07-22 物語は流転し始める
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パシテーの家名を取り戻す件で、その後の事を少しだけ語っておこう。
フィービーはパシテーと同じく戸籍が消失している。これはアルトロンドの魔族排斥運動でお決まりの『魔族は人に非ずや』云々といったアレにより人としての尊厳すら奪われた。
ノーデンリヒトでは奴隷にされてしまった被害者を救済する特措法で戸籍を仮発行できるが、母娘そろってそれを固辞。もともと戸籍の概念を持たない少数民族や零細規模集落に適応される法を適用し、戸籍を持たないままノーデンリヒト領民として受け入れられた。もちろんアルトロンドでエルフ族が安心して暮らせる世の中になったらいつでも戻ることができるという自由は保障されている。
フィービーはダリル領主からもらった3000ゴールドの中からちょっとだけ使ってマローニに小さな家を買い、仕事も決まった。マローニの初等部で先生をするそうだ。
高速詠唱と術式破棄という高等技術をグレアノット教授とほぼ同じレベルで使えるので、もちろん魔導学院でも教鞭を振るえる実力があるのだけれど、魔法だけじゃなくその他の教科にも深い知識を持っていて楽器の演奏にも深く精通した才女であったため、本人の希望もあって初等部の先生に納まった。
何しろパシテーを産む前はアルトロンドの領都エールドレイクで初等部の教員だったらしい。
……という情報をポロっとこぼしてくれたことがパシテーの父親に繋がる手掛かりになった。
小耳にはさんだ情報にまるで気付いていないような振りをして調べてみたところ、エールドレイクで初等部の教員をしていたフィービー・ディルはアルトロンド評議会議員エンドア・ディルの妻であった。
エンドア・ディルは奴隷制度に反対し、奴隷開放運動をしている少数派の議員で、今もアルトロンドで奴隷を解放しようと合法的に戦っているのだ。
その娘がパシティア・ディル。つまり、パシテー。
頑なに家名を隠そうとする理由が分かった。
アリエルが戸籍を復活させようと大っぴらに動いてしまうと、エンドア・ディルが『ブルネットの魔女』の父親であることがアルトロンド側にバレてしまう。そうなるともう、いろんな濡れ衣を着せられたりして反逆罪をでっち上げられる未来しか見えない。パシテーの戸籍の問題を解決するのはずっと先の話になるだろう。
「ねえパシテー。ちょっといい?」
「姉さま?」
「パシティア・ディル。あなたの名前よね?」
「…… ……っ」
「あなたの家名を取り戻すのは何十年も先になるかもって、アリエルが言ってた。ごめんなさい」
「う、ううん。いいの。ありがとう姉さま。ありがとう、本当にありがとう」
フィービーは自分の娘を人族の嫁になどやりたくはなかったんだそうだ。
種族も違う、寿命も違う。取り巻く環境の変化が読めないこともある。フィービーもエンドア・ディルと恋愛し、結婚した当時はまさか奴隷制なんてのが始まって、自分たちが人としての尊厳を奪われるなんてこと予想だにしていなかったことだ。
相手だけが年を取ってゆき、愛する人と共に老いて行くことができないのは不幸だという。
だけど、フィービーはこうも言った。
「そうね、だけどあなたにお義母さんと呼ばれるのは、いいかもしれないわね」
アリエルとパシテーの結婚を許したときの言葉である。
なんでも、アリエルがいつもパシテーやロザリンドに怒られてるのを見ていて、少しずつ心が動いらしい。アリエルにしてみれば、そんな情けない所を見せてしまってポイントがマイナスになってると思っていたけれど、実はプラスに働いていたという……おいそれと納得のいく話ではない。
なんでも『かかあ天下』に甘んじる男は信頼できるのと、あと、エルフ族だからといって差別されることのない家庭と環境があることを自らの目でしかと確かめたことが大きかったのだとか。
エルフにとって、ボトランジュは暮らしやすい土地だった。
フィービーは娘パシティアをボトランジュに向かわせて良かったと、心からそう思ったのだ。
フィービーが二人の結婚を許してくれたことで、パシテーとの婚約が確定。
暫定婚約者という立場から、普通の婚約者になった。で、いつ結婚するかって話だが、パシテーが言うには、平和になってアルトロンドに住むお父さんにも祝ってもらって結婚したいという。それまではずっと婚約者のままでいいのだそうだ。
