『過去編』 しかめっ面のジュノー(7)
「ちょ、この子そんなに偉い子なのか?……もしかしてマズい?」
「ユピテルが嫉妬深い男だったらマズいわね。婚約者を寝取られたらそれを恥と考えるのが男なんでしょう? 怖い人たちが大挙して来そうね。婚約が破談になったらなったで、こんどはソスピタの怒りが収まらないわよ?きっと。だって十二柱の神々の第三位っていえばスヴェアベルムの支配者だもの。きっと顔真っ赤にして怒るわ」
「ゾフィーの話きいてると大した事なさそうなんだけど?」
「ええっ? 私けっこう焦るようなこと言ったつもりなんだけど?」
「仕方ないな。この子らを帰したら、エジワラとゲランにある門をぶっ壊しに行くか」
「エジワラの門は私が設置したんだから責任をもって片付けるけど、ゲランの門まで破壊するとなると、こっちで戦争になってしまうわよ?」
ゲランの門はアマルテアなんて比べ物にならないほどの大国エイステリアが管理している巨大な転移門。一度に数百人を同時に移送できるほどの大規模ロストテクノロジーを管理運営している。
あれを破壊すればスヴェアベルムとザナドゥは繋がりを絶たれ、世界が隔絶されるのはいいとしても、西の大国エイステリアが黙っているわけがない。
「ここはほら、俺とゾフィーでこっそり入ってから爆破したらすぐ指パッチンで戻ってくるとか」
「ザナドゥに爆破魔法の使い手は何人ぐらいいるの? 190サンチのダークエルフ女って目立たない?」
「爆破魔法? 俺以外だとそんなの聞いたことがないし、もともとザナドゥにエルフは居ないよ」
「はい、ブブーッ! 犯人はあなた確定。名探偵いりませんでした。言うまでもなく私目立つし。無理よ」
「めいたんて……? なんだそれ? でもまあ、ダメなものはダメか……てか、俺まる二日寝てなくて、もう何を考えても名案が浮かぶ気がしない、明日考えようや」
「寝ぼけてジュノーに何かしたら私本気で怒るからね?」
「しねえって、するわけないよ」
「いつも寝ぼけて私の胸をまさぐるくせに」
「しねえよ、こんなんどこが胸かわからんし、戸板を抱いて寝るようなもんだし」
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ジュノーは満足に体を動かせないまま、今朝もまたベルフェゴールに抱かれたまま目を覚ました。
はあ、朝だ。またこの天井だ。
右側からジュノーの身体をギュッと抱きしめるこの茶髪の男と、左側には足をかぶせて、口を開けて寝てるゾフィー。
……なんだかとっても気分の悪くなる夢を見た。
控えめな胸をバカにされて『戸板』なんて罵られたような気がしてとても憂鬱な気分だ。
もう、ゾフィーってば寝相が悪い。顔近いし、よだれたらしてるし……。まったく、なんでこんなに幸せそうな顔して寝てるかなあ。なんの悩みもなさそうで羨ましい。
両側からガッチリ捕まって身動きが取れないけど、うん。なんとなく状況は飲み込めた。
さて、いかにしてこの束縛から逃れようかと考えていると、ひょこっと男の肩越しに覗き込む白い顔が見えた。精霊のひとだ。
「あら、おはよう。よく眠れた?」
「はい、おかげさまで捕縛されたようによく眠れました」
「うふふ、そうね。ベルはもうあなたを二晩ずっと癒し続けて疲労してるのよ、もう少し寝かせてあげて。ゾフィーは何もしてないからベッドから蹴落としてもいいわよ」
「え? ゾフィーを蹴落としてもいいの?」
「ええ、ご自由に」
「あなたとはなんだか気が合いそうだわ」
―― ズドッ
遠慮なく蹴ってやった。体重差があるせいかゾフィーは動かず、ベッドから落ちなかったけど、少しだけ気が晴れたような気がする。
「はい、これね。もう破っちゃダメよ。サイズないんだから」
「あ、ありがとう。私、ジュノーっていいます。えと、あなたは?」
「私? 本当は名前なんてないのだけど人は私の事をキュベレーって呼ぶわ。だからあなたもそう呼んで。この人の妻です。どういう訳かそこのゾフィーに先を越されちゃって二番目なんですけど、よろしくね……あと、パステルの人たちを助けてくれてありがとう。みんな感謝してるわ」
この白いひと、世界樹の森に棲む精霊なんだそうだ。
あの日、キュベレーたちは3人で暴動を起こそうとしている村々を説得して回っていたらしい。
国王と世界樹を守る精霊が説得して応じないわけもない。
ジュノーはひとつ合点がいった。
で、あの日も、あの丘から少し先に行ったところにある村でベルフェゴールさんと村長が話していたところ、ソスピタ軍が迫ってることを知らせに、狩人が駆け込んできのだとか。
キュベレーたちがソスピタ軍を制止しようとしただけで戦闘が始まり、あの惨状が生まれた。
「いくら強化魔法で身体強化していたとしても、300ぐらいの兵でこの人たちに勝てるわけがないわよね……。ゾフィーも居るし、何よあの爆破魔法って……」
