08-06 マローニ防衛戦(1)
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サナトスたちがマローニに戻ってくると、衛兵や領兵たちが慌ただしく走り回っていた。
大きく不安感を煽る警鐘が鳴り響き、今しがたサナトスが気軽に出て行った西門も閉じられていて、突撃除けに丸太を削って尖らせたものが門の外に向けて設置されていた。
いま外で襲撃されたことに関係ないわけがない。見つかりにくいよう夜の闇に紛れるでもなく、王国軍の斥候が8人の小隊を組んでマローニのあんなに近くまで来ていたんだ。もしかすると最初から隠密行動なんかするつもりがなく、ただの先遣隊だった可能性もある。
「南東の平原から大きく迂回して敵の軍勢が上がってきたのよ。こっちの斥候は南のノルドセカから上がってくるとばかり思っていたらしくて不意を突かれた格好になるわね。本当、手抜かりもいいとこ。王国軍ね。南東のスミっこに陣を敷いてるところだから、うーん、どうかな。今日なければいいけど、わざわざ不意打ちしてくるぐらいだから、これから準備する時間なんて与えてはくれないでしょうね」
「ちょ、マジっすか。すんません、今日は助けていただいてホントあざーっした。家族が心配なんで、ちょっと急ぎます」
「俺も! 姉ちゃんについててやらないと」
アンセムとヘンドリクスは青ざめて家族の待つ家に帰った。
サオが走り回る衛兵を捕まえて現在の状況など、外の様子を聞いたらしいが、今のところは動きはないとのこと。
また動きがあった時に警鐘を鳴らすという手筈になっている。サナトスとサオはこの、レダっていう怖いエルフ女と一緒に、とりあえずベルセリウス別邸へ帰ることになった。
この時サナトスはまだ、まさかこれから本当に戦争が始まるなんて思ってもいなかった。
サナトスがベルセリウス別邸の居間に戻ると、そこにはビアンカとてくてくと、あとグレイスとカンナという、女ばかりが不安そうにしていて、外から戻ったサナトスの無事を確かめた。
サオがレダと一緒に入ってきた。
レダはまずぺこりと挨拶をしてから、ソファーでうたた寝している てくてくの前を通り過ぎようとして立ち止まると手を上げ、まずはてくてくと挨拶を交わした。どうやら本当に知り合いだったらしい。
「やー、てくてくー、久しぶりっ」
「むむっ? レダに悪霊がとりついてるのよ!」
てくてくはソファーから背中を離すことなく手を上げて答えたが、レダの中に居るアスラには、眠そうな目をしたまま少し挑発的な態度で応えた。
「悪霊はアナタでしょうが。死体に憑いてるくせによく言うわさ」
「ほーう、言うわね。わざわざ遠路はるばるアタシにノされるためにきたのよ?」
「御冗談を。ワタシがあなたをノすの」
レダからポンと黄色っぽい精霊が出たかと思ったらさっそく喧嘩が始まってしまった。
サナトスは てくてくしか知らないけど、どうやら精霊というものはこういうものらしい。
―― ゴツン!
