08-01【SVEA】サナトス・ルビス14歳
サブタイトルに【SVEA】と明記されたものは、異世界、スヴェアベルム編であり、同じ時間軸で日本編とリンクしているものです。時系列が同じものはタイトルもなんとなく似せています。
数えきれないほどの蝋燭の明かりが、肌寒く感じるほど広く丸い空間をぼんやりと照らし出す。
壁面を半周する壁画には、粗末な服を着た人民、鋤や鍬を持った農夫、裸を露出させ、はだけたローブに包むよう乳飲み子を抱えた女、飢えた子ども、血を流し傷ついた戦士、剣の折れた騎士たちが人々を導く王に連なり、先頭を往く王は暗雲を割って差し込む光に手を伸ばす。粗末な服を着た人民から傷ついた戦士、王に至るすべての人民は前へ前へと縋るよう、王へと連なる行列をなしている。
王の向かう先には光があった。
人々は光に縋る。真っ赤な髪を翻し、人々を導く女神ジュノーと、一条の脚光の下、両手を広げ全てを受け入れる聖職者の姿があった。
壁画に描かれた色濃い闇の暗雲は、破壊神アシュタロスが引き起こした大破壊の残滓、深淵の呪い。
女神ジュノーが深淵の呪いを浄化し、再びスヴェアベルムの地に降臨なされたとき、神聖典教会の開祖ハメル・フォルニョートが神託を受けたことを表す絵だと伝えられている。
この時、女神ジュノーはおっしゃられたそうだ。
世界に光あれ。
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ここはシェダール王国の東に位置するアルトロンド領のほぼ中心に位置する、領都エールドレイク中心部にある神聖典教会の総本部、神聖ドレイク教会。この壁画に囲まれた神託の間、女神が光を降ろす荘厳な姿の前、教皇ゼミテ・ド・サンテ十四世は跪いていた姿勢をあらため、ゆっくり立ち上がるとまるで壁画の開祖ハメル・フォルニョートのように両手を広げた。
たった今、教皇ゼミテ・ド・サンテ十四世は、女神ジュノーの声を聴き、神託を得たのである。
ほどなくして、突然王都から布告があった。それはアリエルたちが消息を絶ってから10年が経った頃のこと。小難しいことは抜きにして、要約すると次のようなものだった。
一つ、シェダール王国ではエルフ族以外の魔族を認めない。
一つ、エルフ族には奴隷以外の身分を与えない。
一つ、魔族の血が少しでも混ざっていると人にあらず。
一つ、シェダール王国において純血人族以外は、人としての権利を有しない。
その他諸々、魔族を排斥する旨の条文がずらっと並ぶ。その文言の酷さは見る者にとって壮観でもあった。よくもまあこれほど酷い内容を列挙できるものだと感心するほどに。これではまるで国王が戦争を望んでいるかのようだ。
そして布告文の下のほうに、ひっそりとノーデンリヒトにとって看過できないことが書かれてあった。
一つ、ノーデンリヒト領主トリトン・ベルセリウスは爵位を剥奪され領地は没収する。
当布告をもってノーデンリヒト領は現アルトロンド領主、ガルディオ・ガルベス卿に与える。
簡単に言うと、シェダール王国の国王さまは、紛争地で必ずや魔族が責めてくる火薬庫のような紛争地であるノーデンリヒトの地をトリトン・ベルセリウスに押し付けたら、1000年にもわたる魔族との戦争が和解され終戦となり、この土地には次々とエルフたちが戻った。莫大な利益を生む、所有者の居ない野生のエルフが大挙して戻ったのだから、まるごとぜんぶアルトロンドが貰うという意味だ。
シェダール王国はノーデンリヒトをアルトロンドに譲渡するかわり、ボトランジュの経済的な利権を奪うため圧力をかけてきたが、ボトランジュ領主アルビオレックス(中略)ベルセリウスが強く反発し、拒否し続けたためボトランジュ領には、経済がひっくり返るほど莫大な解決金を支払うよう、王国最高裁判所より通告が為された。
