『過去編』 しかめっ面のジュノー(2)
ブックマーク300いっちゃった記念の過去編、ジュノーのお話です。
ジュノーとアスティはゾフィーの後を追ってソスピタから飛び出し、生まれてはじめて異世界の土を踏んだ。
ソスピタとは比べ物にならないほど温く湿った風が強く吹いている。ここはエジワラ、ソスピタとは紛争状態にあるアマルテアという小さな小さな王国の外れ。空を見上げると雲が厚く何層にも重なり、空がとても高く感じる。海が近いのか、少し潮の香りがする程度で、温かい以外はスヴェアベルムと大して違うように思えない。でもここはスヴェアベルムとは違う、まったくの異世界なのだそうだ。
転移魔法陣の施された石版を降りるとすぐ近くにいた捜索隊のメンバーがジュノーの赤い髪に気付いた。
「ジュ、ジュノーさま、何故このような異世界に……。ここはジュノーさまのような高貴なお方が訪れていいような場所ではございませぬ」
ジュノーは気遣ってくれた男を横目に見ながら問うた。
「……アーカンソー・オウルさまは戦死され、世界樹攻略は失敗したと報告を受けました。なぜゆえ未だ武装した捜索隊がこの地に展開しているのか?」
「いえ、それは……」
「答えよ」
「申し訳ございません、作戦行動中でございます。ジュノーさまといえど作戦の内容を明かせません」
捜索隊の隊長が口ごもったのを見て、アスティはすかさず口止めする。
「ならば干渉しません。ただしジュノーさまは極秘の任務を帯びてここに来ました。あなたはジュノーさまがここに来たなどということは忘れて役目を果たしなさい。あなたは何も見なかったし、誰にも会わなかった。いいですね」
この四世界にあって初の平民出身の魔導師となったアスティ。兵士や人民たちの憧れの人でもある上に、軍では強化魔法の講師を務めた。だいたいが教え子なので軍では顔が利くという長所がある。
もっともジュノーがそこまで計算したうえでアスティを半ば強制的に連行してきたわけでもあるまいが。
「おかしいですよねジュノーさま。アーカンソー・オウルさまが亡くなったって本当かな? 完全フル装備の兵が増員されてますよ?」
アスティも不穏な空気を感じている。現在ソスピタからエジワラに送っている兵は捜索隊だったはずなのに、いま次々と送られてくる者たちは捜索隊ではなく完全武装した兵士たちなのだから。
フル装備でありながら自称捜索隊を名乗るソスピタ王国軍将校の追及を逃れ、あたりを見回すと、遠くの方に頭2つ飛び出している大きなツノをもった男が見えた。絶対に見間違えるわけがない。身長2メルダ20サンチぐらいあって更に大きなツノが特徴の大男、オーガ族の戦士オベロンだ。
ゾフィーから聞いたことがある。子どもの頃からルビスにべったりくっついてなかなか離れない男で、一年に二言三言しか話さない置物のような男だとか、あんな凶悪な見た目してるくせに毛虫を怖がるとか。そしてオベロンの近くには必ずルビスが居る。
人垣を分け入ってあの天高くそびえたつような立派なツノを目印に進むジュノー。
「ちょっと、通してくださいな、……ルビスー」
ルビスを探すためツノに向かって人混みをかき分けて進むと、相手の方から声をかけてきた。
「ジュノー! あなた……」
「ふう、やっと見つけた。みんな同じ反応すぎていちいち返事するの面倒だからストレートに聞くけど、ゾフィーはどこ?」
開いた口が塞がらないほど呆れた表情を見せるルビス。
14歳のアイドルがこんな紛争地帯でいったい何をしているのかと問いたい気持ちはあったが、それは愚問というものだ。ジュノーがここに来た理由なんて聞かなくても分かる。ルビスと同じく、あのゾフィーがまた何かバカな事をしでかしたと思って心配して来ているのだから。
「で、行き当たりばったりでこんな異世界まで飛んで来たの? なんだかジュノーらしくないわね」
「あのガサツ女がまた何かやらかしたと聞いたので」
そう、ゾフィーはいろいろやらかす女だ。南ガンディーナの英雄だったはずなのに、極端な男嫌いが災いしてとっくに行き遅れてしまい、それをお隣の国、中央ガンディーナの姫さまに小馬鹿にされ笑われたことからついカッとなって後先考えずに鉄拳制裁してしまったというアホだ。隣国の姫さまの鼻の骨を折った責任を追及されたことからカサブランカの家を勘当され出入り禁止。ガンディーナでは10年ほど前に死んだことになってるゾンビ女だ。英雄から一転してゾンビなんてどんな転落人生を歩めばそこまでの落差を経験できるのだろう。
カサブランカの家を勘当されてエイステイル居留地の仮設にひっそり隠れるように住んでいてくれたおかげで、ジュノーが小さなころからよく遊び相手になってくれていたのだけど。
