実は最近、ジュノーは心に何かもやもやとした違和感を感じるようになった。

 それが何かわからないままベルフェゴールの後をついて草原を歩いている。


 遠くに林立する大風車を横目に見ながら、小さな赤い花が狂ったように咲き誇る小高い丘の上に肩を並べて腰を下す。どこまでも高く澄み渡る空の下、春の香りを運び来る風を頬で味わうのが心地よい季節に、今日はまたジュノーがベルフェゴールを捕まえて野山に連れ出し、風と天気の読み方を教わっているところだ。


 ここアマルテアの王都と言うには少し田舎。高い丘の上に建てられた城から南を見おろすと眼下ほとんどが緑で、その向こうに広がる海と、どこまでも青く澄み渡る空という素晴らしい景色が広がっている。ソスピタでいうと、ちょっと大きめの街といった規模かな。西には大きな川が流れていて、その膨大な水量を海にそそぐ港街。


 ここが王都サマセット。


 だいたい城下町という言葉もあるのだから、王城の周辺は栄えていそうなものなのだけれど、お城はこんなにも郊外の高台にあって、街を一望できるように設計されている。街からお城までの道程みちのりにはまるで塔のように大きな風車が常にずっと回転しているのだ。


 あの風車は国や町が管理している国民の共有財産なのだそう。ザナドゥで常に吹く風が風車を回してくれるおかげで、国民の皆が石臼を挽くという重労働から解放されているんだとか。


 あの風車の仕組みはだいたいわかった。あの回転翼をちょっと工夫すればもう少し効率よく回るかな?

 そのうち中を見せて貰える事になっている。



 だいたいジュノーが知りたい知識というのは、物事を効率よくはこんだり、こういう時はこうすればいいという、何かを行うとき、適切な選択肢を選ぶための、俗にいうマニュアル知識だった。


 だけどこのベルフェゴールという男は、ジュノーにそういった知識をこれっぽっちも教えようとはせず、ただ、この季節の風は冷たいから、いかにすれば気持ちよく昼寝ができるかとか、こういう丘に生えているこの草を引き抜いて草笛の鳴らしてみたりと、まるで使えない無駄知識ばかりを教えようとする。


「私が教えてほしいことはそういう事じゃなくって……」

「いや、こういう事なんだよジュノー。……家出してきたんだろ? いろいろ嫌なことがあって押しつぶされそうになってたじゃないか? ならお前が学ぶべきは、生きることの楽しみ方だ。お前に、このザナドゥの素晴らしさと、アマルテアの美しさを教えるから。そうしたらこの国のことがもっともっと好きになるさ」


「もう好きだってば」

「そうか、そうだろうな。じゃあレッスン2いくぞ。俺と一緒にこの花の咲く丘の上で、時間を無駄遣いしてみようか。そうだな、今日は俺が苦心のすえみ出した、最も気持ちのいい昼寝のしかたをレクチャーしてやってもいい」


 ジュノーは物心ついてからこれまで意識的に時間を無駄に使った事なんて一度もなかった。

 過ぎてしまった時間は戻らない。失われた時間も、無駄に浪費してしまった時間ももう決して戻らない。

 時間は有限なんだ、取り返しがつかないんだ。だから絶対に無駄にしちゃいけないんだと思ってた。


 それをこのひとは、わざわざ無駄に使えという。そんなこと考えた事もなかった。

 でも、このひとの言う通り、のんびりと気持ちのいい風を全身で受けながら、時間を無駄に浪費すると、その分だけ、何か心に欠けていたピースがはまってゆくように感じた。


 そう、ジュノーはここでの生活に奇妙な充実感を感じている。このひとと一緒にいることが楽しくて、いろんな理由をつけて外に連れ出しているのだから。



「ねえべル、この花、なんていう花なの?」

「んー? この花はリリス。この季節になるとここいらの丘一面に咲くんだ」

「へえ……花言葉ってザナドゥにもある? 花に込められた願いの言葉、呪いの言葉、そして愛の言葉」


「ザナドゥは田舎でも花言葉ぐらいあるさ。赤いリリスの花言葉は『愛しいひと』だよ」


 ベルフェゴールは花咲く丘にゴロンと横になって、草花が風に揺らされて、ささやくような音を立てるのを耳で楽しむのだという。


 せっかく咲いた花の上に寝転ぶのは忍びないけれど、思い切って横になって耳に神経を集中する。

「耳もそうだけど、髪の一本一本も風を感じるだろ? うぶ毛が風にそよぐとその感覚は肌に伝わる、もちろん匂いもそうだし、温かい風だったり、肌に寒い風だったり温度の変化も」


