『過去編』 しかめっ面のジュノー(6)
「マジかよ……お前ソスピタの王族サマだったのかよ」
「ええ、そうですのよ。おほほほほ。お前呼ばわりは不愉快ですわ」
しかめっ面のジュノー。貴族サマ呼ばわりをされて皮肉で返すのが精いっぱい。
アーカンソー・オウルがそうだったように、強い男っていうのは横柄で、プライドばかりが高くて、そして、いけ好かないのも同じ。
ジュノーの肌に刻まれた新しい傷と治癒痕。夫となる男の目をごまかせるとは思えない。
3人寄れば文殊の知恵とはいうが、誰も打開策を見いだせないまま時間だけが過ぎていく。
「ベルフェゴールさん、私やっぱりあなたに決闘を申し込みます」
「理由は?」
「私があなたの首を持ち帰れば、ソスピタもアマルテアの民までは殺さないでしょう」
「大層な自信だな。もし俺が勝ったら?」
「私の死体は誰の目にも触れさせないよう、煮るなり焼くなり、どうぞお好きに。万が一のために誓約書を書きましょう」
「誓約書? どちらかが死ぬまでって事か?」
「はい、その通りです」
「ジュノーやめてよ、あなたも相手しないで。そんなのダメ、ほかに絶対いい方法があるから、そんな」
「ゾフィー、口を出すな。アマルテアの国王がソスピタの王族に決闘を申し込まれたんだ。ソスピタとは戦争状態が続いてる。アマルテアを代表する俺が逃げるわけにはいかない」
「キュベレー、何とか言って、お願い、ベルを止めて。ジュノーは可愛いの。私の妹みたいなものなの。お願いよ……」
「私は人じゃないから良くわからないのよ。でもそういえばゾフィーも私と初めて会ったとき、そんなこと言ってたわよね。戦う理由がないのになぜ引けないの? それって人のサガなの?」
ゾフィーの表情はすぐれない。そう、世界樹攻略でこのキュベレーと対峙したとき、あのアーカンソー・オウルがあっさり倒され、ゾフィー本人に戦う理由がなくなってしまっても、それでも戦うことをやめられなかった。
人はだれしも『責任』という見えない鎖に繋がれている。自分より偉い人に仕えるという概念を持たない精霊にはそれが分からないのだ。
ジュノーは今、アマルテアの国王に向かって『ソスピタの横暴を受け入れて腹を切れ』と言ったも同然だった。
そう、超大国になりつつあるソスピタと、市街がいくつか合わさったような小さな国とでは大きな差がある。村長と国王ほどに違うのだ。同じ独立国だからといって、決して同格ではない。
ジュノーが帰らなければ、ソスピタが言いがかりをつけて大勢のアマルテア人が殺されるだろう。
この美しい土地が蹂躙され、花咲く丘が軍靴で踏み荒らされてしまうことは想像に難くない。
このままジュノーを返しても、全身に傷が残ってしまったことを咎められ、結局のところソスピタの怒りは収まらない。つまり、八方塞がりということだ。
「ゾフィー、どうやらお前の妹と戦うことになった。殺さないと俺が殺されるらしい」
「ベル、ジュノーを舐めないで。一瞬でも躊躇したらあなたの首が転がることになるから。……でも、どっちも死んだらイヤなの……お願いだからやめてほしい」
そういうとゾフィーは部屋を後にし、寝室のほうに行ってしまった。
新婚ホヤホヤの夫と、小さなころからよく知るジュノーが殺しあうのなんて見たくはないのだろう。
決闘の準備は着々と進む。
屋敷を出るとそこは石造りの小さなお城? というより砦のような建物だった。
高い塔が天に向かってそびえているのが印象的。
ここもいい風が吹いてる。
あ、あれは風車だ。
本の挿絵でしか見たことがなかった巨大な風車が見える。
アマルテアにきて初めて見た。耳を澄ますと風車が風を受けて回る音が聞こえる。自然の風の力で回っているらしい。
反対側の建物からはいい服を身にまとった年配の男性が慌てて出てきた。
あはは、ベルフェゴールさん怒られてる。なるほど、若い国王をクドクドと叱るのは大臣か摂政ね。
「あの、あなたさまはソスピタ王家の方と伺いしました。本当によろしいので?」
「はい、この決闘は私のほうから申し出たものです」
「わたくしめはアマルテアにて施政府を預かっておりますゾラムと申します。先ほど、見届け人を仰せつかいました。ですがあまりに若い者同士が戦い、その死を見届けよとはあまりに酷。どうかお取下げくださいませんか」
「いえ、覚悟は決まっておりますので。ご配慮に感謝します」
「……は、では、この誓約書にサインと血判を」
『ジュノー・カーリナ・ソスピタ』のサインを見たゾラム大臣は腰を抜かすほど大げさに驚いた。
目の前に立つこの少女、素朴なアマルテアの、そう、デナリィ族の民族衣装を着込んだこの少女こそが、十二柱の神々という四世界を統べる神の序列第三位に大抜擢された、あのジュノー・カーリナだという。
腰を抜かしてしまってなかなか立ち上がれずにいるゾラム大臣に手を差し伸べ、そして痛めている膝と腰に治癒を施すのも忘れないジュノー。
ぼんやりとした温かい光に包まれるゾラム大臣。
治癒魔法で体組織が再生し、積年の痛みから解放されていくの心地よさが心に刻まれる。
「ありがとうございます。この年寄りにはもはや語る言葉がございませぬ。このような不幸は……」
ジュノーはゾラムの言葉を聞いてひとつ頷くと踵を返すように振り返って中庭の中央へと進み出る。
ジュノーは誰にも聞こえないような、小さな声で独り言をいった。
「あんな近くにあったとび色の瞳、吸い込まれてしまいそう。あんなにも優しいマナで私を癒してくれた恩人を殺すだなんて、私って本当に恩知らずね……」
ゾフィー……、妹って言った。
あんなに男嫌いだったくせに、いったい何があったっていうの?