兵士たちの鎧に返り血が付いているのをゾフィーが見つけて、ゾフィーがパステルに先行したあと、戦闘が終わって、ソスピタ軍を追うジュノーたち一行に追いついたってことらしい。
つまり、ジュノーはゾフィーと入れ違いになってしまった、ということだ。
「そうでしたか。私はたちはゾフィーが裏切ってアマルテアに付いたと聞いて……」
「ルビスさんとアスティさんから聞きましたよ。あの大きな男性は何も話してくれませんでしたが」
「ああ、オベロンはそうなの。あの人、寡黙すぎて年に二言三言しか話さないので」
「うふふ、うるさくない男っていいわね」
「ええ、私もそう思います」
「うー、おはよう」
ゾフィーが目を覚ましたらしい。ゾフィーは防御魔法を常時展開しているらしく、ジュノーが蹴ったところで痛くも痒くもないようだ。睡眠時間が足りなさそうな目をしながら大あくびをしている。
「なにが私もそう思いますよ……ほんと心配したんだからね、ジュノー」
頭をバリバリ掻きながら心配したなどとのたまう。
この……バカ女、どれだけ心配したか知らずに……ジュノーはまだ蹴り足りないと思った。
「あらおはようゾフィー。顔洗ってらっしゃいな。よだれの跡がついてるわ」
無言でいつの間にか手桶とタオルを持っているゾフィー。訳の分からない転移魔法で自分の持ち物を収納して持ち運ぶことができるんだから、これをチートと呼ばずしてなんと言おうか。
剣も着替えの服もお金も、生活用品を含めたすべての物をどこか異空間に収納している。枕が違ったら寝られないとかで、マイ枕も常に持ち歩いてる。すこぶる便利な魔法だ。ただ、ジュノーには理解できない時空魔法らしい。
この魔法を使えたら、自分の生活用品を身の回りの小物から大物に至るすべてを重さ、大きさの際限なく持ち歩けるというのだから羨ましいったらありゃしない。もし自分に使えるものならばシャワー付きのお風呂を持ち歩いて、毎日シャワーを浴びたいものだ。
「なによそのチート。あのねゾフィー、私達がどれだけ心配したか分かってるの? ルビスに謝った?」
「うん。姉さんすっごい怒ってた。だってさ、私アマルテアに付いたのは確かだけど、ソスピタを裏切ったって何? わたし敵なの?」
「ゾフィーが裏切ってアーカンソー・オウルを殺したことになってるわよ」
「えー、私そんなことしてないわよ。アーカンソー・オウルはキュベレーがほら……」
「え?」
あらためてキュベレーの顔を見るジュノー。
確かにはじめて会ったときは空恐ろしいものを感じたけれど、あのアーカンソーオウルも相当な実力者、ゾフィーほどの実力がないと触れることもできず黒焦げにされてしまうのが落ちなのに。
「あーかんそ?、あ、コッペリアに絡んだ人?」
「そそ」
「私は何もしてないわよ」
「コッペリアって誰よ!」
ジュノーは思わず声を上げた。
詳しく話を聞くとアーカンソー・オウルはオートマトンと呼ばれる自動で外敵を排除する仕組みにかかって本当に排除されてしまったのだとか。そのオートマトンの名前がコッペリアというらしい。あの業火を操る炎術師を倒せるのはゾフィーだけだと思っていたけれど、まさかそんなオチがあったとは。
「ん――。おはよーう」
ベッドの上で弓なりに伸びるこの男はベルフェゴール。ゾフィーとキュベレーの夫で、この貧しい小国『アマルテア』の若き国王。そしてジュノーを助けたことで国の存亡まで危うくなっている、たぶんいまこの世界で一番ヤバい目にあってる男だ。
「お。元気そうでよかった」
ベルフェゴールは朝の身だしなみをするために寝室を後にすると、朝食のあと、今後のことを話し合うため居間に移動することになった。もちろんルビスもアスティも、話し合いという場では絶対役に立たないであろうオベロンも。
「おおっと、ごめんごめん。待たせたね」
ベルフェゴール。アマルテアの王だというからどんな服を着てくるかと思えば、平民と同じような普段着で居間に入って来るや否や『ごめんごめん』などという。
国王は決して謝らない。なぜなら王のすることは常に正しいのだから。
国王は決して時間に遅れない。なぜなら王が現れた時刻が正しい時間だから。
フレンドリーな国王も居たもんだ……と思ったら、そうか、そういえば暴動になりかけている村人たちを抑えるために村々を回ってたって言ってた。ソスピタでは……軍が向かって制圧するような事件なのに。アマルテアでは人気のある国王が説得に出向いて回るのだ。ソスピタでは考えられないことだ。
「さてと、ゾフィー、だいたいの話はもうみんな分かってる?」
「うん。説明した」
それがジュノーだけは説明を受けてなかった……。
仕方ないのかもしれない。治癒に手間取ったのはジュノーだけなのだから。
今後のだいたいの行動はもう決まっているらしい。