 二人は花咲く丘で横になり、空を仰いで目を閉じる。



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 ……。


「よく寝てたわね、ジュノー」


 ジュノーは耳に神経を集中させて、心地よい風に頬を撫でられていると知らない間に眠ってしまったようだ。


 どうもこの一年、ハッと目を覚ます展開が多かったジュノー。

 まあ気を失ったり、気絶したり、死にかけたりということが何度かあったから仕方ないのだけど。


 それでもまさかこの花咲く丘でゾフィーに膝枕されてるとは思わなかった。


 でも、なんて清々しい目覚めなんだろう。


 ここのところ心になにか違和感を感じていた、その理由が分かった。


 この違和感の正体は、今まで感じたことのなかった幸福感だったんだ。

 ベルフェゴールのことを考えただけで高揚する、この気持ちをうまく説明できない。


「ジュノー、いい顔してるわね。私いままでこんなジュノー見たことがなかったわ」

 花を摘んで、何やら束ねて編むような作業をしながらゾフィーが話してくれた。


「ジュノーがここに来てからもうすぐ1年ね。私もキュベレーと一緒にずっとあなたを見ていたけれど……、うーん、違うかな。ベルフェゴールがあなたに何か変なことしないかって注意して見てたかな」


「何もしてないよ。私」

「あら?、ジュノーが嘘をつくなんて珍しいわね」


「な、何もしてないって。嘘なんか……」

「いいえ、ジュノー。あなたは恋をしているわ。私の夫に」



 ……っ!


 言われるまで気が付かなかったなんて誤魔化しはしたくない。

 ジュノーは自分の気持ちにとっくに気付いていた。でも、魂が惹かれるのを止められなかった。こんなにも焦がれるなんて……。


「うん。そう。……ごめんねゾフィー。私、まさか自分がこんなにバカだとは思ってなかった」

「ふうん、ジュノーがバカだって認めたの初めて見たわ。どう? バカやった気分は」


 ゾフィーの優しい声が心のいちばん敏感な部分に突き刺さった。

 胸がキュッと痛くなって、とめどなく溢れてくる涙……。


「ゾフィー、ごめんなさい。本当にごめんなさい。私、どうしたらいいかわからないの、ダメだって分かってるのに……コントロールが効かないの。私……」


 強い衝動に負けて自分を律することができず戸惑うジュノーに、ひとつの言葉をかけてやることもせず、ただ微笑を浮かべながら黙々と花を編むゾフィー。


「ねえジュノー、初めて会った時のこと覚えてる?」

「え? ……えっと……」


 そうだ。ガンディーナのカサブランカ家が何かの式典でソスピタの王城に来たとき、ゾフィーがついてきたんだった。


「たしかお城のお花畑の花を摘んで花冠カローラを作ってた」

「あはは、そう。それをジュノーに告げ口されて、私むちゃくちゃ怒られたっけ」


「……そ、そうだっけ?」


 膝枕の上からジュノーを覗き込む紅い瞳がとても優しい。このゾフィーの母性というか、包容力にはまるでかなわない……。


「ねえジュノー、あの日はソスピタの王族の結婚式だったでしょう? 覚えてない?」

「誰だっけ? 私まだ5歳ぐらいだったし」


「エルフ族はね、花嫁に花冠カローラを贈って祝福するのよ。まさか怒られるなんて思ってなかったから私ショックだったけどね」


 ゾフィーはそういうとジュノーを抱き起こし、リリスの花で編んだ花冠カローラをそっと頭に乗せて少し身を引き、自分が作った花冠カローラの出来栄えを確かめた。


「赤髪に赤い花って思ってたより映えるわ。……うん、綺麗になったね、ジュノー。あなたをベルフェゴール第三の妻になることを認めます。でもベルを独占することは許しませんよ。私が一番。ジュノーは三番なんですからね。いいですか? そこ忘れちゃだめだからね。あと、そろそろ日が陰って風が冷たくなるわ。湿気を含んだ海風で風邪をひくと長引くの。ベルを起こしてあげて。私はやることがあるから先に帰ってるね」



―― パチン。


 ゾフィーは指パッチンひとつでパッと消えてしまった。なんで歩くことすらしないような運動嫌いの『ものぐさ姫』が太らないのか小一時間ほど問い詰めたいところだけど……、ゾフィーが去ってあらためて見渡すと、ジュノーのもとには花嫁に贈られるという真っ赤なリリスの花冠カローラと、傍らでスース―と気持ちよさげな寝息を立てているベルフェゴールが残されていた。


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