08-10 マローニ防衛戦(5)
サオはカロッゾさんに呼ばれて、いま話をしに駆けていった。
先に戻ってろと言われたけれど、なんだか自分だけさっさと家に帰る気にもならず、その場で立ち尽くしていたら、別に聞く気はなくともサオたちの話は自然と小耳に挟まってきた。その内容により、カロッゾさんが浮かない顔をしていた理由も、サオに余裕がなかった理由も分かった。
合わせて3500居た守備隊が今回の戦闘で約2500戦死し、残り1000になったという。
生き残りの1000の内訳も、カリストさんたち治癒魔法使いが総動員で重軽症者の傷を治癒させなきゃいけなくて、その数の多さに朝までに終わらないだろうという話だった。
これは後で聞いた話だが、敵軍の司令官は王国騎士団長なので、イオさんたちの元上司。戦死者を弔うのに数日間の停戦することにあっさり合意してくれたらしい。おかげでケガ人の治療は何とかなりそうだ。
戦死した兵士、こちらは2500、ざっくりとした数だと相手は11000ほど死んだらしい。防護壁の前には踏み散らかされたおびただしい数の、さっきまで人だったのに、もう動かなくなった死体がたくさん転がっていた。
あちこちに血溜りができて血泥が飛散してる。
もともと同じ国の兵士、防具や剣も同じ規格のものが使用されているので、首から下げた認識票が無くなっている者はどちらの陣営の者なのか見分けすらつかない。敵だったのか味方だったのかすら分からない遺体が多すぎるのだそうだ。
偵察に出た斥候の報告では敵軍には次々と人員が補充されていて、いまさっきの戦いで戦死したひとたちには、もう代わりの人間と入れ替わってしまうという。サナトスは呆れた。人が死んだのに、人が大勢死んだのに、まだ戦う気なのだ。
次の戦いでは、こちらの人数が半分にも満たない。もっと苦戦するだろう、酷い戦いになるだろう。
救護テントにみんな集まっているので行ってみると、てくてくが目を覚ましたようだ。
心配して顔を出したサナトスを見つけると申し訳なさそうに言った。
「みっともないところを見られてしまったのよ。今のアタシには憑代を生かすので精一杯。この非常時に申し訳ないの……大丈夫なのよ。次こそは頑張るのよ」
いつもクールなてくてくの表情に陰りが見える。まあ、もともと死体らしいのだけど。
こんなてくてくを見るのは初めてだ。倒れて気を失うほどキツイのにまだ頑張れると言う。そんな顔で大丈夫だと言われても……。
「無理すんなよ、俺もフォローぐらいはできるつもりだから」
「結局、巻き込んでしまったのよ……ロザリンドはアタシを責めるかしら。でもマスターはきっと、才能を持って生まれてきた者には責任があるって言うのよ。ねえサオ」
「そうね……。てくてくは休んでて、ここは私たちで何とかするから大丈夫よ。サナ、あとで屋敷に戻ったら話があるから私の部屋に来なさい」
とても神妙な表情でてくてくの話を聞いていたサオが後で部屋に来いと言った。
サナトスは何も怒られるような事はしてないつもりだけど、確かにサオの言いつけを破った。小言を聞く覚悟はできている。
「ん。わかった。屋敷に戻ったら部屋に行くよ。ところでレダは?」
「心配しなくても無傷よ。ただ疲れて眠いって言ってたから仮眠してると思うわ。医療テントよそこの。あの子、強いわね。私なんか話にならないぐらい」
「デタラメな力だった。あれって精霊の力なんだろ?」
「それもあると思うけどね、あの子のあの動きは、私と同じ古式の格闘術。ドーラ式とエルダー式の違いはあるけど、もともと流派の源流は同じだって言われてる。ほんとレダって凄いわね、無駄も隙もない流麗な動作、ちゃんと毎日鍛錬してないとああはいかない。……あの子ね、子どもの頃、村祭りで師匠と踊るのに一度だけスケイトでくるくる回っただけなのよ。信じられないでしょ? 師匠……いえ、あなたのお父さんが言うには本物の天才なんだって。私は凡人だったからね努力と鍛錬を続けるしかなかったんだけどさ、天才が努力と鍛錬を毎日続けたらどうなるんだろうね。まあ、今日の戦闘ではまざまざとそれを見せつけられたところよ」
