07-23 決戦!バラライカ(1)総力戦!!
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風が頬に冷たくなって、そろそろ厳しい冬の気配が覗き始めた頃、アリエルたちは日本に向かった。
当てのない旅ではない、その行く先だけを定めて、道中のことをサッパリ考えてないのはいつものことだが、今回は少し事情が違う。
来年には帝国の勇者召喚がある、ならば今年のうちに帝国入りしておいて、どこかに拠点を作っていろいろと情報収集をしておきたい。今回の旅はいつもの行き当たりばったりではいけない。ダリルのように市街戦にでもなってしまったら教会には近付くことも出来なくなるだろう。隠密に、誰にも知られないよう、こっそりと帝国に入って、まるで帝国人のように素知らぬ顔をして暮らすふりをする。
パシテーはエルフだってバレやすいし、ロザリンドに至っては2メートルの長身に角まで生えてる。バレんな! なんて言うほうが野暮ってもんだけど、道中では3人ともフードをかぶって誤魔化し、帝国に入ったらたぶん、エルフがうろついてても平気だろう。タイセーやディオネの話では、たくさんいるって聞いた。可能な限り戦闘を避けながら、帝国入りできればこっちのもんだ。
日本へ行く気満々での旅立ち。
今回の旅はちょっと長くなりそうなので、ロザリンドはしばらくサナトスべったりで過ごし、旅立ちの日、てくてくとサオとディオネに、くれぐれもサナトスをお願いしますと言い含めて、3人はマローニを後にした。ビアンカやエマは子どもが生まれたばかり。しばらくベルセリウス別邸は赤ん坊の泣き声で騒がしい事だろう。
そういえばベルゲルミルとアドラステアに娘が生まれたらしいのだが、これが実はこっちだけじゃなくディオネやハティたちにも内緒にされていたらしく祝いもできずに出てきてしまった。
それはそれ。そんな事よりもハティとエララがいい感じすぎてそっちのほうが気になるぐらいだ。あいつら絶対こそこそ隠れて付き合ってる。帰ったら猫耳の子どもが生まれてたりして。
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勝手知ったるいつもの道を行く間、アリエルたちはいつものようにビュンビュン飛ばし、ノルドセカからセカに渡ったところで、市街地から外れ、街道を通らずにジェミナル河沿いの湿地帯を東に向かうと、ほどなくしてアルトロンド領に入った。
アルトロンドに入ってからは、人目につかないよう移動は夜間のみ。遠くからも見られないよう気配に気を配りながら、無理せず短距離でも確実に東へ向かって進み、朝が近くなると周辺に人の気配がしない郊外や森の中にコテージをつくって身を潜めた。まるで忍者だ。
気配の探知はざっと半径3キロ。かなり集中力を必要とするのでその範囲で常時探知は出来ないけど、夜陰に紛れて街道を外れた湿地帯を音もなくスケイトで移動するのなら誰にも見つかることはないだろう。
だが、おかしなことに気配探知にも兵士と思しき集団が進行方向に引っかからない。
兵士と思しき気配は数名ずつ、ただ街道に配置されている程度。恐らくは戦時ではなく、通常時における衛兵の運用法そのままだ。アルトロンドの野郎ども、ボトランジュにケンカを売っておきながらまるでやる気が感じられない……。
どうあれ街道から外れて人の気配のしない草原や湿地帯を進んでいるのだし。
そういえばアルトロンドに入ってからは湿地帯が多く、ジェミナル川本流にそそぐ支流にあたるような小さな小川がたくさんあって、その小川を中心に薄緑色の光が点滅しながら一斉に舞い上がるのを見て、アリエルたちは足を止めた。
ホタルだ。
「わぁ……奇麗なの。こんなにたくさんの蛍が飛ぶのは初めて見たの」
「おお、この世界の蛍はこんな晩秋に舞うのか」
「日本にもリュシオールいるの?」
「いるよ。日本の蛍は春から初夏にかけて舞うんだ」
「じゃあ日本とスヴェアを行き来したら年に二度見られるの」
月明かりと星明りを頼りに、薄暗がりの湿地帯を言葉もなく淡々と隠密で移動するアリエルたちの目の前に、突如として現れた光の饗宴。
パシテーのテンションが少しおかしいなと思うほど上がると、ふわりと舞って光の中に飛び込み、くるくる回りながら光と戯れはじめた。
パシテーの飛翔速度と小川の上を周回する蛍の飛行速度がシンクロすると、そのイルミネーションショーの息をのむような美しさに目を奪われてしまう。
そんなパシテーを見あげるロザリンドの、差し出した手に蛍が止まった。
リュシオールという蛍、ロザリンドの手のひらにとまり翅を休ませたと思ったら、いそいそと人差し指を先っちょの先端まで歩いて行ってはすぐにまた翅を広げて飛翔する。
「んー、忙しい虫だね」
「こいつらは集団見合いやってんだろ。綺麗な女が輝いてるのに休んでる暇なんてないのさ」
空には満天の星が出ているというのに、この蛍たちは空の星々に負けじと渾身の光を発し、螺旋を描きながら少しずつ、ゆっくりと、高く高く上がっていく。
届くわけもない夜空の星に自らの美しさを見せつけながら、まるで挑むかのように。
「私たちはオジャマ虫ってことね」
ロザリンドがうまいこといった。
「ああ、違いない」