いや、仮にだ。本当にこのまま何十年も放置していると名誉婚約者と呼ばれ、まかり間違ってアリエルのほうが先に死んでしまいでもしたら婚約者のまま未亡人になってしまう。仮にもパシテーはクォーターエルフで、平均寿命は300歳を超えるのだから十分にあり得る。
パシテーの家名を取り戻すという目的については、ひと段落ついた。解決しなきゃいけない問題は山積みだけど、今できることはない。問題を先送りにするのは気が引けるけど、フィービーが許してくれたことを今は喜ぼう。
ほっと居間でくつろいでると、さっきまで幸せそうな顔をしてフワフワと浮かんでいたパシテーが、急に何かを思い出した様に眉根を寄せながら不満を口にした。
「私、兄さまから求婚されてないの」
「「「はあ――――――――??」」」
そういえばそうだった。
そもそもアリエルとロザリンドがしっぽり濡れて二人っきりの夜を楽しもうとしていたのを、パシテーが察して、まるで親の仇のように毎晩毎晩、アリエルにへばりついてはロザリンドとの間に入り込んで二人のイチャイチャを邪魔していたのだ。
それは意図的だったし、パシテー渾身の悪あがきでもあった。
『絶対に阻止するの』なんて言いながら二人の間に割って入って、よくぞ半年も阻止し続けたと褒めてやりたいところだが……。
キレたロザリンドがパシテーもろともロザリンドの種族スキル『魅了』を使ってしまい、ロザリンドは強制的に排卵日となり、パシテーもくんずほぐれずの3Pという大惨事となった。何があって裸で寝ていたのかを鮮明に覚えていて、しくしくと涙を流すパシテーの傍ら『あなたがもらわないなら本当に私がもらうわよ』なんて挑発されたことが発端になり『ダメだ、パシテーは俺んだ。お前に取られるぐらいなら俺がもらう』って宣言したことから暫定婚約者になって今に至ってるんだった。
たしかにアリエルは求婚した覚えがないし、パシテーは返事もしていないどころか、求婚もされていないという状況で外堀だけガンガン埋まってしまって、母親から先に口説き落として結婚の許しをもらったというわけだ。結婚が契約なら婚約は契約の前段階だ。いくら口約束でもこればっかりは言わないわけにはいかないか……。
「まったく、何やってんだか。いますぐ言いなさい。ほら」
「だってさ、こんなに人が大勢いるしさ、母さんもお義母さんもいるし、コーディリアもディオネも、弟子のサオまでいるじゃないか。てくてくもほら、こっち見てるし。晒し者みたいじゃん。また二人っきりの時に言うよ」
「ふーん、私の時はどうだったっけ? みんな見てるところで抱き上げられて求婚されたんだけど? ダフニスのバカにだけは聞かれたくなかったのにさ、あいつ今でも絶対に酒の肴にして笑ってる。恥ずかしかったなあ……、あーあ、私、晒し者にされたんだ」
「だ――――っ、そうだった。すまん、でもパシテーも照れくさいだろ。こういうのはほら、花咲く草原にある木の下で、夕陽でも見ながら二人っきりのほうがロマンチックだよね? そっちのがいいよね」
「ううん。ぜんぜんなの。兄さま後回しにしたらいつになるか分からないの」
「マジか。マジなのか。俺一世一代の生き恥を晒すのかここで――――!」
「私に一世一代の生き恥を晒させたんだからね。観念なさい……。あ、タイセーも呼んでこようか?」
「やめてー。なんか泣かれそうな気がするしホント、今ここで言うからこれ以上増やさないでお願い」
観念した。
跪いた。
そして求婚した。顔から[ファイアウォール]が出た。
パシテーが喜んで受けてくれたことだけが今日の収穫だった。
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一方、こちらボトランジュ領主、アルビオレックスのお話をば。
ダリル領での一件はビアンカやオフィーリアさんに知られないよう黙っていたのだけれど、ボトランジュにもダリルを探らせている密偵がいたようで、半月もするとダリルでの騒乱の状況がわりと詳細に、領主アルビオレックスの知ることとなった。
アルビオレックスは、あれほど手を焼いたバカ息子トリトンが心労で倒れるなど信じられなかったのだが、その理由を知ることになる。
自分の心臓の痛みで数日間病床に臥せってしまったほどに。
