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07-22 日本へ


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 ボトランジュの短い夏が終わり、外出するのに防寒着が必要になってきたころ、勇者アーヴァインことタイセーの奥さん(エマさん)のおなかのなかに新たな命が芽生えたらしいことが判明した。妊娠6ヵ月ぐらいなんだそうだ。


 泣きのタイセーはギルド酒場でベルゲルミルをひっ捕まえて泣きながら自慢しているけれど、そのベルゲルミルもとうとう一人の女性を口説き落とし、春には結婚するのだとか。この世界はハゲに優しい。


「うおぉ、めんどくせえ。アーヴァインさん泣き上戸とかマジ勘弁してくれや」


 ちなみにハゲに口説き落とされたのは『あの』アドラステア。

 教え子が結婚するってんで、パシテーが朝からお祝いするとかで魔導学院に飛んで行った。


 今日は久しぶりに……ノーデンリヒトからトリトンが戻ってくる日だ。

「母さん、化粧も髪もバッチリ決まってるのに、なんで剣を研いでるのさ……」

「うーん、会えるのはとても嬉しいけど、それとこれとは別。サオさんのひざ枕のこと忘れてないから。未遂でも浮気です」


「いや、父さんは罰を受けてるよ?ダフニスっていうベアーグ族の戦士の腕枕で寝てて、目が覚めた瞬間にこの世のものとは思えないような悲鳴を上げたんだから」


「それはアリエル、あなたが自分の弟子に手を出されそうになったことに対する罰よね。まだ私は何もしてないもの。思い知らせてやるわ」


「お手柔らかにね。父さん心臓が悪いから」

「心臓が止まったらカリストさんに動かしてもらってから続きをやるわ」


「発想のレベルがロザリンドといっしょでけっこう外道だよ母さん……」

「ふふふっ、あなたは死神と呼ばれトリトンは昔、薔薇の騎士だった。そして私は狂犬なの」


「ロロロ……ロザリンド、どうしよう、父さんが殺されるよ」

「大丈夫よ、あなた本当に女心が分からないのね。呆れるわ」



―― カランコローン


 チャイムの音がした。来客である。

 庭で待機していたビアンカはすっくと立ちあがり、そそくさと出迎えに向かうクレシダを押しのけて剣をもったまま門を開けに向かった。


 トリトンのもとに向かうビアンカ……。くるぶしまでの長いスカートだというのに、どんどん早足になって行き、そのうち走って……。

 自分で門をあけて入ってこようとしてるトリトンと……女性のシルエット?


 猫耳?……エララか!

 ビアンカは瞑目してブツブツとつぶやきながら早足でトリトンのもとへ急ぐ。


 起動式? 詠唱してる……。


「強化魔法だ! 父さん逃げて!」


 アリエルの急告がトリトンの耳に届いた。

 刹那、剣を抜いてのガードがなんとか間に合う。



―― キィン!


「くっはあぁぁ! えええ? なんで? えええええ? ビアンカ? えええええっ!」


 ビアンカの踏み込みの速さはロザリンド仕込み。斬撃の重さはサオとの鍛錬の成果。

 もともと剣の素質があったところに、十何年かぶりではあったけどカンを戻すため、ロザリンドやサオたちと朝の鍛錬をしていたおかげで、このキレを取り戻した。


 強化魔法を唱える時間を与えられなかった割にはギリギリ剣で受けたトリトンだが、その初撃で剣を飛ばされてしまう。


「ひょー。いい踏み込みだ。こりゃガラテア以上だぞ。……ビアンカ、鍛錬していたのか?」

「ヒマだったの。8年も放ったらかしにされたからね。その子は何? 返答次第によっちゃ実家に帰るわよ。あなたを殺してからね」


「帰るなよ。いや、長く放ったらかして悪かった。この女性はエララさんといって、後で来る父親のコレーとふたりでノーデンリヒト領事をやってもらう予定で連れて来たんだよ。それ以外何もないからな。なあエララさん、何もないって言ってくれ。頼む」


