01-18 想いは恒星間を渡る
アリエルの孤独と絶望。星空を見上げましょう。
20170722 改訂
2021 0721 手直し
先生が家庭教師としてノーデンリヒトに来て、はや半年が経った。
短い春夏秋が終わり、北の地ノーデンリヒトには長く厳しい冬が訪れる。
もちろん、グレアノット先生のシゴキは健在でいまも続いているので、アリエルは地味ながら着々とその実力を伸ばしている。
ガラス窓は温度差で結露していて、それが凍るほどの寒さといえば分かりやすいだろうか。
ノーデンリヒト開拓村は雪景色で真っ白になっていて。ここ数日はアリエルも雪下ろしに駆り出されている。今月は屋敷の雪下ろしをするのが魔法教練に追加されることになりそうだ。
この半年で、魔法についての考え方はだいぶ変わった。個人の解釈なんだけど、マナの使い方に土だの火だの風だの水だのっては関係ない。たぶん昔の魔導師が4元素とかいう考え方に魔法をくっつけて理屈の辻褄を合わせたのだと思う。それでも火の魔法が得意だとか、土の魔法が得意だとかいう個人の特性は認めている。アリエルも水の魔法を使うときはほとんどマナの消費を感じないから、きっと水に特性があるのだろう。
先生は200年も、そういう固定観念に囚われてきたので、なかなか頭の切り替えはできないだろうと思っていたらそうでもなく、つい先日、起動式を入力しなくちゃいけないまでも、だいたいの魔法を詠唱破棄で起動できるようになった。
やっぱマナや自然の仕組み? みたいなのを理解したら誰でも詠唱を省略できるのだ。これはアリエルだけが特別ではないということで、ちょっと残念だったが、逆にホッとした出来事でもあった。
土の魔法で作った教練場は当初普通に種目の多いアスレチックだったんだけど普通の訓練施設だと簡単にぶっ壊してしまうので、だんだん頑丈になっていって、いまは砦の形になった。
ベルセリウス家の屋敷に隣接する土地に、屋敷よりも高い防護壁を擁する砦がデンと建ったのだ。
これが東側だったら日照時間の問題でポーシャとクレシダの反対運動が怖かったが、西側ということでギリギリ屋敷の二階の窓に西日が差し込む程度の高さで手を打ってもらった。
要するにアリエルが魔法鍛錬で何度も岩をぶつけて壊したので、修理のたびに補強と強化が施されることとなり、訓練場は要塞化していったという訳だ。
壊れたところを修繕するたび新しくなるので壁の色が所々違うけど、トリトンが北の砦から戻るたび、どんどん強固になって行く様を見て、もしかするとこの修練場は北の砦よりも守りが堅いかもしれないと言うぐらいには、物々しくなった。
だいたい、攻城戦の場合は、攻城戦魔法に対して、複数の魔導師が城壁や城門にも強固な防御障壁を施すのだが、アリエルの単なる岩石投げは、質量と衝突速度のみで圧倒できる。
やり方は簡単。強化魔法をかけたスピードで地面を滑って目いっぱい加速し、最高速から[ストレージ]に収納していた大岩を取り出して落とすだけという何のヒネリもない単純明快な質量兵器なのだが、シンプルなのが一番強いというロケットパンチ理論で攻城魔法のテストに一発合格を果たした。もともとアバウトな性格で微調整のいらない『どっかん魔法』はアリエルの得意なジャンルだ。
そして魔法について。
いろんな魔法の基本になっているのがアリエルの最もよく使う魔法の一つ、領域確保魔法であるが、起動式によっては加圧の効果もあり減圧の効果もあり、作用は違うまでも同じ魔法にいちいち違う名前を付けると面倒なので名前を『カプセル』に統一した。
あと、もうひとつ『念動力』、これもアリエルが解析したのだが実は……地面に作用を求めている土魔法だった。
