08-13 接近する心
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アプサラスの紹介と食事を終えたサナトスは、睡眠不足の目をこすりながら昨夜サオから渡された剣を持って庭に出た。今さらこんなことをしても遅いのだろうけど、サナトスは今日から毎日、剣を振ることにした。やらないよりやるほうがマシ。振らないより振るほうがマシ。慣れていない剣を持って戦場に出るよりも、ちょっとでも癖を知っていて自分に合う剣を持って出たほうがマシに決まってる。
昨日、斬りかかってきた敵兵の剣筋、防御の型を思い浮かべながら剣を構え、そして振り下ろす。
「あれっ? ……」
最初に感じた違和感。
重い。
この剣は思ったように振れない。バランスが悪い。持った時はバランスいいと感じたのに、いざ振ってみると満足のいく振りにはならない。
力を込めれば込めるほど剣筋は乱れ、速く振ろうとすればするほど遅くなっていく。
まるでサナトスを拒絶するかのように、剣は振られるのを嫌がる。
四苦八苦していると来客があったようでクレシダが小走りで出てゆくと門から衛兵長さんと、カロッゾさんたち数人がどやどやと入ってきた。なんでもサオやディオネと作戦会議があるらしい。
「ボウズ、酷い振りだな。その剣は?」
「カロッゾさんちーっす。いや、母さんと父さんが残してくれたらしいんスけど、どうも俺に合ってないみたいなんだ。」
「見た感じだと、お前の振りがなってないんだがな」
「なってないことぐらい言われなくても分かってるけどさ、持った感じよりも振りが重くて、なんか剣に嫌がられてる気がするんだけどこれ」
「いいか、剣ってのは腕力だけで振っても意味がねえんだ。鎧を着た敵を両断しなくちゃなんねえ。全身を使って振れ。縮地はすごい技術だがな、お前の剣筋はド素人だ。剣を速く振ることなんて考えなくていい。力を抜いて無駄なく振った結果速くなるんだ。刃物を持ったことはないのか? 包丁はどうすれば切れる? 力任せに叩きつけるのか?」
「よくわかんないッス」
「包丁はそっと添えて引くことで切れる刃物だ。外を囲まれてる非常時に言う事じゃないがな、お前の母親な、それはそれは美しかったんだぜ? いや、誤解すんなよ、動きがだ。一切の無駄がなくて、流れるように俺の腕を奪っていきやがった。構えるときは、えーっと、こうやってな、剣を持った腕を広げて、こう、身体をほぐすようにしながら、顔の前に剣を止めて何かをつぶやく。そしてここからゆっくりと上段に構えるんだ。これはお前の親父も同じだ。同じ流派だったんだろうな。お前の母親はイイ女だった、剣を持ったら惚れ惚れするぐらいにな」
「なんだよそれ、カッケーな。おまじないか何かかな?」
「俺たちの世界じゃルーティーンって言われてる。ボウズにゃ分からんだろうが、俺は野球ってスポーツやってたからよ、打席に入るとき、バットでホームベースって五角形の白い板のスミっこをバットでトントンって叩いてから左の袖を引き上げて3回バットを敵の方に向けて回してから構えるんだ。これは決まり事だな」
「やきう? 分かんねえけど、クセみたいなもんだってことは分かったよ」