ノーデンリヒト領主トリトン・ベルセリウスは、領地の没収に反発。貴族の称号が取り消されたならば独立国にと、周辺諸国に対して高らかに独立を宣言した。ドーラを治める魔王フランシスコがノーデンリヒト独立を支持したことから、ドーラはまたもや戦争に巻き込まれることになってしまった。
アルトロンド領主ガルベスは属領ノーデンリヒトを不法に占拠するトリトン・ベルセリウスを盗賊頭と認定し、軍を中心にトリトン・ベルセリウス討伐を目的とした精鋭部隊を組織したが、ボトランジュ領主アルビオレックス卿はこれに武力を持って応えたことにより、ボトランジュとアルトロンドは再び剣をとって争う事となった。
ボトランジュ領主アルビオレックス卿は、ノーデンリヒトに向かおうとするアルトロンド領軍の通行を拒否。領内に一歩も入れさせないよう獅子奮迅の活躍を見せ、数で勝るアルトロンド兵を長い間退け続けた。
莫大な解決金を課されたことにより王国批判に熱が入りすぎたことと、ノーデンリヒト独立の報を受け、ボトランジュもシェダール王国から独立しようという声が高まりを見せたことで国王の怒りを買い、シェダール王国もボトランジュに向けて戦端を開いた。
ただでも強大な二方面からの侵攻に対応することで手一杯のボトランジュ軍に対し神聖典教会の苦戦を知って、神聖女神教団の神託を得た隣国アシュガルド帝国が『女神ジュノーの神託を得た』と高らかに宣言し、バラライカから船でジェミナル河を下ったアシュガルド帝国の第三軍は瞬く間にセカ港とノルドセカを占領。支配下に置いた。
帝国軍がセカ攻略に参戦すると、前面二方向だけで手一杯だったものを、背面である港の方から艦隊を率いて大挙する帝国軍。ボトランジュは三方向から攻められ領都セカもついに陥落した。これまで領民たちの生活を豊かなものにしてきたジェミナル河がボトランジュの止めを刺したとも言える。
河幅3キロメートルとも言われる大河を帝国に支配されてしまった事で、ノルドセカ港から北側、つまりマローニを擁するボトランジュ北部との交通は分断され、交流すらも失われてしまった。
ボトランジュの敗戦はノーデンリヒト領地没収の布告から2年間もの長い間、戦って疲弊した後のことだった。
現在セカはシェダール王国が仮統治しているため治安は安定している。
ジェミナル河を北に渡った20万の難民のうち、数万はノーデンリヒトに行くよう指示されていた魔族の民であった。
セカ陥落の折、ベルセリウス家長男エメロード、三男エリオット、四男ゲイリーが戦死。アルビオレックスは反逆罪で捕らえられ王都に連行されたが以降の消息については明らかにされていない。
息子プロスペローが帝国と通じているとは夢にも思ってない次男シャルナクは可能な限り難民をマローニに受け入れ、エルフ族など魔族はすぐノーデンリヒトに送って、マローニに防衛線を引くことを決意した。
現在マローニは城塞都市化工事がどんどん進んでいるところである。
情勢はボトランジュだけには留まらず、経済危機を脱した王国南部のダリル領もここぞとばかり西の雄フェイスロンドへ侵攻。こちらも激戦が繰り広げられているが……セカを落とした王都の軍がマローニまで侵攻した後はフェイスロンドに向かうという憶測あり。マローニとノーデンリヒトが陥落し、王都の正規軍がフェイスロンドに向いたら押し切られるというのがおおよその見解だ。
アリエル・ベルセリウスが帝国に向かってから12年もの長きにわたって行方不明で、セカが陥落しても姿を現さないという事実から、アシュガルド帝国が発表した『アリエル・ベルセリウス死亡』の説が現実味を帯び始めたところだ。
アリエル・ベルセリウスと契約し、従者となった精霊てくてくは言う。