誤解されることを恐れず簡単に説明すると、50キログラムの石を念動力で浮かせたとき、実は見えない身体のマナさんが石を持ち上げているのである。そしてその50キログラムを持ち上げるマナさんの足の下の地面が最終的に、50キログラムを引き受けてくれているという。要は50キログラムの石が浮かんで見えても、実はマナのつっかえ棒が地面から生えていて、そのつっかえ棒を操作する魔法という、ただそれだけの話だった。
地面に近い物体なら持ち上げて、およそ自由に操作可能である。
肉体強化魔法は少し前から、グレアノット先生のすすめで『防御魔法』だけを常時展開している。
すすめというよりもシゴキに違いないのだが、夏には土木建築魔法の修練中のみ、ケガ防止も含めて展開していたのだが、それがなんと今は寝ているときも含めて常時展開している。
起きてる間に消費したマナを眠ってる間に回復しているのに、寝てる間も防御魔法を展開し続けるなんて、これも最初のほうは疲れが取れないどころか、寝てても疲労がたまっていくというマゾ仕様だった。
ただしマナの総量は肺活量のようなもので、運動し、常に低酸素状態を保っていると心肺機能が強化されるのと同様に、魔導師の基礎であるマナ総量も増えるというグレアノット先生の説は正しかった。というか、先生は自説を証明するためアリエルにこれほど厳しい訓練をさせたというわけではあるまい。
強化魔法も同時展開しない理由を問うと「筋力が低下するとモヤシっこになってしまうでの」と言われた。確かに子どものうちから楽をするのはよくない。
とはいえ、どうせアリエルは自己再生スキルがあるので、少々ケガしたぐらいじゃすぐ治癒されてしまうのだが。
そこでアリエルは自身の『自己再生』についてグレアノット先生の見解を聞いてみたところ、だいたいマナを持ってる人は多かれ少なかれ、傷の治癒は早いのだそうだ。その回復速度が他と比べて明らかに早い人のことを『再生者』と言う。さすがに『再生者』とまで言われるのはごく稀な事象であり、アリエルのようにみるみるうちに傷が消えていくようなのは前代未聞であった。
王都プロテウスにある魔導学院図書館でもそこまで強力なリジェネレーションについて書かれた本はないというが、別に悪い話でもなし、単純に身を守るという一点において明らかに優れているので気にしないことにした。
地面を滑って移動するオリジナル魔法は、安直に『スケイト』と名付けた。スケートでもスケイトでもどっちでもいい。『カプセル』 と同じく、細かい部分には余り拘らないというアリエルのアバウトさが出たネーミングだった。
『スケイト』は地面から50センチぐらいまでなら安定して滑れるけど、地上1メートルにまで体を持ち上げると途端にバランスを崩すという土魔法の特性はそのままであった。
高さ20メートルもジャンプしてしまうと、さっきまで身体を持ち上げていたマナさんが細く伸びすぎて、まったく持ち上げる力を発揮することができないということになる。
ジャンプから自由落下の着地が難しいのは、マナを多く消費し支えるマナを太くしたり、地面から支えるマナの柱を複数に増やすという方向で解決できそうなので、現在絶賛練習中。どんだけ着地に失敗したり墜落したりしたか覚えてないし、なんども大怪我したけれど、『スケイト』の魔法は移動するのに都合がいいので、モノにしつつある。
もうひとつ。これは重要なことなのだが、実は水上では『スケイト』が使えないことがわかった。
理由は地面が水底にあるということだ。たとえば水深が5メートルの川を渡りたいとする。土魔法で地面に作用して身体を持ち上げてる以上、水深5メートルの水面は、地上から5メートル上空ということになる。ちょっとまえ川に突っ込んだ時、水面に足を取られド派手に転倒して以来試してないけれど、後で考えた別の方法でうまくやるアイデアはあるので、たぶん旅をする分には問題ないと思う。水しぶきをあげながら『スケイト』で水面を疾走するのには強い憧れがあるのだけど、今のところ『高く安定させる』以外に解決策はないようだ。