ジュノー、アスティ、ルビス、オベロンの4人はこのままエジワラに行って、ソスピタから来た者たち全員を連れて転移で戻り、その後、ゾフィーがエジワラの転移門の機能を停止して撤去する。
ジュノーはソスピタに戻り、そしてゾフィーはアマルテアに残るという。
そんなこと許されるわけがない。
「いやです。お断りします」
「ジュノー……」
「ジュノーさま」
ゾフィーとアスティが寄り添い、ジュノーの手を握って気遣う。
もう帰る家がないと言ったその言葉に嘘はないのだから。
「私もここに残って、そしてどこか居心地のいいところを見つけてひっそり暮らすことにします」
「ジュノーさまが帰らないなら私も帰れませんよー」
「なら私たちもエジワラからは戻れないわね……エーステイルでは大騒ぎだろうし……。ねえオベロン、私たちはゲランから戻る?」
そう、ジュノーと違って、ルビスたちは帰らなければいけないのだ。
ゾフィーがジュノーを気遣う。
「ジュノー、ちょっと、本当に戻らないつもりなの? 絶対大騒ぎになるわよ?」
「だってもう戻れないし、最初から戻る気なんかないし」
「最初から? はあ? なにジュノー、あなたここに何しに来たの?」
「家出のついでにゾフィー探し」
「はあ? 家出? そんなことだろうと思ったわよ。なによ、心配して損した。むっちゃ損した!」
「その言葉そのままゾフィーにノシつけて返すわよ。なにさ、男嫌いだって言ってたくせに、いい男見つけたと思ったら幸せそうな顔してんじゃないわよ」
「あ、ジュノーがいい男って言った。ジュノーが私のベルのこといい男って言った―!! もう触っちゃダメなんだからね、……あなたも婚約者いるんでしょ? 見せてみなさいよ婚約者ほら……ほら」
「イヤよ! 絶対にイヤ。化粧してるのよ? うっすらと紅引いてるしさ、……鳥肌がたつの。あんなカマっぽいの絶対ゾフィーに見せらんない。私はあんなのと絶対に結婚しない。だって私はもう帰らないんだもの。ゾフィーいいな! 好きな人と一緒に居られるんでしょ? 私ゾフィーが羨ましいよ、ねえゾフィー、おめでとうって言わなきゃいけないのに……なんで涙が出るの? なんで?ねえ」
……
「ジュノー……」
「私、行方不明ってことでお願い。ここには立ち寄らなかった」
「ダメよジュノー。あなたはパステルで目立ってしまったわ」
「エジワラの転移門を使えないようにすればいいんじゃないか? パステルの村はゲランの門からは最も遠い対角線上に位置する。ソスピタの捜索隊を通さなければパステルまでは行けないだろ」
「あの、皆さん、私が滞在すると迷惑をかけることになりますから、私はどこかへ」
「転んだケガも治せないのにか?」
「なっ! 大きなお世話です。女の子を爆破するとか、ひどい人さえ居なければ私ケガしませんから」
「えーっ、俺が悪いのか?」
「そうね、女の子に向かって爆破魔法はちょっと……」
「うわ、ゾフィー、ちょ、おま、そっち付くの?」
「そうね、爆破はダメだと思う」
「ルビス義姉さんも? うわ、後ろのおっきい兄さんは無言でそっち? ……だよねー」
何も言わずにそそくさとジュノーの傍に移動するアスティ。
これで全員がジュノーの側に付いた。
「はい、俺が悪かった。でもお前は身の振り方が決まるまでうちで面倒見るから行方不明はダメ」
「お断りします。そんなご迷惑を……」
「やかましい! お前のお断りを断る」
「やかま……しい? 私、ジュノーって名前があるんです。お前だなんて言われたくありませんから」
「よしジュノー、お前は俺の客だ。しばらくここでゆっくりしてけ。な」
「呼び捨て?……またお前って……」
ジュノーは知った。この男はダメだ。ジュノーにとって相当イラつく苦手なタイプだ。見た目は相当いい男なのに、抱かれるとあんな安心感に包まれるのに。ほんと残念イケメンだった。完璧な男じゃないところがゾフィー好みなのかもしれない。
ルビスとオベロンはゾフィーにゲランの門まで送ってもらってスヴェアベルムに転移して、こっそりガンディーナに帰る気らしい。……となると、問題は……。
「アスティごめんね、こんな所まで連れてきちゃって」
「いいんですよー、どうせ私一人帰った所でものすごい尋問受けて、下手すると拷問されそうですし、ホントすみません、私もしばらくここにおいてください。ソスピタに帰るのがこんなに怖いなんて」
アスティもここに残ることを選んだ。
あと、そうね、
「ゾフィー?」
「どうしたのジュノー?」
「遅くなったけど、結婚おめでとう」
「ありがと。でもね、ベルはジュノーが思ってるよりいい人よ? あんまり虐めちゃだめだからね」
「うん。知ってる。ゾフィーの幸せが羨ましいよ」
大好きな男の人と肩を寄せて歩くゾフィーの後姿が、ジュノーにはとても眩しく見えた。