「マスターが死んだら契約の糸が切れるからアタシには分かるのよ」
アリエル死亡説が出るたびにそういって皆を安心させようとするのだけれど、どうやら憑依している死体? を生かす? ことに精一杯で、もうここ何年もずっと体調がよろしくない。ほぼ半病人のように部屋に引きこもって身動きもできないでいることが多くなった。
12年の間、ロザリンドに代わってサナトスの母親代わりを務めてきたのはアリエルの弟子サオだ。
「サナトス、父さんと母さんの帰ってくる家を守らないとね」
「こんな大変な時に帰ってこねえオヤジなんか知らねえよ。顔も覚えてないしな」
サナトス・ルビス・ベルセリウス。14歳にして身長180センチ、90キロのそこそこマッチョ。
ロザリンド譲りというよりは、魔人族男性特有の大きく立派な角をもつ魔王フランシスコに似たシルエットを持っている。
中等部では星組筆頭。身体能力はロザリンドなみ、魔法の才能はアリエルなみで、幼少期から無詠唱で魔法を操っているというから相当なものである。更にはロザリンドを凌ぐ防御力と、アリエル以上といわれる自己再生の力も生まれながらにして備わっている。
才能があっても地道な鍛錬を好まないので、木剣を持ってサオに殴りかかっては転がされ、魔法ではてくてくに挑む度に朝までグッスリ寝かされるという体たらくなのだが、たまにノーデンリヒトまでスケイトで滑って行っては滞在中だった叔父の魔王フランシスコやノーデンリヒト人になったダフニスのオッサンと手合わせをしながら腕を磨いて『もしかして俺強いんじゃね?』と錯覚する程度の腕前は持っている。
そこまでの素質はあってもサオとてくてくには勝てたためしがない。
いまも鍛錬中のサオを横から奇襲して転がされたところだ。
「いててて……俺の母さんは本当にサオより強かったのか? 信じられんねえ……」
頬で地面の冷たさを味わいながら軽口を叩くサナトス。まだまだサオの鉄壁の守りを崩すことなどできない。
「そうね、次ここを狙ってくるってことが分かってても防げなかったな。力とかスピードもそうだけど、ロザリィの強さは理論的にも完成した技術。恵まれている体格や力やスピードに頼らず、自分の力を生かし切る技術よ。あなたは毎日剣を振ることね。ゆっくりでいいから、剣を振る意味も考えながら、毎日剣を振るの」
「毎日なんかやってられねえって」
―― カラーン。
サオにブッ転がされていたところに門チャイムが鳴り、門が開いたのを察して飛び起きるサナトス。帰ってきたのはグレイスとカンナだ。転がってるところなんか見られたら明日は学校にいけないほど恥ずかしい噂でもちきりになってしまう。
「サナー、外に星組の人たちきてるよー」
「グレイス、俺をサナと呼ぶんじゃねえ」
「なんでよ。サナって可愛いよねーカンナ」
「うん。可愛い。可愛すぎるよぉ~サナ」
このビアンカにもサナトスにもどこか似た面影を持つ少女は、サナトスより二つ年下のグレイス。トリトンとビアンカの娘なので、アリエルの妹にあたり、サナトスからすると叔母にあたる。
グレイスの隣、青銀とも緑銀ともつかない髪色に青い瞳というごくごくありふれたクォーターエルフの少女は勇者アーヴァインの娘カンナ。ここにアドラステアとベルゲルミルの娘セリーヌが加われば幼馴染シスターズが揃ってしまい、その姦さはマローニ中等部始まって以来最強と噂されるサナトスですら怖れるほど。
実はこのカンナもサナトスと幼馴染で育ったのと、アルカディア人(勇者)の娘という事もあってか、サオやディオネ、サナトスたちが無詠唱で魔法を使っているのを見ていたというたったそれだけの理由で無詠唱魔法の使い手。さらに剣ではサナトスと同等か、それ以上のキレを見せるが、当の本人は強さなんてどうだっていいのだとか。