レダのゲンコツが頭にヒットした。すっごい音がした。
「い……痛いよレダ……」
「顔を見た瞬間から喧嘩しないの。お行儀が悪いわ」
「こんちわ、アリエルの母さん。たしかビアンカ! 兄ちゃん出かけてるの?」
「レダちゃん、おっきくなったわねー。アリエルは12年前に帝国からアルカディア目指すって行ったっきり音信不通なの。てくてくが生きてるって言うんだから、どこかで生きてるはずなのよね」
「そう……でも、てくてくがそういうなら間違いないよ。私が死んだらきっとアスラに分かるもんね」
「分かる。どんなに遠く離れてても分かるわさ。テックが生きてるって言うなら絶対に生きてる」
「ほら、アスラもそう言う。絶対に生きてる」
「ありがとうね、レダちゃん、アスラちゃん。アリエルが帰ってきたら思いっきり叱ってあげないとね。私いままでアリエルを叱ったことないから……どう叱っていいか分からないけれど」
「アリエル兄ちゃんを叱るときは私も誘ってね。ところでんー? この子は? アリエル兄ちゃんに似てるけど、兄ちゃんの妹? それともサナちゃんの妹?」
「グレイス、挨拶しなさい」
ペコリと頭だけ下げてモジモジしてるグレイス。
レダの顔の傷が怖いのだろうか。そりゃあこんな大きくて目立つ傷が付いたような女はそうそう居ないのだから。
「あー、このキズ怖いよねー。武闘派ヤクザって言われることあるんだ。でも私は怖くないからね、大丈夫よ」
「いや、キズは気にならないけどな、本当はマジ怖えよ」
サナトスをキッと睨むレダ。サナトスはこれでキズのことなんか気にならないよ? って言ってあげたかっただけなのだが、要らんことを言ったような雰囲気になった。
「その傷もういらないでしょう? せっかくだからカリストさんに頼んで消してもらいなよ」
「んー、もう別にどうでもいいわ。どうせ行き遅れちゃったしね。サオはどうなの?」
「ふーん、だから師匠に会いに来たわけだ」
「ちがっ……違うわよ。私の家族は兄ちゃんに返しきれない恩があるし、私的にはブチ殺して差し上げたいぐらいの恨みがあるからね。ボトランジュがピンチだと聞いたからさ、せっかくその両方を返しに来たってのに、行方不明なんて言われたら半分しか返せないじゃないの」
「ふふふっ、レダったらハイペリオンけしかけられたのまだ覚えてんだ」
「笑い事じゃないわよ、普通9歳のカワイイ女の子にドラゴンけしかける? しかも笑いながら……マナ欠でブッ倒れたのなんて、後にも先にもあの時だけよ。今でも夢にうなされるんだからね。顔面に正拳を叩き込まないと気が済まないわ」
「あのパンチで殴られたらオヤジ死ぬぞ?」
「大丈夫よサナちゃん、私のパンチなんてロザリンドのパンチと比べたら子どものお遊戯ほどに未熟なんだって。あーあ、ロザリンドとも立ち会ってみたかったのになー」
「か……母さんって……」
「サナちゃんの母さんはムチャクチャ強かったからね、私の母さんが勇者と組んで兄ちゃんを殺しに来たらしいんだけど、勇者を素手でボコボコにしたってさ。母さんに言わせると、あれはこの世の者じゃないって」
「すみません、ボコられたの私の父です」
「マジ? えっと……」
「私、エマの娘でカンナっていいます」
「お――――っ、じゃあ、あーばいんさんの娘さんなのね。初めまして、ドロシーの娘、レダです」
父親のことを知らないというカンナに、ドロシーから聞いたアーヴァイン伝説を、まるで英雄の伝説でも読み聞かせるかのように伝えるレダ。あのドロシーが人を褒めるのなんて、後にも先にも勇者アーヴァインのことだけだったらしい。
ここでもやっぱり話題になったのはサナトスの母ロザリンドのパンチだった。
サオもレダも拳士ということでロザリンドの話になるといくらでも話せるらしい。
「どうせ私が帰った後、兄ちゃん、ロザリンドにシバかれたんでしょ? オバケと浮気してたみたいだし」
「あぁっ、そうなんだ、レダは見たんだ!」
「見たよ。白昼堂々とバケて出てきて私も母さんも泣きそうだったわ。ゾフィーに会ったって言ったらアスラ大興奮だし、ねえ、なんなのあの人」