『ストレージ』は半年間ずっと放置してある『カプセル』が消えることなくずっと健在なので貴重品を入れてもいいかな? とちょっと信頼しかけているところ。どこでも出し入れ可能なアイテム収納庫として使う分には、チートレベルなものなので、ぜひモノにしたい。
こういうチートはだいたい常温でしかも『ストレージ』の中の時間が止まっていると相場は決まっているのだけど、その通り『ストレージ』の中の時間は止まっているようで、半年の間ずーっと放置してある生肉が腐らずそのままの状態で保存されている。こんど焼いて食ってみるつもりだ。
肉や食べ物など、死んだ動物は『ストレージ』に入れられるが、生きた動物はたぶん無理。
そもそも生物を『カプセル』に入れただけでかなり不安定になって、いとも簡単に壊れるから怖くて『ストレージ』には入れられない。でも、細菌やプランクトンのような、絶対的に微細な生き物は『カプセル』にほとんど影響がないのでそのまま『ストレージ』に突っ込んでいる。
カプセルに包み込む方法がダメならと、生体に小さなカプセルをくっつける方法で生きたウサギをストレージに転移させようとしたけれど、転移したのはカプセルだけ。どうやら無生物しか送れないらしい。
半年の間、魔法鍛錬はマナの調整をメインに鍛錬しているから、新しく覚えたようなことはないけれど、日々の鍛錬で、驚くほど魔法は安定するようになった。今後は魔法を正確かつ早く起動する方向に鍛錬していく予定。当面の目標は『ファイアボール』を秒間5連射できるぐらいの起動速度を目指している。
威力は大岩投げにはまったく及ばないけれど、『ファイアボール』を連射できたらそれなりに派手でカッコいいだろうと思う。やっぱ、大岩を投げてぶつけて破壊するなんてのは正義のヒーローの所業じゃなくて、どっちかというと悪の四天王の筋肉を担当する脳筋攻撃だから。アリエルの目指すところではない。
そうだ、火の魔法といえば、『ファイアボール』で発見があった。
『ファイアボール』は、一旦『カプセル』に燃焼効果のマナを詰め込み、それをある程度圧縮することで『ファイアボール』の威力が上がる。そこから更にもっともっと圧力をかけて高熱にすると、着弾時に爆発するような効果になる。これはいつか、先生にファイアボールを習っていたとき、空に向けて炸裂したあの魔法だ。
これは夢で見た爆発するファイアボール魔法を再現したものだが、妙に気になって、このファイアボールの魔法を、爆発に特化するよう改良を重ねたものがてきあがった。
『ファイアボール』の圧力をもっともっと極限まで際限なしに高めて言ったらどうなるか? という疑問を試してみたら、およそ最初に込めたマナの量や圧縮に使うマナをひっくるめて、それを遥かに上回るエネルギーで大爆発を起こした。周囲どころか数百メートル離れた場所で農作業をしている領民が驚いて何があったのかと集まってくるほどのものだった。
おかげでアリエルはトリトンに注意され、この魔法の使用を制限されてしまった。
夜に使ってはいけないのと、あと朝も早い時間はダメとのこと。要するに、領民の迷惑にならないように練習しろということだ。
まだ改良の余地がいっぱいあって実用化まで少し時間がかかると思うけど、これもオリジナル魔法なんだそうだ。いや、グレアノット先生が言うには『爆破魔法』という古代の伝承にある失われた魔法技術に似ているそうだけど、教会が焚書で書物を焼いてしまって以来、古代の魔法については口伝でしか伝えられていないので、そのほとんどがすでに失われてしまったか、失われたに等しいらしい。
