08-14 寄り添う心
サナトスはレダの手を握ったまま[スケイト]を起動すると、レダもそれに続く。
防護壁は見えているから、門裏の階段があるところまではすぐだった。だけどそんな短時間でもつないだ手の温もりは感じる。
衛兵に声をかけて階段をのぼって防護壁の物見塔に登るサナトスは、奇しくもアリエルと同じ、物見塔のてっぺんが自分の特別な場所だった。いまは物見の衛兵も停戦で遺体の埋葬に駆り出されていて塔は無人だ。
そんなところに女の子を連れ出して、遠くの方には王国軍が陣を張っていて、今まさに火葬し終えた戦士たちの遺体が埋葬されている姿も垣間見れる。こんなロマンチックとは真逆の時期にこんな見晴らしのいい高台に女の子を連れて上がったのだ。夕焼け空の見える西の方角には王国軍が見られないことだけが幸いだった。
サナトスはレダを初めて見た時から気になっていた。いや、レダの強さを目の当たりにしたとき、そう、サオたちと一緒に戦場に出たのを防護壁の上から見ていたとき、強く意識したのを覚えてる。
無詠唱で行使する強力な土の魔法と異様とも言える戦闘能力の高さ。これだけの力を持っていて村で疎まれない訳がないのだから。もしかすると自分と同じ境遇なのかもしれないと。
だまって太陽が落ちるのを眺めながらサナトスが口を開いた。
「なんでマローニに?」
「えっと? 言わなかったっけ? あなたの……」
「いや、本当のところは聞いてないからな」
レダの言葉を遮るようにサナトスが言葉を被せた。
レダは14歳の少年に見透かされたようなことを言われ、ため息が零れた。
「うーん、そうね。アリエル兄ちゃんのピンチだって思ったってのは本当よ。あと、まあバレちゃしょうがないか。うちの村は昔、フォーマルハウトっていう悪い魔法使いが土魔法で150人ぐらい村人を殺して、それをぜんぶアスラにひっかぶせたのよね。一度生まれてしまった疑念は心のどこかに引っかかってるものなの。アスラと仲がよかった私に、村いちばんの戦士ってのが突っかかって来たから簡単にのしてやったわ。そしたら居心地が悪いのなんの。私の顔はこんな傷だらけで醜いからね。23にもなって行き遅れてるのに、フェアルに居たんじゃ嫁の貰い手もないって母さんマジ泣くしさ。思い切って飛び出してきちゃった」
「そうか、来てくれてありがとうな。俺の家族や友達を助けてくれてありがとう。けどさ、レダにだって俺のこのツノは醜く見えるだろ? 俺もそうさ、このマローニの街でツノ生えてるのなんて俺だけだし、女の子と目が合っただけで泣かれたこともあるしな、たまたま父さんが貴族のはしくれだったから居心地までは悪くないけど、聞けばこの国でツノ生えてんの俺だけだって言うしな、王都とか行ったら神殿騎士なんてのが総出で襲って来るかもしれないって……俺ってそんなに怖いのかな?」
「え? ぜんぜん。むしろカッコいいけど? ロザリンド見た時もそう思ったし。私も欲しいなって思ったこともあるよ、こう、ちょっと角度を変えてさ頭突きで3人ぐらい殺せそうな……えっと、ごめんなさい、そういう意味で言ったんじゃなくて、かっこいいと思ってる……から……」
見つめ合う二人……。
沈黙が流れ……。
「おーっとサナトス、邪魔してわりいな。俺ら耳がいいからな、聞こえちまうんだ」
「オッサン!」
ダフニスのダミ声がせっかくのいい雰囲気をブチ壊してしまった。マジでタイミング悪すぎんだろ。
この男はこういうキャラなのだろう。階段の中ほどまで上がると、レダをじっと見て、そして話しかけた。
「お嬢ちゃん、ベアーグを見るのは初めてかい? 怖がらなくてもいいんだぜ? 俺ぁ女の子には優しいからよ」