「ああ、俺もそう思った。あれが天才というやつか」
「サナ、あなたも天才なのよ。レダに負けないぐらいにね。ただ怠けてるからダメなだけ。努力と鍛錬次第じゃあの子を超えることだってできる。それは私が保証するわ。やっといい鍛錬相手ができたじゃないの? 私は防御特化だし、てくてくは負けた理由すら分からないから剣士の手合わせには向いてないしさ。レダだけじゃなくてカルメとテレストが来てくれたんだから、サナもボロボロになるまで鍛錬なさい。そしたらあなたは誰にも負けないぐらい強くなれる」
他人のことをこれほど饒舌に褒めるサオを見たのは初めてだった。
サオの中じゃレダの評価は相当に高い。
「ねえサナ、レダのことどう思う?」
「ん?、んー……? ちょ、何をいきなり。なんでそんなこと聞くんだよ」
「何赤くなってんの? 戦いを見てどう思ったか聞いてんの。レダのこと好きとかそういうことを聞いたわけじゃないわよ」
「いや、ちがっ、違うって……」
質問の意味を取り違えた訳でもなく、サナトスはただ純粋にレダを綺麗だと思った。剣を構えて今にも自分を殺そうとしている敵の前で、女に目を奪われてしまう。そんなことが実際にあるのだから我ながら信じられないのだけれど、それぐらいレダという女が戦うその動作は流麗でかつ美しい。もっとも、やられた兵士たちに見えたかどうかは分からないのだけれど。
だが聞かれたからと言ってストレートに答えづらい質問なのは確かだ。ここはお茶を濁しておくに限る。サナトスは難しい顔を作って顎に手をやり、答えた。
「んー、そうだな。無駄のない動きに精霊の防御が完全に噛み合ってるね」
「何その評論家みたいな寸評。じゃあ剣士として彼女が敵だったらどう戦う?」
「自爆覚悟の[爆裂]を至近距離で狙っていくしかないな。簡単にはいかないだろうけどな」
「はあ……さすが師匠の自己再生を受け継いだ魔人族ね……エルフには真似できないわ。んじゃ後でね」
やれやれ……といった表情でサオは屋敷に帰っていった。
ちょっとレダの寝てるというテントを覗いてみるとそこにはアスラが居て、サナトスの顔を見るや否や威嚇の表情を強めた。いまにも噛みつかんばかりに。
「……レダに手を出したら殺すからね」
「おまえに殺されなくてもレダに殺されるよ」
レダが寝ていて、アスラだけ。こんなチャンスめったにないだろう。
サナトスはずっと聞いてみたいことがあった。
「なあアスラちょっといいか?」
聞いてみたかったこととは父親、アリエル・ベルセリウスのこと。正直なところ、誰に聞いても人によって評価が違い過ぎて、まるで別人のことを話してるように思えたからだ。
サオは師匠のことだからベタ褒め。全てを肯定していて信者のように振舞っている。
だけどディオネは恐怖しか感じなかったし、今でも夢に出てきて魘されることがあるという。
ビアンカ婆ちゃんは可愛い可愛いのダメ親だし、トリトン爺ちゃんは親に心配かけ倒すバカ息子としか言ってなかった。てくてくは従者という立場からか自分の主人が居ないところであまり話したがらない。勇者の奥さんだったエマさんとバーバラさんは母さんの印象が強烈すぎてアリエル・ベルセリウスのことはあまりよくわからないというし……。
カロッゾさんもカルメもテレストも『いつか倒す』ってライバル宣言してたけど、あの豪傑でブイブイ言わせてるダフニスのオッサンに言わせると『あんな面白れえ奴ぁ居ねえ!』と太鼓判だし、魔王のフランシスコ叔父さんは妹を奪った憎たらしいクソ野郎だが、とても家族思いのいい奴だという訳の分からない評価を下している。
アスラはドーラで精霊を三柱も従えていたエルフ族の長老、爆炎のフォーマルハウトの従者として、父アリエル・ベルセリウスと戦ったと聞いた。記憶にすらない父親のイメージを補完するため、アスラの話が聞きたかった。
「ホント、あのフォーマルハウトが何もさせてもらえず一方的に負けたなんてね、信じらんないほど強かったわ」
「もう少し教えてくれないか? 誰も教えてくれないんだ」
「うーん、そーねー、フォーマルハウトの強さって何だと思う?」