湿地帯の小川ごとに見られる蛍たちの饗宴。あちこちで光を燃やして音もなく光を放つ。
一寸の虫にも五分の魂と言う。残り少ない生命を燃やしてパートナーを探すこの虫たちのダンスをなるべく邪魔しないよう、できるだけ避けて、隙間の道を通してもらうことにした。
アリエルたち3人は、虫に対しても遠慮がちにアルトロンドの湿地を東へと向かう。
さて、もうすぐチェックポイントのバラライカだ。
バラライカを過ぎるとアシュガルド帝国へと入ることになる。
アルトロンドでは町に立ち寄らずに素通りしようと思ったが、食料の買い出しと情報収集をしたい。
いくらなんでも無防備すぎる。
「ちょっと気になることがあるんだ。少しだけ国境の町バラライカによってこう」
「私なんて超バレバレだから町に入れないわ」
「超バレバレってほどでもないぞ? これ手配書な」
[ストレージ]にしまっておいた手配書の人相書きを出してロザリンドに手渡す。
ダリル行きしなちょっと立ち寄ったナルゲンの冒険者ギルドに貼ってあったものだ。
「なっ……私? 500ゴールド? え? なによこれ。私? ねえ? これ私なの? モロ鹿じゃん。こんなの人相書きナシのほうが絶対に分かりやすいわよ。身長2メートルの女スカーレットってたぶんこの世界じゃ私しかいないんだし」
「アルトロンドじゃ魔人族って鹿の獣人と思われてるんだろうなあ。ファンタジー風にいうと鹿のミノタウロスみたいなもんじゃね? ロザリンドは一見しただけならスーパーモデルにしか見えないだろうから大丈夫だと思うけどな」
「こちとらこそこそフードかぶって移動してるってのにこんだけガバガバだとやる気なくすわー。……ところで気になることって何?」
「いや、人に会わないだけならいいんだけど、人の気配もほとんどしないんだ」
「街道を避けてきたからじゃないの?」
「街道はアルトロンド領軍が封鎖してる。ってことは、移動したい人は俺たちのように街道を避けて移動するのが普通だと思うんだよね。それが農民、狩人、野盗っぽい集団も探知に引っかからないのはちょっとおかしい。……それに……、あの街も」
アリエルは眼前約3キロに迫る【国境の街バラライカ】の明かりを遠くに見ながらその様子の異様さに足を止めた。
何しろ街の明かりが点いてるというのに、街の中に人の気配はなく、街道沿いのこちら側には120人ほどが陣形を展開しているのだから。
ハッ! として後ろを振り返る。ものすごい数の気配が追ってきてる。
「ちょっと聞いてくれ。前方に120ぐらいがかたまって陣を敷いてて、後ろから数えきれない数の気配が接近してる。たぶんアルトロンド軍だ。俺が気配を探知できる範囲まで知られてるのかもしれない」
気配探知の範囲を知られているとすると、探知の外を移動して……包囲されているかもしれない? ということか。
「まんまとハメられたってこと?」
「ああそうだ。してやられたかも」
「私たちが帝国に入るって情報が漏れてたってことよね?」
「んー、日時どころかだいたいの進行ルートまで知られていたと考えるべきだろうな。……あー、北からも南からも団体さんが大急ぎでここに向かってるけど……。なんだろう? 動きが正確すぎる」
「団体さんの数は?」
「さあ……。おそらく数万が3方面から囲んでる。全部合わせて10万かそれ以上。数えきれないよ」
「総力戦じゃないの……」
「前の120なんて見え透いた罠ね。そこがいちばん危険」
「だけど前の120を抜けばもう帝国は後がないんじゃないか? どうせ勇者だろ」
「残りの勇者が全員集まってるとしたら……厳しいわねえ……」
「はははは、ロザリンドおまえニヤニヤしながらいうセリフじゃないぞそれ」
「状況が厳しくなるとなんだかワクワクしてくるの。だって3万いても何もできずハイペリオンと全裸の魔導師に全滅させられた奴らが何も対策せずに来るわけがないしね」
「そうだな。背後と南側からくる奴らはたぶんアルトロンドの軍勢だ。ハイペリオンの対策をしてないとは思えない。いざって時まで温存でいこう。俺たちは前の120を抜く方向で頑張ってみっか」
「じゃあ一気に接敵して急襲する?」
「この歓迎っぷりだと、滑って行こうとしたらたぶん罠がある。ゆっくり歩いて行こうか」
「追いつかれて囲まれるわよ?」
「もう囲まれてるよ。だけど敵さん、たぶん何もできないよ。一般兵は俺たちを追い立てる牧羊犬みたいなもんさ。手を出してきてからでも十分に殲滅できるけど……。邪魔する奴らは皆殺しの方向でいこうか」
「へえ、素敵な言葉を吐くようになったじゃないの。私の旦那様は」
「口が悪いの」
「ロザリンド、パシテー……俺より先に死んだら、俺寂しくて爆発しちゃうよ?」
「あはは、服だけフッ飛ばして全裸にならないように注意してね。私恥ずかしくて成仏できないわ」
「私は兄さまと一緒に日本に行くの。約束したの」
「ああ、そうだな。ここを抜けたら日本が一歩近づくぞ」
ここはバラライカ。王国と帝国との国境の街。
10万を超える軍勢に囲まれて軽口を叩き合う。
まさかこんなところで待ち伏せを受けるなんて思ってなかった。
このときアリエルたちは舐めていた。アシュガルド帝国の戦力の厚みを。
その卓越した情報力をもとに、巧妙な罠が張られていることに気付きもしなかったのだ。




