第七章【後日談】拝啓、日本より
白い……。光の空間?
眉根を寄せて眩しいことに目が慣れると白いとしか言いようのない空間に居た。
ここに地平線があるのか、地面すらなさそうに見えるけど、いや、実際にこの白いばかりの風景を目で見てるのかどうかもわからない。立ってる感覚がないので浮かんでるのだろう。浮遊感はわかる。
瞬きもしてないから瞼ががないのだろうな。とうとう人の姿を失ってしまったのかもしれない。
魂? 霊体? そんなもんじゃない。自分という個人ではなく、それを概念にしたような存在かな。よくわからない。
この真っ白な世界は見覚えがある。
……そういえば、トラックにひかれて死んだ夜にも来たっけ。
「愛しい人、今度はどういう風に生きたの? また短い間だけど、私にお話を聞かせてくださいますか? あなたの時間は何度でも巻き戻ります。世界が巻き戻るまでの僅かな時間、悠久の時から見ればほんの瞬きほどの僅かな時間だけ、私と一緒に……」
声が聞こえる。耳じゃなくて心に直接響くような優しい声だ。安らぎを連れてきてくれたような声が自分という存在のすべてを包み込む。この声にすら温かい温度を感じる、ずっと包まれていたいと思う。
この感触には覚えがある。ずっと、ずっと求めていたぬくもりだ。
なくしてしまった、悠久の過去に置き忘れてきた、愛の塊のような熱源そのもの。
「会いたかったよキュベレー。……おまえ、こんなとこにずっといるのか? 寂しくはないのか? もう俺のもとに戻ってきてはくれないのか?」
「私のことを覚えててくれたの? 忘れてないの? だって、いままで……もう私のことなんて忘れてしまったのだと思ってた……」
「ごめん、いろいろあって記憶がなかった。……キュベレー……俺はダメな男だな。また愛するひとを殺されてしまったよ。また目の前で大切な人を死なせてしまった。なぜ俺は何度も何度も奪われ続けるのかな」
「悲しまないでベルフェゴール。あなたは何も悪くないの。あなたを愛して死んでいった女はだれもあなたを責めたりしないわ。ベルフェゴール、あなたは何も悪くないの。つらいことはもう思い出さないで。私たちがかつて幸せだった頃の話をしましょうか……」
「なあキュベレー、なんでアルカディアに転生してくれないんだ? 俺を寂しがらせるなんてひどいじゃないか」
「小さく閉じた輪廻の輪と私は相容れません、歪な設計をされた世界でわたしは存在することができないのです……」
「じゃあこの世界を都合よく作り変えたらどうだろうか? ザナドゥのようになればいい。キュベレーならできるだろう?」
「小さく閉じた輪廻の輪は、あなたの命が尽きると起動する仕組みになっています。一見、未来永劫続くように見えたこのシステムも世界を巻き戻すときに複製する情報に綻びがありました。大きな欠陥があったのです。薄氷の上に建てられた楼閣のような世界、触れば崩れてしまいそう。わたしが干渉できるようなものではないのですよベルフェゴール……」
「そっか、俺には難しすぎてよく分からないな。でも久しぶりに会ったんだ。新しい妻の話をしたい」
「ええ、聞かせてくださいな、あなたの愛した女性の話を……」
眩しい真っ白な空間としか言いようのない存在と懐かしい昔話をしながら次の人生を待つ。
時間の感覚はないけれど、そのほのかな温もりを放つ光と共に過ごす時間は短く感じられ、やがて光は薄れていき、真っ暗な闇に落とされた。
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日本で産声を上げる嵯峨野深月。
そう、また時間が巻き戻り、小さく閉じた輪廻の輪の中に戻された。
キュベレーが言うには欠陥があって、いつ崩れてもおかしくないそうだが、
封印の牢獄は、嵯峨野深月を誕生させるためだけに、何度も何度も世界を複製して時間を巻き戻す。
ここは永遠の牢獄アルカディア。
嵯峨野深月が転生したその日、時を同じくして常盤美月が二軒隣の幼馴染となるべく、市内の産婦人科で産声を上げた。
前々世と変わった点は、深月と美月の誕生日が同じだというくらいか。
常盤のおじさんが新居に引っ越してきた日、二人は再会を果たした。
幼児のくせにギューッと抱き合って再会を喜び合う二人に両親は驚きを隠せなかったが、深月と美月の幼馴染人生はまた再スタートを切ることになった。
実は小学校入学の時、新たにクラスメイトになった子がいる。
嵐山アルベルティーナ。日本人と北欧人のクォーターらしい。
小学校入学式のあとクラス分けされたとき「兄さま! 姉さま!」と向こうからきてくれたので探す手間が省けた。こちらでもブルネットの柔らかな髪が美しい。
「んー、俺の見事な作戦が功を奏し、みんな無事に日本に来られたわけだが……」
「そうね、ホントまさかこんな形で日本に帰ってくるなんて思ってなかったけどね」
「姉さま私もなの。気がついたら日本だったの。私お嫁さんに行けなかったの」
「ごめんな、無事じゃなかったよね。ほんとごめんな」
渾身の自虐ネタでボケたってのに、スルーされた上、皮肉で返されたから謝ることしかできなかった。
「兄さま、私、お嫁に行けなくて成仏できなかったの。……かわいそうなの」
「わかった。パシテー、取引しようか」
「いちご大福で手を打つの」
抱いたまま背面滑走していてバックドロップ転けしたとき以来パシテーにはネタを提供してなかったのだけれど、今回は生まれた瞬間から言葉責めのネタを提供してしまったようだ。
嵯峨野深月は事あるごとに『嫁に貰う前に死なせてしまったこと』をグチグチ言われ、そのたびにいちご大福を貢ぐこととなった。嫁に行けず死んでしまったことがよっぽど悔しかったらしい。
「さてと、ジュノーを回収したらスヴェアベルムに帰ろうか。サナトスが心配だ」
「その前に何か言うことがあるの」
「ごめんなさい。もう二度と死なせたりしないから。あと、必ず仇とるから」
「違うの……」
「あ、それちょっとまった。私のほうが先よ」
「何が?」
「私にどうしてほしいの? 一度死んでしまったけど、まだ私はあなたの妻でいいの?」
「愛想尽かさないでくれよ。おれ寂しいと爆発するよ?」
「じゃあ求婚してよ。今すぐ」
「うん、婚約解消なんてひどいの」
「え? ええええ? 俺たちまだ5歳なんだけど?」
「中身おっさんのくせに若いフリしてんじゃないわよ! はやく求婚しなさい」
「そうなの。私にもするの」
「おっさん言うな!」