「でも、そうね……、確かにそうね行き当たりばったりは私らしくないわね」
ルビスに指摘され、あらためてそう思った。
たぶん、いろんなことが思ったようにいかなくて、きっと精神的に追い詰められてるのだろう。
魔法のこと、戦争のこと、そして勝手に決められた縁談のこと。
ジュノーだって14歳の思春期真っただ中の女子である。結婚に夢を見る女の子なんだから、せめてキュンとかドキッとかあってもよさそうなもの。
あの気持ち悪くてカマっぽい男との縁談がソスピタの未来を明るくするだなんて、みんな本気でそう思ってるのが信じられない。何しろジュノーの未来は望まない現在から伸びる一本の糸の先にある暗闇の中にあるのだ。
ノープランでこんな異世界に逃げてくるだなんてどうかしてる。後先考えないバカさ加減はまるでゾフィーのようだ。
ジュノーはその後先考えないバカの情報を聞いてみることにした。
「ルビスはどうなの? 何か情報は?」
ルビスのからの情報はそのまま捜索隊がもつ情報。
現時点で分かっていることと、未確認だけど信憑性が高い情報は次の通り。
・ゾフィーは離反し、アマルテア側に付いた。
これは多くの兵が目撃している。ゾフィーに手傷を負わされた兵も大勢いての証言。
・ゾフィーが裏切ってアーカンソー・オウルを殺害した。
これについては誰も確認していないが、アーカンソー・オウルは腐っても上級神。そんな者を殺せるような権能を持っているのはアマルテアにおらず、ただ一人、離反したゾフィーだけがその力を持っているという状況証拠を積み重ねた理屈だった。ジュノーにしてみたらそれはそれで結果オーライなのだが、そう決めつけるのも良くないと思う。
「何言ってんだか、ゾフィーに手傷を負わされたって何よ? ゾフィーが戦場で目撃者なんて生かして帰すわけがないでしょ。アーカンソー・オウルが死んだってのは確定なの? 遺体は?」
「遺体はないそうよ。でもアーカンソー・オウルが死んだって言ったのはゾフィーらしい」
捜索隊? というよりフル装備で戦争準備している集団の隊長をジュノーの権限で呼びつけ、証言した男はどこにいるのかと聞いたら「この場でお待ちください」と言われた。ルビスによると、無造作に死体が転がっているような場所に王族を近付けたとあっては後で大問題なのだそうだ。
「ええっ? 死ぬほどの大けがをしてる人がいるの?」
いま捜索隊の男たちが入って行ったテント。あそこだ。
捜索隊員の制止を振り切り、野戦病院のテントに入っていくジュノー。
中には20名ほどの男が無造作に転がされ、うなり声をあげている。異臭が漂い、腕を失ったものまでいる。あっちの黒い袋に入れらているのは……亡くなった人……だろうか。
目を覆いたくなるような現実がそこにあった。
治癒の権能を持つ下級神の女が軍医として治癒にあたっているようだ。
捜索隊の者たちがジュノーさまジュノーさまと言いながら野戦病院から追い出そうとするので中にいる者たちにもジュノーの来訪は知れることとなった。
「軍医? 名前は」
「はい、アリアです」
アリアと名乗ったこの下級神は、ソスピタではあまり見られないエルフ族の女性だった。昨夜も寝ずに治癒魔法を使い続けたのだろう、その表情には疲労の色が濃く表れていた。
ジュノーの目にはアリアのマナが底をついているのが見える。もうこれ以上治療を続けると倒れてしまうだろう。
「疲れているわねアリア、今日はもう休みなさい。マナ欠乏するわよ」
疲労困憊気味のアリアに代わり、放っておけば翌日にはもう息がないだろうというほどの重傷者を次々と治癒していくジュノー。
仮にも下級神である軍医のアリアが付きっきりで治癒魔法を使い続けて数時間かかるほどの重篤な患者を、ものの20秒ほどで完治させてしまうジュノーの治癒権能に歓声が上がり、その奇跡の御業を目撃した者はみな跪いた。
口々にジュノーを讃える声が聞こえる中、その歓声に応えることもなく我関せずとばかりに集中を乱さず、けが人たちを次々と治癒してゆく。そこには生命を救う光の女神の姿があった。
大層な包帯でグルグル巻きにされた男が戸板に乗せられようとしていた。
この男が最前列に居て、全てを目撃した証言者だという。立って歩くことができないらしい。
ジュノーは男の容態を見るとすぐに治療を開始する。折れた腕の骨が再生し繋がり、脊髄の損傷により神経が分断して下半身が不随になっていたものすら秒単位の短時間で治癒してしまうという権能は、話に聞いていたルビスであっても驚きを隠せないほど強力なものだった。
「終わり。ルビス、証言をとって」
「え?、はい、あなたはもう治りました。ありのままに証言しないと、このオベロンがあなたをもとの状態に戻します。いいですね」
