『過去編』 しかめっ面のジュノー(4)
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「アスティ、行軍って速い? 追いつけそう?」
「はい、一般兵は強化魔法かけっぱなしは無理なので行軍スピードは通常通りです」
「じゃあすぐに追いつくわね」
300の兵が行軍した足跡はハッキリと北に向かっていた。
歩幅は狭く走ったような形跡はない、アスティの言った通りすぐに追いつけそうだ。
生い茂る草が風に波打つ丘陵地帯。丘の斜面に合わせて回り込むように細い道がついている。
兵たちが村を出てから2時間。次の村に立ち寄る前に追いつかないといけない。
なだらかな斜面をのぼったり下ったり数えきれない足跡を追跡するジュノー。小高い丘の斜面に差し掛かったところ、視線を感じた。
見られてる。
丘の上だ。
ジュノーは訝った。
こんば場所に女の子? 200メルダ近く離れた丘の上に女の子が立ってる。
ソスピタ兵たちがつけたのだろう鉄靴の足跡の向かう先に見えるのは、真っ白な髪と、真っ白な服を着た少女? フル装備の兵たちが向かった先に少女? 少し違和感を覚えたというのがこの真っ白な少女への第一印象だった。
そして、この遠距離から目が合ったのがハッキリと分かった。
光の女神と言われているジュノーは治癒権能よりも先に人を超えた視力が発現していた。見える範囲のものはすべて見通すと言われている。そのジュノーとタメを張るほどの視力で、しっかりと視線を合わせてきた。ジュノーは200メルダ離れているであろう丘の上から真っ白な少女からじっとその目を見つめられているのだ。
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ジュノーの背筋に冷たいものが流れる。
真っ白な少女と目が合った途端に身体の芯がふるえ始めた。正視するのが辛いほどの重圧を感じる。
「みんな警戒して、なにかおかしい。何だかわからないけど、おかしいよ」
先行しようとするルビスの肩をむんずと掴んで止めるオベロン。さすがに違和感を感じ取ったようだ。
「触らないでよ。あなたとは別れるって言ったでしょ!」
「痴話喧嘩は後にして……まったく、ルビスったらまだ根に持ってるの? 毛虫が原因で別れるなんてアホみたいよね」
「えーっ、原因はジュノーさまじゃ……」
「……」
アスティにはあとでもっと凄い魔法の起動実験をさせてやることにして……でもなにこの感じ?
近付くにつれて変な臭いが強くなってくる……。ザナドゥの風? いやな臭いだ。
真っ白な女の子ひとり? いえ違う……。
「男がいる! 気を付けて、迂闊に近づかないで」
斜面の向こう側に人がいるのが見えなかった。まずい、接近しすぎたかも。
オベロンが皆を制止し、背中に背負った剣を構えてゆっくりと歩いて近づく。
胸騒ぎがどんどん大きくなってくる。何だろう? この不安……。
「ルビスにもアスティにも女の子が見えているよね? でもあれ……人なの?」
「オベロン! 警戒して……ジュノーの言う通り何かおかしい!」
ジュノーが最初に感じた違和感。オベロンも同じように感じている。ジュノーの目には近づくあの少女がヒトには見えなかった。
あれは恐ろしいものだ。
人とは比較にならない濃度で渦巻くマナの塊だ。
一見ひとの姿に似せてはいるけれど、あれは人じゃない……。
真っ白な肌、真っ白な髪……ぱっと見た限りでは12~13歳ぐらいに見える。
背後、丘の斜面を上がって茶髪の男が、ゆっくりと前に出てきた。ゆったりとしたローブのようなシャツを風に翻している。
距離にして15メルダ。
敵意はなさそう? でもこの白い女の子に見られているだけで不安が消えない。
怪しい男女を横目にすれ違ってやり過そうとしたその時、茶髪の男が両手を広げて私たちの進路に割り込んで行く手を阻もうとするその向こう側、丘の向こうが……見えた。
この異臭の正体……。
血のにおい……肉のコゲる臭いが風に運ばれてきている。
数えきれないほどの人が倒れていた。
銀色に鈍く光る鎧が数えきれないほど転がっていて、マナの流れが見えない。
「ストップ! 待って! ソスピタ兵はもう全滅してる!」
「ジュノーは下がって! ……オベロン! あの気味が悪い女からやるよ!」
両手持ちの大剣を振りかぶり目にも止まらない速度で踏み込むオベロンと左側に回り込もうとするルビスのコンビネーション。狙うはあの、どう見ても人には見えない真っ白な女の子。
オベロンの前に立ち塞がろうと走る茶髪の男。
戦闘が始まる……。
―― ドバン!
―― ドッガーン!
……
……
……近くで何かが爆発した?
耳が……。
ジュノーは自分がなぜ倒れているか分からなかった。
いけない、ちょっと意識が飛んだ。
脇腹が熱い、頭が痛い……。
ダメだ、混乱してる。
落ち着け……落ち着け。
立てない? いや、立たないと……。
ルビス? 何か言ってる? なに?
え? 何よ? 何を言ってるのか聞こえないよ。
何? なんでルビス泣いてるの? なんで泣いてるのよ!
「うわあぁぁぁ、オベロン!」
オベロンの姿は酷いものだった、右の腕がない、肩から先が吹き飛ばされていて、自慢だった大きな角も片方根元から折れている。
……致命傷だ。
そんなになってまで身体を起こして、まだルビスを庇おうとしていた。
オベロンを抱くルビスが縋るような目でこっちに向かって何か叫んでる。
分かってる、急いで治癒しないと手遅れになってしまう……でも……。
「やってるのよ! 治癒の魔法を使ってるの。でも魔法が……魔法が効かないの! なんで? なんでよ!」
白い女だ。きっとあの白い女が何かしたに決まってる……。
「お願い、お願いよ!」
その時、目の前でただ佇む白い女の子から感じていた圧力が和らいだ気がした。
手ごたえを感じる。よし、魔法が通った。オベロンの身体が光に包まれ急激に治癒されていく。止血、組織再生、血液生産、欠損部位も再生させないと……ああ、脳にまでダメージがある……。
お願い、間に合って……。
クラクラする……いけない、意識が遠くなる。
……痛い……? これは血? 血が出ている?
痛い……、脇腹に何か刺さってる……。
「くっ……」
割れた岩の欠片が脇腹に刺さっていた。オベロンの治療にかまけて気が付かなかった。
……出血が多い。大きな血管が傷ついたかな。
「ああ、私もう……ダメなんだ……」
オベロンは? ちゃんと治癒したわよね……。
ルビスったら何よ、さっきまで別れるってプンスカしてたのにさ。
「ジュノーさま、ジュノーさま! 気をしっかり、誰か! 誰か!」
アスティ? ……よかった。無事だったのね、頭から血を流してる、治療しないと……。
「ああ、アスティ、何をそんな泣きそうな顔をしているの? 不細工に見える……」
ジュノーは最後の気力を振り絞ってアスティの傷を治療すると、ほっとしたようにその意識を闇の中へと落とした。