だがこの魔法は子どもたちに人気のある『神話戦争』という本に出てくる悪役のボス、破壊神アシュタロスも好んで使った魔法だといわれている。アシュタロスは大陸を吹き飛ばし、この世界の七割を死滅させたうえ、残った土地もすべて灰に埋もれさせたというから、その威力については眉唾物を通り越して信じがたいという見解でもあった。
言いながらも先生は、世界の七割を破壊するような魔法があるなら見てみたいと言って笑った。魔導師はフィクションを信じないリアリストだというが、先生もそうなのだろう。
だけど転生者であるアリエルはいまもこの目でファンタジー世界を実際に体験している、この世界にフィクションなどないのだ。
ただ、アリエルはこの魔法を夢で見たとは説明しなかった。
黒山の人だかり、というか異世界なので日本人と同じ黒髪の人など見たことがないので黒山ではないのだが、数千から1万はいたであろう兵士の頭の上から爆弾を投下したかのような大爆発を起こし、戦場そのものを蹂躙していたのを思い出しながら、もっともっとと威力を追究しつつ、古のロストマギカと言われる『爆破魔法』を練習しているときだった。
先生は土魔法で頑強な壁を作って中に引きこもり、ムチャクチャ高性能な耳栓をつかって遠くから見守ってくれてる中、爆破魔法を迂闊に発動させてしまい、自爆してしまったことがある。
当然、術者であるアリエル本人も吹き飛ばされ、自らの身で爆破魔法の威力を確かめることとなった。
大ケガするわ大やけどするわで大変な騒ぎになったけども、アリエルは先生に言われた通り、最大強度で防御魔法を常時展開していたおかげで、致命的なケガにならなかった。そして自己再生スキルでみるみるうちに自身の傷を治癒していったアリエルは間違いなく『再生者』であると太鼓判が押された。
魔法鍛錬が事故を引き起こしたことはちょっとした騒ぎになった。
ビアンカは事故の報を聞きすぐさま駆け付けたが、爆心地が小さなクレーターのようになってしまった現場状況とは裏腹に、当のアリエル本人は自己再生をフル活用したおかげか、ビアンカが心配して飛んで来たときにはもうピンピンしていたので、そこはうまくごまかすことができた。
そして怪我の功名か、その時、強化魔法で防御力を上げていてなお大ケガしたことから、アリエル本人はこっそり、これを安定して使えるようになると大いに使える魔法なるんじゃないかと期待してる。
あと、魔法の威力はマナの量によって左右されるけれど、その日の精神状態によって、ハッキリ分かるぐらいの差が出ることが分かった。
ヤル気満々の日は、魔法の威力も目に見えて高いけど、モチベーションが低かったらこれまた目に見えてハッキリとしょぼい。先生がいうには「お主にはムラッ気があるでの」という事らしい。
いつでも高いパフォーマンスを出せるように考えておけと言われた。
さて、ここからは趣味の話になるのだけど、アリエルの前世、嵯峨野深月の父親は包丁とシザーがちょっと有名な嵯峨野ブランドの鍛冶職人だった。
トリトンに真剣を見せてもらったり、ポーシャに包丁を見せてもらって分かったことだが、この世界の刃物は職人でないアリエルが見ても正直かなり遅れている。
本格的に学んだわけじゃないが、親父の工房でそれなりに見てきたから上辺だけの知識はあるつもりだ。鉄の製錬技術はそこそこあっていい鉄を使っているが、いかんせん鍛造が甘い。この程度の鉄しか打てないのなら、正直なところ自分が打った方がまだいいものができるかもしれないように思えた。
グレアノット先生に鍛冶工房が欲しいと言ったら、魔法の鍛錬を兼ねて槌を打つことを条件に作ってもらえた。
この世界の刀剣はあまり切れ味の良いものがないのと、日本刀やタルワールのような曲剣がないらしいので、自分で打ってみたくなったのだ。あくまで趣味の域を出ないのだが。