「ま、ボウズならそう簡単には死なないだろうが、油断だけはするなよ。どんなに力を持ってても油断するような奴は雑魚だと思ってたやつにアッサリ殺されちまうからな。頑張れ、剣の振り方を見てほしければいつでもこい。ボウズ、お前なら勇者になれる」
「なりたくねえって!」
カロッゾさんは衛兵長に呼ばれて屋敷に入っていった。ルーティーンってやつのことをもう少し聞きたかったのだけど残念だ。これから難しい話が始まるのだろう。
サナトスがまた剣を振ろうと思って構えたところで後ろから声がした。
「ふうん、ちょっとお姉さんに見せてみなさい」
レダだ。アプサラスが何も言いませんようになんて考えていると、レダの方もきっとアスラを抑えているのか、お互いにモジモジしてて、なんだか気まずい雰囲気になってしまった。
このままへたくそな素振りを見られたくないのに、見せろという。
サナトスはまず剣を八双の構えに持つと、振りかぶって斜めの袈裟斬りに振って見せた。
ぶん!と風を切る。
「……うーん、なるほど。剣は誰にも習わなかったのね」
思った通り、レダはいまいち渋い顔をして見せた。この剣じゃなければそこそこ振れるし、もっともっと、自分の思った通りの振りが出来るのに、この剣が思ったように動かないのがわるい。
「母さんの兄さんが剣使えるんだけど、政治? が忙しくて俺の剣を見てくれる時間なくてさ、今まで何度か立合ってくれただけ。ダフニスのオッサンは鈍器でぶん殴る専門だし、サオはレダと同門なんだろ? いまのカロッゾさんは昔父さんや母さんたちと殺し合ったアルカディア人なんだってさ」
「うーん、私とサオは、ドーラ式とエルダー式の違いはあるけど同門ちゃ同門かな。ドーラ式は拳法に投げを加えて大地も武器とするけど、私のエルダー式は剣もある程度修めるのよ。まあ人族を相手に自分の身を守ろうって流派だからね、自分も剣を使えて初めて剣の利点も弱点も分かるってもんだし。ちょっと貸してみ」
「レダちびっこいからなあ。大剣は振れないだろ」
「なにっ、チビっていうな! お姉さんに向かって。てか長っ! 重っ! …………でもこれ……見た目よりも重心が手前にある」
レダは自分の身長の1.5倍ぐらいあるんじゃないかっていう長剣を片手で軽々受け取ると一通り剣の重心を確かめながらクルクル回しながら、体をひねって関節を温め準備運動のような動作をしたあと、真剣な眼差しをサナトスに向けて構えた。
静から動……。
---- フッ!
レダが流麗に舞う。速くそして、美しい。
剣に逆らわず、ちょっと軌道を変えてやる程度。剣を振るというより、剣の重心を操作してるようにも見える。カロッゾさんが言う、惚れ惚れするというのはこういうことなのだろうか。
「剣を振るのに力任せじゃダメ。いい剣ほど力なんていらないの。この剣はいい剣よ、間違いなく、私がこれまで触ったことのある剣の中じゃきっとダントツにいい。どう? 分かった? 私にはこれが限界かな。身体に合ってないからこれ以上は剣に振り回されるわ」
「分かんねえし、でも……綺麗だな」
『え? 何を言ってんのコイツ?』みたいな目でサナトスを見るレダ。
「いや、ちげ、ちげーって、誤解すんなよ、動きだよ。動き」
すぐさま誤魔化して見せるサナトス。
「そ、そうでしょ。そうよね。でも綺麗って言われたのは生まれて初めてよ。ありがとね」
え? レダ赤くなってんじゃん。なにそれ? なんだよそれ? もしかして脈あんの?