レダはそのままアスラに話を振り、この部屋のみんなの視線がアスラに集まったが「教えてあげない」と冷たくあしらわれた。
「アタシが教えてあげるのよ。えーっとね」
「やめてテック、あなたホントにデリカシーないのよね」
「アタシのマスターは、ゾフィーの夫だった人なのよ。ちょっと自慢だわ」
「ほらムカつく。超ムカつく。レダあなたもゾフィーと結婚しなさいよ。今すぐほら」
「無茶苦茶だわ」
思いもせずアリエルの過去の妻の話になってしまい、聞き捨てならない事を聞いてしまったグレイスは不機嫌爆発。ビアンカを問いただすように声を荒げた。
「母さん、ゾフィーって誰? アリエル兄さんってそんな女ったらしだったの?」
ビアンカが答えに詰まっているので、グレイスはサオとてくてくのほうにキッと睨みつけるような視線を送り、答えを待っているけれど、どっちもアリエルのことが好きなのだから何を言ったところで説得力が生まれる訳もなく、二人ともグレイスの眼力に耐えることができず視線を落とし、何も言ってあげられなかった。
アリエルが女ったらしなのは、アリエルを知る者ならみんな知ってる周知の事実。現にサオもてくてくも誑し込まれた被害者だ。グレイスにしてあげるフォローの言葉が見つからないのだ。
「サナ、行きましょ。こんなデリカシーのない人たちと一緒に居たら脳が腐るわ」
「グレイス、ちょっと……」
グレイスはサナトスの手を引いて部屋を出て行ってしまった。
「あらら……ちょっと失敗しちゃったかな」
「ほっといていいわよ、グレイスはちょっと難しいお年頃なの」
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グレイスの部屋に引っ張り込まれるサナトス……。
カーテンはピンクで縁にレースがあしらわれたデザインでベッドのシーツは白とピンクのストライプ。壁にはそれっぽい美丈夫の絵が飾られている女の子女の子した部屋だ。
「もういいだろ、手ぇ離せよ、恥ずかしい」
「腹立つわ……何よ、カンナの父さんは勇者で善人。私の兄は死神で悪魔で女ったらし、女なら相手がオバケでもお構いなし……レダさんには笑いながらドラゴンをけしかけたって、信じられんない。マジで悪魔じゃん。ロザリンドさんの苦労が目に浮かぶわ……」
「グレイス……あんまり悪く言うなよ、そんなんでも俺のオヤジだし」
「そんなんでも私の兄なのよ! ……でも、サオ笑ってたね。珍しいわ」
「父さんがバカやった話をするときだけ笑顔になるよな。確かに」
「てくてくが言うには『自爆ネタ芸人』らしいからね。あなたも自爆すればサオを笑顔にできるかもよ?」
「いやマジで死ぬから。爆破魔法ってさ、自爆すると平気で意識飛ぶぐらいダメージ受けるから」
「自爆したことあるんだ」
「難しいんだってば。威力の調整とかマジ集中してても難しいし」
自爆ネタの話で二人盛り上がってるところ、外にひとの気配がした。
―― コンコン。
「入っていいかな?」
すこし控えめなノック。そのあと小さな声が聞こえた。
レダの声だ。
「どうぞ」
グレイスの部屋、サナトスがいて、そしてレダが入ると空気が重苦しくなった。
「うわー、かわいい部屋ね。いいなあ。私も街の生活にあこがれるなー。フェアルの村なんて魔導灯もなくてさ、夕方日が沈むともう真っ暗。ロウソクなんて使ってる裕福な家もないんだよ?……んー、サナちゃん、14だっけ?」
「ああ14だけど?」
「グレイスちゃんも聞いてほしいな」
「ちゃんはいらないわ」
「あ、俺もちゃんいらねえから」
「じゃあサナ、グレイス、私のこともレダでいいからね……。アリエル兄ちゃんの話をしようか」
「どうせ女ったらしの悪魔なんでしょう? さっき聞きましたし」