魔法の鍛錬にもなるので一挙両得と言えばいいのか一石二鳥なのか分からないのだけれど、なんせ今は鍛冶に夢中だ。教練場の端っこ、物見の塔の1Fを増設した鍛冶公房で鍛造を勉強している。
元の世界では紀元前から打たれてきた鋼の技術だから一代でモノにできるか分からないけど、魔法で補助しさえすれば、まあ何とかなるんじゃないかと思ってる。
今のところ鍛錬を兼ねて魔法のみで鉄を打つ鍛造を行っているから体力じゃなくて精神力がすり減るが、楽しくてやってるうちはまったく苦痛を感じないばかりか気持ちよくさえある。8歳にして新しい扉を開いてしまったような後悔に似たような感覚はあるが、まあ、大丈夫だろう。
マナを燃やし、炉の温度を上げて鉄をガンガン熱する。真っ赤に赤熱したら圧力をかけながら念動で槌を打つ。鉄は分厚くなると熱を均一に入れるのが難しくて、まだ分厚い幅広の剣までは打てないけれど、とりあえず薄手の包丁を打ってポーシャとクレシダに意見を求めたところ、悪くない反応が返ってきた。ある程度いいものを打てるようになったら鎌や鍬などを打って村人たちに使ってもらいたい。自分の好きなことをしていると本当にワクワクして、色々と想像力が広がるものだ。
「うーん、質のいい鉄が欲しい。ここで手に入る鉄はなんか不純物がいっぱい混ざってる」
鉄を製錬するのにどんだけの炉が必要なのか想像つかないけど……。まあ、いざ採掘に行かなきゃならなくなったとしても『ストレージ』という強い味方があるので心配はしていない。
もうひとつ。魔法や剣のこととは別に、最近大きな心境の変化? を感じている。
先生がうちに来た頃から、さすがに乳離れというか、おっぱい離れをするようになり、ビアンカとのスキンシップがなくなったせいか、どうやら心にぽっかりと穴が空いてしまったようだ。
友達がいない。
幼馴染がいない。
美月がいない。
周りにいるのは両親を含め、数人の大人たちだけだ。
アリエルも中身は26歳、立派な大人だけど……身体が8歳じゃ、たまに北の砦から帰ってくるトリトンの晩酌にも付き合えない。
槌を打つ作業を止め、ひと段落つくと無意識のうちにため息がひとつ漏れる。
包丁やナイフの試作品を手に取り、炉から漏れる光を反射させて斜に見る。
悪くないデキだと自画自賛する。
さてと今日は炉の火を落とすことにした。今日は考え事をしながら長く槌を打ったものだ。
ノーデンリヒトの冬は夜が長い。
夏に白夜が見られる地域は、冬になると極夜という、まる一日太陽が上がらない日もある。
今日は真昼間でも太陽が上がりきらず、夕方ぐらいの日の高さだった。
鍛冶の工房は炉が高温に保たれているせいで、作業場はうだるように暑い。
だがしかし、いったん火を落とし、ドアを開けると凍り付くような冷気が流れ込んでくる。
もっとも、いまの気温はマイナス10度をさらに下回るだろうか。
呼吸が真っ白な息となって周囲に広がる。
最近は訓練場に作られた物見の塔に上がって夜空を眺めるのが好きになったが、さすがにこの季節、夜にひとりで外出するなど8歳の子に許されることはないのだが……。アリエルはこの、鍛冶場のの煙突を兼ねた物見の塔に上がってみることにした。
ひと呼吸ごとに白い息を吐きながら塔の外側を周回する階段を一段一段踏みしめて上がっていくと急に視界がひらけ、無限の星空が目に飛び込んでくる。
深呼吸すると冷気が肺に突き刺さって胸に痛みを感じたけれど、そのまま胸を張った姿勢で空を見上げると視界の全てが星空となる。ぼやっとした星雲のはっきりしない輪郭も、十字に交差する天の川銀河も、アリエルの孤独な心を満たしてくれるものではなかった。
……星座が違うのだ。