レダも身長3メートルのベアーグなんて初めて見たのだろう、驚きの表情を隠そうともせず、一歩、二歩と後ずさってしまう。
「オッサン、えらく遅いお着きだな。今着いたのか?」
「いや、昼すぎには着いたんだが、この先の丘に親父が埋葬されてるって聞いたもんだからよ、一緒に一杯やってたんだ」
「うわあ酒臭え!一杯じゃ済んでねえなこりゃ……」
「がはは、ちげえねえ。お前もはやく酒ぐらい飲めるようにならんと、人生つまらんぞ。がはははは。お嬢ちゃん、邪魔して悪かったな。俺も大概見た目が怖いって言われるんだぜ? 本当はこんなに優しいのによ?……おーいべリンダ、ほらこいつがそうだ。見たら分かんだろ? ……サナトス、じゃあまたな。俺は酒場で一杯やってくらあ」
「酒場を壊すんじゃねえぞオッサン、ここの酒場は人族のサイズなんだからな……はあ、もう出来上がってんよ。まったく」
ダフニスのオッサンが顎で合図している? 階段下には二人の女性が居て……二人と目が合った。
驚いた。どちらの女性の頭にも立派なツノが生えている。サナトスでも初めて見る魔人族の女性だ。
いまさっき『この国でツノ生えてるのは自分だけだ』なんて言ったばかりなのに、ツノ生えた女性がふたりも目の前に現れた。息がとまるほど驚くのは自然なことだ。
二人はサナトスのほうをじっと見つめ、すこし微笑みながらゆっくり、しっかりとした足取りで階段を上がってくる。
「初めまして。サナトス。そして、えーっと、そちらのお嬢ちゃんもはじめまして。どうしたのかな? 魔人族の女は珍しいかな? 私はべリンダ。サナトス、あなたの母親ロザリンドの姉。そういえばさっき屋敷でグレイスちゃんって子と会ったんだけど、グレイスちゃんと同じ叔母にあたるわ。ねえ母さん、フランの言った通り、優しそうないい目をしてる。ロザリィのルビスを受け継いでるし、男前だわー」
「サナトス、初めまして。会いに来るのが遅くなってごめんなさいね。私があなたのおばあちゃん。ヘレーネ・アルデールです」
「は、はあ。初めまして、おばあちゃんに、べリンダさん。あの、せっかく会いに来てくれたのは嬉しいんだけど、いまここは見ての通り戦争やってるんで、今こんなところに会いに来られてもちょっと困ります。ノーデンリヒトあたりにまで逃げてくれてた方がいいんじゃないかと」
サナトスがその身を案じるヘレーネは優しく応えた。
「知ってるわよ。女だからって甘く見たらダメ。魔人族の女はそこそこ戦えるのよ。そりゃロザリィほどじゃないけどお爺ちゃんも反対しなかったし、フランシスコにも何も言わせませんでしたからね」
ベリンダも。
「そうよ、フランは私たちの命の心配よりも、姉や母親が自分から離れていく事を心配する変態だからね、あんなの無視よ無視」
そして祖母ヘレーネはレダに目を付けた。
「えーっと、そちらのお嬢ちゃんを紹介してよ? いい感じだったじゃない? ふたり。いいえ、四人かしら?」
「あ、ああ、こちらレダ。えっとそして、アスラ」
「初めまして、レダです」
しおらしくぺこりと頭を下げたレダの背後からひょこっと出て顔を見せるだけ見せてまたレダに引っ込むアスラ。
「アプサラスです。その節はお世話になりました」
アプサラスはヘレーネを知ってるようだ。
「かわいいじゃない。この子しってるわ。ハリメデたちとといっしょにメルドに向かった精霊さまよね? たしか」
「なによ二人して精霊使いなの?うわあ、こりゃマズいなあ、フランのバカ、絶対にサナトスを次の王に指名するわよ?」
ベリンダに言われ、自分が次期魔王候補に名前が挙がってることを初めて知ったサナトス。
「えええっ? 俺が王? マジで? そんなんイヤッス。積極的にお断りッス。俺混血ですからね、禍根が残りますよ。フランシスコ王には二人の王子がいらっしゃるじゃないですか。俺はただのベルセリウス。ノーデンリヒトのベルセリウスですから」