ごめんねゾフィー、結婚おめでとうの一言もいってあげられなくて。
ゾフィー、きっと幸せなんだろうな。帰りたくないよね。
いいな。羨ましいな。
決闘なんてしたことがない。剣も持ったことがない。
自分が戦うなんて考えたこともなかった。
ベルフェゴールは瀕死の重傷を負ったジュノーを助けたせいで、アマルテアが危機に瀕している。
いや、元をたどればジュノーがここに来たせいだし、アーカンソー・オウルが権力欲しさに世界樹の森を焼いたせい……ソスピタの責任だ。
「知ってるとは思うが、俺の爆破魔法は直撃しなくてもお前ぐらいなら軽く死ぬぞ?」
「はい、この身をもって知っています。そういえばお礼を言ってませんでした。でも辱めを受けたのでチャラでいいですよね」
ジュノーが構える。
眩いばかりの光がジュノーを包む。
対するベルフェゴールも半身に構え、マナの火球を圧縮し、手のひらの上に光を浮かばせた。
睨み合う数瞬。
「どうした? 撃ってこないのか?」
「……そちらからどうぞ」
「断る。お前が先に撃て」
「あの白い方、治癒魔法を使えるのですね?」
「ああ、なぜかお前には効かなかったようだが」
「ならば遠慮なく」
キラッと光った。
音もなくただ光っただけ。ベルフェゴールは反応できず、無防備に攻撃を受けることになる。
ベルフェゴールはいまゾフィーに甘く見るなと言われたばかりだというのに甘く見てしまった。
光であるジュノー相手に「お前が先に撃て」などと思い上がりも甚だしい。光が見えた時点で、もうその攻撃を受けているのだから。
レーザーのように細く収束した光はベルフェゴールの体をいとも簡単に切断する。
貫通した光は背後の城壁に穴をあけ、空に浮かぶ雲ですら切り裂き、両断するほどの出力で放たれた。
一瞬遅れてベルフェゴールの爆破魔法がジュノーを襲う。
―― ドバン!
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……っ。
……あ、この天井は……知ってる。
薄暗い室内、燭台に立てられたロウソクが短くなってることで、今はもう夜半過ぎであることが分かる。
「お、気が付いたぞ」
すぐ傍らでジュノーを覗き込むのは紅い眼のダークエルフが二人と、茶色の瞳のこの男。
―― はあっ……。
ジュノーは地の底から湧き上がってくるような深いため息をついた。
どうやらまたこの男に抱かれているらしい。なんだかとても大きくて、柔らかな、温かいものに包まれているような、そんな得も言われぬ安心感がその身を支配している。
「ホントもう、こんなことは絶対にやめて」
ゾフィーに怒られた。こんなはずじゃなかったのに。
ジュノーはベルフェゴールに負わせたケガのことが気になった。
「あの、ごめんなさい私、あなたにケガをさせてしまいました……」
「えー? この状況で俺の心配するか? マジで?」
私の傷に触れているほう、右の手のひらを見せてくれた。
右手の小指と薬指が失われている……。
「俺のケガはこんなカスリ傷だよ。お前は背中と肩に穴あいてんだから自分の心配をしろ。イヤだろうが動くなよ、まだ治ってないんだからな。そして俺の再生でお前を治癒するのには時間がかかる。また朝になるだろうが、明日また決闘とか勘弁しろよ」
ジュノーはベルフェゴールの忠告も聞かず、戦闘で奪ってしまった2本の指を治癒し、再生させた。
一瞬、驚いて困惑の表情を浮かべるベルフェゴールが見たのは、自分がケガをさせてしまった傷を治し、少しほっとしたような表情で意識を失う少女の顔だった。
ベルフェゴールは再生した指の感触を確かめる。
一瞬、ビリっと電気が走ったような痛みを感じたが、それ以降は違和感もない。
あの半身を吹き飛ばされ死を待つばかりだったオーガ族の戦士が治癒されていくさまを目の当たりにし、信じられないと思っていたものが、今まさに自分の身体に起こっているのだ。
「こんなに若い子がこれほどの力を……」
腕の中でスヤスヤと安らかに寝息を立てる娘を見つめる物憂げなベルフェゴールの眼差し。
「ジュノーを助けてくれてありがとうね。あなた」
「いいや、助けられたのは俺のほうさ」
「ねえ、どうするの? ユピテルの花嫁が傷だらけになっちゃったわ。『命に別状がないならいいだろ?』じゃ済まない相手よ」
「んー、それなんだけどさ……、ユピテルって誰よ?」
「そんなの私が知ってる訳ないじゃない。ただ、すんごく偉い人だったと思う」
まさかそう来るとは思わなかったゾフィー。その問いに対する答えをもっていなかった。
というより、ルビスも……もちろんオベロンもユピテルのことなんて知る由もなく……。一般常識的な知識以上は持っていないことを前置きした上でアスティが答えた。
「えっと、ユピテルというのは……」
ユピテルは子を生せない男神として最上位。四つの世界まとめて誰よりも偉い男だ。
ユピテルの上にはその母であるヘリオスしかいない。
光の権能を持つ光の家系、それがヘリオスとユピテル。
この四世界を支配する光にジュノーが選ばれたということだった。
「へえ、こんなに可愛い子がねえ……」
「私が向こうにいた頃のジュノーは、没落した王族の端くれの、分家された家に生まれた女の子だったんだけどね。なーんか知らない間にそんな偉くなっちゃったみたいなのよねぇ」