ここの空には北斗七星もなければカシオペアもない。冬のこの時期、空にはオリオンが上がってきて、ベテルギウスが赤く赤く輝いているはずなのに、オリオンすら見当たらない。
アリエルは、いま住んでいるこの土地が地球じゃないということを確信してしまった。
いや、なんとなくそんな気がしてはいた。でも、ここが地球じゃないという事が分かってしまったら、もう帰れないんじゃないかとか、ああ、帰るも何もアリエル・ベルセリウスは、この土地で生まれたここの人間なんだから、地球に行く手段なんてないんじゃないか……とか。思考がアンダーに落ち込んでしまって、わずかな希望がどんどん失われてゆくのを感じた。
地球の太陽から一番近いプロキシマ・ケンタウリまで確か、4光年ぐらいの距離だったはず。
ここがそのプロキシマ・ケンタウリ星系かどうかなんて分かんないし、確かめる術を思いつかないけれど、美月が暮らす地球に一番近くても4光年。ざっと計算して40兆キロメートル。NASA最新鋭のロケットを飛ばしても3万年はかかるという事実はアリエルを絶望させるのに十分過ぎる距離だった。
顔にひりつく冷気に包まれながら、とめどなく涙があふれた。
アリエルは生まれて初めて泣いた。
ずっと毎日、帰りたい、帰りたい、美月にまた会いたいと思って生きてきたから、もう帰れないなんて考えたくなかった。
でも現実は無慈悲に、音を立てて心を折ってゆく。
アリエルと美月の間の距離は、つい8年前まで隣の隣という、いつでも手の届く距離だった。
それが当たり前、会おうと思えばいつでも会えた。携帯電話で会話しなくとも、夜、美月の部屋の明かりがついてたら小石を投げるだけで顔を出してくれる。朝、ちょっと早起きして玄関から庭に出ると、庭先で剣を振っていた美月。そんな当たり前に会えたのに、いつもそばに居たはずなのに……。
でも今はどうだ。二人は光年の距離に隔てられている。
ちっぽけな蟻が人に踏まれて死ぬことと象に踏まれて死ぬことに大した差がないのと同じく、アリエルにとって美月との距離は、1光年も100億光年も同じなのだ。どうせもう二度と会うことはできないのだから。
グレアノット先生の知り合いが異世界から転移してきたという話はきっと本当なのだろう。
アリエルには信じるに値する確証があった。『ストレージ』がたぶん次元とか空間とかを飛び越えてるから、いまいるこの世界と、アリエルの前世、生きた世界とは、物理的に隔絶されていても、その壁を突破しさえすれば日本に帰れるはずだ。
そう考えるようにした。
異世界転移で日本に帰る方法が必ずあるはずだと。
そう思わないとやってられない……。生きる意味すら見失ってしまいそうだ。
アリエルは涙が頬で凍るのもかまわず、夜空を見上げている。
空気が澄んでいるのと光害がないので夜空の美しさは別格だ。
4等星? ぐらいまで見えるので星の量が圧倒的に多く感じる。天体望遠鏡が欲しいぐらいだ。
きっとこの星空の中には、元いた世界の太陽があるはずだと思ってる。太陽がどれなのか、まるで見当もつかないが、それでも、この満天の星の下で、星の光を浴びることに意味があると自分に言い聞かせた。
ここは自分だけの場所だ。
自分だけしか知らない、星と会話するスポット。
願わくば美月とここで肩を並べて、あの夜の続きを。
冬の夜、冷えきった空気、雲一つない新月の夜。
空気が揺れるたびに瞬く星々。
しん……と音のない世界。
ひとりだけの世界。
胸にぽっかりと空いた穴を、冷気が満たす。
最近のお気に入りは、ここからの天体観測。
望遠鏡もレンズもない。ゴロンと寝転んで視界全部を星の世界にして、眠くなるまで星を数えてる。
独りぼっちの冷たい世界で、星々に願いを語る。
「なあ美月……、想いは光年の距離を超えられるのか? ……希望はこんなにも脆く儚いのに」