「何言ってんの、魔人族ってだけでダークエルフとオーガの混血よ。ダークエルフもオーガもとっくに居なくなったからエルフ族と混血なんてザラだしさ。今さら人族が混じったところでどうってことないって。しかもノーデンリヒトのベルセリウスって言うと現ノーデンリヒトの国家元首なんだよ? そしてあなたはその孫にあたる。放っておいても王になるんじゃないの?」
「トリトン爺ちゃんはそんな地位になんか興味ないってさ。シェダール王国に独立を認めさせたらノーデンリヒトをフランシスコ王に譲って俺たちとのんびり暮らしたいって言ってたし。だいいちそんな話は俺より父さんが聞くべきだろ? 俺は放蕩息子ってのに憧れてるんだ。王なんて興味ねえわ」
「憧れるのは勝手だけど、放蕩息子はあなたのお父さん、アリエルよ。ロザリィもいったいどこをうろついてんだか。サオは生きてる確証があるって言ってたけどさ。……でも、なんか不思議よね。ここに四柱の精霊が集まって防衛戦してるんでしょう? そんなことハリメデの耳にでも入ったらドーラのエルフは全員ここで討ち死にしてでも戦うわよ?」
「うわー、それはダメだ。誰にも言わないでほしいな」
なぜマローニで四柱の精霊が集まって、そして戦っているのかということにも理由がある。
アプサラスはベリンダが不思議に思ったことに、その理由を聞かれた気がした。
「ワタシとイグニスはゾフィーに頼まれたのよ。サナトスをお願いって」
「ゾフィー? 女神さまが降臨されたのですか?」
思わず声を上げたヘレーネ。サナトスとベリンダの会話を聞きながら、にこやかに微笑んでいたヘレーネはまさか精霊さまからゾフィーの名が聞かれるとは思っておらず驚いた。
ヘレーネは熱心にゾフィーを信仰している。
ドーラでは戦神としてより女神としての名の方が有名だが、ゾフィーが顕現したとなるとヘレーネも黙ってはいられない。サナトスがゾフィーの加護を受けているとなると、ますます次期魔王の素質十分となるばかりだ。
「ゾフィーはテックのアルジ、アリエルの一番最初の奥さんなのね。むかしむかしから。だからサナトスはゾフィーの子。私たちの弟なんだから皆で守るのはアタリマエだわ」
「ちょっと母さん、どういうこと? アリエルが?」
「精霊さまの言われたままの意味なのでしょう」
そう言うとヘレーネはアプサラスとアスラにぺこりとお辞儀をして感謝の意を伝えた。
現存する四精霊はみな女神ゾフィーを母と慕っている。その精霊がゾフィーのことで嘘をいう理由がない。アリエルもロザリンドも行方知れずだけど、それを知ってか女神ゾフィーが四精霊を遣わせてサナトスの守護に向かわせたのだとしたら、精霊たちの話も真実味がある。
「戦況は悪いって聞いてたからノーデンリヒトに撤退する護衛にでもと思って来たのだけれど、ね、ベリンダ、私の孫は女神ゾフィーの寵愛と加護を受けている。きっと大丈夫ね」
「大丈夫どころじゃないでしょ。今の話が本当なら私たち女神ゾフィーと親類ってことじゃん」
「一説では女神ルビスも女神ゾフィーとは姉妹だったと伝えられてるわ。もしそうだとしたら、どっちにしろ遠い血縁かもしれないわね」
そういうと二人はサナトスの顔を見るという目的は達したようで階段を下りて屋敷の方に戻って行った。せっかくサナトスとレダがいいトコだったのに邪魔しちゃ悪いなんて言いながら。
ベルセリウス別邸は増築に次ぐ増築で庭が万博のパビリオンみたいになってて、みてくれがえらいことになりつつあるのだけれど、加えてダフニスまで転がり込んでくるとベアーグサイズの部屋まで必要になってくる。正直、幌馬車が丸ごと入るサイズの扉じゃないとダフニスは扉を壊してしまう。そんなでかい扉が付いた建物なんてマローニじゃ規格外すぎて建築家が居ない。ダフニス立会いのもと現物合わせで作らせるしかないっぽい。