無言で指をボキボキ鳴らしながら威圧するオベロンがそれほど恐ろしかったのか、それとも本当にジュノーに感謝していたのかは知れないが、男は瞳に涙を浮かべて感謝し、言われた通り、ありのままに話してくれた。
ここに居る者たちにケガを負わせたのはアマルテアの国民だった。老若男女いて武器になるものを手に集まったが、剣や盾を持っていたわけではなく、スキやクワで武装していたので、おそらくは普通の農民だと思われる。
およそ500人程度がソスピタ人に抗議するために集まったが徐々にヒートアップしはじめ、小競り合いが始まったと思ったらすぐに暴徒化したらしい。暴徒を鎮圧する命令を受けていなかったソスピタの捜索隊は皆、自分を守るだけしか許されなかったため、怒れるアマルテア国民の攻撃をほぼ無抵抗で受けたのだという。
アマルテア側とは話がついていたはずなのに何を抗議されたのかと言えば、あのアーカンソー・オウルが自らの権能を存分に使ったのだろう、アマルテアの聖地とされる世界樹の森を焼いたことに端を発したそうだ。
ソスピタの捜索隊が暴徒化した集団に襲われているところに戦神ゾフィーが若い男と共にパッ! と現れ、暴徒たちはゾフィーと一緒に現れたその男の説得に応じ、暴徒化した民衆もその場はおとなしく引いてくれたという。
そしてゾフィーは世界樹攻略に出たアーカンソー・オウルのパーティが全滅したことを告げ、その男と肩を並べ、暴徒たちとともに歩いて帰った。
……という証言を得た。
「あのゾフィーが? 歩いて帰った? おかしい。あのものぐさなゾフィーが歩くなんて」
ゾフィーはあまり歩かない。完全に転移魔法に依存していて、コップにお水をくむため水差しをとりにいくのにも歩くことなく、水差しの方を手元に空間転移させて持ってくるような女だ。
捜索隊が暴徒に襲撃された場所というのが、ここエジワラから1日ほど北に行ったところにある、パステルという小さな村。襲撃の規模から察すると、そのパステルの村に暴徒が集まってると考えたほうがいい。
ゾフィーが一緒にいた男の特徴も聞いた。身長180サンチメルダの若い男で、茶髪にとび色の瞳だからアマルテア人口の8割を占めるデナリィ族の男で間違いないだろう。こっちは手がかりにもなっていない。ただ、暴徒化した民衆の前に立って説得しただけで騒乱を鎮めることができるほどの男となると自ずと限られてくる。
「皆の者、今日いまここにジュノーさまがいらっしゃったという事実はない。くれぐれも口外するようなことのないようにな」
アスティが口止めをしたところで、アリアが涙を流しながら跪き、感謝の言葉を述べる。
「ああ、ジュノーさま。今日の奇跡の御業、感謝します。わたくしの力では皆を救うこと、叶いませんでした、本当に感謝します。ありがとうございました」
「あなたもよく頑張ってくださいました。これからも民を救ってくださることを期待しています」
「は、はい。もったいないお言葉。必ずや、必ずやご期待に添えるよう精進いたします」
感謝されるのは悪くないのだがが、こう大げさに跪いたりというのはどうも違う気すると感じていた。
王族であるからなのか、それともここのところ大騒ぎになっている十二柱の神々とやらに招聘されるということも関わっているのだろうけれど、これまで気軽に声をかけてくれていた街のひとも、なんだか堅苦しくなってしまって、あまり居心地のいいものではなくなっているのを、苦々しく思っていたところだ。
ジュノーは跪いて面を上げないアリアの手を取り、労ってやることにした。
そうでもしないと一生跪いていそうな気がしたから……なのだが、このアリアというエルフの治癒師こそが後に女神ジュノーを現人神として信仰を広げた活動家、神聖女神教団の始教祖アリアとなる事をジュノー自身、知る由もなかった。
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「じゃあ私たちはパステルに向かうから」
「ちょっとジュノーあなた正気なの? ここはソスピタじゃないのよ? ソスピタ人は敵なのよ?」
「知ってるわよ」
ジュノーは心の中に芽生えた一つの感情に戸惑っていた。
それは『こんなはずじゃなかった』という後悔……。
魔法を使えるようになり、力を持ったヒトが、弱いものにその力を振るって血を流させる。
さっきの救護テントはいい気になって他国の聖地を土足で踏みにじったせい。
いったい何を間違えたのだろう。
異世界の地に立って、遥か遠くにうっすらと見える世界樹を見上げる。
遠い。そして大きい。
ジュノー・カーリナ・ソスピタ、まだ14歳。
その小さな胸は、人に魔導を降ろした責任に押し潰されようとしていた。