「爆炎のフォーマルハウト?っていうぐらいだから炎系?」
「ううん、違う。フォーマルハウトは魔法に対する防御が完璧なんだわ。対魔導障壁の強度が並外れていて、今日レダが見せたぐらいの魔法じゃダメージも与えられないぐらい強固な障壁を持っていたのよさ。アリエル・ベルセリウスの爆破魔法はそれをあっさりと抜けてくるのよ。爆破魔法は魔法のくせに、魔法のダメージと物理ダメージの両方の属性を持っているからね」
「今日のあのレダでダメージを与えられないって……想像できないんだけど?」
「そう、魔法に対しては絶対的な防御を持っていながら魔法戦で何もさせてもらえなかった。アリエル・ベルセリウスの強さは魔法も剣もだけど、それ以上に怖いのは発想の力。まさかあらかじめ準備していた爆破魔法が目の前に空間転移してくるなんて誰も思わないからね。予備動作もなしにいきなりドカンなのよ。そりゃ死にますって」
「空間転移? 転移魔法ってやつか?」
「そうよ。アリエル・ベルセリウスは転移魔法を使う。これは確実なの。ワタシ見たの」
転移魔法は聞いた事がある。セカの教会に魔法陣があって、そこから世界の各地に瞬間移動できるらしいって代物らしい。だがそれを無詠唱で使えた? 初耳だ。アリエル・ベルセリウスのオリジナル魔法って、スケイトとドライヤーとあとストレージだけじゃ……。
「あっ……」
ストレージか! サオはアイテム収納袋みたいなものだって言ってた。
ストレージは転移魔法だったのか。
「しかもゾフィーの夫だって話だし。もしそれが本当なら……わたしたち精霊のお父さんにあたる人になるかもしれないわさ」
「想像つかねえなあ。ゾフィーって名を聞いたのも今日が初めてなんだ」
「ゾフィーは神話に語られる戦神なの。ダークエルフの女神。魔人族は半分がダークエルフの血を受け継いでるからゾフィー信仰が残っていたと思うケド? だとするとあなたの父さんは神。あなたは神の子ってことになるかしら?」
「よしてくれよ、俺が神の子なわけがねえだろ」
「あら残念ね。でもレダはアリエルのことを神サマだと思ってるのよ。本気でね」
神だって……そんなアホな話が……
いやそうじゃない。ビアンカ婆ちゃんもトリトン爺ちゃんも、サオもてくてくも、コーディリアさんも……アリエル・ベルセリウスのことを聞いてるのに、なぜか身内のほうが口が重い理由が少しだけ分かった気がする。
むしろ身内じゃない方がよく話してくれる。それも饒舌にだ。
ポリデウケス先生なんか一晩かけても語り尽くせなさそうな勢いだった。
「アスラー? アナタ、アタシのサナと何コソコソ話してるのよ? 手ぇ出したらブッ飛ばされるわ」
「あらら、死体に憑いた怖――い精霊に怒られちゃったわさ。まあ、そんなところよサナトス」
「サナトス、早く帰って今日はゆっくりするのよ。あと神ってのはマスターが否定したの。この戦いを無事に生き延びたら話してあげるのよ」
サナトスは父アリエル・ベルセリウスの情報収集をしていたところ、てくてくに水を差され、今日は屋敷に戻ることになった。今まで握っていた借りもののトゥーハンドソードは一応、血糊を拭き取って衛兵の詰め所に返しておいた。貸してくれた衛兵のラクルスさんの姿がない。怪我でもしたのだろうか。
サナトスの手には人を斬った手応えがまだ残っていて、振り払っても振り払っても感触として消えない。殺意を向けて剣を振りかぶってきた相手を袈裟斬りにしたときの顔、自分もあんなに酷い顔で剣を振るっていたのか。狂気に満ちた戦場を駆け、血溜まりを踏み散らかした靴で自宅に向かおうとしているけれど、その足取りは重い。疲労もあるが、これほどまでに精神的に疲れたことがなかった。
「なあてくてく、死神も神なんだろ。俺はたまに死神の息子って言われてるよ」
他にもまだある。ダフニスのオッサンは脳筋バカの息子って呼ぶし。
「アタシのサナトスにそんなひどい二つ名をつけるような奴は死刑にしてやるのよ」
「あーあ、クソ親父が神だなんて言うなら、敵にも味方にも英知を授けて、戦争なんてばかばかしいこと、ソッコーで止めさせてくれたらいいのにな」