「ふふふっ、そうね。あのひとは確かに女ったらしの悪魔かもしれないわね。……えっと、私、5歳だったかな、ずっと南に住んでたころ姉と二人で奴隷狩りに捕まってね、手枷されて、首に縄かけられて、引きずられてさ、この世の終わりが来たみたいに泣いて泣いて、ものすごく怖かったの。そこにね、偶然だったわ、アリエル兄ちゃんとパシテーが通りかかって、助けてもらったのよ。それだけでも命の恩人なのに、エルダーのエルフの村に話をつけてくれて、父さんや姉さんも一緒に神々の道ね、えっと転移魔法陣を起動して、連れて行ってくれたの。……その時、アリエル兄ちゃんは14歳。サナと同い年ね」
「あ、ああ。父さんは学校やめて旅に出たんだっけか。シャルナクさんは中等部中退なんて許さないから帰ってきたらまた中等部いかせて卒業させるって言ってた」
「34歳のおっさんで、しかも死神に中等部こられても迷惑なんですけど!」
「そうね、死神と呼ばれてるのも知ってるけどね、サナ、グレイス、いい? アリエル兄ちゃんは、たくさんの人を助けてる。ただね、敵が多いのよ。それから何年かしたら奴隷狩りに攫われて行方不明だった私のお母さんを見つけて保護してくれてたしさ」
「あ、それがカンナの?」
「そそ、……あとこれはまだ誰にも言わないでほしいのだけど……、12年前、王国と帝国の国境の町で大規模な戦闘があったらしいの。帝国軍とアルトロンド軍あわせて15万の大軍で……相手はたった3人。それだけの戦力差があったのに生き残ったのはわずか。……うち120人は帝国の精鋭部隊で、10人の勇者も一緒に消えたそうよ」
「消えた? 15万? 想像もできない数字だけど、どういうことだ?」
「国境の町ごと何もかもなくなってしまったって。後に残ったのは巨大な穴だけ。今は湖になってるってさ。村に流れてきた行き倒れの逃亡者から聞いたの。10人の勇者と帝国の精鋭120人って時点でもう国を相手に戦争できる戦力って言われてる。そんな狂ったような奴らと15万の軍勢をぜんぶまとめて相手できるような3人に、あなたたち、心当たりない?」
お互いに顔を見合わせて、コクコクと頷く二人。
「サナ、グレイス、誇っていいよ! アリエル・ベルセリウスは英雄なの」
「3人で15万……」
「驚くのはそこじゃないわ、勇者10人ってトコよ。しかもまだ生きてるってさ。たぶん目的のアルカディアに行って戻ってこれないんだと思う。気長に待ってりゃそのうち帰ってくるでしょ。ただいまーって。そしたら私が遥か彼方にブッ飛ばしてやるんだけどさ」
「ははは、アルカディアまで飛んでいきそうだ」
「なるほど、アルカディアってどっちにあるのかな。私が責任を持ってブッ飛ばすから……」
レダは話を終えると、今の話はくれぐれもまだ内緒にしておくようしっかりと口止めしてから部屋を出て行った。サナトスの耳に入ってくるアリエルたちの話というのは、10歳という年齢ですでに200もの戦士たちを圧倒した話や、16で勇者パーティを全滅させた話、18でノルドセカの5000、サルバトーレの夜戦で32000を壊滅など、とても信じがたい化け物じみたような逸話ばかりだったのに、今日はレダからもっとすごい話を聞いてしまった。自分の父親が凄い凄いと言われるたびに、現実からかけ離れていくように感じた。兄の話として聞いたグレイスもそう思ったのだろう。レダが出て行った扉を見つめながら、ふと漏らした。
「そういえばサオも英雄って言ってたわよね、恐怖の人食いドラゴンを退治して戦争を終わらせたとか」
「なあグレイス……俺は、普通の父さんと、普通の母さんでよかったんだ。ただこの街で平和に暮らすことがなんでできなかったんだろうな。俺には分かんねえ。顔も覚えてないんだぜ。なんだか絵本の中に出てくる英雄のことを語られてるみたいで、ぜんぜん身近には感じないしな」
「あー、そうねサナ。まったく同感だわ。アリエル兄さんなんてひとが本当に実在したのかすら疑わしく思えてるもの」
サナトスとグレイスが部屋に閉じこもり、いまはもうこの世界から居なくなってしまった、まだ見ぬアリエルたちに思いを巡らせていた頃、日も傾こうとしているのに、衛兵も領兵も、今日はもう戦闘はないだろうと高を括って明日の準備などしていたマローニの街に突然鐘の音が鳴り響いた。