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一方こちら、アリエルたちの襲撃を受けたセルダル家。
当然、してやられた方のダリル領軍を率いるセルダル家も密偵を駆使して情報収集に奔走していた。
アリエル・ベルセリウスについて、調査報告。
・ボトランジュ領主アルビオレックス(中略)ベルセリウスの五男でノーデンリヒト領主トリトン・ベルセリウスの長子。
10歳でノーデンリヒト戦争の英雄となり、敵軍から死神と呼ばれ恐れられる。
『ノーデンリヒトの死神』と異名をつけたのは魔族軍の将校なのだとか。
その後、飛行術をもってレイヴン傭兵団を圧倒した『ブルネットの魔女』と行動を共にし、闇の精霊と契約を結んだと言われる。闇の精霊がどういったものなのかは現在調査中。
14歳時、王都西側のサムウェイ地区で神聖典教会の神殿騎士たちと諍いを起こし、そのとき神殿騎士と神官合わせて25名を殺害。周辺の建物が破壊され、見物人も軽くないケガを負うなど、王都でも少なくない被害を出している。
16歳時、ノーデンリヒト戦争で魔王軍について勇者キャリバン率いる神聖典教会の神殿騎士団を全滅させて魔王の妹を妻に娶ったことにより魔王の義弟となり、千年もの間続いた人魔戦争を休戦に導き、その後和平が締結されると、アリエル・ベルセリウスはノーデンリヒトの死神から一転、ノーデンリヒトの英雄と呼ばれるようになった。
神聖典教会より神託を得たアルトロンド領軍がアリエル・ベルセリウスの引き渡しを求めてノルドセカに送った五千の神兵がベルセリウスの奇襲に遭い、たった数分程度の戦闘で壊滅。その後、セカ南東に進軍したアルトロンド神兵三万二千の前に夫婦で現れ『絶対強者』ノゲイラ将軍と『高貴なる剣』のアウグスティヌス神殿騎士団長がそれぞれ一騎打ちで打ち倒されている。
そして予告したうえで夜襲を決行しアルトロンド領軍と神聖典教会の神兵あわせて32000の兵が全滅。共同戦線を張る予定でダリルマンディを出た2万の兵が戦闘に参加せず戻ってこられたのは幸運でした。
なお、夜戦では使役していたあのドラゴンを使って陣を丸ごと焼き払ったという報告が。
不確定情報では、ドーラに渡った際、かの有名な爆炎のフォーマルハウトを怒らせて戦闘となり殺害しているのと、その際に禁呪の死霊術を使ったとの目撃情報あり。
王立魔導学院の分析では、ベルセリウスの使う魔法は過去の文献に登場しないことからオリジナル魔法であると考えられているらしいのですが、これはこの王国に住む者は子供でも知っている爆破魔法と呼ばれる魔法に似ていて、端的に言うとあの、おとぎ話に出てくるあの破壊神アシュタロスが使って世界の7割を滅ぼした魔法じゃないかと言われていますが、その可能性は低いです。
アリエル・ベルセリウスはこの爆破魔法を隠すでもなく度々使用しており、セカ魔導学院でも講義を行って実演して見せています、あんなものがセカの魔導学院に伝えられたとなると脅威であります。
「ベルセリウスの弱点は?」
「好色家であるぐらいでしょうか」
「王都はなぜこのような危険分子を放置しておるのだ?」
「軍を率いたり、徒党を組んで王政に異を唱えず、国を変えようともしないからでありましょう。王都側から見ても、1000年続いたノーデンリヒト戦争を終わらせた功績と、最近特に力をつけてきたアルトロンドの弱体化、そして口うるさく政治に影響力を行使しようとする神聖典教会を黙らせるための調停者として十分に役割を果たしていると考えられますが……。いささか力をつけすぎていて王国騎士団や国軍の不評を買っておるのも事実らしいので、近く何らかの沙汰はあるかと」
「宰相もしたたかだな」
「それはもう、王国の利益を優先させて然りかと」
セルダル家領主がアリエルに一騎打ちを挑み、敗れたことにより後継者であるエースフィル・セルダルは、フェイスロンド侵攻を断念し領内での地盤固めから始めなければならなくなった。経済の減速は留まるところを知らず、ダリル領の経済力はその後急速に衰退していくことになる。逆にエルフ族の割合が多く、家族や親戚をダリルに攫われたフェイスロンドの領民たちが気勢をあげ、奴隷解放をスローガンにダリルに侵攻してしまいそうな情勢になってしまった。強いリーダーシップを発揮していた領主が倒れると脆いものだ。
ダリル領は高いつけを払わされることになりそうだ。