運よくヤンチャ坊主のサナトスが傍にいてくれたことからカンナの実力を知る同級生はほとんどいないので、普通の学園生活を送ることができている。
手合わせして一本取られたサナトスが「強いなおい!」なんて言っちゃったもんだから「12歳の可愛い盛りの女の子に強いとか、それ誉めてないよね?」なんて、ものすごい殺気を発しながら詰め寄られたのは記憶に新しい。平穏無事に暮らしてくれというアーヴァインの強い意向をそのまま汲み取ったような安穏とした暮らしを続ける花の12歳が、悪態をつきながら[スケイト]でビュンと外に出て行ってしまったサナトスを目で追いながら愚痴をこぼした。
「今日さー、月組の女子に囲まれてサナのこといっぱい聞かれたわ」
「花組に居てもそうなの? 私も……そんなことしょっちゅうよ。面倒くさいったらありゃしないわ。モテる男とひとつ屋根の下で一緒に暮らす女は不憫よね……あのバカむちゃくちゃ強いから男子は卒業生でも私に敬語使ってきたりするしさ。もう最悪」
「あー、ダメダメ『グレイスに告白するならまず俺を倒してからにしろ』なんて恥ずかしい事マジで言っちゃってるから望み薄よ? ほんとお気の毒さま」
「マジで? 最悪だわ。あのアホ、実技大会で盛大に負けたらいいのに。でもカンナも同じよきっと。あのアホは私ら二人のお兄ちゃん気分なんだから」
「グレイスからすると甥っ子なのにね~」
「オバサン扱いしないでくれるかな。私、一般人なんだからね。死神の息子でもなければ勇者の娘でもない、ただの女の子。いつか白馬に乗った王子様が私を抱き上げて、アホの居ない普通の国に連れて行ってくれるの」
「人族って夢見れて羨ましいわ。エルフは奴隷馬車で売られて行くオチがつくもの」
「カンナみたいなクォーターでも売られるの?」
「私は髪色にも耳にも特徴がハッキリ出てるからごまかしはきかないよね。シャルナクさんからノーデンリヒトに逃げるよう言われたし、どうなるのかな。ノーデンリヒトって山と畑しかないド田舎なんでしょ?……なんか滅入るわー」
「暗い話になるからもうやめよっか。はあ。アホのせいで恋もできないし、外では戦争やっててお爺ちゃんは反逆罪で捕まるし、ホント私って不憫だわ」
グレイスとカンナが満喫していたゆるーい会話を打ち壊すかのように突然の警鐘がマローニの街に鳴り響いた。
―― ゴンゴーン!ゴンゴーン!
何やら通りほうが騒がしい。衛兵たちが口々に大声で何か叫んでる。
ベルセリウス別邸の庭では、鐘の音を聞きつけてサオとディオネが屋敷から飛び出して、何事があったのかと通りに出ようとしているグレイスとカンナを止めた。
「グレイス、カンナ、家に入ってなさい。サナトスは? サナトスはどこ行ったの?」
ディオネは何が起こったのかを知っているのだろう、落ち着いた様子で表情も変えず、行き交う衛兵たちにテキパキと指示を出している。これほどまでに異様な街の雰囲気から、衛兵たちの余裕のなさが伝わる。不安を煽る警鐘の鳴り響く中、いつもの優しそうな眼差しなどどこへやら、厳しい表情を崩さないサオの姿もグレイスたちを不安にさせる。
「たぶん、西の通用門から出て外に行ったんだと思う。クラスの友達といっしょ。いつもならアプルの木がある丘のあたり」
「鐘の音が聞こえるトコに居てよ……。ディオネ、てくてくを叩き起こして。私はサナトスを連れ戻しに行ってくる!」
今も物見櫓の上から打ち鳴らされる警鐘の音はマローニの街中、あちらこちらで鳴り響いてる。その音はただ大きくて耳を塞ぎたくなるだけではなく、誰の胸にも戦争という不安が影を落とした。特に、ここマローニではその未来に暗いものを感じさせる。そんな不快な音だった。
「ねえディオネ? 何があったの?」
「シェダール王国軍とアルトロンド軍の侵攻よ。二人ともはやく屋敷に入ってなさい」