『え――っ、何よアナタ、こんな子が好みだったわけ? ぜんぜんちっこくて、アナタの半分ぐらいにしか見えないわよ』
『うるせえ、誰にもいうなよ……だいたいアプのほうが小せえしな』
心の中でアプと言い合ってる間にレダはてくてくに用があるとかでそそくさと屋敷に入って行った。
ふう、こうやって脳に直接話しかけられると隠し事もできないな。
『ワタシはアナタ。アナタはワタシよ』
『ん。そうだったな』
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一方、ツカツカと早歩きで屋敷に入ったレダのほうもアスラに突っ込まれていた。
『レダ、ドキドキしちゃってるね。鼓動が早いよ? ちょっと微熱でてるし?』
『誰がよ! そんなことないわよ。だってサナちゃんよ? 私オシメ替えてあげたこともあるんだからね。まさか14年でこんなに成長してるなんて思わなかったけどさ』
『あの子すごいね。さすがあの夫婦の子だ。アプサラスの力を借りなくても数年後にはレダより強くなってたと思うけど?』
『どういう意味よ?』
『えーっ? 自分より弱い男には興味ないって言ってたくせに。自分より強くてカッコイイ男子が現れたらどうすんのかな? って思うわよ。しかもあの子、レダに気があるよ』
『ないない! それはないわー。あのね私はね、アスラ、あの子を守りに来たのよ。兄ちゃんが帰ってくるその時まで、私が守ってあげないと。私の家族が受けた恩を少しでも……』
『その言い訳は何度も聞いたよ。はいはい。分かったよレダ』
『キ――ッ!なんかムカつくわその反応』
その場で地団駄を踏みまくるレダと、その地団駄の振動が思いのほか凄くて外にいたサナトスが「なんだなんだ?」と心配して覗きに来る事態になってしまった。
「ああっ、ごめんなさい」
「地団駄? ガキかよ!」
サナトスの一言にカチーンと頭のどこかから金属製の角材を打ち鳴らすような音が聞こえてきた。
『なるほど、あのドキドキは幻想だった。うん、そうに決まってる。いま現実に戻ってきた。……そうだ、この家族を手伝って、王国軍と帝国軍をぶん殴り終わってからこいつもぶん殴ってやろう』
そう心に決めたレダであった。
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一方、サナトスはアプサラスの力を得たことによって、水を凍らせたり湯を沸かしたりすることが以前よりもずっと簡単にできるようになった。その調整もだ。常に快適な温度を維持することも簡単になったから、シャワーやお風呂の湯沸をするのが楽になった。
この世界でもトーチの魔法で火を使える人のほうが多いので水から湯を沸かすことはそれほど驚きじゃない。問題は逆の、水を凍らせるほうだ。これまでは多分に水を含んでいる小さなもの、手で持てるぐらいのものをゆっくりと凍らせるのが限界だったのが、広範囲に、かつ瞬間的に凍らせてしまうことが可能になった。サナトスはこれを当然のようにやってのけるようになり、この戦時に貴重な肉類などを保存するのに大活躍する。
この冷凍魔法に目を付けたのはほかでもないサオとてくてくだった。
翌日、サオの提案でサナトスとレダが冷凍庫の建築をすることになった。
サナトスとアプサラスが最初に名を知られるようになったのは、戦時で敵が目の前に迫っていて狩りに出るのも難しくなり、食べ物を保存するため肉を冷凍する魔法からだった。
人はサナトスのことを冷凍魔人と呼んだ。サナトスが親の七光りで死神と呼ばれた以外に、自分の力で得た初めての二つ名は冷凍魔人だった。
サナトスは土の精霊王レダとコンビでマローニに大きな冷凍庫を作ったことで、さっそくレダと愚痴を言い合っている。
「勘弁してほしいぜ。なんだよ冷凍魔人とか魔人冷蔵庫とか」
「私の作る保管庫とセットで冷蔵庫らしいわ。私なんか魔人冷蔵庫の庫の方って言われてんのよ、サナはまだマシじゃん。文句言わないで」
アスラの力を借りて土木魔法を駆使し、氷室を作る作業に追われているレダが文句をいうなと言いながら愚痴をこぼす。ここ数日、外では死者を弔うのに火葬してるし、更なる籠城の準備として食料の保管庫を作る作業に追われているからレダと一緒に行動することが多くなり、二人の距離もぐっと縮まったような気がする。
休戦中に街の防護壁が更に高く積みあがってしまって完全に街を囲む形になったので、もう夕焼け空が最後まで見られなくなった。
今日のこの夕焼け空は……燃え上がるように赤い。
「レダ、ちょっとつきあえよ」
「え?……」
サナトスはレダの手を引いて、急ぎ、かけていった。
レダはサナトスに手を握られたことで驚いて、そのことで頭がいっぱいになった。