「はーいエララ、こっちでもよろしくぅ。トリトンさんもご無沙汰ですっ。お帰りなさいませっ」

 サオがトリトンの荷物をもった。サオはこんな気が利くから受けがいい。


「8年よ8年……私、お婆ちゃんになっちゃったわ」

「すまん。積もる話は後にして、はやく私にも孫を抱かせてくれ」


 しかしサナトスまでの道のりは遠く、アーヴァイン家族が挨拶に現れ、お次はディオネと、まずは挨拶にいとまがないトリトン。ここではディオネも勧誘を受けてノーデンリヒト人になる約束をさせられていた。トリトンが言うにはノーデンリヒトには戦時避難でドーラに逃げていたエルフや獣人たちが続々と戻っていて、人族が少ないらしい。


 オフィーリアさん夜戦ではコーディリアなど実家筋の人とは挨拶も軽めに済ませ、サオとの挨拶はビアンカの視線に怯えながら執り行われた。てくてくはその場にいるわけでもないのにわざわざ挨拶するために出るなどあり得ないのでサナトスの子守りをしている。


 やっとトリトンの前から障害が取り除かれ、サナトスがその腕に抱かれた。


「てかサナトスって、顔はビアンカそっくりだな。こいつは女ったらしになるぞ!」

「それ俺そっくりって意味なんだけど……」


「違います。女ったらしはベルセリウス家の伝統です。顔が好色を遺伝させてるような言い方はやめてください。サナトスは女性に対して真面目な男の中の男に育てますからね。アリエルのようなことにはなりません」

 ひどい言われようだ。……と思ったけど、ゾフィー、ジュノー、ロザリンドにパシテーとのこと、過去に流した浮名のように思われてるきらいがある。あまりよろしくないことだ。


「サナトス、ヤンチャに育てよ。そしてアリエルが心労でぶっ倒れるまで心配させてやれ」

「俺はガキの頃おとなしかったじゃん」


「何言ってんだお前ダリルで大暴れしたろう? セカのジジイから手紙が来て心労で寝込んだって書いてあったぞ。まあ、相手が普通の兵士だったら心配しないが、ジジイはまだ免疫がないからな、あんまり心配かけるな。あの歳だとぶっ倒れたらそのまま死んでしまうからな」


「そういえばあなた、ドーラで倒れたとき、若い女性のひざ枕を要求したらしいじゃないの? サオさんのひざ枕をご所望?」


「ぐっ……アリエル? おま……やっぱチクりやがったんか……ちょ……ビアンカ、まて、室内で剣を抜いちゃダメだろ? なあ。落ち着いて話をしよう。いま言い訳を考えてるところだ」


「ちょっと来なさい。みんなはそのままくつろいでてね。私はトリトンとじっくり話があるから退席するわ」


 トリトンは耳を引っ張られて出て行った。


「父さんマジで大丈夫か?」

「大丈夫よ。あなた本当に見てわからないの? 弟か妹ができるかもしれないわよ?」


 生まれた瞬間にサナトスの叔母おばさんになるんだぞ? 一生叔母さんなんだぞ? 気の毒だろ。



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 で、トリトンがノーデンリヒトからマローニに戻ってきて、はや半年が過ぎた。


 はあーっ。まさか本当にビアンカに子どもができるとは思わなかったんだけど、妊娠してしまったことは確かなのでビアンカのノーデンリヒト行きはまた数年延期となった。


 トリトンは長い冬の間ずっとマローニに滞在していたが、春になるとまたノーデンリヒトに帰って行った。ノーデンリヒトの人口が増えていて、アリエルたちの知るトライトニアはもう過去のものになっているらしい。



 そして秋には玉のような女の子が生まれた。アリエルの妹だ。

 トリトンが『女の子ならグレイス、男の子ならヘイロー』と言ったので、トリトンの希望通り『グレイス』と名付けられた。年の離れた妹というやつは、本当に目の中に入れても痛くないっていうけど、本当に目の中に入れてしまいたくなるほど可愛い。