「んー、このままだと庭で剣の鍛錬ができなくなるかもなぁ」
「ねえサナ……えっと、あなたも、あなたのお婆さんたちもそうだけどさ、……私には防護壁の外にいる、あの以前にも増して増員された敵軍の包囲が気になって仕方ないんだけど? 明日にもまた戦闘ありそうなのに、あれが気にならないの?」
「そうかもしれないな。でもさ、南東の方向は見ちゃダメだ。西を見てみろよ。夕焼け空はそれだけで美しいだろ。その下に敵がいて、明日にもまた戦いが始まるのだとしても、それとこれとは別だよ。俺はこの景色が美しいと思う。それが本質ってもんだろ?」
「そういわれてみれば、そうかもしれないわね」
「だろ? だからさ、レダ、お前はもう二度と自分を醜いなんて言っちゃダメだ」
「……え? そこまで話もどっちゃうわけ?」
「綺麗だって言ってんだ」
「あ、ありがと。えっと、動きの話? だったよね?」
「ちげーよバカ鈍いな。お前がだよレダ、嫁の貰い手がないってんなら俺がもらってやっから、二度と醜いなんて言うな。マジで怒るぞ」
「言った! サナったら言ってしまったわ!」
「聞いた。うん、聞いたよ。さあレダどうすんのさ? 求婚されちゃったわさ?」
アプサラスとアスラが近所のおばちゃんモードになってちょっとだけ赤面した頬を押さえて、なぜか自分たちが照れ照れになってしまってお互いの主の顔が見れなくなっている。なにやってんだか。
そんな中でもレダはさっきまでよりも真剣な眼差しでサナトスを問い質すように言った。
「……ねえサナ、あなた、この戦いで死ぬかもしれないって思ってる?」
レダは突然そんな愛の告白めいたことを言われても素直には喜ばなかった。
サナトスは初めて命のやり取りをして、自分の剣で倒れて逝った敵の兵士たちの顔が脳裏から離れないのだろう。そして、いつか自分が同じように斬られたり、矢を受けたりして倒されてしまうことを想像してしまう。ある時は敵の連携で、ある時は眼前の敵を倒したとき背後からの一撃で、またある時は首を薙ぎ飛ばされて……。自分の死に様ですら無数にシミュレーションして、何度も何度も繰り返される悪夢のように、脳裏から離れなくなる。
戦場を縦横無尽に駆け抜けたレダですら命を落とすことが頭から離れないのだから、敵兵の焼けた鉄のような殺意に追い詰められたサナトスが死を意識しないわけがない。
レダに促され、サナトスが漏らしたのは、後悔のことばだった。
「……俺は、……なんでもっと真面目に剣や魔法の鍛錬をしてこなかったのか今になって後悔するような愚か者だ。今からでも頑張って鍛錬すれば何年か後にはレダより強くなれるかもしれないのにな」
「そう、でもあなたは絶対に死なせない。私が守る。約束よ。いま親戚の人がいってたでしょ? あなたは王族なの。この戦いを生き延びれば綺麗な女性が行列を作ってあなたの嫁にしてくださいって来るわよ。状況に流されたらダメなんだからね。まずはこの戦いを生き延びることだけ考えよう」
間接的にまだ自分を卑下する癖の抜けないレダにちょっと不満げな表情を見せたサナトス。
「ちげーって、レダ、お前が状況に流されろよ。かわいくねえな」
「へえ、あのサナちゃんがそんなこと言うのね。よし、あなたがもし私より強くなったら流されるかもしれないわね。でも今はこの数の敵をどうやって撃退するかだけを考えて。この戦いを勝って、二人とも生きていたら……そうね、立合ってもいいよ」
「じゃあ約束だ。俺は生きるからお前も生き残れよ」