 サナトスからすると2つ年下の叔母さんが生まれたことになる。

 次また魔王フランシスコと会う事があったなら、妹自慢でこれっぽっちも負ける気がしないほどの無敵感だった。まったく、グレイスが生まれる前にノーデンリヒトに帰らざるを得なかったトリトンが気の毒でならない。


 グレイスが生まれた日から2か月遅れでタイセーの娘が生まれた。エマさんに似て青に近い薄緑の銀髪で、目鼻立ちのハッキリした美人になることが約束されたような子だ。


 エルフ族の妊娠期間は約22か月。ハーフエルフだと18か月前後の妊娠期間を経て出産になるらしい。子どもが生まれるまで生きていられるかどうか不安だったが、なんとかギリギリ間に合いタイセーは自分の手で娘を抱くことができた。


 絶対に泣くと思っていた泣きのタイセーが涙を流さずただ真面目な表情で親になった責任を噛みしめるように、ただじっと子供の顔を見ていたのが印象的だった。


 タイセーは病床に臥せりながらも二晩悩みに悩み、今も日本でタイセーの事を心配し、帰りを待ち侘びてるだろうけど、優しかった思い出しかない母親の名をとって『カンナ』と名付け、それから40日後、皆に看取られてこの世を去った。



 タイセーは生前、病床に臥せりながら、こつこつと紙をく作業を楽しんでいた。

 子供のころ習ったという手漉きの技術だ。木材やその辺に群生している雑草から繊維をとって紙にする。漂白せずそのまま草の色で柔らかく染めあがった。


 タイセーは死ぬ前に手紙をしたため、アリエルに託した。

 もし日本に戻れたら、残してきた家族にと。

 ディオネ、カリストさん、ベルゲルミルから預かった手紙に加えて、タイセーの思いも託された。

 アリエルたちは日本に行って、そして無事に帰ってこなくちゃいけない。それが約束だ。


 幼馴染の死にロザリンドが大泣きしたのは正直驚いたが、あのベルゲルミルですら涙を流していたというのに、どうしてしまったのだろう、アリエルはタイセーの死を目の当たりにしても悲しいとは思わなかった。今まで多くの死を見てきたから感覚がマヒしたのだろうか。


 ただショックで、悲しさよりも寂しさのほうが大きくて、涙も出なかった。


 タイセーの葬儀を済ませ、庭でぼーっとしながら身の入らない鍛錬をしている。

 ああ、そういえばタイセー言ってたっけ。こんな時は無心になるか、気分が変わるまでただ空を見ていてもいいんだった……。


 エマさんとバーバラさんはもうしばらく屋敷で働いて、子どもが少し大きくなって身動きがとれるようになったら身の振り方を考えるそうだ。とはいえ、カンナが初等部に通うようになったら余計に身動きが取れなくなるんじゃないかと思うのだけれど。



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 来年は帝国が勇者召喚だ。ディオネの情報だとだいたいいつも6月ごろに勇者召喚があるらしい。

 勇者召喚以外にもいろいろやっておきたい事があるので、半年前に出発するという、行き当たりばったりを生業とするアリエルにあるまじき準備の周到さを見せて、この晩秋に出立することになった。


 だいたい帝国に向かうならノルドセカからセカに渡って、サルバトーレ高原のほうからアルトロンドを経由し、国境の街バラライカで入国審査を受けるのが普通なんだけど、アルトロンドなんか通ったら戦闘になる未来しか見えないので、あえてジェミナル河沿いの湿地帯から市街地を避けて東へ向かうつもりだ。常に気配を察知しながら行けばたぶんだれにも見つからず帝国入りできるだろう。



「ロザリンド、パシテー、そろそろ行こうか」

「よっしゃあ。準備オッケーだよ」

「こっちもいいの」


「サオ、できるだけ早く帰ってくるから、サナトスのこと頼んだぞ」

「はいっ! 分かりました。師匠もどうかお体に気を付けて。ロザリィもパシテーも」


 今度は少し長い旅になる。


 目指すはアシュガルド帝国にあるという転移魔法陣。


 日本に行くぞ!


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